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光の囁き

「明るい光が見えるよ、母さま…」

「メーヴェ城」の大きく開いた窓辺で、暗闇を明るく照らす微かな光を指さしながらエーガは言った。

「あれは何だろう…見たことがない色だ。」

「色?」

エーガの腕につかまり、マージも身を乗り出して首を傾げる。

「ほんとだ…母さまの光と違う。」

眼下の地平に沿う様に、黄金の光が広がっていた。天の闇と地平の光が交わって、美しい境界を作り出している…

「あれは…何だ?」

オーガは顔をしかめた。明るい光のせいで、空にある光の波が薄く弱くなっていた。答えを求めてローゼを見やる…ローゼは目を眇めつつ穏やかに答えた。

「あれは大地を照らす夜明けの光…暗闇の時を終焉に導く、絶対支配の始まりの標──」

「ローゼ?」

「マージ、こちらにおいで…黄金の光を浴びてはならぬ。」

ローゼはマージを窓から引き離して抱き上げた。

「今日を最後に、城のすべての窓を閉じる。マージを外に連れ出してはならぬぞ、エーガ」

「どうして?それじゃどこにも行けない...つまらないよ。」

「マージの体はそなたの様に強くないのだ。オーガはこの大地で生まれ、そなたはその父の力を受け継いだ。とても強く、とても丈夫...ゆえに、この世界はそなたを受け入れこそすれ、決して阻害することはない。」

「マージは違うの?」

「マージは光の加護のもとに生を受けた。影の力は極めて微弱…黄金の光を浴びれば衰弱し、やがては加護さえ失ってしまうだろう...」

ローゼの告知に、エーガは強い衝撃を受けて怯んだ。

…マージがいなくなってしまう…そんなの嫌だ!

「すべての窓を閉じ、あの光を遮れば良いのだな?」

オーガも同じ不安を感じて眉を寄せた。マージが加護を失うというなら、ローゼはどうなるのだろう?

「ただ一つの扉を除いて全て塞ごう…マージも分かったな?」

「はい。母さま」

マージは素直に頷いた。エーガと外の世界へ冒険に行けないのは寂しいけれど、城の中はとても広いし、ローゼの加護がいつも優しく守ってくれる…それだけで十分満足だった。

「マージ、遊ぼう!」

外界の光を全て遮断したメーヴェ城ではあったが、子供たちは明るさを失わなかった。ローゼの光が二人を照らし、オーガの愛が心を育んだからだった。


楽しそうな声が聞こえる──

ローゼは微笑み、幸せのうちに、最後の加護を張り巡らした。




焼けつく様な痛み…

腕の痣から炎が吹き出し、例え用もない苦痛に喘ぎ、悶え、幾度も気絶しそうになる。


“ ブラスト! “


遠くでエレネーゼの声が聞こえる。

訴えかける様な、悲痛な叫びだった

「エレナ…」

ブラストはエレネーゼに告げた。

「泣かないで下さい、愛しの君…」

その手に触れたかったが、闇色に染まった醜い指先を目にして留まった。彼女の白く美しい指先を忌まわしい色で汚すことはできない...まして、もしこの苦痛に、エレネーゼは耐えられないだろう...


“急ぎなさい“


声と共に、眩い光が一面を照らした。

光の中から細い腕がさしのべられる...灼熱の炎が噴き出す闇色の影を優しく撫で、耳元で小さく囁いた。...


”明日には「蝕」が起こる...その前に、影の力を封じなければならない。“


光が影に触れると、炎が消え、苦痛が徐々に和らいでいった。心地よい冷気が身体を冷まし、視界がくっきりと見え始める...

「ブラスト...」

それは母の声だった。青みを帯びた灰色の瞳が心配そうに見つめている。額にそっと手を置いており、夜空の極光を背に受け、淡い光の輪郭に包まれていた。

「母上...」

ブラストは、自分が仰向けに横になっていることに気付いて起き上がった。今いる場所は寝室で、以前、王子として使っていた部屋だった。

「私は意識を失っていたのですか?」

辺りを見回しながらブラストは言った。

「姫君は無事ですか?」

目覚めて早々に尋ねる息子に、フェリーナは丸めた目を細めて頷いて見せた。

「大丈夫。エレナはガレスと一緒に小広間に居るわ。」

「父上と?」

「酷く混乱していたので、自分が付いて気持ちを落ち着かせる。その間に処置を施してくれ...と」

あの激痛が現実のものであったのか疑うほど、今は何の痛みも感じなかった。自分の持つ「力」と同様、母にも「光の加護」が備わっている...微弱ではあれど、「影」とは対照的な癒しの力だ。

「感謝します。母上」

ブラストは言った。

「母上の庇護なくば、姫君にも害を加えてしまったかも知れません。」

「いいえ、あなたはエレナを傷つけようとはしていなかったわ...私が加護の力を使うまで、理性を保って耐えていた。素晴らしい成長だわ。」

「ですが、あともう少し遅ければどうなっていたか...母上のお陰です。」

「ブラスト...」

フェリーナはブラストの背を撫でた。

ただひとり“影”の宿命を背負ってしまったブラスト...力に怯え、自ら国を去ることを選んだ哀しき王子──

「もっと自信を持ちなさい。エレナを護りたいと思うあなたの意思は真実のもの。この数日間、極光の波動が増しているのも、ローゼがあなたの帰還を喜び、祝福しているからに他ならないわ。」

「祝福?」

「そう、光は望んでいる...あなたが幸せになることを。」


──そなたは、前に進まねばならぬ...


声がそっと囁きかける...

窓から夜空を見上げると、不規則にうねる光の波が輝いていた。光は常に味方であり続ける...だからこそ、その警鐘は眉唾などではないのだ。



「落ち着かれたかな?」

ガレスは静かに尋ねた。ゴブレットに注がれた温かい山羊の乳を、エレネーゼが泣きながら飲み干すのを見計らっての後だった。

「歓迎の宴が台無しになった...驚かせてしまったな。」

ゴブレットをテーブルに置き、エレネーゼが視線を合わせる。翡翠色の瞳が潤んでおり、薔薇色の唇が震えていた。

「ブラストに何が起きたのですか?」

怯えた声でエレネーゼは尋ねた。

「さっきまで、とても元気だったのに...」

疑問はもっともだとガレスは思った。

見知らぬ国に来て早々、頼りのブラストが倒れてしまっては無理もない。

「息子の名誉のために述べるが、ブラストは至って健全だ。あれは一時的な...言わば発作の様なもの。五体への影響は全くない。」

「発作?」

「オーガナイトの直系には大なり小なりその傾向がある...影の力が原因と伝えられている。」

「影とはブラストの肌にある痣のことですか?」

「いかにも。痣は古の王から受け継がれしオーガナイトの標...子々孫々、形を変えては現れ続けて来た。代々薄れ、我が身に至っては痕跡すら無いが、ブラストにはより濃く現れている,,,それ故、反応が強く出たのかも知れぬ。」

「あんなに苦しむなんて...ブラストが可哀想...」

エレネーゼがまた泣き出した。大きな目から涙が溢れる...本当にブラストを思っているのだろう...

…王女を泣き止ませられるのは、ブラストだけに違いない。

ガレスは口角を上げた。王子は良い出会いを果たした...ボルドーへの旅は、意義あるものとなったのだ。

「案ずる事はない。禊を終えれば事は済み、地上に降りれば杞憂は消える。」

「でも、彼は王子です。いつかはサンザスの国王に帰らなければならないわ。」

「確かに。だがそれ故に、ブラストはメーヴェの城に向かわねばならぬ。オーガの罪を滅するために。」

「オーガの罪?」

「我らは古の残滓を継ぐ者だ。影の力と光の加護に守られし一族の末裔...王家に生まれたからには、その宿命から逃れることはできぬ。特に、力の継承を授かった者には過酷な試練が課せられる。」

「...試練?」

エレネーゼが目を見開き、俄かに虚空を見つめた。

「どうされた?」

「昨夜、声を聞いたわ...力を継ぐ者の試練は過酷...その者だけではなく、対となる者にも災いをもたらす...」

「声?」

「少女の様な美しい声だった...耳元で囁いていた...私が相応しい者か否か、その決意が試されるだろう...って」

…少女の囁き?

ガレスは驚き、エレネーゼを瞠目した。

その声が聞くことができるのはサンザスでもフェリーナ唯ひとり。何故、メルトワの王女にそれが聞こえたのだろうか?

「ブラストにはもう伝えたのかね?」

「いいえ、たった今思い出したところです。」

「…なるほど。」

ガレスは唸り、眉を寄せた。

…極光のざわめきは予兆であったのかも知れぬ...であれば、「影」も近くに居るということだ。

囁きは幻聴ではない。ブラストはすでに結婚の意思を固めている。己に如何なる火の粉が降り掛かろうとも、躊躇うことはしないだろう。されど、エレネーゼに災が及ぶとなれば話は別だ.。

「声の言う通りであれば、いかがする?」

ガレスは訊いた。

「何が起こるかわからない...結婚を望むか、諦めるか、今なら、まだ選択の余地がある。」

「諦める?」

エレネーゼは驚き声を上げた。

「陛下は、それをお望みなのですか?」

「そうではない。ただ、声の導きは警鐘...異国より遥々訪れた姫君を、みすみす危険な目に遭わせるのは忍びないと...」

「選択の余地などありません。私はブラストを愛しています。どんな試練も宿命も、私から彼を引き離す理由にはならないわ!」

「姫君...」

「そのお話はどうかご内密に...ブラストが結婚を躊躇わない様に...お願いです、陛下。」

王女の瞳に光が宿る──

真昼の日差しを思わせる、明るく眩しい光だった。

…この乙女こそ、我らにとっての希望となるやも知れぬ。

「願うまでもない。」

ガレスは告げた。

「むしろ、私のほうが願わねばならぬ。春をもたらす麗しの姫よ。どうかブラストの支えとなって欲しい。そなたこそ、王子の妃に相応しい者だ。」

ガレスは国王らしく、威厳ある口調で言った。

エレネーゼの頬が薔薇色に染まる...笑顔を浮かべ、嬉々として答えた。

「はい、喜んで。」


フェリーナは最後の加護をブラストに与え、少しの苦痛も残さぬよう、慎重に影の暴走を取り除いた。

我が身に宿る古の力──光の雫、ローゼの加護がブラストを救う手段なのは明らかだった。これほどまでに激しい反応は初めてだったが、過去に小さな現象を幾度も目にしていたのだ。

…こんなにも不安を感じるの?

自分との結婚を決めた際、ガレスもメーヴェの城に行き「試練」を経験した。彼はその間のことを憶えていないと言うが、苦痛を感じる様なものではなかったと打ち明けてくれた。

…それは彼が証を持たない者だったからかも知れない。

力の継承がなければ「影」の影響はさほど受けない...されど、ブラストは...

「姫君のところに行きます。」

ブラストはベッドを離れ、フェリーナの手をとった。

「彼女に説明せねばなりません。明日には太陽が隠れる...「蝕」が始まる前に、メーヴェの城に行かなくてはならない。」

「蝕ですって⁉︎」

フェリーナは驚き、声を上げた。

「それは...真実なの?」

「はい。今宵は極光の波がより強く輝いています。乗じて、“対”である影の力も増している...エレナは私に名を呼ぶことを許しました。“対”となった彼女に、影が悪しき力を課すやも知れない...」

「ブラスト...」

「急ぎましょう。母上」

ブラストは寝室を出て小広間に向かった。途中、禊用の身支度を整えるよう従者に命じて足早に進む。

エレネーゼに会いたかった。抱きしめ、キスを交わし、愛の言葉を語りたい。

「エレナ」

小広間の帷を開き、ブラストは室内に入った。呼びかけに、ガレスと向かい合っていたエレネーゼが振り返る…瞳を潤ませると、両手を差し出し歩み寄った。

「ブラスト!」

抱き締め合い、頬を寄せる..涙を流す.エレネーゼに、ブラストは優しく言った。

「泣かないで...もう心配はいらない。」

「本当に?」

「医者が言うのだから間違いないさ。」

「もうどこも痛くないの?」

「感じるのは君を泣かせてしまった罪の意識だけだ。」

「私がブラストを苦しめているの?」

「そうだ...だから罪を許して笑顔になってくれないか?」

「それにはあなたの誠意が必要よ。」

「どのような誠意をご希望ですか?」

「キス...」

エレネーゼが顔を上げて瞼を閉じた。応えてブラストがそっと唇を重ねる。少し長いキスだった。

顔が離れて瞳が合うと、エレネーゼは微笑を浮かべた。胸に顔を埋めて身体を寄せる...柔らかな感触に、心から幸せを感じた。

「今から私の言うことをしっかりと聞いて欲しい。」

ブラストは言った。

「君と夫婦になるため、私は今夜中に「禊」を行う。その場所は太古の城──力を継承する者にしか開かれない、氷の扉の向こう側にある。」

「...扉?」

「前に話したね?影の伝説ことを。」

「憶えているわ。」

「今しがたの事象ははオーガの残した罪の残滓、つまりは「試練」だ。「禊」すでに始まっている...本来であれば扉の向こうで収めるべき試練が外界で起きてしまった...私の持つ影の力が大き過ぎるために。」

「...ブラスト?」

「父上、私は今夜中にメーヴェに行きます。陽が昇れば「蝕」が始まる...時間がありません。」

「...蝕?」

「影の力が増大すれば、サンザス全体にに災いの火の粉が降りかかる...その前に、抑止するべきです。」

「...真の話か?フェリーナ」

ガレスは歩み寄って来たフェリーナに尋ねた。フェリーナは困惑気味に頷き、ガレスの胸にそっと頭を乗せた。

「お支度の準備が整いましてございます。」

従者が跪き、報告する。

サンザス語を知らないエレネーゼには、ブラストとガレスの会話が理解できなかった。それでも、国王夫妻の表情とブラストの真剣な眼差しを見れば、深刻な状況であることくらいは解る...エレネーゼはブラストの瞳をじっと見つめた。

「何故そんな目をするの?」

「エレナ...」

「答えて...ブラスト。」

ブラストは目を眇めた。

まるで降り注ぐ陽の光の様に、眩しく美しい“麗しの王女”...

「すぐに発つが、待っていてくれるね?」

そう告げるブラストの眼差しは優しかった。そのまま抱きしめられ口を塞がれる...

エレネーゼが答える前に、彼は踵を返して背を向けた。毅然としたその姿は、まさしく王子に相応しい、威厳に満ちたものだった。



つづく






























































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