001 死んじゃったの……俺
ここは、“ガルズ”と呼ばれる世界。
これから語るのは“物語”と呼ぶには小さく、そう語り部たちが一杯のエールを対価にお話しするような小さな“物語の断片”。
そして、その“お話し”は遠くて近い異世界の片隅に始まる……。
◆◆ ◆◆◆ ◆◆
本日、快晴。
俺は、尾張修二(24才)。会社の夏休み期間中だ。
今までは国内の山々を巡ってきた俺だが、ちょっと世界を変えて挑戦してみようと思う。
とは言っても、趣味と本格登山とは装備からして異なる。そこで、この連休を利用して、とある山岳で予行練習と洒落込む。
今回、登るのは国内の嶮峻ではあるが、海外の名峰を想定してのチャレンジである。バディはもちろん裕兄だ。裕兄は血縁の兄貴じゃないが、会社の上司で、山岳の友で、まぁ、いろいろなことを教えてくれる、俺が尊敬し人生の目標にしている人だ。ちなみに本物の兄貴はアルピニストだったりするが放浪達人でどこにいるかもわからず、連絡も全くよこさないちっとも尊敬できないダメ兄貴だ。
「おはよう、修二くん。天気はどうだい」
「裕兄、おはよう。俺も空も準備ばっちりの満天だぜ」
裕兄の本名は信濃裕樹(47才)。亡くなった父親の親友だった人で、子供のころから“ゆう兄”って呼んでる。
「おはよう、裕樹さん。じゃ、朝ご飯をすませて、お出かけしてらっしゃいな」
ばあちゃんののほほんとした口調に気合も腰砕けになりそうだ。
昨日から裕兄はうちの道場に泊まりで、今日は近くの駅までばあちゃんが車で送ってくれる。
「おはよう、裕樹君。いつも、済まんな」
「先生、おはようございます。いえいえ、僕も楽しんでますから」
このぴんしゃんとした爺ちゃんは、尾張秀綱(70才)。実は経津神刀流の流れを汲む世間的にも有名な剣術家だったりする。そして、裕兄はうちの道場の師範代だった過去がある。
道場の規律ということではないのだろうが、この家の朝は、とにかく挨拶が飛び交う。
◇
で、玄関先。
「よし、じゃあ行くか。準備はいいかい、修二くん」
「ばっちりだぜ。もう、なんか、いろいろあふれ出てきそうな感じ!」
俺、拳に力を籠める。実際にはもちろん何も発射はしない。
「ハハハ。そりゃ、結構だね」
「あっ、シュウちゃんだーっ。また、山登りぃぃっ~~。たまには、どっか連れてってよ」
後から、元気な声を掛けて来たのは、お隣さんの鈴=近江鈴音(17才)。年がだいぶ離れているにも関わらず、俺を“ちゃん”付けで呼ぶ、がさつな女である。
小さい頃から、何かと俺の後にくっついてきたがる妹みたいな存在だ。
うっとおしいことも多々あるが、いなくなったらいなくなったで、きっと寂しく思うに違いない。
「鈴。ちゃん付けはやめろって、いつも言ってるだろ。せめて、修兄とかにしろよな」
「シュウちゃんは、シュウちゃんなんだもん。そっちのほうがかわいいし」
「マジか……。お前、年上に向かって、かわいいって……」
俺、頭を抱える。
「おばさま。おはようございます」
「あら、鈴ちゃん。お疲れ様」
この鈴もうちの爺ちゃんの門下で、朝からどれだけ走りこんできたのか、結構な汗の量である。
俺も、子供のころは、道場やら廻りの雰囲気で門人たちに混じり竹刀を振っていたが、そのうち他のいろいろなことに興味が移り、剣に打ち込むと言ったことはなかった。ただ、遺伝なのか、幼いころからの習慣なのか、朝は素振りくらいしないと、肩のあたりがなんか気持ち悪い。
俺の横でふらふらとしながら竹刀を持って俺の真似をしていた鈴はというと、小学生のころから既に頭角を現し、中学の頃には、全国の大会でも場を賑わかす腕前となっていた。それで、朝っぱらからこの汗の量。しかし、鈴も、今は女子高生である。剣術以外にも他に楽しいことが多分にあるだろうに、それでいいのか鈴よ……。
「おばさまからも言ってください。たまには、どっかにつれていくように」
「何故、俺がお前を遊びにつれていかにゃあならんのだ」
「ぶぅ~。この前のGWは、なんか、洞窟にもぐりに行ってたし。子供のころはよくつれていってくれたもん」
鈴音が頬を膨らます。
「中学生、小学生のころの話だろ。しかも、お前、普通の女子高生は女子高生同士でわいわいきゃあきゃあとだなぁ……」
そう、俺は、あるテレビ番組で見てから、洞窟探検いわゆるケイビングにも嵌まっている。
山登りも最高だが、神秘とロマンに彩られた地底世界を探検する、人ひとりギリギリ通れる隙間を抜けたあとに拡がる幻想的な世界、これはこれですんばらしい。
子供のころは剣術、中学・高校は陸上の中距離をメインに、そして大学では山岳部、趣味はケイビング?の俺も、男女でワイワイする世界とは縁遠い気はするが、一応、彼女がいたことはあったし、ぼっち気質ではないと思う。
「あっ。師範じゃなくて……。裕兄、おはようございます」
鈴が玄関から出てきた裕兄に挨拶をする。
「鈴ちゃん、おはよう。修二くん、そろそろ行こうか」
「シュウちゃんなんか。べぇ~~っだ」
俺に向かって、あかんべぇをする鈴。それでいいのか、女子高生……。
◆
「先輩ぁーい」
アタックする山岳の最寄りの駅で待ち合せたコイツ、肥後まさる(22才)。大学の山岳サークルの後輩で、同じ会社にまでくっついてきた人懐こい“御さる”である。
ちなみにこれは中傷ではない。本人曰く、正確な名乗りは“真さる”なのだそうだ。真猿だと本物のお猿の意になってしまうので平仮名である。なんでも、「百姓から天下人となった彼の者に勝る“真のさる”と成れ」と名付けられたのだそうだ。「全く、どんだけ期待するんスかって、話ですよ」と本人は笑う。
「部長も、おはようございます」
そうそう、今日の3人は建築の設計事務所で同じ仕事をしている。プランナーやデザイナーがお施主様の要望に応えて設計した計画を、どうやって建てるか、柱や梁の大きさや決めて、安全でかつ経済的、環境的な建物になるようにする、構造設計という部署で働いている。また、現場で設計したとおりに建物が造られているか、図面を見ながら、エレベーターとかが付いていない建築途中の建物を階段であっちいったりこっちいったりするので、意外に体力も必要だったりする。
「肥後くん、おはよう。よし、安全第一にみんなで楽しんでいこうか」
「おう」「はいっス」
◇
「で、フラッグ戦ってのはですね。敵味方、フィールドに分かれて敵陣地のスタート地点のフラッグを取り合うゲームなんですけど……」
まさるは、会社に入ってから知り合った施工会社の職人さんに誘われて入ったサバイバルゲームに最近、嵌まっているようだ。
「ドラムカンとか、草むらに隠れた相手をおいが狙撃する役目なんですけど、これが決まると気持ちいいんスよ」
まさるは、中学・高校は、ずっとバスケをやっていたらしい。ポジションは、PFでSGでもないのに、3ポイントシュートが得意だったんスよ~とのことだ。何かを狙い撃つのが好きなのか。もっとも、身長が160cmと少しなので高校ではあまり活躍できなかったらしいが……。
「おいおい。ちゃんと、前見て歩けよ」
“おい”はまさるの一人称である。そして、おっちょこちょいのまさるに“おいおい”と声をかけることも多い。
「でも、せんぱぁい。登りの坂道は後ろ向きで歩くと楽だって話きくじゃないッスかぁ~」
「なるほどね。ちなみにうちの流派に横歩きは三十里歩いても疲れないと言う伝承があるのを知ってるかい?」
実際に股を開いて横向きに歩いて見せると、裕樹のザックに括りつけられた予備のトレッキングシューズが揺れる。想定登山なので、この山岳では本来必要のない物資も余分に積んでいる。
「マジで!」
蟹のように横歩きをするだけの法は、誰にでも出来る不思議な術として経津神刀流に伝わる。
長く続けば、後世の者には不思議に思われる事柄も含まれるものである。特に口伝に頼る伝承などは少しの取り違えで真意から離れてしまう場合もありなかなかに難しい。
「あっ、言わんこっちゃない……」
ものの見事にまさるがこけた。
「大丈夫か、まさる」
「せんぱぁい。こけちゃいました。大丈夫っス」
こけた時に、こぼしたドライフルーツ、うん、ドライバナナ……イチジクでもマンゴーでもアンズでもなくバナナである。懲りずに再び後ろ向きにドライババナをかじりながら歩くおサル……いや、まさる。
「ほら、ゴミとか散らばせるな。さっさと拾えよ」
「わかってるッス。山を汚さないのは基本ッスから」
ほんとうに、基本をおさえているのか……まさる。
「肥後!コース表記を越えるな!」
急に、裕樹が叫ぶ。コース表記が抜けて倒れている。
「部長も心配症ッスね。このくらい、大丈夫ッス」
だから、ほんとうに基本を押えているのか……まさる。
「このバカ!動くな!」
って、まさるに手を伸ばした時、俺は浮き石を踏み抜いた。
余りにも咄嗟過ぎて心拍数を上げることも叶わなかったが、時間が緩やかに流れるように感じる。
体重のかかった浮き石がその下の石に重さを伝えて崩れていくのではなく、まだ重さが懸かるはずのないその先の石々が小刻みに震えているのが目視できた。急斜面においては、水を含んだ下部の地層が崩れて、その後に続いて表層が流れるということも土砂崩れの事例としては有り得るが……この岩場でそれは考えられない。
一瞬の間にそんなことが脳裏をかすめたが、身体は宙に放り出された。……マジか。
「修二!」
って、出された裕兄の手をつかめず、あとを追うように裕兄ともども滑落した。
あ
あ
っ
ぁ~
と落ちるなか、いきなり光にのみこまれ……
目覚めたら、草原だった……。
死んじゃったの……俺。