【第6話:反転する閲覧室】
あの夜と同じように、街は静まり返っていた。
おそらく誰も旧図書館へ向かうことはない。
もはや廃墟に近いその建物を、気味悪がる人のほうが多いからだ。
てすりの剥がれた階段を上る足音だけが闇に響く。
にぎやかだった昔の姿を想像するのは難しい。
かびの匂いが漂い、窓はほとんど割れている。
えんぴつで落書きされた壁が、薄い光を反射して揺れた。
さほど広くない入口を抜けた瞬間、空気が変わった。
れんが造りの廊下は暗く、外とは温度がまるで違う。
てらされたわけではないのに、足元が妙に見えやすい。
いるはずのない人の気配が左右で揺れた気がした。
るすの建物に漂う静けさに、ユウタは息を詰めた。
ばらばらに積まれた本が床に散乱している。
しおりのような紙片がいくつも落ちていた。
ょく見ると、それらはすべて“青い線”で端が塗られている。
がらんとした閲覧室だけが開けていた。
あるはずのない照明が、天井でかすかに点滅している。
るり色のような淡い青光が、本棚の陰を照らす。
古い扉を押し開けると、閲覧室の奥に一つだけ机が残されていた。
図書館とは思えないほど綺麗な机だ。
階段で見た粉のような白い粒が、机の周りにも散っていた。
壁に貼られた紙がひとつだけ光を反射した。
本来の役割を失った掲示。
青白い光の中で、紙面に引かれた線がゆっくり浮かび上がる。
書かれていたのは地図の一部だった。
静かに波打つように、線が動いて見える。
音がどこからともなく響いてきた。
扉が揺れ、微かに歪んだ。
ユウタは青い線を目で追った。
それはまるで“裏側へ進め”と示すように、閲覧室の中央で終わっていた。
机の下、床板の継ぎ目がわずかに盛り上がっている。
「……隠し扉?」
マリが囁いた。
ユウタが指で押すと、床がわずかに沈んだ。
青い線が一気に光り、閲覧室全体が反転する。
まるで空間そのものが裏返ったかのように、天井と床が入れ替わる錯覚が走る。
目がくらむ。
何もないはずの閲覧室に、ひとつだけ“影”が立っていた。
青白い光を反射して、まるでそこだけが別の世界のように歪んでいる。
「見てる……」
マリが息を呑んだ。
影は動かない。
だが、その“視線”だけは確かにユウタのほうを向いていた。
そして、影の足元に落ちていた紙片がひとりでにめくれた。
数字が一つだけ書かれていた。
203
…続く。




