僕の生き方
低学年の頃はあまり目立たなかったが、高学年になると僕の学力能力の低さに周りの友達が気づき始めた。
皆は分数の掛け算割り算をやっていたのに、僕はまだ九九すらまともに言えない。
特に七の段にもなると、毎回指を折らなければいけないほどだった。
国語の授業でも、先生の話を聞いているはずなのに質問された瞬間に頭が真っ白になって、言葉が上手くまとまらないことがあった。
周りの友達が出来て当たり前のことや、分かって当たり前の事に気付けない。
そんな僕をクラスの皆は「おバカキャラ」と呼んでいた。
僕としてはそれが苦痛ではなかったし、何より友達が楽しそうに笑ってくれていることは嬉しいことでもあった。
ただ、僕が脳腫瘍の手術をしたことを知っている先生たちからしたら、その光景はあまり気持ちのいいものではなかっただろう。
勉強が苦手だった僕だが、身体を動かす事は得意だった。
術後のリハビリがあったからか、元気に走り回れることがなにより嬉しかった。
地元のサッカー少年団に入りたい。そう思い始めたのは四年生が終わる頃だった。
でもお母さんが猛反対だった。
いくら運動をしても良いとは言っても、ヘディングがあるサッカーは許してくれなかった。
「野球ならいい」というお母さんだったが、僕はサッカーを譲らなかった。
記憶する限り、このとき僕は初めてお母さんに反発をした。
せっかく誘ってくれた友達に断らなければいけないことが悔しかった。
「じゃあ内緒で一回来ようよ」
僕が謝ると、友達が囁くように言った。
その週末、僕は友達の家に遊びに行くと言って家を出た。
学校のグラウンドにはすでに友達だけでなく、他学年の子も多くいた。
皆サッカーの練習着を着ていて、僕も友達から借りた服に着替えた。
スパイクは持ってなかったけど、コーチから運動靴でも良いと許可をもらえた。
少年団でのサッカーは、体育とはまた雰囲気が違った。
上手くなる練習のため、一杯走って一杯汗をかき、一杯ボールを蹴った。
下手くそだけど楽しくて、コーチや友達に褒めてもらえるととても嬉しかった。
練習終了まで後一時間ほどのとき、コーチに呼び出された。
「脳腫瘍の手術をしたのは本当か?」
聞かれた時、僕は心臓が口から飛び出そうだった。
友達のお母さんが、僕がサッカーをしていることに気付き、コーチに相談したのだ。
黙っていたことが怒られるよりも、僕は今度こそサッカーが出来なくなることが嫌だった。
どうしようかと迷ったけど、結局僕は首を縦に振り、お母さんに内緒で参加していることを白状した。
まともに顔を上げることができない僕に対して、
「サッカーやりたいか?」
コーチは僕の肩に手を乗せながら尋ねた。
「本当にやりたいなら、お母さんと一緒に来なさい。私からも話をしてみるから」
僕はすぐに友達のお母さんに、僕のお母さんへ連絡を入れてもらった。
ほんの数分で学校についてお母さんは、まず僕に雷を落とした。
でも今の僕にとってはそんなもの痛くもなかった。
頃合を見て話に入ってきたコーチが、お母さんに挨拶をする。
「頭部への衝撃を緩和させるヘッドギアを装着すれば、悠くんでも安全にサッカーができます」
コーチの言葉に、今度はお母さんが困った顔をした。
「お願いします」
僕は頭を下げた。お母さんが僕を心配してくれているのは分かっていた。
でもそれ以上に、みんなと一緒にサッカーがしたかった。
少し悩んだお母さんは、「仕方が無い」という表情でサッカーをやる事を許してくれた。
お医者さんと一度相談してからという条件付だったが、お母さんが許してくれたことが何より嬉しかった。
お医者さんの許可を貰ってから買ったヘッドギアは少し不恰好で、なんだかそれが面白おかしかった。




