076 祭事の装い/忠告
陽もだいぶ下向きだ。西大門前の混雑も昼間とは打って変わり、人と物の流れは支障なく進んでいる。
祭事に合わせて、郊外の農作・牧畜地域から物資の搬入量が増加するのは例年のことであろうから、それに対応できる体制を整えないのであれば指導者は無能の誹りを免れないだろう。役人が現地に赴いて、業者に予め確認を取り、事前に許可証を発行したりするなどの方法で大門での手続きを簡略化している。
裕樹も出入国管理時に“侍派有倶”全員分の入街税銀貨5枚をまとめて払う。一人頭で約2000円程度だろうか。後で必要経費としてアントンに還してもらう。見習い少女の分は、滞在査証を提示してもらって銅貨5枚を支払う。裕樹たちの半額だが、滞在査証は当該地に拠点を構えて半年以上活動することを前提に冒険者ギルドに申請すると得られ(冒険者ギルドが代行して、当該国に申請している)、入街税の他にも冒険者ギルドでの取引で徴収されている税金の一部が還付されたりするお得な制度になっている。
「そう言えば、両替ってしてないっすよね」
まさるが不思議な顔で尋ねてくる。通常、外国に赴けば、外貨両替は付き物だろう。
「マジか、今更かよ……」
修二が誤認逮捕されたミンビョルグ国、まさるが補導されたブナラング国、それぞれ冒険者の街ギムレイを経由して、今、ヴォルスグ国にいる。が、使用しているのは、すべて同じ“神貨”と呼ばれる共通の硬貨である。
「発行元が神殿らしいんだよね」
そもそも貨幣経済を成立させるには、様々な困難を伴う。発行元の信用はもちろんのこと、地金の単価との兼ね合いも問題だ。例えば元の世界の金銀銅の質量比による単価比はそれぞれ約80倍だ。ここでは銀貨10枚と穴金1枚で換金されるが、それに合わせた場合は銀貨80枚と穴金1枚の交換でないと計算が合わなくなる。つまり、貨幣を使う者に価値を受け入れさせるだけの信用や強制力が発行元に必要になるはずなのだ。
「廻りを見渡しても、皆が熱心な信者とは感じられないし、総本山とか教会の街なんかはないらしいんだよ」
裕樹らによるギルド本部での資料調査では悪魔教団についても調べていた。であれば、それの対極に位置しそうな教会のことも一応は目を通さないと知ると言う事にはならないのではないかなと言うのが、裕樹と言う人である。
結果として、所在や規模などの基本情報の他に表立った活動があまり確認できなかった。冒険者ギルドとの取引記録も正規の手続きを踏んだものばかりだ。気になったのは神器の修繕を教会に依頼していることくらいか。また、決算書類の付帯事項(明細はなかった)から冒険者ギルドが教会の何かを調査した様子が伺えたが、それは他の国家に対しても同様に見られた。
それらに対する感想は、「貨幣の発行や一般的ではない機器を扱える技術を持つ技能集団がどうして自治を維持できているのか?」である。
絶妙な権力の均衡が成立している可能性もある。だが、特殊な地形背景はないのだから、分割してそれぞれの国の傘下に治めた方が争いの種がなくなり、確かで間違いないことのように見える。つまりは、そうならないだけの隠れた理由があるはずだと言うのが裕樹の推論である。
「触りたくねー」
それを聞いた修二の一言である。何の前知識も準備もなく、それを突けば、良からぬモノが出てきそうだ。しかも、その際に相手とするのが、教会自体なのか、取り囲む各国の思惑なのか、別の何かなのか、その総てなのか、今は想像も出来ない。
「神の存在なんて疑わしいことこの上ないけど……」
それを言ったら、悪魔の存在も怪しいことこの上ない。帰還の手掛かりのためにはいるべきなのか、遭いたくない気持ちが相反する。
「……伝承にあるように本当に去ったのかも疑問なんだよね。力を持つ者が背後にいて、例えば天翔ける城があって、そこに住む者がいるのなら、その技術力は僕らには想像もつかないものだろうと想定できるでしょ」
アントンに聞かされた教会の天分録も話題に新しい。いづれ、教会について、知る必要性が出てくることは間違いなさそうだ。
◇
西大門に入り、街壁の幅厚の回廊を抜けると、黒の森に向けて街を後にした時と様相をがらりと変えていた。街が鮮やかに色づいている。植栽が紅葉していたとかではなく、道は塵一つなく掃き清められ、大通りに面する店舗に下げられる五角形のギルド標章も洗われて鮮やかな織彩に揺れていた。行き交う人々も晴れの装いだ。
修二たちは気付かなかったが、内開きの2枚の大門も洗われて補強の金属部分が回廊の灯りを受けて、炎の揺らめきを映していた。
催事が許可されている市場前広場など、街民の憩いの場には人が集い、すでに祭事の賑わいを見せている。
「へぇー、綺麗な織物だったんだな」
道の埃にまみれて灰色にぼけていた標章も色彩を取り戻し、それだけで店の格があがったかのような錯覚を持たせる。
が、その華やかさから離れて商隊は道を折れる。向かう先は荷駄が行き交い、騒々しい一画である。
「あれは倉庫街かな……」
御者席に顔を出した裕樹の見立ては正しかった。
先導するトルスティの後をダグリッチに追わせる、まさるが声を上げる。
「えっ、冒険者ギルドに行くんじゃ……なんだ、あの討伐した魔物の多さは、とか。とんでもねえ新人が現れたもんだ、とか。物語の流れでは、視線を独り占めの場面になるはずっすよね」
確かに塩壺で底上げされて七節虫の脚枝が山と積まれた十台の運搬車が連なる光景に修二たちは迫力を感じた。この世界の人たちが同じように感じるかは分からない。見馴れた光景の気もする。例え、まさるの想像通りだったとしても、その称賛を浴びているのは、それと同行している“星願一天”たちだろう。尤も、機動車に積まれている泥荒猪も、時折、道行く人の視線を集めている。但し、注目されているのは軍人と機動車の可能性もある。
「これだけ大きな街だからね。そんなやり方をしていたら、業務が事務的にも場所的にも破綻しそうだよね」
例えば、七節虫の脚枝を冒険者ギルドで品質や数量の確認をして、商会に運び、加工業者に引き渡して、なんてやっていたら、それぞれの場所にそれぞれの物品に応じた保管場所や管理のための人員が必要になる。荷物が集中する場所に品質管理もできる貸倉庫を作り、そこに預け、そこに受け取るようにすれば、様々な費用を削減できる。さらにここのように倉庫街にして、出入箇所を制限すれば、防犯も容易くなる。
警備員が固める鉄格子の門戸を抜けると、街壁側には控壁を出してその上に屋根を掛けて前面は解放された平屋の簡素な建物が連なり、道を挟んだ反対側には二階建てで二階を事務所にしている同じような建物が並んで居る。道の両側に一直線に伸びる雨水排水用の側溝がこの場に奥行を与え、施設をさらに巨大に演出している。
裕樹が受付にギルド証を提示して、アントンからの伝言を受け取る。
有翼獅子との戦闘の後に砦に戻ると広場に人気はなく、トルスティが紅焔卿の指示書を持って砦内に入っていった。直後に砦内が沸いたが、どうやら、あの時に周囲にいた人たちは砦内に一時的に収容されていたようだ。友人の救出の報を受けて、喜びが溢れたのだろう。
戻ってきたトルスティから、アントンが倉庫街に報告を残すと聞いたので立ち寄ったと言う事だ。
「なるほど、救出の契約は出来たようだね。砦には冒険者ギルドを通じて、依頼者であるアンセルム商会から正式な抗議をするそうだよ。明日の朝に説明するから宿舎に居て欲しいってさ」
「出来る人っすね。正直、疲れたから、戻って休みたいッス」
「同感だね」
「師匠っ。獲物は早めに冒険者ギルドに持ち込んだほうがお得だと思います」
「裕兄ぃ。ドリスちゃんが祭りの間は仕事ないんだって、部屋に泊めてもいい?」
「おじさま。早く、お風呂なの」
猪に抱かれて話し込んでいた女子組が前に乗り出してきた。そして、見習い少女に名が付いた。後ろで、自分らの身体をくんくんしながら、早く汗を流したいと騒ぐが、恐らくは獣臭でもう鼻がバカになっていると思う……。
「僕は構わないけど、それは寮長に聞いてみようか」
◆
「只今、戻りました」
「シュウ兄~」「おきゃえり~、くちゃい!」
「おっ、戻ったか。他の奴らはどうした?」
「先に帰ってませんか?こちらの者は怪我無く、なんとか無事です。見習いに犠牲が出ました」
冒険者宿舎の玄関に居た寮長に帰還の挨拶をすると、チビたちが転がるように出て来た。すぐに逃げられたが……。
そして、そこの女子三人は怪我無くで寮長の頭に視線を向けるのをやめなさい。
部屋に荷を解いて、装備はそのままに1階の水場で湯浴みをする。女子らは寮長宅にお邪魔するべく、双子を追っていった。
「魔獣くちゃいくちゃいだぞ~、捕まえたら抱っこしちゃうぞ~」「きゃぁ~」「乙女のピンチなの」
「鈴……それでいいのか」「申し訳ない、騒がしくて……」
まさるが混ざりたそうにうずうずしている。額に手を当てた修二たちと同様に呆れた表情で小走りの集団を見送った寮長が真面目な顔で話して来た。
「留守中の事について話がある。汗を流したら、食堂に来るように」
3人が3人とも、生成りの半袖に半ズボンの出で立ちである。半袖の胸元には並んだ鳩目に緩く紐が通されて、結ばれずにぶら下がっている。そんなだらけた格好だが、腰には裏に冒険者ナイフが収納された幅広のベルトが巻かれているし、修二と裕樹は予備の剣を手にしている。
「お待たせしました。で、お話とはなんでしょうか」
長卓の受け口に予備の剣を掛けて、裕樹が座る。修二は釜場で人数分の飲み物を用意して配った後に、席に着いた。
「ふぅ~、冒険、お疲れさんと行きたいところだが、その話は他の連中が帰ってから聞こう。まずは届け物だ。それと、お前たちが冒険に出た後に来客があった」
薬茶を口にした寮長が長い息を吐く。冒険者の街ギムレイの薬術店で購入した香茶葉は高級品だ。未だに香りが高く、鼻に抜ける。
聞けば、人狐族が連日で二人も裕樹を訪ねて来たと言う。
「獣人の方とは、ほとんど面識はないのですが……」
裕樹と同道していた修二も戸惑い気味に覚えがないと首を振り、獣人の国に居た経験のあるまさるの反応を見る。
「おいも……あっ、拾ってもらった商会の主が人狐族でしたね。え~と、確か……ヴィクスンさんです。森の都タナイスの北域での交易が主だと聞きましたけど、おいたちを相手にしてくれたのは猫人族の方で、店主とは話す機会がほとんどなかったんですよね」
まさるの言葉を聞いた寮長が眉をひそめるが言葉を継ぐ。
「学園街の文物保存館で約束したとか言ってたが、覚えはあるか?」
「ああ、受付で隣り合ったので二言三言話した人はいましたね。約束は記憶にありませんが……」
目尻や手先が黒味を帯びていて、大きめの栗色の三角耳だった。彼女が恐らくは人狐族なのだろう。
「どんなことを話した?」
「ただの世間話ですよ。そう言えば、彼女は研究者だそうで、森に入る時の護衛を頼まれましたね。冒険者ギルドを通さないと言うのでその場でお断りしましたが」
「それは良い判断だったな。罰則はないが、その場合の不調は自己責任になる。山育ちだと知らないのも仕方ないが、一つ覚えておけ。人狐族はそのほとんだがブナラング国の“御狐霊”と呼ばれる諜報機関の構成員だ。やつらの言葉は基本的に疑ってかかったほうが良い」
「なるほど、まさるくんが保護されたと言う店も交易を隠れ蓑にした諜報活動の可能性が高いと言う事ですか」
「理解が早くて助かる」
「おいと一緒に村を廻った猫人たちには無理そうな仕事ですけど」
まさるは思った……彼女たちには、不可能な作戦だと。
「映……物語のような活動はほんの一部だと思うよ。物品の流れを精査したり、その土地の人の話しを集めれば、そこからいろいろなものが見えてくるものだよ」
まさるは思った……RPGで村人の話しを聞いて物語を進めて行くようなものかと。
「分かった。その調子なら、問題はなさそうだな」
寮長が安堵したように頷く。裕樹たちは続けて、“御狐霊”について尋ねた。
寮長が奥さん情報だがと前置きして話してくれた。“御狐霊”は情報収集のために創られた機関だが、近年はその本部も森の都タナイスから場所を移し、国の思惑とは異なる活動をしているらしい。
「古の英雄も、今じゃーお荷物になっていると言う話しだ」
組織の指導者は、最長老と呼ばれ、大災厄の悪魔討伐の際には“森の賢者”と呼ばれ、活躍した一人だそうだ。
「まだ、ご存命と言う事ですか。その名を引き継いだ後継者とかではなくてですか?」
「そういう反応になるよな。普通じゃないのは間違いない」
「腹減ったー」「もう歩けないー」
沈黙した場に、階下から騒がしい声が響いてきた。
「おっ、帰ってきたな。水浴びしねえで、寝台に倒れこんだりしたら宿舎から叩き出してやる。お前たちも着替えてこい。外に打ち上げに行くぞ」
◆
「フー モー デュ」(お元気ですか?)
「ヨー モー ブラ」(元気です)
寮長の掛け声に冒険から帰ってきた者たちが声を返して、打ち上げが始まった。
「不毛でしゅ?」(寮長がポージングしてる図)
「羊毛ブラ?」(その奥様がうっふーんしてる図)
うちの娘たちが笑い転げているが、まあこの年頃の子は何を聞いても面白く感じるものらしい。
打ち上げと聞いて、酒を飲む会だとばかり思っていたが、こちらの会はそうではなかった。普通の食事会である。無事に日常に帰ってきましたと言う事を感じるための趣向なのである。なので、最初の掛け声は出迎えた者が発するのだ。尤も、食卓には普段よりもちょっとだけ良い物が並ぶし、普段から酒をたしなむ者はもっと多く飲む。勿論、一番の御馳走は今旅の冒険談である。
「師匠っ、一言、お願いします」
“星願一天”の頭首が音頭をとる。この辺りは変わらないらしい。
「なるほど、じゃあ、皆、竹杯を持ったか。
いい経験になったよ。オリヤン、今回の引率ありがとう」
「「あざーっす」」
「師匠、勘弁してください。剣術やら、現場での段取りやら、勉強になったのは、こっちですよ」
裕樹の謝意にオリヤンが焦ったように手を振る。竹杯(竹皮を縒って結んだ取手の付いた竹筒)を鳴らす音が心地よく感じる。
「例の報告や日報のまとめをよろしく~」
「ほんと、勘弁してください」
「「あっははぁ」」
この陽気さも、また楽しい。
「ぷっ、なんだ、ユウキはいつの間に師匠呼びされてんだよ」
「まあ、新人ですけど、実は一番古いですからねぇ」
「違えねぇ」
寮長が自らの額をぺしんと叩いて笑う。
黒の森の魔人や鳥の巣城砦の救出の件も話題に上がるがそれは要検討となり、話題の中心は近づく祭りの事になっていく。
「師匠っ、聞いて下さいよ。こいつら、俺が管理部の連中にあれこれ聞かれている時に、掲示板を見てたんですよ」
ギルド本店にはオリヤンたちの後に、“星願一天”や見習いたちが着いたらしい。
「聞き取りって、会議室でじゃないですか。居たなんて、分からないし」
恐らくは裕樹たちが泥荒猪を納品した時間帯も重なっていたはずだ。裕樹たちの表情が微妙だが、オリヤンは気付きそうにない。
「熱心だなぁ」
「師匠、違いますよ、こいつら、逃げ出すだけですから。お前らなぁ、一日ぐらい我慢しろよ。学院でも街に溶け込めって、言われただろ」
「だって、祭事の時って、掘り出し物の依頼が有るって言うし」「実際、会ったしな」「なぁ~」「今旅といい、俺ら、今、ツキまくりだな」(有ったではない)
“星願一天”が息の合った連係ぶりで、手を打ち合っている。
“解放記念祭”は2部構成だ。一日目は“落穂拾い”。これは在りし日の苦難を思って、地面に落ちた麦を拾って食べると言うものだ。実際は握り拳の半分ほどの麻の巾着に入った押麦が撒かれて、それを拾うのだが、その日はそれしか食べてはいけないのだ。
二日目は“奉納お練り”。神器を載せた台車を市中引き回して、今に感謝すると言うものだ。きらびやかに装った騎士が先導するらしい。楽曲付きの御馬揃えのようなものだろうか。
「それはまた……」「えっ!」
「街の食堂は閉めるし、宿舎でも釜場の使用は禁止になるからなぁ。その日は街の外に逃げ出す冒険者は多いんですよ」
「あはは……」
図星だったようで、“星願一天”の面々がそらとぼける。
「まあ、一日ぐらい良いよね。祭りの気分を味わってみようか」「えぇぇっxxー」
鈴音と智夏がこの世の終わりのような表情を浮かべている。
「修ちゃん……」「バッカ、俺に振るなよ!」