081 年始参り(前)
「シュウ兄~」
その呼び声に、栓つまみを回して火を止めたいところだが、御竈にそんな便利なものは無い。一歩、前に出て待ち構える。
ぽすっ。
突っ込んできた毛玉を受け止める。予測できれば、対処の難易度は下がりやすい。
「火を使っている人に、体当たりしたら危ないから、やっちゃダメだと教えただろう?」
「うん、わかったー」
また、明日もやるだろう。
「待ってた?」
双子妹がちらちらと上目遣いで身体を左右にねじる。
今日も元気のようだ。
もう恒例になった双子の突撃・隣の朝ご飯である。母獅子は、これを見越して双子の朝食を調整している節があるし、双子に激甘な寮長は修二たちに「冒険者は外に飯に行け」と強く言えなくなっている。
「今日は朝飯を外に食いに行くからな~、味見はないぞ」
「それ、なぁ~に」「なんか作ってる」
双子が料理台に両手と顎先をちょこんとのせる。少し距離の空いた流しの前に踏台を置いて誘導しようとしたが失敗した。
修二が自作の半割の竹筒にタネをすくって匙で切りながら、薄く油を張った鍋に落としていく。指二本分ほどのそれがこんがりと色目をつけていく。菜箸で形を整えながら、揚がった物から油切の器に移していく。
双子たちには、自在に軽妙に動く長い箸の動きを見るのも楽しい。でも、出来上がりの品がすごく熱いのは覚えた。それに手は出さない。
「おかき、だな」
もどき、だが。
お年賀の品用である。こちらの世界にも、世話になった方々に年始に挨拶回りをする風習があるらしい。
まだ、少し熱いおかきを醤に潜らせる。辺りに立ち込める香りを追いかけるように双子の鼻が動く。
味の種類は、甘みのついた醤味のものに、粉雪のように挽いた樹塩を軽く振ったもの、煎り豆入りのもの、海苔を巻きたかったがないので先日の蟹の殻を粉々にしたのを入れてみたものと、粒胡椒入りのものに、鷹の爪(橙辛子)の粉末を振ったものの六種類を用意した。
それを紙で中を仕切った冠竹の器に詰めていく。輪切りにされて中を塗られただけの竹の器は安価な日用品として広く普及している。乾燥させて油抜きした品は少しだけ高い。蓋も竹皮製で、消耗品の紐で底の溝に合わせて十字にくくる。
見た事のない直径一尺のそれは古都中央地内の堀に区切られた竹島産だ。冠竹は他の竹と違って、タケノコではなく生け花に使う剣山のように地面に現れ、あっという間に源人の二倍の身丈になったところで成長を止める。生業とする者は鉄製のかんじきに似た物を履いて採取に出掛ける。
自然の竹林では節の中に蟻虚と呼ばれる虫が巣くう。その身は臭く、採取者にまとわりつき、皮膚をかぶらせる。飛びつかれる前に叩き落として、かんじきで踏みつぶすのが適当だ。植樹造林の竹島では蟻虚に侵されていないようで幸いである。
「味見するぅー」
「赤いのはダメだぞ」
タネを揚げるのを再開すると、早速、隣であたふたともがいている。
その手指と口元が赤い。ダメだと言ったものに、何故に真っ先に手を伸ばすのか。
「にいに、ざんねん」
涙目の兄に半目の妹である。だが、横目で見ていた修二は知っている。妹が兄の伸ばす手を鷹の爪味に誘導していたのを……。妹は興味のある物を先ず兄で試す傾向がある。うまく行ったときは褒めるのだが、残念な結果になることのほうが多い気がする。
「ほら、ぺっとしろ。水で口をすすげ」
◆
修二たちは宿舎の近くの火災の延焼被害の低減が期待できるであろう帯状の緑地帯に出された屋台村で朝食を済ませた。露店は普段の顔ぶれだけでなく、この時機を狙った出店もあって、人出も多く賑わいを見せていた。それらの出物に後ろ髪を引かれつつも、裕樹から「明日、見て廻ろうか」との言質を取り、当初の予定通りに年始参りに伺う。手に年賀を持った状態で露店巡りもいかがなものかと言える。余計なものを手に取りづらい利点がそこにあったりするかも知れない。
先ずは、同じ南西地区にあるアンセルム商会のガウトラ支店に向かう。外環部でも中央寄りの場所にあり、徒歩十数分と言ったところだろうか。大通りに出れば乗合馬車の利用も出来るが、誰からもその提案は出ずに、皆で疑問なく歩き始めたのはこの世界に慣れてきた証左であろうか。
その通りに出れば、その店に着飾った人たちが絶え間なく出入りしているのが見える。皆、年始参りの人々なのだろう。この人入りの多さが、普段の取引の多さを示すのと同義で、その店の現状を表していると言える。
近づけば、アントン氏の姿も見えた。
「これはこれは、“侍派有倶”のユウキさま、昨年は樹塩の輸送業務を始め、さまざまにお引き立て頂き誠にありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ、日頃から手厚いご配慮を頂き感謝しております。こちらは手製でございますがご笑納ください」
裕樹を目敏く見つけたアントンがいつもよりも五割増しの大仰さで近寄り声高く挨拶を交わす。
「ほぉっ、手製ですと!」
「茶うけの一時にでもお召し上がりください」
視線を向けられた修二が、“おかき”だと告げると、目を光らせたアントンの声が跳ね上がる。
「これはまた目新しき物を!」
周囲の目が、修二たちが持つ残る同じ包みに向けられる中、アントンが続ける。
「折よく昨晩、ユウキさま方考案の全く新しい型の靴が届きましてな。それを確認して頂こうと思っていたところでした」
どうぞ、こちらへと案内されるのを、本日は年始で伺っただけなのでと断る裕樹が店内に連れ込まれていく。
その様子を耳を大きくして、廻りの人々が見送った。
「また新商品だとぉ」「今度は靴か」「中に招かれたっ」「うちに卸してもらえるのだろうか」「今年も目が離せないな」「年賀の茶うけも聞いたことがないものだったぞ」
こちらの年始参りも長居は失礼とされ、挨拶は玄関で済ませるのを良しとする。文字通り、千客万来の店舗に引き入れられるのは余程のことなのである。そして、体良く、宣伝に使われていた。
「良い時に来て頂きました。
新商会主もガウトラに来ているのですが、今は中央官庁街に出向いておりまして、私が案内させていただきます」
「いや、本当に忙しいでしょうから、また後日に改めますよ」
「私も休憩したかったのですよ」
アントンは本来はここ古都ガウトラではなく、王都ドラングで辣腕を振るう立場の人だ。支店はこちらの者で切り盛りするのが道理だと言い、商品とお茶を運ぶように指示を出す。
すぐに見た目が完全に登山靴なものが運ばれてきた。それもそのはず、これらは裕樹の履いていたそれを元に作られたからだ。
「以前、伺った各自の大きさをドラングに伝えてありますので、不具合があれば教えて頂きたいのですが」
こちらの靴は、足型に合わせて、皮に切れ目を入れて魔結石の溶剤で再生しつつ、一枚皮に成型して出来た靴下状の物に靴底を貼り、足の甲と足首の部分を帯で留めるのが一般的な仕様である。一体成型なので、耐久性と雨雪や防寒性などに優れている。勿論、街歩き用には布製のものや、靴底と帯だけの履物も存在する。
「なるほど、いいですね。お渡しした物と遜色ないと思います」
「ここまで運んできた冒険者からは疲労度が違うと、高評価でした」
部品分けしたことで、装着感が向上したのだろう。ここにも年をまたいで働く冒険者がいた。年賀でその試用の靴を貰って大喜びだったと言う。ちなみに従来品に比べて、当面の価格は3倍ほどらしい。
「つま先にも指一本分の余裕があるな」
「武骨……」「もっと色味が欲しいの」
全て茶色なので、可愛さが足りないらしい。
「なんか、すーすーするっす」
歩いてみたまさるの感想である。
「中敷に藍毒蛙の皮膚を採用しています。部位ごとに素材分けをした利点ですね」
それが歩く度に靴内の空気や湿気を外に排出しているのだ。異世界的高性能になっていた。
各自二足ずつ用意されていた。靴は連続して履いていると痛むのも早い。