034 学院生の遭難(3/3)
「裕兄!これっ、クマだよ、熊!全然、タヌキじゃないよ!」
修二が裕樹を非難する。裕樹は、眼鏡の山の部分をクイッとあげると、光を帯びたレンズで伺えなくなった目で修二を見下ろす。
「そうだね。だけど、それは情報精度の問題だよ。それよりも、修二くん、報連相だよ。わかるよね、報告連絡相談。ギムレイに着いたら、反省会ね」
威圧、強圧、パワハラだっ!
「はい、喜んで!」
マジか、なんだろう。いきなり熊に突っかかっていったことか、いや、視覚の緩動世界――one and only――は使ってないから違うな、てことは、摩法かっ、でもあれは内緒にしてた訳じゃなくて……。
「そこの二人は戯れてないで、向こうの二人の具合を見てくれ。それと、シュウジの大剣、ちょっと貸せ」
丸ウサギ先輩が戦闘が終わった途端に先輩風を吹かす。
「うわっ、重っ。こんなバカみたいな重さの武器をよく使ってんな」
刃渡り、身幅、肉厚から鉄の単重でざっと算出すると、8kgを越える。だけど、日本刀くらいの重さにしか感じないんだよね。
そして、話しを逸らすチャーンス!学院生の仲間と思われる子たちの元に向かう。
「もう大丈夫だ。話せるか、いや、動かなくていい。怪我しているのなら、状態を見せてくれ」
立ち上がって礼を言おうとする女の子を制止する。もう、一人の子はちょっと意識がもうろうとしている感じだ。
「先にパイヴァを見てあげて。もう、傷薬とか使っちゃって……」
と言う子は二の腕に酷い怪我を負っている。裂けた傷口には、土やら何やらが入り込んでいる。
「今は止血だけにしとこう。触るよ」
裕樹が骨折の有無を確かめる。セクハラだっ!裕兄ににらまれた。うん、違うよ、知ってる。
なんかさぁ~、まだ戦いを終えたばかりで、ちょっとテンション高めっていうか、申し訳ない。
「パイヴァは摩素を使いすぎたせいだと思うんだけど……」
傷だらけだけど、骨折はしていないようだ。
だが、この子の右手は赤黒く腫れあがり熱を持っていた。
「うそ……刃の呪い?」
傷薬、使ったのに……女の子が呟く。
打撲とか捻挫の可能性もあるけど、たぶん、この世界で言うところの刃の呪いって言う奴だろう。
この世界の医療は、薬草などの素材の薬効を摩力的に高めた薬品で、生命力や治癒力などを強制的に引き上げるというのが主流だ。漢方とか化学療法の摩法強化版と言った感じだろうか。少し調べただけだが、CTやMRIなどの断層撮影の検査や外科手術などの手法はないようだ。逆に再生医療の分野では元の世界の最先端のさらに先を行ってるのかもしれない。
ただ、基礎医学、つまり人体の構造・機能についての研究が欠けていると裕兄が言っていた。知識に抜けがあるみたいだ。
だから、こんなことが起こる。
これは傷口を洗浄しないままに傷薬で塞いでしまった結果だと思う。そりゃあ、魔物によるひっかき傷や刺し傷なんて、細菌感染で破傷風やガス壊疽とかが容易に起きるんじゃないかな。傷薬の効果が高いだけに尚更に雑菌が流れ出す前に封じてしまうのかも知れない。
俺が使った泡々が出る、あの高っかい傷薬ならばい菌も押し出してくれるのかもだけど。
「こっちも、待避所についてから対処しよう」
どちらも布と枝による止血帯で中枢側を軽く圧迫するだけに留める。
「彼女にこれを飲ませてあげて。これは君の分」
二人に疲労回復薬と銘の打たれた薬を渡す。冒険者ギルドで売っていたものである。同じ時に、増摩剤と言うものも薦められて買ったんだけど、ヤバ気な感じがするので、これは保留事案にしてある。傷薬の効果がアレだったから、クスリ関係はちょっと慎重に使ったほうがいいと思うんだ。
修二たちが、ビリエルの元に向かう。
大剣でウルヴァリンの左手を切断し、ふさふさとした胸毛の下の化石化した部分の奥から鶏卵大の魔結石をえぐり出していた。
「コイツが逃げるような素振りを見せたなら、退路を開けてやってもよかったんだけど」
「ああ、それは絶対にダメだ。追い詰めた魔物を逃がすと、さらに積極的に人を襲うようになるんだ」
修二の言葉を、ビリエルが否定する。
人を襲うようになる……言葉をそのままに受け取れば、そりゃあ大変だって話しになるのだが、その真意は「人が弱いと言うことを知られてはならない。人がこの世界の支配者であるためには」だ。人が心の底から自然と共存しようと思っているのであれば、出ない言葉だと責める人もいるかな。
ビリエルが、爪刃のついた左右の手を麻袋にしまい込む。ウルヴァリンの頭を掲げて、ニヤリと笑った。
それを見て、なんとも言えない気持ちになった。
なんていうか、それが狩猟戦利品のような扱いに思えた。趣味で野生動物を殺して楽しんだ象徴のように見えたのだ。
この世界の人たちにとって、魔物を殺すということは、自分たちの生活を守るために害獣を間引くことであり、直接的に生活の糧を得るためのものでもある。その慣習に無縁だった者がとやかく言える筋合いのものではない。
「裕兄ぃ……」
修二の言葉にどう答えたものか模索する裕樹は、背後からの視線を感じて振り向いた。
そこには修二の摩法に炙られたウルヴァリンの脚をじっと見つめるダグリッチたちの目があった。どうやら、ここは彼らに学んだほうが良いようだ。
「ビリエル、これは確か食えたよな。他に有用な部位はなかったかな」
どうやら、同じ気持ちがしたらしい。
「おいおい、そんな時間はねーぞ。まあ、内臓のなんかが薬になったと思ったが……」
「クマ、熊……熊掌に熊胆か、それなら、肝臓の裏にある」
裕樹は修二の手から大剣を受け取るをウルヴァリンの腹を裂いた。内臓を傷つけずに一振りで腹筋だけを切り裂いた。修二に後を任せたと告げると、修二は胆のうを紐でしばってから冒険者ナイフで切り出す。裕樹はさらにウルヴァリンの二の腕と太ももを回収する。食肉用である。
「ここまでかな」
「お前らなー」
「よぉっし、撤収!」
修二が快活に宣言する。
ウルヴァリンの戦利品をダグリッチの背から左右に吊り下げ、学院生が持っていた荷物を抱えたビリエルが先頭を走る。
次いで、女子学院生を乗せた裕樹と修二が追いかける。同乗の分配に関してはもめたが、学院生の意見が優先された。
先頭のダグリッチの尾羽には、ウルヴァリンの尻尾が結いつけられている。ダグリッチは嫌がっていたが、もしかしたら強い魔物の臭気が他の魔物を遠ざけてくれるかも知れないと裕樹が論じたからである。
「そんなこと、聞いた事ねーぞ」とビリエルは首を傾げる。
修二たちは知らないようだが、ちなみに元の世界の熊の尾部に臭腺はなかったりする。ウルヴァリンにあるかどうかは分からない。
行きと違って、急ぎ足ではあるが、ダグリッチが首を前に倒して律動を取らない程度の速度での脱出である。
幸いにも、尻尾の効果の有無はわからないが、魔物に逃走を遮られることはなく、森を抜けて街道に出ることが出来た。
ビリエルが俺の警戒と先導のおかげだと誰に訴えるつもりなのだか声高にのたまっていたが、魔物の大部分が移動したのかも知れないし、そんな異変があったのだ、弱い魔物は姿を隠してじっとしていたと考えることも出来るのかも知れない。どちらにせよ、推論の域を出ない。
「やっぱり時間がかかってない」
裕樹が手元の時計の針を確認して呟く。
その言葉を気にすることなく、一行は街道を北に進む。
程なく、待避所にたどり着いたが、そこはアンセルム商隊を送り出して、学院生の救出のために森に向かう前にいた待避所だった。森の中では、だいぶ南に流されていたようである。
待避所のなかには人影はなかった。日も傾いている。森の状況が不安定ななか、少人数でここに止まることに不安はあるが、取り敢えず、腹ごしらえと治療を優先することにした一行である。
四隅の石灯籠に摩素の炎を灯し、その一基の下部の摩法陣に付属の印を当てて、鍋に水を確保する。鍋は学院生が持っていたものである。修二たちは背中の冒険者鞄に非常食を持ってはいたが、こんな時にはやはり食事は暖かいものが良い。救出した後のことが頭から抜けていた。大失策である。サバイバルで鍋の有無の差はかなり大きい。
まずは、二の腕に怪我を負っている学院生リンネアからだ。乱雑に裂けた傷に白い骨は覗いていないが、土などが入り込んでいて酷い有り様だ。
修二が裕樹から受け取ったスキットルの酒で手を洗う。山登りの際には必ず持参する裕樹愛用の携帯用酒筒はチタン製で、いつもはスペイサイド産のピート香と樽香の豊潤なシングルモルトで満たされている。が、それは既に尽きて、今は最北の地、鉱山都市ギムレイ産の“命の水”と呼ばれる銘柄の蒸留酒が詰まっていた。
裕樹が彼女の身体をがっしりと抑え込み、ビリエルが傷口にぬる湯を流し込み、修二が指をつっこんで傷口を洗う。
リンネアの口から悲鳴が上がった。水が赤と黒に染まって流れ落ちる。充分に汚染物を流した後は、傷薬を回し掛けた。
薬を流し込まれた傷口は、廻りの細胞を溶かすように浸食された一瞬の後に、発泡とともに新たな肉が生まれて傷口を埋め尽くす。余分に盛り上がった肉は、泡が流れ落ちると同時に平坦となり、傷口は周りよりも少し白っぽい皮膚の色を残した以外は元通りに治癒したように見えた。
痛みでぐったりしているかのように見えるリンネアだが、経験者である修二は別の理由を思い出していた。疲労感だ。治療後に、強い疲労感に襲われるのである。
間を置かずに、右手がはれ上がった学院生パイヴァの治療に移る。
熱湯で煮沸された冒険者ナイフを持った修二に逃げ腰になる彼女だが、彼女もこのまま右手を切断しないままだと、最悪、命を落とすことになることを分かっていた。
パイヴァは、“命の水”を含んだ綿織物を噛みしめ、同時にそれを服用している。これは痛み止めと言うよりも、体温が下がったり脈が弱まったりした場合の強心剤としての役割のほうが大きい。ざっくりと言えば、気付け薬、ショック死防止である。逆を言えば、アルコールを摂取すれば、体温や血圧があがるのだから、出血量も増えるし、痛みが増す可能性だってあるのだから。
裕樹はパイヴァが手を動かさないように固定する。ビリエルが塩を溶かした温水を持って待ち構える。
さすがに自身の患部を直視できないパイヴァと、友人の代わりにその様子を見守るリンネア。
しかし、リンネアの思惑と異なり、修二の刃先はパイヴァの手首ではなく手の甲に向かう。赤黒くなった肌に幾筋か浮かんだ白い筋に沿って、ナイフが差し込まれる。どろどろとした血が湧き出すと同時に黒く塊となったものが切開された患部からあふれ出した。そこにビリエルが不可解な表情を浮かべながらも、事前に修二たちに言われた通りに温生理食塩水を流し込んでいく。修二は黒く変色した組織を削いでいく。医学的には創傷清拭と呼ばれる処置に似ているが、そんなことは修二は知らない。汚染物や凝血が除かれ洗浄液がきれいになったところで、傷薬を流し込んだ。
医学の専門知識など持たない修二たちである。後はこの世界の薬の効果を信じて経過を見るだけである。まだ、赤みも残り、患部の熱も引いてはいないが、処置前の嫌な黒っぽさは無くなっていた。
「悪いな、俺らに出来るのはここまでだ。後はギムレイに戻ってから、治癒士なり薬術師なりの診療を受けてくれ」
リンネアは驚きの目で修二たちの顔を見廻すが、その手に持っている傷薬の瓶を見て、さらに驚きの目を見張る。ふと、自分に使われた瓶を見るとそれも同じ物だった。真金貨数枚もする最上級品、私たちが使ってたものとは桁違いの良品だ。
「手がある。リンちゃん、わたしの手があるよ」
本来の肌の色を取り戻しつつある自分の手を見て、パイヴァが涙を流す。そこにリンネアが抱き着き、二人揃っての号泣となった。
それを見て、嬉しそうに微笑みながらも、「さて、次は、飯の用意っと」と動き出す修二は、抱き合う学院生をのほほんと見ているウサギ先輩に煮炊き用の薪を集めるようにお願いするのだった。
筆者注)スペイサイド……英国スコットランド北東部、ハイランド地方のスペイ川流域の地区。モルトウイスキーの名産地
ぬる湯……(温泉用語)セ氏30~39度のお湯のこと