SS 001_R Ginnungagap
ギンヌンガガブ
修二たちが黒い裂け目に落ちた時の内幕が少し明かされます。
◆ ◆◆◆ ◆
そこは世界の始まりよりも前から存在している巨大で空虚な裂け目である。
そこからすべてが創造され、そこにすべてが還っていく。
そこには誰もが往くことができ、誰も辿り着くことはできない。
黒一色の世界、いや、黒ではないのかもしれない、何の色彩もない無の世界。
―――いや、違う。全ての色が集まっているからこその黒の色彩。
私は、その中で漂う、ただのおぼろげな光。
―――いや、違う。ただのではなく全ての光を集めて出来たからこその白い光。
感情もなく、音も匂いも味も肌をなでる風も感じない。いや、そもそも、それらもない世界なのかも知れない。
―――いや、違う。何もないのはそこから生まれるから。言わば、始まりの世界。
そんな世界に、ひときわ強い光点が裂け目に出来た穴の前で揺れている。
いや、彼女は既にそこが様々な青と白が渦巻く空間であると捉えることが出来る存在と化していた。
『いい加減、閉じなさいよ、まったく、へったくそな術式のくせに込められた意志だけはでかいんだから、ぷんぷん』
裂け目に開いた二つの穴の間で光が揺れ動き、明滅する。裂け目に境界などはなく、穴といっても壁に開いたようなものではないが、些細な身にはそのように表現するのが限界である。
一方の穴はじっと動かず、もう一方の穴は揺れ動いていた。
『まったく、技術はないくせに、悪知恵だけは廻るんだから、ぷんぷん』
光がくるくると廻る。
穴は別空間を繋ぐように術式を組まれていた。一方から他方へ者が流れるように、そして、入口は動き回り、底引き網漁のように穴に触れた者がことごとく流れ込むように、だ。
彼女にできたのは、出入口の動きを逆にすることだけだった。それだけでも本来は有り得ないことなのだが、その干渉が出来る存在に昇華していた。
『二度としようと思わないくらいに、慌てふためくがよいわっ、ぷぷぷっ』
光が笑うように明滅する。
術者からは穴が目の前から消え去ったように観察できただろう。そして、穴を視認できなくなったがために組まれた術式の接続も斬れず、効果が切れるその時まで力を吸われ続けるだろう。それこそ、術者の存在自体が危ぶまれるまでに……。
光が入口の穴を覗き込む。
『しっかし、これでは懐かしさを感じることもできんな。あっちもあっちで……』
入口は誰にも見られず触れられないであろう崖の下で固定した。光の存在から見えるのは僅かな空の青と崖の茶肌だけである。出口は風景が早く流れ過ぎて目が廻る。いたずらのために、ガルズの友が作った星の環境改善のために創った摩素の流れにのせたので、余計に動きが速くなっていた。
『ヨルちゃん達は、元気かねぇ~』
ヨルちゃんとは、修二たちが落ちた惑星の監理者=神と呼べる存在であるJörðのことであろう。達とは、その配下のnornirのことか。
とすれば、この光の存在は地球とガルズの両方に起源を持つ者と言う事なのだろうか。
光の存在がぼやっとした光量になった時、その近くで黒が弾けた。
『おっと、待て待て。あるかな、あるかな~♪』
よく見れば、巨大で空虚な裂け目のほぼ全ての空間で盛んに黒が弾けている。それはもう引っ切り無しと言っていい。途切れる様子もない。
黒は弾けた後に、光の強いカケラは上に昇り、薄暗く一回り大きいカケラは下に落ちていく。ただし、空虚な裂け目に方向などは存在しないので、それは些細な身にとっての印象であることをつけ加えておこう。光のカケラは細かく、動きが速い。闇のカケラは前者よりも大きく、鈍い動きを見せる。それらが向かう方向が異なるというだけだ。
『よっしゃ!続きゲットっ』
光の存在は、小説の続きをカケラに見つけ、新曲を楽しみ、未知の味覚にその存在を明滅させた。
全ての生は、体内の門を通って、この空虚な裂け目に“情報の断片”として散り散りに弾ける。身体は物質として、その世界に残る。それが死と呼ばれる現象である。
善なり未知なる“情報”は小さくともその動きは活発で、いずれ新たな門を通るまでの“断片”として集結するだろう。厭くなり滞留なる闇のカケラは新たな智を求める力に乏しく、再生に時を要することだろう。
『え~、好きなモノはここでも手に入るし、いくら味わっても太る心配ないし~。転生する意味なくな~い』
光の存在はその流れを拒否していた。
悦にふるえる光の存在のすぐそばに、物質が入り込んだ。それは血肉を持つ人の身体……崖から落ちた修二だった。
それは瞬時に“断片”に分解される。裂け目では物質としての存在を許さない。
『わー、まずったっーーー』
こんなことがないように穴のそばで待機していたというのに、光の存在は分解されかけた修二を回収して、自分のうちに取り込む。
『やばいよ、やばいよ』
流失した修二のカケラを自分の光で補完し、言語情報の“情報の断片”を埋め込んで出口に放り込んだ。
続いた裕樹は上手く捉えたつもりだったが。足がはみ出していた。脚側解離とでも表そうか、体組織が裂けて、剥がれかけている。慌てて飲み込んで、先と同じ処置をして放り出す。
『うん、セーフ。たぶん、セーフ……』
明滅が乱れる。入口に戻せたらと思うが、術の理にそこまで介入できない。
それからは、術の効力が消えるまで、神妙に穴番を務めた。
再び、入り込んできた者の中に自らの血脈を見出すとは思いもよらなかったが……。