試練
明るい光で目が覚める──
間近で、とてもいい香りがしていた。
よくぞ来た...“麗しの王女”よ。
澄んだ声に誘われ、ゆっくり瞼を開いて光を見つめた。
そなたは自ら望んでこの地を訪れた。
無知で向こう水──されど、愚かしいほど勇敢だ。
「褒めてるのかけなしているのか分からないわ。」
エレネーゼは文句を言った。すると光が耳元で笑い、冷たい風が頬を撫でる…
褒めているのだ。そなたは「影」を見ても怯まなかった..大抵の者は、悲鳴を上げると言うに。
「...影?ブラストの痣のこと?」
「そうとも。あれほど濃く現れるのは稀...ゆえにあの子は諦めていた。自分に相応しい「対」は現れぬであろうと。
「対?」
力を継ぐ者の「試練」は過酷...
その者だけではなく、対となる者にも災いをもたらす。
そなたが相応しい者か否か──
その決意が試されるだろう。
「決意は変わらない。ブラストが誰で、どんなに辛い試練が待ち受けようと、彼を愛し続けるわ。」
勇ましいことだ。その言葉、決して忘れまいぞ。
そう告げると、光は静かに消え去った。
視界が闇に覆われる──
エレネーゼは再び眠りの中に引戻された。心地良い香りだけが微かに残された。
良い香り...
エレネーゼは瞼を開いて頭上を見上げた。
窓際に真っ白な薔薇が飾られていて、眩しい日差しを浴びながら、そよ風を受けて揺れている...
「ここはどこ?」
身体を起こして周囲に視線を巡らした。天井から垂れ下がった深紅の帷の向こうで、一瞬気配を感じる。声をかけ様としたが、その姿は見えなかった。
ゆっくり立ち上がり、ぼんやりと昨夜の出来事を思い出した。
「お着替えをしましょう…」
そんな声を聞いたような気がする…疲労と眠さで記憶が曖昧だった。
「私、サンザスにいるんだわ…」
窓辺に近づき、わずかに開かれた隙間から外を覗くと、雪に覆われた山々が目に入った。眼下には広陵とした大草原が広がっており、騎乗した騎士達が集まっている。
「ブラスト?」
円陣で囲んだ中央にブラストがいる...二人の騎士が長で、剣と縦を手にして戦っているところだった。
メルトワでも騎士の訓練は頻繁に行われている。模擬戦は貴族に人気のある余興であるし、殿方はいつも賭けをして、野蛮な行為に夢中なのだった。
「ああ、でもやっぱりブラストは素敵…」
興味を引くのはブラストの装備で、武具はボルドーにいる時とはまるで別の華美なものだった。
「あなたがこの国の王子である証拠ね...」
ブラストのところに行きたいと思い、服を探したものの、持ってきた荷物が見当たらない。シュミーズ一枚では部屋を出ることも出来ず、途方に暮れるしかなかった。
「お目覚めかしら?」
扉の外から声が聞こえた。
「ええ。」と答えると扉が開き、美しい貴婦人が現れた。
二人の侍女を連れており、微笑みながらゆっくりと歩み寄る。
「まあ、お顔の色が良くなったわ...昨夜は酷くやつれていて、とても心配だったの。」
「昨夜は酷く疲れていたので...眠ってしまったことにすら気づかなかったの。着替えをしたのも、ぼんやり覚えている程度で…」
「無理もないわ。平地の騎士でも峠を越えるのは難しい…ここまで耐えるなんて素晴らしいことだわ。」
貴婦人は控えている侍女に目配せして、エレネーゼが持参したドレスをベッドの上に置かせた。
「ところで、ブラストから渡された荷物の中にあったのはこの一枚だけなのだけれど.他にはないの?」
「そうよ、荷物を軽くするために少なくしたの。何枚も必要ないと思ったから…」
「それは無茶だわ。立派なドレスだけれど、ずっと着ているわけにはいかないでしょう?」
「ええ、まあ…」
出発の準備をする際、シュナーベルにも同じ忠告を受けた。それでもブラストの負担になるのが嫌で、荷物を勝手に減らしてしまったのだ。
「説明が不十分だったのが原因ね。もう少し気を使いなさいと注意しておいたわ。あの子は気持ちは優しいけれど、やはり女性の事情は測れないのだわ。」
「…あの子?」
エレネーゼは貴婦人を見つめた。
気品に満ちた美しい女性...そう言えば、昨夜声を掛けてくれたのも、この女性だった。
「あの…あなたは誰なの?」
エレネーゼの問いかけに、貴婦人は微笑みを浮かべた。
「私はフェリーナ。ブラストの母です。」
フェリーナはそう言うと、エレネーゼの手を握った。
「ようこそ、メルトワのお方。」
「ブラストのお母様?」
「ええ。」
「では…王妃様?」
フェリーナが頷くと、エレネーゼは身を引いて後ずさった。シュミーズ姿という最低の状態ではあったが、深く膝を折って会釈をする。
「ご無礼をお許しください。私はメルトワ国王ユリウスの娘、第六王女のエレネーゼです。」
「詳しい事は、昨夜ブラストに聞きました。お会いできて嬉しいわ。」
「こちらこそ光栄です、王妃様。」
手の温もりを感じながら、エレネーゼは美しく微笑んだ。勅使の大義は半ば強引なこじつけでも、メルトワの使者であることは真実だ。国交を担う大切な役目をしっかりと果たさねばならなかった。
「まずは、お支度から始めましょう。」
フェリーナは控えている侍女達にサンザス語で指示を出した。すぐに大きな木桶が持ち込まれ、召使い達によって湯が注がれる。
「騎士の遊戯もそろそろお終いの様よ…旅の汚れを落としたら、皆で食事をとりましょう。」
「はい、ご厚意に感謝いたします。」
「皆」というからには、国王も同席するに違いない。メルトワの王女として、今度こそ印象を良く見せなくてはならなかった。
父上と対峙するのは何年ぶりだろう──
馬上で剣を交えながらブラストは思った。
医術を学ぶと称して逃げる様にボルドーを目指したあの日、二度とサンザスの土は踏むまいと決意したはずが、どう言うわけか此処にいる...
王子でありながら、祖国を離れたいと望んだのには理由があった。生まれながらの『力』───その存在に、底知れぬ恐れを抱いていたからだ。
先代の誰より濃く刻まれた「影」の片鱗は太古の忌まわしき伝説に由来する…それは常に、ブラスの心を苦しめていた。
「力を善き行いに使いなさい。」
母は告げた。
「宙に近づかねば、恐れることはないのです。」
天へと聳えるメーヴェの山々──その永久凍土に閉された古き城は、サンザスに伝わる神秘の力の源だった。
母の言葉と裏腹に、されど光が囁きかける。
「お前は前に進まねばならぬ」と。
「「対」となる者が現れなければ、継承を絶すことができましょうか?」
ブラストは問うた。不安と恐怖をもう誰にも担わせたくない.…その想いからだった。
「あなたの父上は「影の証」を受け継がなかった…そして、それはセネバも同じです。」
「影の証」は決して全ての者に継承されるわけではない。
それが答えだった。
少なくとも、山々から遠く離れれば力は弱まり、畏怖は払拭される──だから、ボルドーの医学者であるエルナドを指示し学徒となる道を選んだ。
結果的に「医師」として働く日々は尊い。
皮肉にも「力」は人々の病の発見に大いに役立ち、良い仲間たちにも恵まれた。
──だが、姫君は?
「王女様がお目覚めです。」
ファリーナの伝令係がやって来てガレスの従者に伝えた。..従者が動き、ガレスに伝令を告げる。
「客人が目覚めたようだ。そろそろ城に戻ろう。」
ブラストは小高い丘の上に視線を移した。なかなか目覚めないエレネーゼが心配だったが、回復したのだろうか...?
「歓迎会を開くぞ。皆、大広間に集まれ。」
ガレスの声掛けに、集まっていた騎士達が一斉に馬に跨った。彼らは王子の帰還を大いに喜び「花嫁」を連れ帰ったと湧き立っている。エレネーゼが自分たちの上に立つ者である事を確信しているからだった。
「ブラスト…」
階段を降りながら歩み寄るエレネーゼの姿にブラストは目を見張った。
花の様なドレスに身を包んだ王女が微笑んでいる...金糸の髪に冠を乗せ、天窓から差し込む日差しを浴びて光輝いていた。
ブラストは自ら歩み寄って手を差し出した。エレネーゼがそれを受け取り、そっと身を寄せブラストの肩に頭を乗せる。
「どこか痛むところは?」
ブラストは小声で尋ねた。
「違和感はありませんか?」
「ブラストったら、まるで侍医みたい...」
「私は医者ですからね。」
「他に言うことはないの?」
「おはようございます…ですか?」
「不正解。」
「では...何と?」
呆れて見上げると、ブラストは悪戯っぽく微笑んでいた。わからないふりで揶揄っているらしい...
「酷い...オーガナイト先生はもっと優しいわ。あなたは誰?」
「一応、王子と呼ばれています。麗しの姫君。」
「王子様になると、人格が変わってしまうの?」
「そう見えますか?」
「そうよ。」
「それは問題ですね...」
ブラストは反省を装いつつ、王女の手をとった。今日のエレネーゼはひときわ美しい...着ているドレスのせいだろうか?
「これ以上、私を誘惑しないで下さい。」
「…そんなに魅力的?」
「もちろんです。」
「貴方も素敵よ。」
「それは光栄ですね。」
二人の様子に、我慢できなくなった騎士達が揶揄を飛ばした。
階上で見ていたガレスとフェリーナも顔を見合わせて目を細める...
高地の国の春の訪れに、歓びの拍手が湧き起こった。
大広間に家臣が集まり、たくさんの目がエレネーゼを見つめていた。
壇上に置かれた玉座の脇にエレネーゼが座っている…淡い紅色のドレスを着た若い王女は可憐そのもので、その美しさに、誰もが溜息を吐くほどだった。
「国王陛下のおなり!」
その声に、エレネーゼは顔を上げた。
国王夫妻が揃って入場し、その後にブラストが続く…王と王妃は壇上の玉座の前に立ったが、座る直前、予期せぬことが起きた。
「国王」が王妃に恭しく首を垂れ、まるで家臣であるかのように振る舞ったのだ。
エレネーゼは首を傾げた。
…王妃様と並んでいるのはブラストのお父様のはず...あの方が国王陛下ではないの?
考えているうちに、ブラストが自分の傍に立った。そのまま玉座にフェリーナが着き、ついで、謎の男性が隣に座る…
「昨夜、嬉しいことが起こりました。」
フェリーナは穏やかな口調で口火を切った。
「王子が帰って来たのです。遠方の国、メルトワ国のお客人を連れて…」
賞賛の声が溢れる...いっせいに王子とエレネーゼに視線が集中した。
「そのお方は、エレネーゼ王女。サンザスとメルトワとの国交のため、自ら友好の使者としてお越しくださいました。ユリウス王より賜った親書によれば、ブラストとエレネーゼ王女の婚姻をお望みであり、二人の婚姻を通じ、両国の絆を強固なものとしたいとの旨が記されています。」
驚きの声が聞こえる…
淑やかに俯くエレネーゼだったが、言葉は何一つ理解できていなかった。判ったのはフェリーナが女王だったこと...まだ対面をしていないけれど、あの強そうな男性がブラストのお父上に違いないということだけだ。
…不便だわ。
せめてボルドー語を学ぶべきだったと後悔していた。シュナーベルはボルドー語の他にルポワド語も話せる…母クロウディアの故郷がルポワドであるため、幼い頃から学んでいたからだ。
…ブラストの妃になるためには、多国語を勉強しなくてはいけないわ。
自分の無知が嫌になり、エレネーゼは小さく溜息を吐いた。落胆しているうちにフェリーナの話が終わってしまったが、ブラストの手が肩に置かれるまで、そのことにすら気づかなかった。
「申し遅れましたが、私の父、ガレスです。」
大柄な騎士を前にブラストは言った。
見上げる王女の目線に合わせようと騎士が軽く膝を折る...太く低い声で、ガレスは自分の名を告げた。
「我が名はガレス。サンザスの騎士です。ようこそ来られました、メルトワの姫君。」
ガレスがメルトワ語で話したので、エレネーゼは救われる思いで胸に手を置いた。
「お会いできて光栄です。メルトワの言葉が通じるなんて感激ですわ。」
「解りますぞ…言葉が通じないと言うのは不便なもの...もっとも、メルトワ語はあまり得意ではないのだが...」
「いいえ、とてもお上手です。ちゃんと通じていますもの。」
「世辞とて嬉しいお言葉だ。」
「お世辞など申しません。事実ですわ。」
「参りましたな…」
表情を和らげるガレスを見て、ブラストは胸が熱くなった。父はどうやら姫君に懐柔されたらしい…娘を持った経験がないためか、とても斬新な気持ちなのだろう。
「…ガレス。」
フェリーナが横槍を入れた。
「あなた、肝心な事を言っていないわ。」
「何のことだ?」
ガレスがフェリーナと向き合う。お互い見つめ合うも、フェリーナがエレネーゼのほうに視線を移した。
「お間違いにならないでね。サンザスの王はガレスですから。」
「…え?」
「彼こそが、正当なるオーガナイトの直系なのです。」
「…ええ?」
「いや、私より君の方が王に相応しい。君は光の加護を受けているが、私は影の証が無いのだから。」
「そういう問題ではありません。」
フェリーナはピシャリとガレスを嗜めた。
「国王らしくして下さらないと、民が不安に思います。」
「君がしっかりしているから問題なかろう。」
「もう、ガレス...」
「私は騎士だ。政治には向かない。」
口論する二人を、エレネーゼは交互に見やった。気づけばブラストが肩を震わせて笑っている...可笑しくて堪らない様子だ。
「どう言うことなの?」
王冠を乗せているというのに、ガレスとフェリーナは王位を譲り合って言い争いをしている…ブラストはそれを面白がって止めもしない。
エレネーゼは笑っているブラストをしげしげと見つめた。
今は王子という立場だが、ボルドーでの彼は一階の騎士だ。医師として忙しく働き、国に貢献している。同様に、ガレスも王位より騎士であることに誇りを持っているのかも知れない。
…ブラストはどうするつもりなのかしら?
「禊」というものを終わらせれば、彼はすぐにボルドーに帰るつもりだ。
「いつまでも仲間達に仕事を任せているわけにはいきません。」
それが、彼の偽らざる心情なのだから…
エレネーゼの歓迎会は夕刻まで続いた。
王子と王女を囲んでの宴は賑やかで、演奏会やダンス、芝居などが次々に披露される...美味しい食事とエールも気前よくふるまわれ、それは城の外にいる民衆にも等しく分け与えられたのだった。
日暮が間近になり、宴たけなわの騎士達が羽目を外して騒ぎ始めると、少し行き過ぎと感じたガレスが嗜めつつ閉会と退去を命じる。
さすがに国王の静止を無視できない騎士達は、酔い潰れた仲間を背負い、それぞれの場所に帰って行った。
「ああ、楽しかった…」
幻想的な黄昏の空を見上げながらエレネーゼは言った。
「こんなに楽しい宴は初めて…メルトワの舞踏会とは大違いよ。ずっと笑いっぱなしだったもの。」
眺めの良い場所に置かれたベンチでブラストに寄り添って座っていた。やっと二人きりになれたので、エレネーゼは上機嫌だった。
「以前は舞踏会の華であったと、ブラドル殿下が申されていましたが?」
ブラストは言った。
「それに比べれば、田舎の宴などつまらないのでは?」
「それは私が王女だからだわ...単なる媚びよ。」
エレネーゼは視線を膝の上に落とすと、肩をすくめる。
「それに、その話はしたくないわ。」
「余計なことを言いました...申し訳ありません。」
ブラストの謝罪に、エレネーゼはブラストに顔を向けた。じっと見つめて口を尖らせる...
「その話し方、もう止めて欲しいわ。」
「話し方?」
「もう許嫁なのだから、敬語を使う必要はないでしょう?」
「姫君...」
「もう姫君じゃなくて...」
「では、何と?」
ブラストは尋ねて、エレネーゼの答えを待った。
「エレナ...と」
エレネーゼは答え、顔を近くに寄せた。
夕日に頬が紅く染まっている…ブラストは目を細め、愛おしげに見つめ返した。
名を呼べばすべてが始まる──騎士と姫君ではなく、エレネーゼは真の『対』となる。
ブラストが口を開こうとした時、日が沈み、闇が訪れた。
直後、ブラストの背に激痛が走った。焼けるような痛みに、思わず呻き声を漏らしてうずくまる。
「どうしたの?」
異変に気づいたエレネーゼがブラストの顔を覗き込んだ。
「エレナ…」
ブラストは喘ぎながらその名を呼んだ。
「離れて下さい...さあ早く!」
「ブラスト…ブラスト!」
痛みに喘ぐブラストをどうすることもできず、エレネーゼは泣きながら助けを呼んだ。やがて、王女の悲痛な叫びで異変に気づいた人々が駆け寄り始める...
影の力を受け継ぐ者は「試練」に耐えねばならぬ───
暗闇に立つエーガは、憮然として、その様子に目を凝らした。
つづく




