057 有摩味
057 有摩味
「ふーん」「むふー」
食卓のあちこちで鼻息が吹き鳴らされる。
引っ越し蕎麦の意図はなかったが、蕎麦を打って、寮長家族と指導先輩方に振舞っている。その食べ方として鼻から息を抜いてと言った結果である。
とは言ったものの、麺つゆに用いた肉醤の匂いが強くて、蕎麦の香りが負けてしまっている。山葵があれば、また違ったのかもしれない。
「先輩、蕎麦、打てるんスね」
「先生には負けるけど、歯切れも喉越しもいい感じだよ」
「うー、んまいよ」
鈴よ、わかったから、口に含んだままでしゃべるのは止めようか。背筋を伸ばして、その所作が美しい、隣の智夏ちゃんを見習えって……膨らんだ鼻の穴は見なかったことにしよう。
「粉に挽いてもらって甘さを感じたから大丈夫とは思ったんだけど、好評で良かったよ」
剣術道場の合宿地が甲州往還(国道52号)を北上して、車で3時間の中央アルプスにすることが多い所為もあるのか、修二の爺ちゃんの趣味の所為もあるのか、鍛錬後に片肌脱ぎとなった秀綱の蕎麦打ちは合宿の恒例だった。
「これを乾燥させれば、旅路の携行食になるのですな!」
日持ちは問題ないし、湿気には弱いけど、竹筒に詰めればいけんじゃないかな。てか、何故、商人Aがいる、食っている!
「風と大地の息吹を感じる……」
小柄な指導先輩が目を瞑って呟く。日本人よりも詩的な不思議である。
その他にも、片腕を吊って、片足を引きずって現れた先輩方は、飯の前に飲まなくちゃなーと言いながら、増摩剤を口にしていた。そう、あのヤバ気な感じがする薬である。飲んだ後の顔が渋い。
獣耳の奥さんと連れ立って、両腕に一人ずつの子供を抱えて現れた禿頭の寮長は、ランカちゃん3才に蕎麦を食べさせるのに忙しい。袖無シャツに七分丈の脚衣の上にエプロン姿の寮長は、左の二の腕と右の前腕に何かに切り裂かれた痕を数筋見せている。冒険者宿舎の寮長は、元B級以上の猛者でなければ為れない規則となっているが、今のとろけたその表情からは過去の実績が想像できない。アルトくん3才は、卓の上に山になった料理に手を伸ばし、まずはいろいろの種類を自分の皿に運ぶことに夢中である。
ちゅるんと2、3本の蕎麦をすすって「おいちっ」と笑う幼女の姿に、顔を崩していたまさるに寮長は目で威嚇するのを忘れない。山盛りになった皿をお母さんに示す幼児は、「美味しそうねぇ~」と言われて得意げな表情である。
「みんなはこっちの感想もよろしく」
そう、蕎麦だけではない。野菜の素揚げも野菜の見本と一緒に食卓に出されている。片栗粉をまぶして揚げて、甘辛タレを絡めてある。野菜類に関しては、姿形が似ており呼称も似通っているのだが、取り敢えず、味や食感の確認のために素揚げにしてみた。本当は天ぷらにしたかったのだが、やはり卵が見当たらない。
また、野菜に関しては、木炭や例のミョウバンでアク抜きを試みてみた。厳密には、裕兄の推測に従って、摩素に浸潤されたカリウムを取り除くことを目的としている。
「久々に食ったが、蜘蛛茸は旨いなー」
片手が不自由で食べづらそうだが、腕怪我先輩が破顔する。後で伺ったことだが、あまりに手酷い怪我を薬で一気に治そうとすると、その反動の衰弱が激しくて、逆に生命に危険が及ぶらしい。
「ん?シュウちゃん、こっちに茸ないよっ」
蜘蛛茸とは笠が星型、正確には八角星で表面に綿毛状のものが生えた褐色の茸である。石突が取られて、笠のみで売られていた。乾物ではなかったが、椎茸の代わりになるかと期待して購入した。軽く拭いて、薄切りにして扇状に開いて揚げてみたが、苦い!舌先が収縮したかのような気がするくらい苦い。すぐに布で舌を拭いたほどだ。食材の売店で購入したのだから、毒茸ではないと思う。寮長の奥さんが味見して、納得の頷きを見せていたし……。
鈴には残念ってな顔を返したら、苦そうな顔で指導先輩が食べるのを見てた。
ちなみに冬虫夏草の一つとされる元の世界のクモタケとは似ても似つかない。通訳ナビは、同名の異種は当然ながらこちらの世界の関連づけを優先するようだ。
「ん、この肉、締めてからだいぶ経ってるな。どこで買った?砂利どもにいい店を教えてやれよー」
「いや、その前に冒険者なら肉は自前で用意しなくちゃな、だろ!」
朝に柄持ちと桶持ちだった指導先輩の二人が突き匙に冷しゃぶをぶら下げる。この突き匙の形は匙で1/3の位置に縦の切れ目があり、狭い方の側面に刃がついている。一本で食器具を総べる便利道具だが、刺しきれないので見目はあまり良くない。
「それは、このタレをつけるとおいしいですよ」
小柄先輩の助言に、タレに潜らせた肉を口に含んで、柄と桶の先輩が頷いた。
「工夫は良い冒険者になるための大事な条件だ。肉を磨いたかー、見込みがあるぞ、砂利どもー」
マジか、あれを旨いって、言ってるよ……。
なんと、この世界では食肉にするのに血抜きをしない。遭難学院生4人組を連れて、光陽牛の狩りに行った際に知った驚愕の事実である。狩った魔物を血抜きしようとしたら、逆に驚かれ、と言うか、「価値が下がるじゃん!」と焦った様子で止められた。
では何故、血抜きをしようと思ったか。鮮度を保つためだ。捌いた後に血に雑菌が繁殖し、それが腐敗を進ませ、雑味や濁りにつながる。
が、この世界ではそれが逆になる。死んだ後でも、その血の中にはまだ摩素が存在し、それが周囲と平衡になるまで薄れないうちは、雑菌の繁殖や腐敗を遅らせる。血抜きをしない方が鮮度が保たれるという不思議がある。
それにその世界の人は摩素を好むのだ。摩素のある世界で生活し、摩素を身体に取り込むことを良とする環境で世代を経て来たのである。
新鮮な肉には摩素が多く含まれていて、それをこの世界の者は有摩味と感じ、修二たちは苦味として感じる。
「シュウちゃん、うんまいよー」
食い物が苦いと訴えていた鈴音の箸が冷しゃぶに伸びている。
俺らはプラムの酢漬けを細かく潰したものを冷しゃぶにちょい載せして麺つゆにつけて口に運ぶ。よし、正解!
肉を薄切りにして湯がいて、湯を白く濁らせ、茶色の泡を散々に浮かび上がらせた冷しゃぶである。特に日が経っている訳ではない。
一方、そのアク抜き後の湯をさらに煮詰めて、足りない味を寮長の奥さんに調整してもらったのが指導先輩が旨いと言うタレである。俺らには罰ゲームの味である。
「ちゅっぱっ」
口を梅干しにして、さらに手足を縮める3才児たちに皆の目尻が下がる。
「この子たちがお腹に入ってる時に、これが無性に食べたくなったのよねー」
両頬の薄い三筋の紋様が猫ひげのように見える寮長の奥さんは、獣耳をぴくぴくさせながらもプラムの酢漬けが平気なようだが、他の者たちは決して手を伸ばさない。この世界の大方の人は酸味が苦手なのだ。
「腹減ったー」「いい匂いがするー」
そこに、騒がしく冒険帰りのパーティが食堂に上がってきた。疲れた感じだが、明るい表情で帰ってきた。本日、帰宿予定だった4人組である。
「お前ら、湯浴みしてねーだろ!部屋にその臭いつけたら、即、追い出してやるからなっ」
寮長が帰ってきた連中を階下に押し戻そうとする。
「えー、臭いかなー」「ちゃんとギルドで水浴びたよな?」「おう、獲物と一緒になっ!」
冒険者ギルドの解体場で水の掛け合いをしてきたらしい。自分の手首とか胸元をくんくんする帰宿連中である。
「水も滴るって奴だぜ」「「なぁー!」」
最後に手を顎先に持って来て姿態を決めるが、鼻をつまんだアイナちゃんに「くちゃい」と切り捨てられた。
すごすごと一階の水場に降りていく。
「確かに自分じゃ分からないですよね」「イケメンの俺が避けられるなんて、初めは何事かと思ってたぜ」
小柄先輩と柄持ち先輩が笑い合い、仲間に誰がイケメンだと突っ込まれていた。
確かに例えば本格登山後の自分の匂いなどは分からないものだ。嗅覚疲労は、その状態でも別の匂いをかぎ分けるための順応であり、暗い中に居続けると目が慣れてくるのと似たようなことである。
順応してなければ、他の危険な匂いを察知できないかも知れない。大事なことだが、その状況が過ぎた後では不要だし、臭いものは臭い。
台所から修二が帰宿した人数を確認する。ちなみにここの台所の作業台はアイランド型である。焚き口の鉄製の蓋を開けて薪を入れて使う御竈の上には煙突に繋がる覆いがあり、流しには天井から水の竪管が降りてきている。水道は蛇口ではなく、梃を介した栓だ。梃の棒の先端を押すと栓が引き上げられ水が流れる。栓には重りが付いており、次第に水量が絞られていく。つまり、水を鍋などに貯める場合は、梃棒を押さえていなければならない。水道という生活に密着した部位に、蛇口=ネジ構造が普及していないということは機械技術の進歩の具合も計れるというものだろう。
普段はほとんどしない味見を今回は大量にすることになった修二は、軽く摘まむ程度で、ほぼ給仕に徹している。
今は、蕎麦と小麦粉などを水で溶いた生地を薄く、何枚も焼き上げていた。
「修二さん、手伝います」「あても手伝うよっ」
席を立った智夏に続いて、鈴音もやって来た。
「おう、助かるよ。じゃあ、トッピングを頼めるか」
「ガレットなのー」
「うーん、卵が無いから、なんだろな。クレープでもなし、薄焼き?まあ、甘い何かになる予定だ」
修二もそう言いながら苦笑いである。蕎麦も素揚げも下処理は済んでいるので、大して手間はかからない。置きっぱなしだった冷しゃぶは若干乾いてきているが、まあ、いいや。
デザートに関しては、お察しの適当である。気分は味わえるだろう。
「あっ、チビどものにはナッツは入れるなよ。男連中はこっちの鉢の果物を加えて」
小動物っぽいから、ナッツをぽりぽりと齧っている姿を見たい気がするが、まだ歯が生え揃っていないそうなので誤飲が怖い。男連中の分には蜂蜜酒に漬けておいた果物をのせる。女性陣と子供の分には果物に糖蜜を垂らす。
この糖蜜は天蔦の樹液を粘りがでるまで煮詰めただけの代物である。それを聞いた裕樹によると、日本でも信長が砂糖を輸入するまでは似たような甘味料があったらしい。起源は縄文時代だったかなとのことだ。横から智夏が蔦はぶどう科なの~と言うので、果実部じゃないから関係ないはずだが、若干そうなのかという気にさせられた。
薄焼きの上に果物を並べる合間に彼女たちは自分らの口にも運んで盛り上がっている。
「なっつん、食べ過ぎじゃないー」「そんなことないの」
智夏ちゃんは、こちらに来てから食が進むと言い訳をしていた。口をすぼめても、頬はふくらんでいる。鈴音に突かれて、きゃっきゃっしてる。
果実に苦味は含まれないようだ。種に凝縮されていそうだが、ナッツ類も無事だった。
やっぱり、楽しい食事は活力に繋がるな。
ちなみに帰ってきた4人組は用意した分では足りなかったらしい。さらに街に繰り出していった。