女王継承者の欲しがり妹が婚約者まで横取りしようとしたので薬を盛りました
「サシャ姉様の指輪、とっても素敵だわ」
妹のクレアが向かいの席から言いました。
ここは王宮庭園のガゼボ。
傍目には、姉妹である二人の姫が仲良くお茶を楽しんでいるように見えることでしょう。
今日は天気も良く青空が広がっています。
けれどわたくしは、どんよりとした曇り空のような気持ちで紅茶の入ったティーカップを口に運びました。
反対のソーサを持つ左手の薬指に指輪をしているのですが、それをクレアが物欲しそうな目つきで見ています。
「その指輪、わたくしに下さいな」
予想通りの言葉です。
3歳年下の妹はわたくしが持っているものを何でも欲しがるのです。
昔からそうでした。
お菓子。
お人形。
本。
装飾品。
我儘な妹と思いつつも、わたくしは大抵の物をあげてきました。
美味しそうにお菓子を食べたり、お人形に頬ずりしたりするクレアがとても可愛らしかったら。
ですが十代の半ばとなった今では流石に──。
「クレア。あなたももう15歳。大人と言ってもいい歳よ。いい加減、はしたなく人の物を欲しがるのはおやめなさい」
わたくしはさらに年長の18歳。
姉として感情的にならないよう気を付けて諭すように言いました。
「ましてや由緒正しきアルゼ王国の姫なのですから」
アルゼ王国は数百年の歴史を持つ名門の王家。
ですが不思議なことに、なぜか女児しか生まれないのです。
そのため男子が王となる他国と異なり、常に女王が国を統治してきました。
現統治者も女王。
女王の夫は隣国の王族から迎えられた婿。
その夫婦の間に生まれたのがわたくしとクレアの二人姉妹です。
そしてアルゼ王家には、長子が優先的に王位を継承する他国とは異なる特徴がもう一つ──。
「サシャ姉様ってば、そんなケチなことをおっしゃらないで。いずれ女王になるわたくしに恩を売っておいて損はありませんわ」
クレアがニヤリと陰険な笑みを浮かべながら言いました。
そう。
クレアが次期女王継承者というのは本当です。
アルゼ王家のもう一つの特徴が末子継承制度。
女王の最も若い子が王位を継ぐのです。
若い末子を女王にすればおのずと就任期間が長くなります。
代替わりによる政変の混乱を出来る限り避けるための、鉄の掟。
ゆえに姉のわたくしは女王継承者ではありません。
けれどそれでいいと思っています。
女王継承者の場合、配偶者の身分も問われることになるでしょうから──。
「さあサシャ姉様。その指輪をわたくしに下さいませ」
クレアが手を差し出してきましたが、わたくしは首を横に振りました。
「これだけは駄目よ。シェルトにもらった大切な婚約指輪だもの」
シェルトは20歳の宮廷薬師です。
若くして頭角を現し、二年前の時点で既に薬の調合を行っていました。
その頃にわたくしはタチの悪い熱病に掛かってしまいました。
シェルトはわたくしの病状に合った適切な薬を作ってくれた上に、とても優しく気遣ってくれました。
すっかりシェルトに魅かれてしまったわたくしは、体調を崩したふりをしてたびたび薬をもらいに行きました。
有能なシェルトにはすぐに仮病だと見破られてしまいましたが、それがきっかけとなってだんだんと親睦を深めるようになりました。
そして先日──。
ついにシェルトは婚約を申し込んでくれました。
この婚約指輪を渡しながら。
わたくしは幸福に胸を躍らせました。
ゆえにこの指輪はわたくしの宝物。
絶対に渡せません。
「人の婚約指輪をもらっても仕方ないでしょう。諦めなさい」
「でしたらシェルトごと下さいませ。見目麗しいシェルトのことはわたくしも憎からず思っておりましたし」
わたくしは耳を疑いました。
シェルトの容姿が優れているというのは確かにその通りで、ほとんどの女性であれば好感を持つことでしょう。
問題は「シェルトごと下さいませ」の方です。
「クレア? 何を言っているの?」
「お分かりになりません? シェルトがわたくしの婚約者になれば、その指輪をもらっても差し支えありませんわ」
とんでもないことを言っています。
「クレア……。あなた──」
「サシャ姉様の持っている物って、なぜか何でも欲しくなってしまうのよね」
クレアがこの上なく意地悪そうな表情で呟きました。
「シェルトは──、人は物ではないわ」
「王族が自由にできる人なんて物と一緒よ。まして女王継承者のわたくしにとっては。うふふ」
クレアが口元を押さえて含み笑いをしました。
わたくしは愕然としました。
妹がこんな人間だったなんて。
しかもそれが次期女王──。
紅茶と皿が立てるカチカチという音で、わたくしは自分が震えていることに気付きました。
ですがクレアはニヤニヤとわたくしを見つめています。
クレアは本気なの?
では本当に、本当にシェルトを奪われてしまうの?
こんなことって──。
混乱して思考がまとまりません。
「サシャ様」
不意に後ろから名前を呼ばれてわたくしは振り返りました。
「シェルト」
そこにはシェルトが立っていました。
「どうか落ち着いて下さい。サシャ様」
シェルトは座っているわたくしのすぐそばまで来ると、ふっと微笑んで肩に触れました。
そのおかげで、わたくしはなんとか混乱から立ち直ることができました。
「あらシェルト。ちょうどいいところに来たわ」
向かいの席ではクレアが挑発的な笑みを浮かべています。
「サシャ姉様との婚約を破棄して。そしてわたくしと婚約なさい」
「お戯れを」
「わたくしは本気よ。身分のことなら心配しないでいいわ。将来の女王であるわたくしの配偶者に相応しい身分になれるよう便宜を図ってあげるから」
予想外を上回る提案でした。
わたくしは思わず息を呑みましたが──。
「謹んでお断りいたします」
シェルトは胸の前に片手をやって悠然とお辞儀をしながら静かに言いました。
それを聞いてわたくしは胸を撫で下ろしました。
ですがクレアの眉間に皺が寄っています。
「優秀な薬師と聞いていたけれど、思ったより頭が悪いのかしら? 次期女王のわたくしとそうでない姉様。どちらの配偶者になるのが得なのか分からないの?」
「私は得だからという理由でサシャ様に婚約を申し込んだのではありません」
「ではなぜ?」
「知れたことです。この世の誰よりもサシャ様のことを愛しているからですよ」
胸に熱いものが込み上げてきます。
「……ありがとう。シェルト。私も同じ気持ちよ」
わたくしたちはうなずき合い、そのまま見つめ合っていましたが──。
ダン!
クレアのテーブルを叩く音が静寂を破りました。
「わたくしを愚弄したわね! 許さない!」
クレアは立ち上がるやいなや、血走った目でシェルトを、そしてわたくしを睨みつけました。
「わたくしはいずれ女王になって絶大な権力を手にする。二人ともそのときを、首を洗って待っていなさい!」
そう吐き捨てると、クレアはガゼボを後にしました。
その後ろ姿をシェルトが苦笑しながら見つめています。
「困ったお方ですね」
クレアの姿が見えなくなると、シェルトが軽くため息をついて呟きました。
「そうね。欲しがりな妹だとは思っていたけれど、まさかここまでとは」
わたくしは席から腰を上げてシェルトと向かい合いました。
「クレアが女王になったときに、一体何をされることか。このままでは結婚しても、安心して暮らせないわ」
絶大な権力を手にしたクレアは逆恨みでどんな報復に打って出るのでしょう。
わたくしは気が気ではありませんでした。
「サシャ様。そのことでお話があります」
シェルトに促され、わたくしたちは人目のない庭園の木陰にやってきました。
「以前から思っておりましたが、残念なことにクレア様は女王の器ではありません」
「シェルトの言う通りだと思うわ」
「ですがアルゼ王家の末子継承制度は鉄の掟とのこと」
その通りで、女王である母でさえ変えることはできないでしょう。
「ええ。クレアが健在な限り、次期女王であることは揺るがないわ」
「ですので私は一計を案じました」
シェルトはそう言うと懐から小瓶を取り出しました。
「これは何かしら?」
わたくしは手渡された小瓶をつまんで見つめました。
「私が調合した薬です。これをこっそり食事に盛って頂きたいのです。ご家族であるサシャ様にしか頼めません」
「!」
「私とサシャ様が幸せな結婚生活が送れるように。それだけでなくアルゼ王国の未来のために」
そのために毒を盛ってわたくしにクレアを殺せと?
いくらなんでも、それは──。
「ちょっと待って。クレアが女王になるのはずっと先のことよ。現女王の母は健在で、まだ40歳にもなっていないし──」
「だからこその策です」
シェルトがにっこりと微笑みました。
◆◆◆◆◆
クレアが青ざめた顔をしています。
結局わたくしはシェルトに渡された薬をこっそり食事に盛っていましたが、効果は覿面でした。
「ふふ。動いたわ」
現女王の母が大きくなったお腹をさすりながら言いました。
「うんうん」
その横では父が慈しむような眼差しを母に向けています。
ここは王室用の診察室。
王家の家族四人全員でやってきています。
母とお腹の子の経過観察のために。
そう。
母は現在妊娠中。
お腹の子はすくすくと育っているようです。
「まさか40歳の手前になってまた子供ができるとは思わなかったけれど、こうなるとサシャの婚約者が優秀な薬師というのは心強いわね」
「シェルトや。私たちの子が無事に生まれるよう、女王陛下の体にいい薬を調合しておくれ」
両親が薬師として診察室に呼んでいるシェルトに言いました。
「仰せのままに」
シェルトは胸の前に片手をやって恭しく礼をしました。
すべてはシェルトの思い描いた通りになりました。
クレアが相変わらず青ざめた顔をしています。
ですが毒のせいではありません。
シェルトが調合したあの薬は毒ではないし、クレアの食事に盛っていたわけでもないのですから。
あれは子宝に恵まれる薬です。
それをわたくしがこっそりと両親の料理に混ぜていました。
薬の効果は絶妙で、母はほどなく妊娠しました。
それでも、もう少し母の年齢が上であれば妊娠は難しかったそうです。
ともかく──。
アルゼ王国では末子継承制度が鉄の掟。
つまり産まれてくる妹がやがて女王になります。
女王継承者の座から外れると分かっているクレアの顔は青ざめたまま。
ざまぁ♪
でもそんなことより、今は新しい妹が生まれてくることが楽しみです。
そしてシェルトと結婚して安心して過ごせる日々がやがて訪れることが。
シェルトも同じ気持ちのはずです。
こっそりとウインクしてきましたから。
わたくしは軽く左手を上げてそれに応えました。
そのとき、左手の薬指に嵌めている婚約指輪が一瞬キラリと光りました。
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なにとぞよしなに。