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1.完璧なヒロインと、吐き気のする愛

 鏡の中に映る少女は、吐き気がするほど可憐だった。


 淡い桃色のふわふわとした髪。潤んだ、吸い込まれるような碧眼。少し触れれば折れてしまいそうなほど、白く華奢な肩。


 乙女ゲーム『蒼天のラピスラズリ2』において、世界に愛されるために作られた正規ヒロイン、マリア・ベルフェルド。


(……この顔、何度見ても虫唾が走るわ)


 私は、冷めきった瞳で自分を見つめ返した。

 この世界がゲームだと気づいたのは数年前。私はこのゲームを、全ルート、全エンディング、全隠しイベントに至るまで、文字通り何百回とやり込んだ。


 攻略対象たちの好感度管理も、彼らが「画面外」でどんな卑劣な立ち回りをしているかも、全て私の記憶データベースに刻まれている。


「マリア、どうしたんだい? そんなに自分に見惚れて。……ああ、分かっているよ。今日の君は、この世の誰よりも美しい。僕の妃にふさわしい輝きだ」


 背後から伸びてきた腕が、私の腰を厚かましく抱き寄せた。

 第一王子、ジュリアン・ヴァ二ア。

 この物語のメイン攻略対象であり、この国で最も「博愛」と称えられる男。


 彼は私の髪に顔を寄せ、うっとりと目を閉じ、甘ったるい香水の匂いを漂わせる。

 だが、私の鼻には隠しきれない「女の残り香」が届いていた。


(……一昨日は、書庫の影で侍女のアリス。昨日は、北離宮で隣国の使節団の令嬢。そして数時間前は、パーティーの準備をしていた下働きの娘、だったかしら)


 この男の指先は、さっきまで別の女の肌を撫でていたものだ。

 その唇は、つい先刻まで別の女に「君こそが僕の真実だ」と、何百回と使い回した安っぽい台詞を吐き出していたものだ。


 彼は誰にでもなびく。そして、可哀想な女、守ってあげたくなる女を見つけては「救済」という名の甘い毒を盛り、依存させ、飽きれば「悪役に虐められた悲劇の少女」という記号に変換して、次の獲物へ向かう。


 本人はそれを「慈愛」だと思って疑わない。それが一番の、吐き気を催すほどの気持ち悪さだった。


「さあ、行こう。不浄な『悪役』を片付ける時間だ。君の晴れ舞台を、あんな女に汚させるわけにはいかないからね」


 ジュリアンが私の手を引く。

 会場となる卒業パーティーの大ホール。そこには、この物語の「悪役令嬢」エリス・ラブルジアが、誇り高く立っていた。


 シナリオ通りなら、ここでジュリアンが彼女を断罪し、私が彼の腕の中で震えることで、私たちの「真実の愛」が証明されるはずだった。


「エリス・ラブルジア! 貴様の悪行は全て暴かれた! この清廉なマリアを妬み、数々の卑劣な罠を仕掛けた罪、最早見過ごすことはできん!」


 ジュリアンの朗々とした声が、ホール全体に響き渡る。

 周囲の貴族たちは、一転してエリス様を蔑みの目で見つめた。


 だが、私は知っている。エリス様は無実だ。彼女が私に嫌がらせをした証拠など、どこにもない。


 それどころか、彼女はジュリアンの浮気に気づき、彼を更生させようと孤軍奮闘していた、この国で唯一まともな人間だった。


(……悪役令嬢になれたなら、この茶番を真っ向から壊せたのに)


 だが、私はヒロイン。

 物語の強制力によって、この男に愛され、守られることを義務付けられた、意志を持たぬはずの人形。


「……殿下。そんなに、エリス様を責めないであげてください」


 私は、強制力に従いながらも、最高の「ヒロインの笑顔」を浮かべた。

 ジュリアンは満足げに鼻を鳴らす。


「マリア、君は優しすぎる。だが、あんな女を許しては君の身が――」


「いいえ。私が言いたいのは、そうではありませんわ」


 私はジュリアンの腕を、静かに、しかし明確な力で振り払った。

 ホールの空気が凍りつく。ジュリアンが呆然とした顔で私を見る。

 私は、彼にしか聞こえない極上の甘い声で、耳元に顔を寄せた。


「殿下、あちらの隅に立っている侍女のアリスをご存知ですよね? ……彼女、今朝、殿下からいただいた『真実の愛の証』のペンダントを落として、泣いておられましたわ」


「な……!? 何を、急に……」


「昨夜、殿下が『君だけが僕の真実だ』と仰った隣国の令嬢も、先ほどそこのバルコニーで、殿下をお待ちでしたわ。……殿下、貴方の愛は、一体何人分あるのかしら?」


 ジュリアンの顔から、血の気が一気に引いていく。

 彼の瞳に、初めて「計算外」の恐怖が浮かんだ。


 私は一度、彼から距離を取る。

 そして、ホールに集まった全ての女性たちを見渡した。

 アリス、伯爵令嬢、騎士団長の娘……私の記憶には、この男に「救済」され、使い捨てられた女たちの名前が、全てリストアップされている。


「エリス様を断罪なさる前に、解決すべき案件が山積しておりますわね、ジュリアン殿下。……皆様! 殿下から『君こそが真実だ』と言われたことがある方は、どうぞ前へ!」


 私は、ヒロインという名の絶対的な権力を、満面の笑みで振りかざした。


 これから始まるのは、救済ではない。

 貴方が大好きな「愛」による、終わりのないリンチですわ。

3部作の予定です

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