058 ウルフヘズナル
鈴音は、シュウジの言葉に、ふと笑いかけた後、言葉を発しようとして、不意に咽込み、呼吸を止めた…。
「鈴、ちょっと、待ってくれ!鈴っ~~!」
騒ぎ立てるシュウジに気付いた智夏ちゃんと裕兄、まさる、クリスちゃんが駆けつける。
「鈴が、鈴が…」
混乱して、何もできないシュウジを押しのけて、裕兄が鈴の口に手を当て、胸に耳を当てる。
「息をしてない。心臓も止まってる。心臓マッサージするから、智夏ちゃんは人口呼吸を!」
「鈴~。鈴~」
と鈴に近寄り、揺さぶり、抱え込もうとするシュウジを、「邪魔だ!」と声を荒げ払いのける裕樹。
心臓マッサージをしても、人口呼吸をしても、鈴音が帰ってくる素振りはない。
まさるは握りしめた両手を額にあてて、「大丈夫。大丈夫」と呟いている。
そこに、クリスティーネから智夏に指示が飛ぶ。
「智夏、魔法を使え!」
“魔素不適合症”。
文字通り、魔素と身体の不適合によることから発症する病である。
魔法による治療は、患者に痛みを与えるとともに、その湿疹の範囲が増えることから、患者にとって不利益であると判断していた。
智夏は、その手を止めて、血液を浄化する想像をのせて、魔法の発動の鍵となる言葉を発する。
「“ホーリーフィールド/聖浄化結界”(聖&水)!」
エリヘルの村でリザードマンたちを血の呪縛から解放した魔法だ。
鈴音を中心に直径3mほどの魔法陣が白く浮かび上がり、魔法が発動する。
その光は、建物の外装を越えて、数十メートルの高さまで、光の柱を伸ばした。
その後、裕兄は鈴の右肩下と左胸下あたりに手のひらを当てると、電気ショックを与える。
そして、すぐに心臓マッサージを再開。智夏も人口呼吸にかかる。
裕兄の表情が、ピクッっとする。心臓マッサージをやめて、心臓の上に手をかざす。
「心拍が再開した」
「呼吸も回復してる」と智夏。
「鈴ちゃん…。良かったよう」と泣く智夏。
その肩をゆっくりと掴むクリスティーネ。
「良くやった智夏。ユウキも良くやった」
「鈴~。鈴~」
「あれっ、シュウちゃん、どうしたぁ~、そんなに泣いてぇ~、悲しいことでもあったん…」
どうも、鈴音、自分の現状を把握しきれていない様子だ。
鈴音の額や頬にあった赤い湿疹は、薄く、その色を減じている。
しかし、今までの経験から魔法による治療の後、病が急激に進行するように見えた。
「ユウキ、まずいぞ。もう、もたない。時間がないぞ」
「しかし、エリヘルで診てもらったときは、2か月くらいだって…。
あれから、まだ2週間しかたっていない」
戦闘でもあまり息を切らせたことのない裕兄の息があがっている。
それほどの集中を要したのであろう。
「彼女“全てを知る者”は、知識の宝庫ではあるが薬師ではないぞ。
あと、お前たちはこの世界での自分たちの成長速度に気付いているか。
尋常ではない成長力だぞ。病も同様に早く進行することも考えられるだろうが。
ぼくが考えていた、とっておきの切り札だった魔法も使ってしまった。
次はもうないぞ!」
◆◆◆
翌日、早朝、俺たちはビフレスト村に向かって出発した。
情報のないまま、動いても仕方がないとは理解していた。
しかし、もう動かずには居られなかったのだ。
新たな情報が得られた場合は、早ダグリッチでビフレスト村に連絡をするからとアンセルム氏に告げられた。
◆◆◆
ビフレスト村への道を黙々と進む。
仲間内での会話もほとんどない。
皆、必死で頭の中でなにかないかと思案している。
また、言葉を交わそうとするとどうしても不安な言葉が浮かんで、言葉を飲み込んでしまう。
一行の横を猛烈な勢いで抜いて行き、前方で急停止した4羽のダグリッチとその乗り手。
「“侍派有倶”の面々ですかな。
そうであれば、道を引き返して頂こう」
アンセルム氏の伝令とは思えない表情・態度である。
「なにがしかの進展があったということですか?」
裕兄が、相手がアンセルム氏の使者であろうとして、相手に問いただす。
馬車から御者席に顔を出すクリスちゃん。
「“御狐霊”の決定事項です。
クリスティーネ様には、この一行との同行を遠慮して頂きたい」
「ユウキ。こいつらは、森の賢者の使いのようだぞ。
おい、お前ら、もし、ぼくたちがこのまま進むと言ったらどうする?」
「はい。その場合は、クリスティーネ様を含めて処分しても良いと命じられています。
どうか、私どもにそのようなことをさせないで頂きたい」
「こいつら、何、言ってるッスか!」
「仲間を助けるためにこの先に進まなければなりません。道を開けては頂けませんか」
「それは無理な相談だ。お前たちの選択肢は、引き返すか死ぬかの二択だ」
「邪魔なの!」
智夏が馬車から出てきたと思ったら、無詠唱で“ヒート・ブラスト/熱光線”(光Ⅱ)を二筋、同時にぶち放つ。どうやら、蛇女との戦いで“多重詠唱”のスキルも身につけたようだ。
智夏と同時にクリスちゃんも“アストラル・レイン/星の欠片”(土Ⅲ)を放っている。
どうして、うちの女性陣はこうも手が早いのか。
「散開!」の掛け声と同時に両脇の森の賢者の使いが乗っていた箇所を熱光線が通過する。
森の賢者の使いはダクリッチから飛び降りることで回避する。
先頭の二人がいた場所には十数個のゴツゴツとした表面の荒い石が降り注ぐ。乗り手は同様に飛び降りることで回避したが、ダクリッチは被弾して鳴き声をあげて倒れた。
先頭のリーダーらしき男は、飛び降りると同時にまさるに攻撃を仕掛けようとしていたが、まさるの目前に細身の炎の柱が立ち上がり行く手を遮る。
俺が発動させた“フレイムケージ/炎の檻”(火Ⅱ)だ。
旅の道中は先頭を走るまさるだが、戦闘時は後方からの攻撃支援がまさるの役割となる。
まさるが後方に安全に下がりやすくするために、予め俺とまさるの間で決めておいた、お約束と言うやつである。
炎に照らされた敵のリーダーの顔が源人ではなく、獣、狼の様相を成している。
「そいつらは、狼の戦士だ。
手加減をしたら、ぼくらがやられる。殺すつもりで来てるんだ、返り討ちにしろ」
クリスちゃんの激が飛ばされる。
裕兄は騎乗で槍を持って、狼の戦士と対峙している。
俺はと言うと、約束事だったから、最初のまさるへの援護はあまり考えもせずに、さくっと魔法を放った。
が、奴らの身勝手な口上に、心臓はバクバクと怒りの鼓動を打ち鳴らし、心は怒りを通りこして、冷たい感情で彼らを見ていた。
ダグリッチから、するりと降りると無造作に狼の戦士の元に歩みを進める。
俺の目標が、腰を低くした姿勢で駆け寄ってくる。
非常に遅い速度だ。
右手の爪を引っ掛けて、俺が体勢を崩したところで、喉笛を噛み切るつもりがまるわかりである。
俺の腰から抜き放たれた刀剣はそのまま伸ばされた敵の左手を下から切り上げ中空に切り飛ばし、その場で体勢を反転させた俺は横を抜けていく敵の首筋を目掛け上段から振り下ろす。首を半ばまで切断された敵は瞬時に絶命する。
首からの大量の返り血を浴びた俺は中腰のまま止まっている敵に近寄ると、先程と同じように左手を下から切り飛ばし、敵の左側に抜けてそのまま反転、返す刀を敵の項に落とす。中腰のままの斬首である。
◆◆◆
俺は、テオドル。
獣人のなかでも最強を誇る狼の戦士。
敵となるものは我々の圧倒的な速度と腕力の前に成すすべもなく、ただ倒れ行くのみ。
コクコ様より、源人の冒険者パーティの抹殺指令が下された。
対象は冒険者ランクがC、あくびをしながらでも狩れる相手である。
ただ、クリスティーネ様もそのパーティに同道されているとのこと。
抵抗するなら、同様に処分せよとのお達しだったが、実際にそのようにしたら、ゲンコ様が悲しまれよう。彼女は、ゲンコ様の跡目を継ぐ可能性を持つお方である。
しかし、その立場に甘え、最近はわがままが過ぎるようである。
少し痛い目にあって頂き、その後にゲンコ様に叱って頂く程度で良いであろうと思う。
そして、小隊(4人で一組)を率いて、対象の前に立ちふさがり、口上を述べ、クリスティーネ様にはご退場を願ったが、どうやらお聞き届けては頂けないご様子。少々、お仕置きが必要なようである。
相手の魔法攻撃で戦いの幕が落とされたが、正直、温すぎる。作戦の遂行はものの数分で終わると思われた。
“フレイムケージ”で小賢しくも足止めをしたつもりなのであろうが…。
一歩、後退して、廻りを確認すると瞬時に配下の2人が斬って落とされていた。
なんだあれは、俺が動きを確認できないだと…。
腕力ならまだしも速度で我々を圧倒するなど聞いたことがない。
これは、まずい…。
◆
「トーケル、お前はすぐにこの場を離脱、現状を本部に報告せよ。俺はこれより修羅に入る」
裕兄に敵対していた人狼が身を翻すとこの場からの逃走を開始する。
狼の戦士のリーダーは、両手を左右に拡げ、上空に向けて雄叫びをあげる。
各部の筋肉が盛り上がり、牙と爪が鋭くなっていくようである。
しかし、変身を終える前に顔面に“ヒート・ブラスト”が直撃し、俺が首筋の頸動脈を刎ねる。
バカかコイツ、こんな近距離で腕を下げて、首を伸ばすなんて、自殺願望でもあるのかっつぅ~の。
「まさる、やれ!」
敵のリーダーに駆け寄りながら、俺が掛けた言葉に素直に反応する、まさる。
「狙い撃つぜ! “ストーンショット/狙撃” (土Ⅰ)!」
まさる、かなり余裕が有りそうである。
四足で逃走する狼の頭が弾ける。
一直線に逃げてたら、まさるは外さないよ。せめて、ジグザクに逃げないと。
いや、でも、こんな攻撃が有るとは思わないだろうから、最速で逃げるためにはやっぱり直線なのかな、などとどうでもいい事を思考する。
まさるは、上下動があったので首元を狙ったようである。
デュー○東郷への道は遠いようである。
いや、彼は、撃つときは無言だから、まさるの想像は違うのか。
どちらにせよ、俺に人を殺したと言う罪悪感はこれっぽっちもなかった。
①人を助けるために行動しているのに、その結果として人を殺す。
日本で生活している限り、こんな場面に出くわすことは、まず、ないでしょう。
しかし、これはフィクションであり、~君のかもしれない物語~。あなただったら、どのような行動をとりましたか。
シュウジも、通常であれば、一刀目でやめて、とどめの一刀は控えたと思うのですが…。
②人狼族には、お約束の変身状態である狂戦士化(忘我状態→虚脱)を設定しています。
”餓狼達の競演”や”狼の咆哮”なんて技もカッコ良いよねなんて思っていますが…。
隊長さんの慢心により、シュウジたちは助かりました。最初から狂戦士化状態で迫られていたら、この物語はここで幕でした。