002 死んだ?~ここはどこ~
「いてててて……」
って、痛くない。あれっ。
まさるをコースに戻そうとして、浮き石を踏み抜いて、滑落して落ちちゃったからなぁ。そりぁ、あの高さだと死ぬよなぁ。
しかし、どこだここ。草原?
死後の想像では、花畑とか、河原とか、よく聞くけど違うのか。
それとも、宗派とかに依るのかなぁ。俺、無宗教だし……死ぬ思いは何度もあったが、実際に死ぬとは考えたこともなかったから、分かり様もねえし。
じいちゃん曰く、「信ずべきものは、常に己の内にある。神に面倒を押し付けるな」だしなぁ。要するに「お会いしたこともない御方を頼るな。常に自分の心に恥じない生き方を心掛けろ」ということのようだが……あ、握った拳を胸に押し当てるじいちゃんが思い浮かんだ。
じいちゃんは、まだまだ、こっちに来なくていいからな。それと、悪いな、じいちゃん、母に続いて俺も先に死んじまって……。じいちゃんが、その拳を突き出してくる。「人生、すべて修練じゃ。楽しめ!」って、言われてもなぁ。その人生、終わっちまったみたいなんだけど。
あと、裕兄。俺を助けようとして巻き込んじゃったようだけど、ここにいないってことは助かったのか。無事だったら、いいな。
しかし、身一つじゃないのか。白装束でもないし……。
身を起こして手の平を拡げて表と裏を確認し、ズボンをパタパタと叩きながら立上り、状態を確認する。
落ちた時そのまんまの姿だし、背負袋もしょってはいるが……酷い。上掛けのダウンは右袖がなく、脚衣から何からもうあちこちに裂け目や切れ跡だらけで服としての体裁を為しているのか疑問である。無事なのは、登山靴くらいのようだ。
幸いにして、身体は大怪我をしているような感じはない……って、死んじゃってたら、そんなことは関係ないか。ゾンビ的な状態で黄泉の国を歩く心象はわかないけどさ。
御同輩は見当たらないが。さて、どうしよう……。
案内人みたいのもいないみたいだし、ここらで目に付くものは、200mばかり先の小高い丘の一本の樹くらいかな。
立ち上がり、歩き始めたものの、すぐに何かがおかしいことに気付く。
ふらつくと言うか、何か身体がフワフワした感じなのだ。
思い切り足に体重をかけられない。地面を踏みしめることができない。
文字通り、地に足がつかないと言うか。
ああ、これが死んだ状態というものなのかも知れない。
あ、もしかして、生前、善行を積んだ者は身体が浮いて天国に……ガーンとなった衝撃そのままの勢いで、地面に下げた視線を思い切って空に向ける。
遠くまで澄み切った青い空。
「ああ、いい天気だ」
思わず、声に出た。
いやいや、違うだろう。
しかし、この安定感のなさ、普通に歩けないと言うのは、非常に心許ない気持ちにさせる。
ふと、立ち止まり、両手を広げ、大きく深呼吸をしてみる。
横隔膜が引き下げられ、肺に大気が満ちていくのを感じることができた。
う~ん、こんな状態でも呼吸をすることができるというのは、不思議なものだ。
で、その樹に着いたものの……。
廻りを見渡すと、樹の廻りがまあるく草原、で、その先はぐるりと森林。
全然、死後の世界の感じがしないんだけど……。て、言うか、そよ風が気持ちいいし。
これが俺の死後の世界なら、俺の心象風景も悪くない。
ちょっと、ダウンとか着てると暑いし。アウターを脱いで、ちょっと落ち着こう。
なんとかと煙は……と言うが、彼もいつの間にか一本樹の上方の枝に腰掛け足をぶらぶらさせつつ、行動食のソフトクッキーをパクつきながら辺りを見廻している。やはり高いところは気持ちが良いものらしく、先程までの不安を帯びていた表情が和らいでいる。
が、景色の一点を見てその表情が曇る。西の方角に一筋の煙が立っていた。
より見えるようにするためか目を細め、右の手を額にかざし覗き見るように身体を前に乗り出そうとして、バランスを崩し樹の枝から落ちそうになる。
いつもの彼はこんな感じではないはず……だが、やはり、このような状況に戸惑い、いろいろな意味でバランスを欠いているのかも知れない。
さっき見廻した時には気付かなかったが、森の中からちょこっと櫓のような人工物っぽいのがあるように見える。
取り敢えず、向かうことにしたようだ。
人?……もしかしたら、背中に白い羽根のあるお姉さんか、虎皮パンツに金棒を持った門番かもだけど……意思の疎通が叶う人なり何なりに会わなくちゃ、この状況はどうにもならない。
◇
森に近づいていくと2mくらいの巾の森の道があったので、そこを通りつつ目的地に向かう。
高さ3mくらいの逆茂木(先端を鋭く尖らせた木の枝を外に向けて並べ結び合わせた柵)が見えてきた。
あれは、槍みたいのを持って右往左往しているけど……門番?だろうか。
頭がテンパーで角が生えていたりとか、肌が赤いとか、虎皮のパンツをはいてるとかは一切 “ない” 。
黄泉の入り口とかの雰囲気じゃなく、俺的には西欧の中世の集落の様子にしかみえない。
あっ、こっちに気付いた。右往左往していた門番が手を後ろに振って後ふたり、計3人が槍を片手にこちらに走ってくる。
「%%%%%!」(怪しい奴だ)
遠くに思えたが、あっという間に距離を詰められる。
彼らの身長が低い。俺と頭一つ分くらいの差がある。真ん中のすっごく興奮している奴が他二人よりもわずかにでかいがそれでも中学生になったばかりくらいのものだろう。革の防具の隙間から見える身体はだいぶ鍛えている感じがし、下から突き上げるように上下される槍はだいぶ怖い。
それに何しゃべっているか、わからない。喚かれる口中から飛ぶ唾が……俺の服に降りかかる。ふりふりされる槍も危ないし……。
「えっと、あっと、俺は……」
ダメだ。雰囲気に押されて、何を言っても通じるように思えない。捕縛されて、連行された。
◇
今、俺は、6、7人の槍をもった連中に囲まれ、後ろ手に縄を掛けられ胡坐をかいて座っている。
「%%%%%%%%%%」(お前が火をつけたのか)
「%%%%%%%%%%」(殴ってみればわかるぜ)
海外デビューする予定だったから、英語はカタコトでも話せるように駅前留学に通っていたけど、彼らが何を話しているのがさっぱりわからない。しかも、声に重なるように耳鳴りするために、その声も聞き取りづらい。
「%%%%%%%%%%%」(こいつ、惚けるつもりだ)
ちょっと年配の村長らしき人がやってきた。廻りの雰囲気・対応がそれっぽい。なんか門番連中に報告されてる。状態の改善を望みたい。
「%%%」(彼がそうなのかね)
「%%%。こいつが%%%」(追いかける、逃げた)
んっ?
「%%の様子を%%%。%%%違いない」(村、伺う、悪い奴)
男の子が来た。
「うん。おいらが見た%%は、%%が真っ黒だった」(怪しい奴、髪)
「君が、火を放ったのかね」
あっ。なんか、わかる。なんだ、これ。
話している音声はわからないけど、意味がわかるっていうか。耳鳴りも消えた。どう説明したらいいのか。
「こいつだ。見たことないし。村の様子を伺ってた」と門番。
「いや。俺はそんなことしてないぞ。それより、ここはどこなんだ」
よく分からないけど抗弁しないと。言い訳じゃないよ。だいたい、火を放つって何さ。実際、そんなことはしてないし。
沈黙は金って、西洋のことわざにはあるけど、それはまやかしだ。実際の彼らにそれは通用しない。
「君ではないのかね」
ん?俺の言葉は通じるのか?
「こんな奴、2、3発、殴れば、すぐわかりますって」と門番。
コイツ。なんか、ムカつく。暴力で引き出した言葉に証拠能力など無いからな!
「ポウルが見たのは、この少年かね」
「おいらが見たのは、全身、黒づくめだった。顔はわかんない」
この男の子は、ポウル君ね。
「だから、2、3発……」
と言われつつ、門番に首元をつかまれ持ち上げられる。
「待ちなさい、ベンノ。この少年はとても黒づくめには見えないようだ」
そりぁ、パンツはチョコレート色だけど、アウターはローングリーン(明るい黄緑色)だし、ザックは黄色だし、帽子はブルーの登山仕様だからね。
「俺は、そんなことしてないぞ」
「ほら、黒いじゃないですか」
と門番に帽子をむしられる。
いやいや、髪の色だけじゃなく全身が黒だったって、ポウル君が証言してるでしょ。
「では。少年の持ち物を調べてみよう。見ても、いいかね、少年」
「問題ないぞ。俺じゃないしな」
「ふん。すぐにわかりますよ」
あっ、イテッ。蹴りやがった、コイツ。
で、俺の持ち物検査が始まる。
ザックから、
水筒、懐中電灯(予備電池)、地図、エマージェンシーシート(保温断熱素材のシート)、筆記用具、登山計画書の写し、
ライター(100円ライター、グリップライター)、タオル、芯を抜いたトイレットペーパー、薬類(絆創膏、消毒液、鎮痛剤、解熱剤など)、折り畳み傘、
行動食(ソフトクッキー、柿ピー、ドライフルーツ)、非常食、レトルトカレー、米(パックご飯)、
テント、アウトドア用のコンロ(燃料)、クッカー、ナイフ、カトラリー(箸、スプーン、フォーク)、軍手、寝袋、アイゼン、
ポッケ他から、
防水機能付腕時計、携帯電話、コンパス、十徳ナイフ&ミニライト、
等々、他人事のようだが、出るわ出るわ。
「なんか見慣れないものが、いろいろあるようだ」
「ほら、ナイフ持ってやがる。あっ、イタッ。なんだ、このトゲトゲしたやつは。変な武器を持ってやがりますよ、村長」
ナイフって、刃渡り6cmで食材しか切らないよ。日本の銃刀法にビビんなよ。刃渡り6cmをこえる刃物については「業務その他正当な理由による場合を除いて、これを携帯してはならない」だ。
「それは、アイゼン。滑り止めにシューズに付けるんだよ」
「これは何かな。文字なのか……。いや、符丁か?しかも、これは紙なのか」
村長が紙の手触りに驚いている。
「それは、登山計画書の写しだから」
「なんだこれは」
100円ライターをかじってためす門番。
「あ、危ないから、そういうことするな」
あ゛っ。って、にらまれても困るから。
「これはなんだ。あっ」
“シュボッ”って、火のついたグリップライターを、“ビクッ”って、手放しやがった。
安全ロックをはずして、着火レバーを引くとは……コイツ、マジか。
「ほら、村長。こいつ、こんなものを」
「イグナート(着火の生活摩法)ではなかったのか。これは?」
と、グリップライターを持って、俺に問いかける村長。
「飯をつくる時に使うんだよ。便利だからな」
「はぁぁ」
残念そうにため息を付きながら、村長。
「少年には、いろいろ聞かなければならないようだ。私は、少し村の皆を落ち着けてくるから。その間、この少年を拘束しておくように」
「はぁ?!ちょっと待て」
状況が判らないけど、これだけは言える……冤罪だ!
「ほら、見やがれ。悪事ってぇのは、ばれるもんなんだよ」
と、一発殴ろうとする門番。
俺は、ヒョイッと首を傾け、かわす。
「チッ」と舌打ちされ、俺は蹴られた……くっそ。
◆
私は、ビフレスト村の村長をしているミーケル。
ビフレスト村は、ミンビョルグ国の南端に位置する小さな集落だ。
東の大森林の東端にあり、森林内ではあるが西の神殿、東の1本樹にはさまれているため、魔物が寄りつくこともなく比較的、安全で安定した生活が送れている。
しかし、今日、村の一軒の家屋が焼け落ちた。放火のようだ。全身、黒ずくめの男が目撃されている。
先程まで、不安がる村人を落ち着かせ、消火や、警戒を厳にすることの指示を終えて、私は善後策をどう講じようか考えるために自宅に戻っていた。
怪しいとベンノが捕まえてきた少年だが、容姿が目撃情報と異なるし、何というか、放火をするような暗い陰が少年からは感じ取れない。ただ、身に着けている服装や背負い袋の中身の数々が、見慣れない品物だったり、素材なりで作られているようだ。
そして、今、私の手元にある小冊子(登山計画書の写し)。しわしわにはなっているが強度のある紙、判読不明の文字らしきもので書かれている。この地図、所々に注記みたいなのものがたくさん書き込まれている。これは山の地図だろうか。なにかしらの賊どもの隠れ家か何かを印したものか。
しかし、ガルズ大陸の背骨と言われる大陸の中央に位置するハイメン山脈にこんな地形があっただろうか。
それとも、北のドワーフの国のあるナビアン山脈のものか、南の巨人族の国のあるカルバン山脈の、まさか、東のエーリ海の先にある未知の大陸のものか。
だが、なぜ、ビフレスト村の周辺でこんな地図を持ち歩いていたのか。
最近、北東のユングリグ国の動向もキナ臭いと聞く。
考えても見当がつかない。
はぁぁ。やっかいな人間をつかまえてしまったようだ。
筆者 注)摩法……誤記ではありません。後々、本文で語られます。後、念のために、じいちゃんは、こっちに来ないです。