036 世界の謎/摩法と力
「人を嵌めようとしたり、ただ働きさせようとする人は好きになれないんだよね」
フェリクスの勝手な指図に従うことに不満を感じながらも、ポウル君と修二の顔は盗賊団に認識されている可能性は否定できないし、その場合、何故、その二人がギムレイに来ているのかと盗賊たちに疑念を抱かせることになりかねない。
事態がどのように進展しているのか、どう転がるのかわからない状況のなかでは、下手に元の世界に戻るための調査を進めて、好ましくない状況を生じさせることになるのは、彼らの本意とするところではなかった。
疾く疾くと、アンセルム商会の宿舎に戻ることにする。
まあ、それに一番不満気だったのは、せっかくの冒険者の本拠地の探検と言う名の散策を止められたポウル君であった。あわよくば、自分の手で救出なんてことも、ちらりと考えていたのかも知れない。暇という言葉などを辞書に持たないポウル君は、アンセルム商会で手伝いをすることにしたようだ。
◇
一方の修二たちは……
「さてと、忘れてないよね」
裕樹が忘れることなどなかった。報連相の時間である。
買いこんできた軽食を卓に広げて、上司への報告、連絡、相談である。
「あれは、何だったんだい?」
で、早速の質疑事項である。あれとは、もちろん、ウルヴァリン戦で修二が使用した摩法のことであろう。
「え~と、あれは裕兄に秘密にしていた訳じゃなくて、いろいろ想っていたことが、あの時、唐突に固まったと言いましょうか、なんと言いましょうか……」
あくまで咄嗟の出来事だったことをしどろもどろに修二は主張し始める。
しかし、それを聞く裕樹の表情は叱責ではなく、興味津々で身を乗り出していることに、彼と視線を合わせようとしない修二は気付かない。
「やっぱり、一番の原因は摩法の発動が見えたことで。ほら、裕兄は俺の、何と言うか、眼の時間のことを知ってるでしょ」
視覚の緩動世界――one and only――を使うことを、裕樹がよく思っていないことを知っている修二は、泥荒猪戦の時のことを閊え閊え話す。
拡げた手の平から白く光る粒のようなものが出ていき、それらに集まるように廻りからも光る粒が集束していく。それらが赤みを帯び始めた時に、摩法陣が浮かび上がり、発動の鍵となるのファイアボールの発声とともにそれは火の玉と化して打ち出される。
「だけど、全然、効いていなかったから、次はもっと威力を上げようと思ったんだよ。ほら、ノォウゥ~の先生も摩法はイメージだって言ってたでしょ。だけど……」
同じように手の平から白く光る粒が出て、それらは青みを帯び、動きも激しい。廻りから集まる光る粒も渦を巻いた。だが、摩法陣が浮かんだ瞬間にそれらは消散し、前と同じ赤い火の玉が打ち出された。
「なるほど、摩法の腕輪というのは、摩法を発動するための補助装置ではなくて、能力を制限するための拘束具だったという訳かい?だから、あの時、摩法の腕輪を投げ捨てたのか」
「まあ、あれは摩法を想像する時間を稼ぎたくて、少しでもヤツが気にしてくれればって言うこともあったんだけど」
もちろん、討伐後に腕輪は拾ってある。捨てるなんて、もったいない。
腕を組みつつ、顎を右手でさする。いつもの裕樹の考察の姿勢を見て、先をつなげる。
「それとは別に疑問に思ってたこともあって……」
摩法に対して最初に不思議を感じたのは、“疾風迅雷”が使った“風”の摩法。
あれは“風”なのか。
「裕兄は、風ってなんだと思う?」
「まあ、気象学的に言うのならば、“風は気圧傾度力によって発生する空気の流れ、もしくは流れる空気自体のこと”かな」
「……」裕樹のあまりにも専門的な返答に少しフリーズした修二であったが、話しを続ける。
「じゃあ、風でモノが切れたりすると思う?」
「それはちょっと無理かな」
風で切れると言えば思いつくであろう、厳寒地で皮膚が刃物で切ったかのように裂けるカマイタチという現象。摩獣の仕業とか、昔には大気中に生まれた真空状態がうんぬんとかの解釈がなされたこともあったが、今では、あかぎれの一種と考えることが大勢である。
「でしょ。じゃあ、あれはなんだってことになるよね。アグネータさんの風の鞭は、魔物の脚をつかんで投げたりするんだよ」
「それは興味深いね」
「だけど、それは見えないものじゃなくて、風の鞭が光を反射したりするから……」
「なるほど、空気の密度が違うから、光の屈折が起きているということか。いいなー、修二くんのほうが摩法の目撃回数が多いんだよなー」
しかも、スーパースローで見ることも出来たりする。
「だから、風とか、そういう括りのあるものじゃなくて、もっと純粋なものなのかなって」
裕樹の発言の後半を、修二はさらりと聞き流した。
だから、ウルヴァリン戦では、溶岩を想い浮かべた。但し、自然現象をそのまま形にしようとすると、手の平から出る白く光る粒の量がとんでもないことになりそうだったので、それを摩法としての形に……つまり、ノンフィクションをフィクションにしてみた。それでも、立ち眩みのようなものを覚えた訳だが。
「なるほど、面白いね」
そう話しをしていくと、先程の風による切断の形が見えてくる。
つまり、白く光る粒を密に平面に並べて、勢いよく移動させたら……物が切れないだろうか。紙で指を切ってしまう時のように……。
「“ウィンドエッジ/風の刃”」
行儀は悪いが軽食に竹箸を刺して、それに向けて発動の鍵となる言葉を発生する。が、摩法は発動しなかった。裕樹も同様に発動しない。
あれかな。もしかしたら、講義で話していた個人の特性って奴だろうか。
「となると、その手の平から出てるという白く光る粒というのが気になるね」
「まあ、たぶん、ノォウゥ~先生が言ってた摩素なんだろうけど」摩法の先生の名前は忘れた。「“Use the force. Feel it.”……フォースかな」
「純粋にエネルギーそのものに近い存在なのかも知れないな」
今度は裕樹に聞き流された。
「気体の集束、発散と移動……位置エネルギーと運動エネルギー、力学的エネルギーかな」
修二も考えていたのだ。
「風の摩法の正体かい。とすると、さしずめ、火の摩法は、振動による熱力学エネルギー変換。土の摩法も風に似た感じだけど、組成と配置に特化してるとか。水は……」裕樹が唇を撫でる。
「なるほど、火の玉が生まれて、目標に向かって飛んで行くのも不思議だったんだ。火が主で、風……力学的エネルギーも作用していたとして……」
ぶつぶつと呟きに変わり、裕樹の思考が加速していく。
「土は地震とかから振動による組み換え。水の摩法は液体版かな。後は圧力とか流体力学とか」
修二が頑張る。頭から、煙とかが出て来なければ良いが。
「おっ、流体力学だとするとすごいね。プラズマとか重力とか扱えるのかも知れないぞ!もしくは、そのあたりが帰還の道筋なのか」
裕樹の頭の中でブラックホール的な図式が想起されている。
「えーと……」
話しが壮大になってきたというか、裕樹の知識についていけなくなったというか。
ぶつぶつと考え続ける裕樹に対し、考え疲れた修二は卓の軽食を口に運ぶ。
ふと見れば、裕樹が固まっている。
「超空間移動の摩法って独学で習得可能かな……解説本とか書店にあるかな?」
「……それは難しいんじゃないかな。有っても、一点物なんじゃない?」
裕樹の呟きにも似た問い掛けに修二が答える。摩法設計規準・同解説なんて本は置いてないと思う。生涯を尽くした上の集大成としての一品になりそうだ。
「だよなぁ。知識を学んで、素養が有っての結果っぽいよな。支援者になって、研究班を立ち上げるのが精々って、とこかな」
「ノゥ先生の話しでは、魔法を使うって言っても、そのほとんどが腕輪とかの摩法具を使用してのことらしいし……」
つまり、この世界の者でも摩法の根本を知るのはわずかだということだ。摩法に触れて数週間の彼らが自身でその高みに登るには、やはり生涯をかけても出来るか否かと考えるのが妥当と言えた。
とにかく、でかしたと褒められたが、まだ、言い残したことがある。
「たぶん、アレが限界だと思う」
ウルヴァリンに投げつけた溶岩弾は、ゴルフボール大。そして、恐らくは数メートルが有効な範囲。それ以上は意志が届かないと言うか、何と表現したら良いかわからないが、効力が維持できないと感じられてしまった。
そして、放った後には膝から下が無くなったかとも思えたほどの脱力感。生命の危機を自覚できるほどの喪失感。
しかも、アレを生み出すまでに数秒か十数秒か必要で、さらには、生み出すまでにその点を注視しなければならなかった。視線を外すとその意志までもが霧散するかのように感じられたのである。
数メートルの距離で、数秒間を要する。その距離で、魔物がその爪を振り下ろすのに要する時間は一瞬であろう。
とてもではないが、有効な手段として活用できるとは思えなかった。
つまり、理論だけでなく、摩法の発動にも素質が必要だと言う事だ。
修二の報連相は終わった。
続いて、裕樹の報連相である。
「僕は大きな勘違いをしていたかも知れない」
見たことのない大きさのカエルと遭遇したり、盗賊に魔法の火の玉を放られたりはしたものの、呼吸可能な大気と動植物に適性な気候、さらには、自分たちとほとんど変わらない姿形と思える人種と、その生活環境を見て、自分たちの元の世界と大差がないと印象づけた。
「特に、一日の長さが地球とほぼ同じだったことが思い込みの原因になったんだと思う」
摩素については、要注意だと思ったけどねと付け加える。
一日の長さ、つまり、惑星の自転が生命に与える影響は大きい。速すぎれば、その地表は常に嵐に見舞われているような気候状態となり、遅すぎれば、温度の攪拌が行われないので、寒すぎたり熱すぎたりを短期間で繰り返す気候は、やはり、生命には過酷な環境であると言えよう。
「だけど、学院生の遭難場所までの距離をざっくりとだけど、電卓を叩いて出したものと、実際にかかった時間に差がありすぎるんだ」
移動にかかった時間が想定よりも、だいぶ短かった。逆を言えば、想定した距離よりも実際の距離はだいぶ短かった。
基準となる数値(惑星の半径)と救難信号の高度などを比較すれば、対象の数値の大きさが違い過ぎて、それによって求められる計算結果など誤差の範囲くらいの意味しか持たないとも言えるが、数字の大勢は一考する意味があるものだろう。
「え~と、裕兄の言いたいことが、いまいち、分からないんだけど……」
「つまり、この星の半径が地球に比べて、極端に小さいかも知れないと言うことだよ。もしかしたら、火星ほどしかないかも知れない」
「ん?」
「だからさ、重力が違うんだよ。それが僕らの身体の感覚がおかしいと思う原因じゃないかと思うんだ」
火星の重力は、地球のそれの0.4倍程度であるとされる。
例えば、重力が半分であるとすれば、物の重さは半分であり、倍の重力下で生活していた者にとっては、半分の半分、つまり四分の一に感じることだろう。
その一方、必要な元素をその地表面に留めることができない可能性もあり、生命には適さない環境となっていてもおかしくない。
修二がポンと手を叩く。納得の表情である。
「ああ、おら、わくわくしてきたぞって言う、アレかぁ~」
某野菜人が活躍する漫画の鍛錬風景を想像した。
「まあ、大気圧などにも影響があるはずだから、なんで、普通に呼吸が出来るのかとか、他にも矛盾点はいろいろあると思うけどね」
我々が認識している科学は、地球環境という条件下で発達したものである。他の条件下で法則などがどのように変化していくのか正確なところは誰も知らない。想像して考えるのが精一杯だ。尤も、それが大事なことなのだが。
「異世界に来ただけで強くなったという訳じゃなかったんだ」
ある意味、そうなのかも知れないが。
「そう、一番大事なところはそこかもね。摩素とかで身体が変質したという心配が少なくなったかも……だよ」
修二たちが納得にひざを打っていると、扉が打たれる。ビリエルである。
「先輩、お疲れ~。一緒にどうです?」
何なら、酒も用意するかと立ち上がりかける裕樹や、卓の食い散らかされた軽食を見て、天を仰ぐビリエルである。
「お前ら、いい身分だな。って、言うか、立て。行くぞ」
半目のビリエルが行動を急かす。
「行くって、どこに」
「ギルド本部から、呼び出しだ。元冒険者Bじゃ、対処できなかったらしい」