プロローグ
午後の光が談話室を満たし、木の床に柔らかな影を落としておった。窓際のカーテンはそよぎ、日差しが揺れるたびに、床板の節や色の濃淡まで微かに揺れ動くのが見える。
テーブルの上には塗り絵の紙や新聞、編みかけの毛糸玉、コーヒーカップが置かれ、生活感が漂っとった。わし、宗政 完治は椅子に腰を下ろし、杖を握った手のひらに震えを感じる。年齢の証であり、人生の重みを知らせる感覚じゃった。
「…また昔の話じゃが、ジャングルでわし一人が…いや、もっとおったかもしれん、敵兵を相手に…」
つい口を滑らせると、隣の入居者、田島さんが笑いながら話しかけてきた。
「また戦争の話ですか、宗政さん。そんなに詳しかったら、軍人になれますよ」
「おお、わしはのう…ほんまになれたかもしれんのう…」
口を滑らせた瞬間、頭の奥がフワッと軽くなる感覚。談話室の光景がぼやけ、壁や椅子の色が溶けていくようじゃ。田島さんの声も遠くなる。
「…おお、…ここは…?」
目を開けると、そこは草原。朝露に光る草、遠くに森。体が軽く、しなやかに動く。あれほどしんどかった関節の痛みもなく、呼吸は若き日のように弾む。86年分の記憶と、10代の柔らかさを取り戻したかのような体が同時に存在しておる。
「夢かのう…いや、わし、ほんまにボケたんかもしれん…」
独り言をつぶやきながら、手元を見下ろすと、光を帯びた銃が現れた。若き日の戦場で握った銃じゃ。わしが握ったその銃は、まるで意思を持つかのように手の中で輝いておる。
体を動かすと、過去の戦場経験が自然にリンクしておる。風の向き、草のざわめき、敵の気配…無意識に反応する自分に驚く。86年生きた老人が、若返った体と戦場の勘で未知の世界に立っておるのじゃ。
「…多分寝ぼけとるんじゃな…でも、夢でも若い頃のように体が動くのは気持ちええのう」
笑いながら、草原に足を踏み出す。談話室でボケて意識がフワッと飛んだ瞬間から、わしの冒険は始まったのじゃ。