057 鈴音…
俺たちが、ドラングに到着したのは既に大門が閉じられた後だった。
門の外での野営をするのが通常のところだったが、俺としては鈴を寝具で休ませてやりたいし他のみんなも無理を押しての旅路だったので、通用門から門番さんに急病人がいることを理由に入城許可をもらえないか掛け合っていた。
俺たちにとって幸運だったのは、ちょうどそこに憲兵の副長さんがいたことだ。
裕兄がこの世界に来た直後の盗賊討伐で知り合いになり、その後、神器の強奪事件でギムレイの盗賊団の捕縛で指揮を執っていたあの人だ。
「この街のために貢献している人材だから…特例だ」と言いながら街内に入れてくれただけでなく、遅い時間だから宿も取りづらいだろうと城門に添えられた詰所の仮眠室を使わせてくれた。
その代わりに、俺たちの道中の話し、特に「グリフィンの襲撃事件」「リザードマンの騒乱」に遭遇したことを知ってそのことを細かく話すことになり、野営したのと同じような睡眠量となってしまった。
副長さんは治安を預かる者として、生の他国の情報を得るのもオレの仕事の一つなのだよと言って笑っていた。
ちなみに、通用門からは馬車は入れないので、まさるが馬車内で一夜を過ごした。
通用門に横づけして、外部への警戒が必要ない状態での荷物番である。
ある意味、副長さんへの説明に囚われた俺と裕兄よりも休息できたかも。
翌朝、副長さんに礼を述べて、アンセルム商会に向かう。
アンセルムさんは商店に在所だった。
アンセルムさんに背中を押されて王都ドラングを出立した時は、俺と裕兄の二人きりだった。
それが、もとの世界の3人とこの世界の1人を加えての帰還である。
アンセルムさんが、「本来ならば喜ばしいことなのだが…」と鈴の状態を見て、複雑な表情を浮かべ、薬師の手配をしてくれた。
アンセルムさんとクリスちゃんは、お互いに面識はないが、業界は違えども共にこの世界の実力者である。「おお、あなたが…」みたいな、有りがちな挨拶を交わしていた。
ここを出立してから既に2か月である。
旅の間もアンセルム商会の各街の支店に立ち寄り、情報を受け取りつつ、古都ガウトラで新たに元の世界の3人と合流したことや各地で遭遇したことなどの報告を上げていたが、やはり、手紙でのやり取りである。
概要のみの伝達であるので、詳細な報告などは直接出会った時に行うことになる。
本日は、ずっと情報交換の一日となるだろう。
その際、この日のために残しておいた最後の茶葉でお茶を提供する。摘みたての時に比べるとさすがに芳香は落ちてきたが、それでも充分な香りを立ててくれた。
もちろん、その時のアンセルムさんはきっちりかっちり商人の顔になっていた。
ついでに麦茶についても提案してみた。味と香りもさることながら、主食としている穀物を飲料にするという発想に驚きつつも喜んでくれた。もちろん、商人としてだろうけど。麦酒はあるんだけどね。
元に世界に戻るための手段は見つかっていなかった。
ただ、ガウトラでも報告にあったとおりに砂の都ガムラン付近での黒い裂け目の目撃情報がこちらでも報告に上がっていた。
他にも、俺たちが遭遇した事件を含めて、世情を騒がす大きな事件が続いていることについての情報を詳細に集めていて、このあたりが豪商主としてこの世界の経済の一端を担っている者の責任みたいなものを感じさせる。
俺たちも、「リザードマンの騒乱」の際に大将格だった蛇女が最後に黒い裂け目に消えて逃走したことと、その際の蛇女の話しの内容からこの騒乱を指示した者の存在が疑われること。
そして、「グリフィンの襲撃事件」でも最後の一匹が黒い裂け目に消えていることを話した。
この短期間での出来事である。
これらの筋書きを書いた者が、ガムラン周辺にいるかもしれないと考えることができた。
もっとも、この件に関しては、今は他に優先事項があるので直接関わることはできない。
アンセルムさんが更なる調査を約束して、次の話しに移っていく。
そんな彼でも、“魔素不適合症”の治療法やエルフの所在地については知るところではなかった。
魔素不適合症については、自分の知る範囲外、つまり魔人にその解決の糸口を見いだせる可能性を示唆してくれた。
ただ、魔人は魔素不適合症にならない身体に再生してもらった種族であるので現在、その病に罹患するものはいないだろう。
ただし、その当時の記録等があれば、治療の切欠になるかもしれないということである。
但し、陸路ではドラングから南下して、ビフレスト村から先は道なき道を進み、ギル川を越えなければならないという。
また、源人と魔人の交流はほとんどなく、魔人との交易は大陸の西側の海路「アトゥーン(獣人の村)~トロプニル(魔人の街)~リュンヘム(巨人の街)」間で行われているものが全てであるとのこと。
陸路の場合は、道中の危険はもちろんのこと、橋が架かっていないので、川を越える手段を持ちえない。
ギル川の畔にヴァンガル(魔人の街)と言う街があり、ギル川及びログ湖にて魔人による漁業が行われているので、漁船に渡河交渉をして対岸に渡してもらうしかないだろう。
魔人とは種族として分かれて久しいが、元々、同じ言葉を使っているので多少の語意の変化はあるが意志の疎通は可能である。
まあ、言葉に関しては、俺たちはリザードマンの言葉でさえわかっちゃうので何の心配もしていないのだけれど。言葉の理解についてはアンセルムさんには話していない。通商上、いろいろ利点のあるであろう能力なので面倒なことになる可能性があるので。
陸路にせよ、海路にせよ、今は時間の制約があるので、どちらにせよ難しい。
エルフについては、自分の商会でも、商業ギルドでも商取引がないらしい。
もしかしたら、報告がないだけで細々とした取引をしている商会があるのかもしれないが、その場合でも、エルフの商品として特徴的な細やかな細工物が市場に出回っていないので、商人としての利点を無視した付き合いだろうからそう言った取引があることを外部の源人が知ることは難しいだろうとのことだった。
後は、冒険者に大々的にエルフの発見という発注を出して東の大森林をローラー作戦で大捜索なんて手があるにはあるが、それを実行したとき、それを見たエルフたちがその行動をどういった風に捉えて、考え・行動するのかの予測が付かなかった。
要は、彼らに協力を仰ぐ訳だから、友好的に接触できなければそもそも意味を成さないのである。
強力な魔物がいるであろう森のなかを非武装で、プラカードでも持って呼びかけるなんてできる訳がない。
正直、どちらを向いても、不可能、無理、難しいの勢ぞろい。
現時点で、東の大森林を探すにしても、情報なし、かつ徒歩で人の手の入っていないアマゾンの密林のなかで希少な部族を探すのと同義の行為である。
鈴の命運は、絶望的なまでに厳しい状況にある。
今、鈴を俺たちを見るとき、こちらの世界の源人は悲哀の表情をもって見つめてくる。
たぶん、そういうことだと思っているのだろう。
でも、“侍派有倶”の面々は一人も諦めているものなどはいなかった。
次の日、そして、次の日と、別の薬師、または、可能性を求めて錬金術を研究している者などにも当たったが成果はなかった。
そして、翌日、俺は鈴の枕元で、鈴と話しをしていた。
ドラングに来るまでの道中では、俺が馬車に訪れることを鈴が嫌がるので控えていた。
しかし、ここドラングに着いて、アンセルムさんの屋敷に厄介になってからは、今までとは打って変わって俺と話すのを楽しんでくれているようだ。
話す内容は、たわいもない話しだ。
まさるがドジった話しとか、街中であったくだらない話し、未来のない話し…ただ、元の世界の懐かしさを覚える話しは避けている、あくまでも今現在の話しが中心である。
手を擦りながら話しかける俺に、細々とした声で答える鈴。
でも、どうしても鈴の口からは、
「ごめんね。シュウちゃん…」
「助けにきたつもりだったのに、逆に足でまといになって、ごめんね」
「あてのせいで、哀しい顔をさせることになって、ごめんね」
「ごめんね…。ごめんね…。ごめんね…」
言葉の端々に「ごめんね」の言葉が繰り返される。
そんな言葉に対して、うまく言葉を返してやれない俺は、その言葉を聞く度にどうしても、目と鼻の根元が熱くなってしまう。
全身に及んでいた赤い湿疹はその密度を増し、額や頬にまでその範囲を広げている。
智夏ちゃんによると、身体の深部は赤から紫色に変色し、見るも痛々しい状態になっているのだという。
鈴音は、俺の言葉に、ふと笑いかけた後、言葉を発しようとして、不意に咽込み、呼吸を止めた…。
最後に「ごめんね」と一言、残して…。