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お探しの私は迂闊な貴方の背後に潜む ~灯台の真下はおおむね暗い~

作者: 大高 紺


お目に止めて頂き、ありがとうございます。


毎度変わらずふんわりしておりますが、宜しくお願いいたします。





「ああ……また空振りだ………」


 情けない声を上げて報告書を握り潰し、執務机に突っ伏した主の後頭部を、側に控えた初老の家令は無表情に見下ろした。本来ならば櫛目が通り、綺麗に撫でつけられている筈の主の銀髪(ホワイトブロンド)は良いだけ掻き毟られて、色と言い形状と言い、飛び立つ寸前のたんぽぽの綿毛そっくりという惨状を呈している。


 それを更にガシガシと掻きまわしながら、アンドレアス・ヘルムート卿は苦悩に満ちた呟きを洩らした。


「どうして見つからないんだ、こんなに手を尽くして探しているというのに……」


「それが必ずや大切にすると師の枕頭に誓い、怒涛の勢いを以て婚約を結んだ筈のご令嬢への嘆きだと思いますと、何度耳に致しましても都度新鮮に面妖な心地が致しますな」


「う」


 淡々と紡がれる家令の言葉に、アンドレアスの背がのたうった。がつっという鈍い音がしたところからすると、多分、額を天板に打ち付けている。


「……もう少しこう何と言うか、言葉に衣を着せては貰えないものだろうか……」


 突っ伏したまま、哀れっぽい声でぼそぼそと喋るアンドレアスに、家令はたいそう慇懃に頭を下げた。


 や、見えてないと思いますよ、それ。


「大変失礼いたしました。では改めまして。

―――それ見たことですか旦那様。ですから散々ご忠告申し上げましたでしょう、大事なモノを粗略に扱ってはなりませんと。ましてや此度はモノどころでは無くヒトでございます。モノならばどんなに不本意な位置であれ置いておいた場所でじっとしていてもくれましょうが、ヒトには頭も脚もございますからね。これはと見切りをつけられたが最後、それはもうスタコラサッサと逃げも隠れも致しましょう。いわば絵に描いたような自業自得でございますから、そのように被害者めいて打ち萎れている場合では全く無いと存じますけれども、心中お察しは申し上げます。ご愁傷さまでございます」


 滔々と流れる美声に混じり、がつんがつんと良い音がする。鍛え上げられた腹筋背筋総動員でのたうち回っているのだから、それはこういう音にもなるだろう。あれは結構、痛い筈。それにしても今日のバルテルも冴えわたっている。歯に衣どころか素晴らしく剥き出し。声音が穏やかだからと言って攻撃力が下がるわけではないというお手本のような苦言である。


 ―――アンドレアスには悪いが、実に勉強になる。


 心から感じ入りつつ、壁際で息を潜めてひっそり見守っていたところ、どうにか気力を蘇らせたらしいアンドレアスがゼイゼイ言いつつ頭をもたげた。苦悶に顔を歪め、左胸を掴み締めているものだから、仕立ても趣味も良いシャツが見るも無惨に皺っしわ。―――後々それを手入れする者が払う労力を、是非ともご一考願いたい。斯く言う私もこの家で働き始めるまで全く知らなかったのだが、上質な衣類の洗濯とアイロン掛けというのは結構な重労働なんですよ、旦那様。


「止めろ。止めてくれ心臓が痛い」


「何を仰いますやら、この程度で。―――嗚呼、今頃コンスタンツェ様はどのような憂き目に遭っておられることか。深窓のご令嬢がたったひとり、頼れる者もないままに世の荒波にどんぶらこと」


 そう言いながら、非常にわざとらしい仕草でバルテルが目頭を抑える。その哀感たっぷりの嘆声に、アンドレアスは再び机上にもんどりうった。ひとたまりも無いとはこの事か。


「お労しやコンスタンツェ様。成人したばかりの身で突然ご家族も家も無くされて、どれほど心細かった事でしょう。頼みの綱たる婚約者も、それが仕事とはいえ碌に連絡も取れぬような僻地に遠征(竜退治)に出たっきり、年単位で音沙汰無し。それでも縋る思いで拠点と思しき場所を追い掛け追い掛け出し続けた文も悉く受取人不在で差し戻されては、ああもうこの世に頼れるものなど何ひとつ無いのだと思い詰めても仕方ございません。その絶望のままに飛び出してしまわれてから、はや半年。

……今頃、何処でどうしておられることか。それもこれも旦那様が鉄砲玉かつ呑気な無精者だったばっかりに」


「頼むそれ以上はもう……ッ」


 息も絶え絶え、天板に突っ伏したままのアンドレアスの後頭部に、バルテルは容赦なく拳を見舞った。


 たいへん痛そうな音がした。


「旦那様が泣こうが悔恨に塗れようが、そこで手をこまねいている限りコンスタンツェ様の苦境はひとつも改善されませんと、何度申し上げれば宜しいか。そのように嘗ての己の不人情にも程がある所業を振り返ってのたうつ暇がお有りでしたら、とっとと次策を講じては如何ですか」


「返す言葉も無い……」


 見るも無残にぺっちゃんこになったアンドレアスだったが、物悲しく呟いたかと思う間もなく、地鳴りもかくやの唸り声と共にばね仕掛けの如く跳ね起き、その勢いのまま仁王立ちした。……知ってはいたが、大概でかい。


「だが、俺とてただ手を束ねていたわけではない。知り得た限りのコンスタンツェの交友関係は総浚いしたが、行方を辿る手掛かりは無し。ならばと王都の慈善施設を総当たりしたが、この半年以内に頼って来た娘の中にコンスタンツェ・デーメルの名を持つ者は居なかった。念のため、成人前後の年頃で赤毛(ジンジャーレッド)に翠眼をした娘が居ないかも確認したが、これも空振り。平行して真っ当な職業紹介所を虱潰しに当たったが、敢えなく全滅。例え名が違おうが、年齢と容貌が近い者は漏れなく追跡調査させているというのに、今に至るも掠りもしない。かといって、王都の関所を越えた形跡も無い。……この状況から更に何処を当たるかって、―――くそ、いよいよ如何わしい紹介所かダイレクトに娼館か」


 アンドレアスは歯ぎしりした。それなりに離れた地点に居る私の耳にも聞こえるほどの音に鳥肌が立つ。


 磨り減ってませんか、大丈夫ですか、それ。


 そんな主の懊悩を黙って見守っていたバルテルは、深い深い溜息を吐いて、眉間を揉んだ。


「旦那様、如何に困窮したとて、騎士爵家に生れ育った誇り高いご令嬢が選りに選ってそのような」


 非難を隠さないバルテルの声音に、アンドレアスは地団駄を踏んだ。


「俺だって考えたくもないわ! だが、所詮はお嬢さん育ちの世間知らずだぞ。あれよと何処ぞのロクデナシに騙されて、哀れ落花狼藉、そのまま転落なんてのも無い話じゃ」


 そこまで聞いたバルテルが再びアンドレアスの後頭部を張った。いやあ、家族同然とは言え、仮にも主を張り飛ばせるとは只者ではない。最上位とは言え紛うこと無き使用人に大人しく叩かれているアンドレアスもアンドレアスだとは思うが、それにしても、私如きが抗えるようなお人(バルテル)である訳が無かったと今更ながら腹に落ちる。


 拾われてからこっち、今に至るも言われるがままなのもむべなるかな、だ。


 そんな向かうところ敵なしである家令は、何事も無かったように手を払うと、すきっと姿勢を改めた。


「旦那様。コンスタンツェ様のご交友関係は軒並み空振ったと仰いましたが、皆様で口裏を合わせて、唐変木でいけ好かない年嵩の婚約者の追跡から庇っている可能性はお考えで?」


「馬鹿にするな。勿論、鵜吞みにして捨て置いてなんざいない。……いけ好かない唐変木ジジイで悪かったな」


「コンスタンツェ様やそのご友人方よりはだいぶんご年長、と言うだけの話でございます。爺とまでは申しておりません。それはさておき、そうですか、周辺各位の証言の裏取りの類は抜かりなく進めていらっしゃるのですね?」


「……限界はあるがな。さしもの俺とて、力ずくで人々の口を割らせることは出来ん。精々、社交の折に押したり引いたり宥めたりすかしたりして先方が口を滑らすのを誘っちゃ、真偽の程を確かめるのが関の山だ」


「左様でございますか―――あともうひと踏ん張り視野が広がれば良いんですがね」


 バルテルが溢した小さい小さい独り言を聞き取ってしまった私は、うっかり鼻から空気を漏らした。ふす、というその間抜けな音を耳聡く聞き咎めたらしいアンドレアスが、じろりとこちらに視線を飛ばしてくる。


「―――いま笑ったか、そこのお前」


「滅相もございません」


 真っ向からアイスグレーの瞳を向けられ、不貞腐れ小僧のように凄まれて、危うく視線が合いかけたけれども、慌てず騒がず私は顔を伏せて腰を屈めた。それだけで私の顔は長身の彼から見えない筈だ。


 ―――と、斯様に用心は怠らないようにしているものの、別に真正面から見られた処でバレやしないと踏んでいる。だって、アンドレアスが長きに渡った宿敵との死闘に勝利し、意気揚々と王都に帰還してきたのが四十日ほど前の事。諸々の後始末まで恙なく終えて館に戻り、そこで初めて留守中に起きた一連の出来事を把握して、泡を食ってコンスタンツェを探し始めてからだって、ぼちぼち一カ月が経過する。


 その間ずっと傍に居て、こまごまと用を足したり、時には目の前で茶を淹れたりしているというのに、まるっきり気付かないのだもの。


 帰還直後は身バレを恐れ、血の気を引かせて右往左往したものだが、いま振り返れば失笑ものの杞憂であった。


 それはまあ、今の私は目くらまし的な化粧をしている。華々しく雀斑(そばかす)を描き、眉は太く凛々しく、その下の団栗眼はやけに目立つ色なので、薄っすら色付きの素通し眼鏡で誤魔化して、寝ぼけた灰茶色に見せかけている。


 それでも基本的な目鼻立ちそのものは変わらないし、相当に派手な髪だって、色気もへったくれも無いひっ詰めシニヨンにしているだけで、色はそのままだ。それは一度黒く染めようとして失敗し、バルテルに盛大にどやされたからなのだが、それにしても変装としては何ともお粗末な部類と自分でも思う。だがそれでも、アンドレアスに対しては十二分に有効なのである。


 何故か。


 それは実に単純な話で、我々は、私がもう少しで十一歳と言う時に彼が唐突に求婚してきたのが面と向かった最後であって、それ以降は一目たりとも直にまみえた事が無いから。


 つまり彼は、私が人参色の癖毛を靡かせた、眼ばかり大きな痩せっぽちのチビだった頃しか知らない。


 ―――という事を考えるとより一層、あの求婚は、たかだか十六年と少々しか生きていない私と言えども、この先もうこれ以上はそうそうあるまいと思うほどに衝撃的な出来事と言って良いと思う。


 当時二十二歳だった彼は既に騎士として名が通り、その美丈夫ぶりと身分の割には気さくな性質で、市井の婦女子の人気が非常に高かった。それがいきなり花束抱えて我が家を訪れ、恭しく跪いてきたものだから、私は本気で卒倒しかけた。縺れる舌でどうにかこうにか、何だってこんな小娘相手にと問えば、先日殉職した父の末期に誓ったんだと真顔で宣う。傍らの母は感涙に咽んでいたが、当事者である私は辞退の悲鳴と脂汗しか出なかった。いくら未だ幼い娘の行く末を案じたからとて、部下に何を強いてくれるのか父。


 しかし子供の私が何を言おうと沼に杭を打つが如しで、まことに遺憾ながらそのまま婚約は成立してしまい、その後すぐに彼は弔い合戦だか敵討ちだかと言って父を斃した暴れ竜を追って旅立っていった。たまーに無骨と言うかたどたどしいような内容の手紙は届くものの、彼はそれきり、遂に五年半もの間、一度たりとも帰郷せず、ただひたすらに敵を追い続けたのである。


 問題の敵は、そこそこ大きな飛竜だったと聞いている。非常に分が悪い相手である。竜はそもそも神出鬼没であるうえ、翼があるからにはヤバいとなればそれこそ飛んで逃げる。何処までだって飛んでいくだろうそれは、だから出合頭の短期決戦で斃せなければ、情報を追いながらの転戦につぐ転戦になるだろうことは私にも判る。それは判るけれども、何故に一度も帰ってこなかったのかは良く判らない。


 長丁場の討伐だから、部隊の人間はきちんと入れ替え制だったと聞く。だが、アンドレアスに限っては、亡き隊長(うちの父)の無念を晴らすとか何とか言って頑として隊から離れず、事あらば先陣を切って暴れまくり、定期的に回って来る休日にも休養をせず、独り熾烈な鍛錬を積んでは経験値を上げるとか言ってそこらの魔物を蹴散らし回り、それでいよいよ強制的に休暇を取らされた暁には、こっそり単独で竜を追うまでしていた、らしい。


 そんなだから、ハナから間遠だった便りは着々と減って行き、それにつれて彼がいま何処に居るのかはどんどん判らなくなっていき。


 最後の死闘を繰り広げていたという一年半ほどの間は、全く連絡が付かなくなっていた。


 そうこうするうちに、私の方の状況が激変。


 父が遺してくれたものに加え、恩給もそれなりに出たお陰で、一代限りの木端貴族の娘の割にはご令嬢然と育ててもらった私だが、諸々管理していた母の金銭感覚が思いのほかで、遅ればせながら不審を抱いた時には既に破綻寸前だった。慌てて母から家計を捥ぎ取り、立て直そうと頑張ったものの、隙を突いては母に散財を重ねられてはどうにもならない。結果、我が家は私の成人を目前に見事に破産した。そして、ほぼ時を同じくして母も流行り病で身罷って、私は天涯孤独の借金持ちになり果ててしまったのである。

 

 しかし嘆いた処で時も身上も戻らないので、寄せては返す金貸し連中との攻防の傍ら、周囲の情け深い人々の手を借りながら、どうにかこうにか少しでもマシな状況になるよう身辺整理をつけつつ、ダメ元でアンドレアスに手紙を出しては漏れなく差し戻されるというのを繰り返し、やっとの思いで大体の目途がついたという頃には竜殺しの英雄の称号に王手を掛けていたアンドレアスの今後に泥を付けないよう、可及的速やかに婚約を白紙に戻し、己は心機一転ひとり雄々しく生きていくのだと思い定めて書類一式を整えて主不在のヘルムート家を訪問したのが約半年前―――そこで何故かバルテルの説教と説得に負けて、今に至っている。


「旦那様、使用人とはいえ無暗やたらに威圧するのは如何なものかと」


 俯く私を庇うかのようにバルテルが諫め、それをアンドレアスは鼻先で吹き飛ばしはしたが、それきりあっさり木端メイドなんぞを構う気を失くしたらしく、彼は体ごと私から視線を逸らし、淹れてから随分なあいだ放置されて温度も香りも抜けたに違いない紅茶を一息に飲み干した。


 それから、添えておいたビスケットをぽいぽい口に入れた、と思う間もなく、情けなく眉を下げて、再び胸元をぎゅうと掴んで前にのめった。


 どうした、喉にでも詰めましたか。そんなに一度に口に入れるからですよ。


「……いまこの時、コンスタンツェが食うにも困っていたらどうしたらいいんだ……」


 絞り出すような呟きだった。


「俺が自分の手で敵を討つことに固執した所為で、コンスタンツェを独りで苦しませてしまった。俺がもっと頻繁に連絡を取っていれば、いや、せめて年に一度でも顔を見に戻って来ていたら、デーメル家の異変にも気付けて、その時点で助けてやれたのに」


「ですから、今更ですよ旦那様。それに、敢えて申し上げますが、たまに顔を出す程度でデーメル夫人のイカレた散財癖に気付けたかどうかは甚だ疑問です」


「そうかもしれないが、それでも、俺がコンスタンツェともっと近しく接していれば、彼女と対話が持てていればと―――言うなよ、だから言っただろうとか、それ見た事かとか、いまそういう事は絶対に言うなよ、言われなくたって充分承知してるし、腹の底から後悔してるんだ!」


 最後はほとんど絶叫だった。身を折ったままとはいえ鍛え上げられた腹筋から繰り出される大音声たるや、状況が許せば耳を塞がせて欲しい程だったけれども、今の私は一介のメイド。お仕えする旦那様が如何に猛り狂おうが、『ナニモ聞イテマセン』を貫き、置物のように立っているしかない。


 バルテルは流石に大したもので、割れ鐘も斯くやの雄叫びにびくともしていなかった。それどころか、慟哭するアンドレアスの後頭部をみたび張り飛ばしてから、流れるように両耳を掴んでぐいぐい捻り上げた。

 

「ですから、いまここで、旦那様がいくら泣こうが喚こうが、コンスタンツェ様に、その後悔は届かないと、申し上げて、おるのです、よ」


 いだだだだだだと野太い悲鳴がこだまする。や、ものすごく届いてます。もういいというくらい届いてますから、どうかもうその辺で勘弁してあげて下さい。見せられているこちらが居た堪れないじゃないですか。


 痛い痛いと言いつつバルテルのお仕置きに甘んじているアンドレアスを、私は何とも言えない気持ちで眺めて、密かに溜息を吐いた。


 ―――こういう人、だったとは、ついぞ思ってもみなかった。


 仮にも婚約しておきながら他人事のようだけれども、何と言っても婚約前にだって片手の指で余るほどしか逢ったことが無く、ろくすっぽ喋ったことも無い人である。しかも、年齢差はまだ世に無い事でも無いとて目を(つむ)れたとしても、そもそもの生れ育ちが雲泥の差。にも関わらず、たまたま上官(私の父)の今際の際に立ち会っちゃったばっかりに、厄介でしかない荷物を背負わされちゃった不運の人とばかり思っていた。それだって黙って逃げた処でバレやしなかったというのに、遺品を携えて約束を果たしに来るような、愚直と言うか律儀と言うか、流石は三男とは言え由緒正しい子爵家の生まれの人はそんな処までお育ちが良いと言うか馬鹿真面目と言うか、だけどやっぱり義理でしかないし面倒だし心情的にも大概な重石(おもし)なればこそ、あれっきり逢いにも来なければ家同士の付き合いにも発展せず、手紙だって来なくなるのも当たり前だ、形だけでも婚約が続いているのが奇跡でしかないと、そうも考えていたのだが。


 ―――まさか、みすみす目の前で散った父の弔い合戦を己の手で成し遂げるまでは合わせる顔も無いなどと思い詰め、悲願達成に向け脇目も振らずに邁進するあまりに連絡が疎かになっていたとか、そんな情けない実態を頭を掻き毟りながら独白し、バルテルに容赦なく小突き回される処を見せられる日が来るなんて、誰が思おう。


 そんな事とは与り知らぬ事だからこそ、破産を経ていよいよもって良い処なしの寄生生物でしかなくなった私からなど一刻も早く解放して差し上げねばと心を決めての断行だったのだけれども、長閑に帰宅するなりバルテルに(はた)かれ、婚約解消の書類を残して『コンスタンツェ・デーメルの行方』は判らなくなりましたと報告されたアンドレアスが、まさかあそこまで周章狼狽し、これほど真剣に木端娘を探し回るとは、そしてこうも毎日飽きもせず慙愧の念に耐えない胸の内を聞かされ続ける事になるとは予想外も良い処である。


 離されてなおシクシクと痛むらしい耳を擦りながら、しょんぼりと次なる捜索先に頭を悩ませ始めたアンドレアスは、なんというか、見知らぬ土地に打ち捨てられ、吹き荒ぶ嵐に曝され続ける大型犬もかくやの物悲しさを漂わせていて、私はもう一度、ひっそりと、だが深々と溜息を洩らした。


 ……バルテルの寄越す視線が非常に痛い。


 突き刺さるそれを、私は瞬きを以て跳ね返した。成功はしなかったが。


 ―――こんな事だと判っていたから、あの日、バルテルは私から書類を取り上げるなり、貴女の意思を尊重はするけれども短絡にすぎる、このままヘルムート家に逗留してアンドレアスの帰還を待てと、あれほどまでに強引に引き留めに掛かったのだな……。


 今にして思えば、あの時の私は、冷静だったつもりだけれども先行きが心細くない事もなく、いささか地に足が付かない心地ではあったもので、手を変え品を変え粘り強いことこの上ないバルテルの説得にうっかり負けた。それでも、ただ居候するのは絶対に違うと思って、ゆくゆく独り立ちするうえで必要だからと主張を曲げず、みごと住み込みの使用人として雇って貰うことで手打ちとしたのだけれども、あの、確か契約では下働きのメイドであって、主の前に出られる身分では無かった筈ですけど、すっかりそのへん済し崩しですよね? バルテルに何をどう説明されても一向に聞く耳を持たなかったのは認めますが、だからといって不意打ち食らわしてアンドレアスの前に連れ出すとか、それ以降来る日も来る日も傍に置いちゃあ彼の慟哭と悲嘆と後悔と反省とめげない闘志を聞かせてくるってのは、どうなのか。


 もはや日々のルーティンと言って過言でない、いい加減に観念して自首しろ潔くお縄につけ・イヤだ意地でもご免こうむる、の念の飛ばし合いをすること暫し。


 やがて根負けしたと思しきバルテルが、軽く天を仰いだ。


「―――ドロテ、ここはもう良いから、お下がりなさい」


「はい、バルテル様」


 今の私は、祖母の名を借りて過ごしている。だから、コンスタンツェ・デーメルの名で探す限り、未来永劫、見つからない筈である。


 かつての令嬢は、家屋敷もろとも父母の形見に至るまで、売れるものは一切合切売っぱらい、それでどうにか借財を綺麗にした直後、誰かに何か告げることも、いたずらに身の上を嘆くことも無く、煙のように世の中から姿を消したのだ。


 ぶっちゃけ成れの果てたる今の私の手元に残っているものと言えば、流石にびびったか誰も買い手が付かなかった父の最後の階級章(殉職後に特進してから発行されたピカピカの新品)と、アンドレアスから貰った数通のたどたどしい便りくらいのもの。ギリギリ身の証を立てられないことは無いが、怪しいといえば相当に怪しい状態と言えるし、そもそも立てようとも思っていない。名乗り出る気など言わずもがな。


 なので、業を煮やしたバルテルが暴露するという暴挙に出ない限りは―――使用人契約の折、独断でバラさないという一項は入れている、一抹の不安は残るが―――私はこのまま潜伏し、アンドレアスが諦めて婚約解消の手続きをするまで見届けて、その後は立つ鳥跡を濁さず、迅速かつ穏便に退場するつもりでいるのだけれども。


 ―――あんまりにもアンドレアスが不撓不屈を見せつけてくるものだから、だんだん、なんというか、おかしな心境にもなりつつあって。


 一礼し、ティーワゴンと共に下がりつつ、私はちらりとアンドレアスに目をやって、そうしたことを思い切り後悔した。


 何故なら。


「―――諦めない、俺は決して諦めないぞ。今は亡き隊長に誓ったからだけじゃない。あの日、美しい翡翠のような瞳に哀しみと不安を湛え、それでも涙をこらえて俺の手を取らずに生きていくと言い切った健気で可憐な君の姿に打たれ、俺は必ずや怨敵を斃すと誓願を立てた。それを伝え損ねたは痛恨の極み、だからといってここで諦めて逃げ切られては一生の不覚。君がいま何処に居ようと俺は辿り着いてみせる。待っていてくれ、いやもう待っちゃいないと知っているが必ず! 必ず俺は君を迎えに!!」


 ―――たいへん不穏な念仏を唱えている姿を、見てしまったので。


「その意気でございます旦那様。あとはもう少し足元をしかとご覧になって」


 とんでもない事を囁くバルテルに視線の刃を投げたが綺麗に逸らされ、私はそこはかとなくキリキリしてきた胃を宥めつつ、その場を後にした。


 ―――いやいや、世の中、諦めも肝心ですよ旦那様。とても大事。


 パタリと閉めた扉が、徐々にアンドレアス自身への怨嗟じみて来た念仏を遮断し、私は肺腑の底から息を押し出した。


 ―――何であんな事になっちゃったかなあ、あの人…………。


 いやもう、とっとと諦めて、素直に婚約解消しましょうよ、アンドレアス様。そしたら、私も心おきなく新たな人生に歩み出せますから。


 この半年、有難くもこちらで修行させて頂けたお陰で、ボンクラお嬢だった私もメイドとして立派に活計(たつき)を立てていけそうです。アンドレアス様だってぼちぼち適齢期の端っこまで来てるんですから、竜殺しの英雄に相応しい良い処のお嬢さんと結婚して、元上司に押し付けられた面倒くさいだけの不良債権のことなど心置きなく打っ棄って、一刻も早くお幸せになって頂きたい。心からそう思っている今のうちに、どうかどうか、いやほんとにお願いしますから。


 でないと、何と言いますか、―――良くない気持ちが、定着してしまいそうなので。


 ぶるぶると頭を振って、胸の奥底で揺蕩うナニカを振り飛ばす。


 大丈夫大丈夫、あの調子では絶対に見つかりっこないから、余計な事を考える暇があったら仕事仕事。きりきり仕事。働かざる者食うべからずと、そう決めているだろう。


 ―――と、おのれに言い聞かせて歩き出した私は、その後わずか数日でイライラが臨界点に達したバルテルにアンドレアスの目の前で眼鏡を毟り取られ、呆気なく曝け出された特徴的な事この上ない私の瞳に目を剥いたアンドレアスに取っ捕まって顔中ゴシゴシ擦り回されて化けの皮を剥がされた挙げ句、感涙に咽びながら馬鹿力で抱き締められるやら怒涛の詫びを浴びせられるやら、果ては切々と口説かれまくるやらの散々な目に逢わされる羽目に陥るだなんて、まるっきり予想だにしていなかったのだった。




<了>



最後までお付き合い下さいまして、ありがとうございました。


……このままではアンドレアスが単なるおバカさんなので、彼の言い分も書いてみようかと思っています。書き上がりました暁には、またお付き合い頂けましたら、幸甚至極に存じます。



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