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介錯人

作者: ある1985

介錯人


それは、切腹や割腹といったものがあった時代に存在していた

切腹や割腹をする人間を手助けする存在。

切腹や割腹がこの日本から消えると同時に、彼らもまたその役目を終えた。



─時は2030年の日本。


介錯人という言葉は、時を越えて再びこの日本に蘇る。



歳を重ねた高齢者。健康なまま歳を重ねる高齢者だけではない。


通常の生活を送る上で食事、排泄、入浴などに介助が必要な高齢者。

認知症が進んでしまい、人としての尊厳などという言葉は到底意味を成さないような高齢者。

もはや自分の力では死ぬことすらままならず、家族の「生きていてほしい」という願望の為に

ただ生かされているだけで苦痛に耐えながら、「死んでいないだけ」の生活を送る高齢者。

「もう死んでしまいたい…」「死んだ方がましだ…」「殺してくれ」そう訴える高齢者。



果たして人の手によって生かされ、排泄すら自力ではままならず

臭い、汚いと見えないところで侮蔑されながら表面上では笑顔を浮かべる介護職員に対して

何も考えず、申し訳なさも感じない人間がどれほどいるのか。

局部を明るい部屋で晒され、それを辱めと感じない人間がどれほどいるのか。


─人としての尊厳とは何なのか。



「もう死んでしまいたい」そう訴える人間に「そんなこと言わないで下さい」

「長生きしてください」そう声をかけることが正しいことなのか。



─人としての尊厳とは何なのか。


人としての尊厳を最大限考慮し、守る為に新たに制定された法…介錯法。



今、47の都道府県全てにそれぞれ介錯人と呼ばれる人間が存在する。





介錯法



一、これを行使することができるのは、介錯人と国に認められた人間だけである。


二、この法によって定められた以外の介錯は全て広義の意味での殺人罪となり、この法における介錯とはならない


三、都道府県それぞれに配置された介錯人を管理する組織として”介錯人協会”を設立し

   これをもって介錯人の業務を管理、運営する。


四、介錯人と認められた人間と接触した人間に対しては、

   介錯人の氏名、年齢などの個人情報をみだりに公開するなどの行為を禁ずる。

   これは介錯人の適切な判断に対する異論を持つ者による、介錯人に対する

   私刑の可能性を未然に防止する為である。

   この要件に違反した者は禁錮1年以上の懲役か10万円以下の罰金に処す。


五、介錯人は後述の条件に当てはまる者に対し介錯を執り行うことのできる権限を持つ。

   なお、条件に当てはまる者であれば年齢は問わないこととする。

   ・「もう死んでしまいたい」等の発言がみられる、介錯を執り行うことが当人にとっても良いと思われる者

   ・食事、排泄、入浴など日常生活における行動の全てに介助を要し、

    意思疎通が不可能で人間としての尊厳を最大限考慮するべきであると判断される者

   ・認知症等、当人の人格に関わる重大な疾病により引き起こされる問題行動(暴言や暴力)が著しく

    現れているにも関わらず、当人が自らが他者に危害を加える可能性を考慮できず、いずれは人としての

    尊厳を考慮するべき立場となることが明確である者


六、介錯人は自らの判断を持って介錯を執り行う対象の家族や親族の意思とは無関係に

   介錯を行うことができるが、介錯を行う前には必ず介錯の対象となる者の親族または

   当人と最も関係の深い人物へ連絡をしなくてはならない。

   なお、対象が身寄りのない孤立した人間である場合にはその限りではない。


七、介錯人は介錯を行った方が良いと判断される対象が必ずしも死にたいという意思を持っていない場合、

   対象が生きていたいという強い意思を持っている場合には介錯を執り行うことは違法となる。


八、介錯人はあらかじめ綿密な調査を行った上で厳正な審査を経て選定される。

   不当な介錯を防ぐという観点から、前科のある者に対しては選定の対象とならない。




時は2030年の日本。

介錯人として国から選定された一人の少女が、今…とある施設の玄関をくぐろうとしていた。





介錯人 第一話





もう死にたい…


私を殺して…


そう言っている年寄りがいる。


ここは、とある特別養護老人ホーム。



「出来ることなら…もう終わりにしてあげたいんです」



「分かりました…。ですが、まずはその方の様子を観させてください」



居室を訪ねると、その入居者はすやすやと寝息を立てて眠っている。



「…この方が?」


「ええ…今はぐっすり眠っておられるんですが…」



金椎 なつ(かなしい なつ)さん。92歳。


以前は会話も通じる、しっかりしたおばあちゃんだったが…

転んで足を骨折し歩行ができなくなってから認知症が進んでしまい…

今ではもうしっかりしていたという面影はなく食事も手づかみ、

奇声を発することも見受けられるようになった。


しかし、そんなおばあちゃんだが時折…特に、夜。正気に戻ったかのように

「もう殺してください」といったことを話すことがある…とは職員の談。



昼寝をして、すやすやと寝息を立てている姿からは想像ができないのだが…



「介錯人特権により、この方の個人情報の開示を求めます。」


「ええ…少々お待ち下さい。ただいまケース記録をお持ちします」    ※ケース記録=日常の様子を記録したもの



その間、他の職員にも話を伺ってみる。



皆それぞれ多少の違いはあれど、この入居者が少なからず

もう死んでしまいたいといった願望が見受けられる様子を話してくれた。


さて、どうしたものか…。



そうしている間に、私が一番最初に話を伺っていた職員が戻ってくる。

手には直近のケース記録、3カ月前までのものが抱えられている。



「大変お待たせいたしました。こちらです」


「ええ…それでは拝見いたします。」



私はその入居者のケース記録を読みながら考える。

この入居者の命の行く末を左右することを担う今の私の、これが仕事。

命の行く末を見届ける、介錯人としての私の仕事だ。




「…ありがとうございました」



「いかがでしょうか…?」



ケース記録を読み終えた私に、女性の職員はそう声をかけた。



「どういった行動があり、どの時間帯にどういった訴えがあるのか、といったことはよく分かりましたが…

実際、ご本人の様子を観察してみなければなんとも」



人一人の命の行方を左右するのに、

紙に書かれただけの記録を読んだだけで全てを把握しきれるのであれば、

私がここへ直接出向く意味はない。


「記録はあくまでただの記録でしかありませんものね」



「ええ…。介錯人は最低でも一週間、その人の様子を観察した上で

飽くまで第三者視点から、慎重に、かつ的確な判断を下さねばなりません」



私は女性の職員にそう返すと、職員は私の説明で私の立場を把握したようだった。


「介錯人って大変なお仕事なんですね…。」


そう同情してくれる職員は、お茶を淹れてきますと席をたった。



数分の間をおいて、職員の淹れてくれたお茶を飲みながら

今回介錯を行うか否かの判断を下す対象となる老女に関する話をしていると…

約1時間後、彼女は目覚めた。

起きてはいるものの、うつむいておりその表情は暗い。


私は彼女の生活の様子を7日間、泊まり込みで観察させてもらうことになる。

ちなみにその間、対象との関わりは一切ない。


対象との関わりが一切ない理由は、私情をはさまないようにするため。

あくまで第三者視点から公正に、かつ慎重に判断を下せるようにというのが

私の立場上最も重要なことになる。

感情的になって正しい判断ができないとなれば、介錯人の意味がない。



時刻は正午。食事風景は特に変わったところもない。

彼女はスプーンを使って食事をし始めたが、途中からは手づかみで食べている。

こんなことはよくあることだ。


食事のあとは、他の入居者が居室へ戻り休んだり

それぞれの時間を過ごしている中、彼女は眠ることなく起きている。


ただ、何もせずに起きている。

テレビを見るでもなく、何か好きなこと、熱中できる何かがあるという訳でもなく。

時折奇声を発したりしながら、ただ何もせずにリビングで過ごしている。


「この方はいつもこうなんですか?」


私が職員にそう尋ねると、どうもこの金椎さんというお年寄りは寂しがり屋で

昼間の間は昼寝などはせず、むしろ部屋に一人でいると大声で人を呼ぶらしい。

テレビを見たところで何が起きているのかも分からなければ、

何が面白いのかももはや分からない状態となっている彼女に、趣味という趣味も

若かりし頃ならいざ知らず、今となっては何もない。


だから何もせずに起きていることしかできない。

ただ何もせずに過ごすには長すぎる時間を、彼女は今も、今まさにたった一人で過ごしている。


周囲に人が居ようと、いかなる物音がなっていようと彼女には関係のないことだった。

それは今日初めて様子を見ている私にも、ひしひしと伝わってきた。



そうして観察していると、入居者たちのおやつの時間が来て…

おやつを食べ終えた彼女は、また何もせずに…

ただ流れる無限の時を過ごしていた。


やがて日が暮れ、夕食には早い時間。彼女たちの夕食が運ばれてきた。

昼食の時と何ら変わらない食事風景を、私はぼうっと眺めていた。



私のような部外者がいると仕事もしにくいんだろうな…

などと、つい関係のないことを考えてしまう。


ふと目を移したテレビでは、ニュース番組で認知症の妻を持つ夫に密着した特集が放送されていた。

なんて悪趣味な特集なのだろう、と思うと同時に、その特集で放送されている光景は

幾度となく見てきた、見飽きた光景でもあった。



…誰もが健康に、五体満足に天寿を全うするまで生きていられるなら。こんな仕事も必要ないのに。



そんなことを考えていると、夕食の時間が終わっていた。

これまで明確に、自らの死を望むような発言は彼女の口からは聞かれていない。

時折奇声を発することが見受けられることぐらいか。



介錯を行うにあたって、観察対象の死への願望というのはもっとも重要となるところである。

生きたいという強い意思のある者へ、一方的に介錯を行えばそれはただの殺人だからだ。


ただ、明確に死んでしまいたいと、ハッキリ言わずとも

死を選ぶことが本人にとって良い事であると思われる場合には…。


そこを見極めるのも介錯人の役割だ。



やがて、部屋へ戻り就寝する為の準備を済ませベッドへ横になる入居者達。

私の観察している彼女もまた例外ではない。


布団へ入る間際。

それまで会話という会話も無かった彼女は、職員に対して

「ありがとうねぇ」

と一言声をかけながら、にっこりと微笑んでいた。


とても穏やかに眠りにつく彼女。

日中とは違ったその様子を見ていると、ますます彼女が死を望むようには見えない。


「これでこの後は、しばらくは起きないと思います」


そう私に教えてくれる職員は、もうすぐ時間なので帰宅するそうだ。

私の仕事は泊まり込み。長いようで短い、いや、やっぱり長い。7日間の1日目。


対象が寝ている間、私もほんの少しだけ仮眠を取ろう…。



そして。

「ああああ…」

という奇声を発し始める彼女。


私も思わず仮眠から引き戻される。

腕時計に目を移すと、丁度日付が変わろうかという頃。


今まさに夜勤の職員が彼女の部屋へ入るところだった。

目をつぶりながら奇声を発する彼女に対し、

トイレですかーと声をかける職員。

そんな職員の声かけに

「はい」

と応えるのを確認した職員は、彼女のズボンとパンツを脱がせると

小柄な彼女をベッド脇のポータブルトイレへ座らせる。


ポータブルトイレへ座った彼女は、日中の様子とは打って変わって発言が違う。

「もう死にたい…」

「おかあさん迎えにきて…」


彼女ははっきりとそう言った。


死にたいと話す彼女に、職員は

「そんなこと言わないで、長生きしてください…」


そう言うしかなかった。それが介護職員としてかけられる言葉。

死にたいと話す年寄りに、じゃあ早く死ねると良いですねなどと言えようものならそれは虐待であり

鬼畜以外の何物でもないだろう。


「もう死んだ方がマシだわ…」

「あんた私を殺してよ!」


続けざまにそう職員へ言葉を放つ彼女。

本当に、死んだ方がマシともいえるほどの苦痛を彼女が今まさに味わっているというのなら。

今の彼女の姿が、言っている言葉こそが全てならば。


夜の間にだけ正気に戻るとでもいうのだろうか…。

何故彼女がこうまで豹変してしまったのかは私には分からない。


だけど、彼女の言うことが彼女の意思であるなら、

私が彼女に対してしてあげられることはたった一つだ。



7日間の観察期間の中、彼女が死にたい、死んだ方が良いなどと発言した回数は10をゆうに超える。

私は彼女に対して、介錯を行うことにした。


たった一人いる、高齢となった彼女の娘に連絡を取ると娘は翌日、すぐに駆けつけてくれた。

介錯を行う対象の親族やキーパーソンには事前に連絡をして、その人の都合の良い日に

最低でも一日は介錯を行う対象と過ごす機会を設けるようにしなければならない。

身寄りのないお年寄りなどはその限りではないが…。


介錯を行うと決められた対象に対しての介錯は確実に執り行われる。

そこにキーパーソンの意思や意向は一切採り入れられず、変更はされないものの

キーパーソンに連絡もせず一方的に介錯を行うことは、介錯人が国から選定され誕生した時点で発布された

”介錯法”により禁じられている。


今なお介錯人という存在に対しては賛否両論の声が世間では上がっている。

だが、飽くまで第三者視点から、公正かつ冷静に個人の尊厳と意思を尊重して判断を下すことが必要なために

介錯人という職業が生まれたのだ。自分の家族や、

身内の人間に生きていてほしいと思うのは当たり前のこと。冷静な判断などできやしない。


しかし、生きていてほしいと思うのは当の本人には無関係な願望でしかない。

本人が死にたいと思っているなら…死んだ方がマシだと思えるほどの苦痛を、

想像を絶する苦痛を味わっているというのであれば

介錯人という第三者が関わる必要性というのはやはりある。



娘が彼女…母親のもとへ来ると、母親である彼女は

「あんた来たの」

そう言っていた。


それから彼女の居室で、二人がどういうやり取りをしたのかは分からない。

そこは完全に、母と娘だけの空間だった。



ただ、泣いているような声は聞こえた。

笑っているような声も、聞こえたような気がした。



本当に、ほぼ丸一日を二人きりで過ごした親子。

別れ際に涙を流しながら母の手を握る娘の姿に、私は思わず泣いていた。

職員の中にも、泣いている人がいた。


私がこの施設に来て最初に話を聞いた職員も、泣いていた。

彼女は特に、このお年寄りを見ていたみたいだった。



「本当に、お世話になりました。ありがとうございました」

娘は涙を流しながら、施設の職員にお礼を言っていた。



「母が苦しまないよう、何卒よろしくお願いいたします」

今日が初対面の私にも、娘は深々と頭を下げた。



「お任せください…最大限、苦しむことのないようにいたしますので」



明日には消える命を前に、みんな泣いていた。

旅立つ彼女だけが、泣いている娘を不思議そうに見ていた。



最後に、家族二人だけで写真を撮った。

カメラを前に微笑む二人の写真から、鬱屈したものを感じる人はきっといないだろう。



その翌日。


彼女は介錯によって旅立った。

92年もの生涯も、閉じる時はとても短い時間。


眠りにつく間際、ありがとうの声が聞こえた。

これから自分が死ぬということを分かった上でのありがとうなのか。

それとも、寝かせてくれてありがとうなのか。



その、永久に覚めることのない眠りについた彼女の寝顔は

とても安らかなものだった…。

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