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神の死んだ街

 ソルカラウ市街の退廃的な街並みは、そこに住む者たちの心を映しているようだ。かつて西大陸の真珠とまで呼ばれたそれは、もはや瓦礫の山も同然の貧民窟となっている。真珠の名の由来である白い城壁も、地下からの排気と煤で真っ黒にくすみ、不恰好な煙突と、所々剥き出しになった地中の蒸気配管ばかりが目につくようになってしまっている。

 人が科学を手に入れ、神が死に絶えて以来、この街にはもはや陽が昇らなくなっていた。技術という新しい神を手に入れた者たちは皆地下に潜り、時代に取り残された古い者たちは地上という暗闇の中に取り残された。黒い煙が黒い雲と霧を作り、やがて黒い雨を降らせる。煤はすべてを塗りつぶし、ソルカラウと、そこに息づくモノから光を奪った。もう二度と太陽は昇らないという事実は、地上に住む市民を絶望に追いやるには十分すぎた。


 ケイト・ルエラニという名の若い女も、また太陽を奪われた人々のうちの一人であった。

 ケイトは騎士であった。今でも騎士であると言い張る。そう言い張るが、今はその面影として彼女の傍らにくたびれた剣があるのみで、あとは手入れのされていないくすんだ長い髪に、煤で真っ黒になった肌を携えており、もはやこれではそこらで倒れている屍と大して変わらない。ケイト自身、このままでは飢え死ぬだけであると理解している。

 地上の市民たちはケイトのように完全に飢えているわけではない。地下都市から排出される廃棄物を漁れば、衣食住をある程度は賄える。どういった環境であれ人間は力強く生きていくもので、おおよそ人が住めるとは思えないような場所でも、あらゆる形で人間は社会を構築していくのだ。ソルカラウの場合は、旧中心街の闇市を中心に人々が集い、富は力のもとに集中していく。

 力こそが全ての地上において、仮にも騎士であったはずのケイトが飢えるはずはないのだが、それでもいまこうしてボロ雑巾としても役に立たないような格好で腐っているのは、単に彼女の自尊心の愚かなまでの高さが問題である。

 以前の彼女は、騎士道と博愛を重んじ、慈悲深く知性溢れる優秀な人物であった。正義感が強く、自らの騎士道を曲げることなく貫き通すことを信条としており、騎士としての腕前は半人前ではあったものの、その精神は騎士の鑑であるとして、褒め称えられるほどであった。

 だが、今のケイトはもはや物乞いすらしない乞食も同然である。騎士としてのプライドが彼女を締め付け、ゴミ漁りや恐喝などのこの街で生きていくために必要不可欠な行為に走る事ができるわけもなかったのだ。

 神が死んで以来、地上の人々の心は荒れ果てた。博愛や騎士道など、もはや無用の長物となったのだ。ケイトにはそれらを捨てることができなかった。技術と神に置き去りにされたこのソルカラウの街で、さらにケイトは時代に取り残されたのである。


 ついに金が尽きた。街の崩壊以来、数十枚の金貨を節約しながら使い、なくなってからは鎧ですら売り払って生きてきた。だが、これまで。もう売り払うものがないのだ。

 持ち物と言えば剣がある。騎士団へ配属された際に支給された、なんの変哲もない官給品の剣である。だがこれを売ることはできない。これを売ればケイトは騎士ではなくなってしまう。

 とはいえ、生きなければならない。しかしこの街においてケイトにできることと言えば、娼婦となるか、腐りきったこの街を仕切る権力者の下に就き、剣を振るうくらいのものである。だがそれは騎士道に反する。売春はもちろん、自ら悪しき心の剣を振るうなど、ケイトには到底できなかった。

 では、ケイトはどのような道を選んだのか。

 選んだのは、尊厳死であった。騎士であることが彼女の存在意義であり、正義を貫くことが彼女のプライドであった。最も憎むべき悪へと堕ちてしまうのならば、いっそ騎士のまま死にたいのだ。愚直である。だが、彼女はとても満足していた。


「……救われるのだ」


 死は、まさに救いである。今の彼女にとって生き恥を晒すことはあまりにも耐え難い苦痛であるのだ。この素晴らしき街、神の御座す場所、ソルカラウ。その中枢である、多くの司祭たちが祈りを捧げたソルカラウ城。その城壁に背を預け、このまま死ねるのであれば、それはこの街に命を捧げた騎士として本望なのである。

 もはや悔いはない。永遠に騎士であるなら。ケイトは目を閉じ、溢れ出す感涙をそのままに、静かに笑っていた。

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