025 アレにしか見えない
俺たちは、ドラングの西門から出て、北西の森に来ていた。
身体は軽い、足取りも軽い。
「修二くん。こんな感じのやつね」
目的の薬草を、依頼の薬草の絵の描いてある紙を片手に探す。
この紙は、返却するから、あまり汚すなとのこと。
有った。ゲジゲジのような白い花。
「裕兄、これじゃね」
「“イブキトラノオ”。おお、これだね」
裕兄が紙を片手に特徴を指差し確認していく。
一応、後でギルド職員に確認してもらうために一本はまるまる採取して、残りは必要部位だけを切り取る。
薬草に関わらず、こういう類のものは似たもので正反対の効能なんて、あったりするようだから慎重なくらいがいい。
だからと言って、すべて全部というのは効率が悪過ぎるから、それはさすがにしない。
「根が、止血や解毒薬になるらしいね」
有った。薄紫の花。
“サボンソウ”…根が皮膚疾患に効くらしい。
「修二くん。来たね」
裕樹が何かの気配を察したようだ。
右手・奥に、体長120cmくらいの体毛が白、黄、黒、橙とまだら模様の小汚い感じの犬型の魔物がいた。
王都までの街道でも遭遇した“似狼犬”4匹である。
「修二くん。焦らず、慎重に、思い切りよく」
刀剣を恐れて、傷つけ傷つけられることを恐れて、腕が縮こまれば剣先が鈍り剣は弧を描かない。
また、腰が引ければ、剣を腕だけで振ることになり、身体の力はのらず、剣先で地面を掘ることになる。
そう、今日の本当の目的は、“薬草採取”じゃない。
俺の腕がどのくらい落ちているかの検証だ。
しかし、子供のころにやっていた修練はあくまでも対人訓練で獣を想定した修練はしたことがない。
「修二く~ん。一匹だけを見な~い。全体も見て~」
自分も相手をしているだろうに、よく見てるよな裕兄。
フングリグフンドは、二手に分かれて襲ってきた。俺は、低い姿勢から飛び掛かってきた右側の魔物を下からすくい上げるように剣を振るう。魔物の左前脚が斬り飛ばされ、剣は、そのまま脇腹まで抉りこんだ。
良っし、腕は振り切れてる。
残る一匹は、俺の後ろに廻り込み、低い唸りをあげている。
「修二くん、後ろに廻り込んだよ」
裕兄の方は、もう始末したようだ。
俺は魔物に正対する。魔物が右回り(時計回り)に俺の隙を伺う。廻り込むように走り込んで来た後、急に俺に向かって直線的にジャンプした。俺は魔物の左側に抜けるように、下から剣を振るう。魔物の首筋を半断した。剣先はさすがに斬れる。ひゅぅ~と息の抜ける音のした後、魔物は絶命する。
「うん。なかなか、悪くない感じだね」
刀剣は人を殺すための武器であり、剣術はそれを効率よくするために錬磨されてきた術である。そこは否定しても始まらない。
ただ、そこには肉体の鍛錬だけではなく、戦乱甚だしい社会にあって何時命を失うかわからないが故に生じる“死を恐れ悲しむ心”に負けない精神を鍛練するという側面もある。
そして、それは、爺ちゃんの道場では強化合宿の場で実践される。
日常の鍛錬において一定程度心身が鍛えられたとみなされた者に、鶏や猪や鹿などの動物の命を自らの手で奪うということを経験させる。
ちなみに、牛や豚の命は、一般人には扱えない。法律違反になるからである。
それらはその後、供養され、その日の食卓に上がる訳だが、命が失われる様を見、命の動きそのものをその手に体験させるのである。
もちろん、その場で吐いて、食べられない人もいる。命を奪われる動物たちの最後の瞬間の、その目の光や上げる悲鳴、いわゆる断末魔の叫びが目に耳に残って消えないのである。しかし、それを体験した全員が、暴力を使わないように使わせないように、それまで以上に心身を磨き上げるために勤しむようになる。
「なんかさぁ、こっちに来てから、俺らの身体ってば、強くなってない?」
修二が剣を振り、その場で軽く跳んでみせて、裕樹の同意を求める。
「そうなんだよね。僕も、基礎体力と運動能力が明らかに向上していると思うよ」
基礎体力とは、筋力、持久力、敏捷性、柔軟性などの総合的な身体能力のことであり、運動能力とは、走る、跳ぶ、投げる、泳ぐなどの身体を活動させる際に根本となる能力のことである。また、この2つを別の言い方で表すならば、基礎体力とは自身の状態であり、運動能力とは運動やスポーツに必要となる基本的な能力である。
「だいぶ慣れてきたけど、最初の頃は自分の力に振り回される感じで滅茶苦茶参ったよ」
振った剣に身体を持っていかれる素振りの後は、走り込みをする姿を演じて見せる修二。
その姿を見て、自分の脛を撫でながら、苦笑いを浮かべる裕樹。
「だけど、その理由が分からない。修二くんは、“異世界に来ただけで強くなる!”なんて、物語のようなことが起こると思うかい?」
「結果にコミットします!って?マジで、笑い話しじゃね」
大げさに肩をすくめて見せる修二だった。
「確かそのあたりだったと思うけど……裕兄、どう」
ヘンリクの手裁きを思い出していた。
「これかな」
「おっ、それそれ」
俺らは魔結石をえぐり出し、魔物の討伐を証明する部位を調べていた。持っててよかった“魔物の討伐部位一覧(ミンビョルグ編)”。
魔物の討伐には、危険生物としての間引き・駆除といった理由と食用肉および生産職が利用する部位の確保といった側面がある。
それはこの世界では、一次産業なのである。
“フングリグフンド”……魔結石は、前脚関節部の中心から下部に10cmの位置の奥。食用不適。討伐部位は、後ろ足。
「こういうのってさ。地味に荷物になるよね。でも、やっぱり俺らの場合は荷物持ちとか頼みづらいからなぁ」
身バレが怖い。日常の会話を同行者を気にしながら喋るというのも不自然な感じに思われるかもしれないし、それを続けるのもツライ。
「確かに……ボッカとかシェルパって大事だよね。でもネコを作ってもらってるから、それが使えると思うよ」
ネコとは未来から来た某ロボットではなく、工事現場などで使う手押しの孤輪車のことである。
歩荷とは、荷物を背負って山小屋などに荷揚げをすること。または、人。
シェルパとは、ヒマラヤ山脈等で重い荷物を背負って運んでくれる人。というか民族。彼らなくして、エベレスト登頂とかはあり得ない。
「マジで」
思わず声がデカくなる。
で、その直後に身体に感じる嫌な感覚。最低最悪の感覚。
二人して、黙り込む。
カサ……カサカサカサ……。
二人で目を合わせた。
しゃがみ込んだままの姿勢で不吉の方向に視線を向ける。
それは十数メートル先を二本の脚で歩いていた。
身長100cm、黒いヘルメットのような頭頂部に、人に似た造作の顔面には黒目が大半を占めた大きな目、下あごから生えた2本の小さい牙、首の後ろの橙色のぼこぼこしたコブのようなものから背中には甲虫類のような黒茶色の羽根のようなものとその下に黄土色の蓑のようなものが生えている。手足は細く、がに股で身体を左右に揺らすように歩き、それが背中でカサカサと音をさせる要因となっていると思われる。
「マジで……アレ、何……って言うか、アレにしか見えない」
あの一匹いたら、100匹いると言う。
「う~ん、たぶん、ゴブリン?」
「嘘でしょ、だって、アレ、だって」
「資料の絵姿はもっと動物っぽかったんだけど……アレは~」
ひそひそ小声だが、二人の顔には切迫感がありありと浮かんでいる。
「「無理!」」
荷物を集めて、その場から離れようとする。
パキッ。
小枝を踏んだ乾いた音が修二の足元から響く。
「ゴギャ!」「ゴゲェ?」
辺りを見廻すゴブリン共とそろりと振り向く修二たちの視線が交差する。
大きく目を見開いて、修二を責める裕樹であったが、転瞬、息を揃えて二人は脱兎のごとく走り始める。
本来、ゴブリンは臆病な性格の持ち主である。
しかし、自分らが優位であると感じると、調子に乗って襲い掛かって来るのもゴブリンである。
この時も、手にした棍棒を振りかざしながら、修二たちを追いかけ始めた。
「ヤバい、ヤバい、ヤバい」
誰しも苦手なものはある。身体が関わり合うことを拒絶する。
「マジで、アイツら足、速っ」後ろをチラ見し「飛んだりしないよね!」
下位の魔物から全力で逃げるE級冒険者。
裕樹が虫よけスプレーを肩越しにシュ―と噴射するが届くはずもなく、もちろん、効果はない。
「うわっ、増えてる!」
最初3匹たっだのが、10匹くらいに増えていた。
「ギャギャギャ」「ゴギャゴギャ」「ゴゲギャ!」
そう、この世界のゴブリンも一匹いたら100匹いると思えと言われている。
修二たちは彼らが思うよりも深く森に入り込んでいたようである。
なかなか引き離せない。
そして、ここは低ランクの他の冒険者が集まっている場所。
「不味い。このままだと禁則になる」
トレイン……大量の敵を引き連れた状態で、他の冒険者に引き渡すこと。
禁則事項ではなく、最悪、犯罪行為と認定される場合も有り得た。
ここで「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」と言える余裕があったら最初から戦っていることだろう。
「マズいよ、裕兄!」
「こっちだ、修二くん」
前方には、登りの斜路と沢に下るような下りの斜路。覚悟を決めて迎え撃つのならば、高い足場のほうが有利であるとされる。
裕樹が下りの斜路を選択する。
右側の切り立つ地層には、飛び出した根っこと染み出した水が垂れている。当然、足場も悪くなる。
場は陰っており薄暗く、空気も湿り気を帯びている。
道を遮る倒木を裕樹はベリーロールのように越え、続く修二は左手をついてはさみ跳びのように越えた。
「しつこい!」
「ノー、ノォウゥ~!」
状況により、普段と異なる言葉遣いになることもある。
背後には調子づいたゴブリンの姿があった。
が、その顔面に何かが弾けた。
裕樹の“印字打ち”である。そう言えば、盗賊もこれで倒していた。
修二も当然、参戦する。
こういう場所には、切り立った地層面からこぼれた礫が足元に堆積していることがある。
なかったら、そのまま、走り続けるつもりの裕樹であったが、歩の高い賭けであった。
「どんどん投げろ」「オオゥ、イエ~スッ!」
アレに触るのは絶対嫌な二人である。剣で触れるのもお断り。元の世界でも、倒して“もらった”後は水洗トイレに流すほどの念の入れようだった。
「ゴゲッ」「ゴギャ」
石に当たり、頭が欠け、足が弾けても、彼らは身体の均衡を崩すだけで、その声音には痛みによる恐怖を感じているという響きは無い。
痛覚を感じる器官がないのかも知れない。
が、先程までの舐め切った雰囲気はなく、反転して逃げにかかっていた。
「逃がすかボケ!」
修二が倒木に足をかけ、抱え込んだ石ころを連続して投げつける。
その時、側方からも“ストーンショット”の勇ましい声とともに石つぶてがゴブリンの群れを襲う。
摩法の石つぶてである。
威力は修二たちの投げる石つぶてと変わらないように見える。
が、裕樹と修二は顔を見合わせると抱えていた石ころを地面に落とす。摩法のある世界で石を投げる行為に、お互い苦笑いである。
そして、13匹のゴブリンは殲滅された。
「大丈夫ですか……」「追われてた姿を見かけたので……」「ご迷惑でしたか……」
3人組の冒険者のようである。
ゴブリンから逃げていたように見えたので、合流したら、息を切らすこともなく平然としている修二たちの姿を見て、彼らは戸惑いを隠せない。
魔物が飯の種となる冒険者稼業にとって、戦闘中に横槍を入れるのは作法に反する行為となる。
「いや、助かりました。“侍派有倶”の裕樹です」
「“不即不離”のインゲマルです」
男女女の構成でパーティ名からしてのリア充のようである。
メンバーごとの挨拶を済ませて、立ち去ろうとするエターナルラヴを裕樹が引き留める。
「魔結石等をお譲りしますので、解体の仕方を勉強させて頂けませんか」
「えっ、ですが、換金すれば、それなりの金額になりますけど、いいのですか」
裕樹は初心者であることを前面に出して押し切った。修二も同意する。
触れない。触りたくない。物は言いようである。放置するのは不自然なので、それも避けたい。
インゲマルが解説しながらゴブリンから魔結石を抜き出し、首の後ろの橙色のぼこぼこしたコブを切り取る。ゴブリンの討伐部位であり、品質は劣悪だが、これから油が搾れるようだ。ブリ油と呼ばれ、固化させて燃料用として使われる。
「うへぇ、脇腹にヒゲみたいなのがあるよ」
もう一対の脚が退化したものだろうか。冒険者業をするならば、やつらを克服する必要があるが、彼らには無理かも知れない。
そうして、修二たちは冒険者業初日を終えた。