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王女と王子

朝日が昇る前には自室に戻り、仲間たちが置いていった診療の記録に目を通した。

積み上がる記述の山を見れば、昨日もいかに患者の数が多かったか判る…自分が不在だった分、仲間たちは相当、忙しかったに違いない。

「姫君との時間を作らねばならないな…」

ブラストはどの任務を削るか思案した。

滞在中は毎日、ボルドー語を教える約束だ。

「姫君が辞退しなければ…だが。」

オーガナイトの名の由来と継承の証…その事実を知ったエレネーゼの反応は顕著だった。驚きと動揺、そして複雑な胸中が、その表情に浮かんでいた。

「姫君の気持ちが冷めるのであれば、それはそれで仕方がない。」

深夜まで過ごした後、今朝は顔を見ずに館を出た。

手紙を託しておいたが、エレネーゼが約束に応じるか否かは分からない…

「とにかく、仕事を片付けよう。」

朝日が登れば患者が押し寄せる...その前に、一通り病状を把握しておく必要がある。

「ブラスト様...」

机に向かうと、扉の向こうで声がした。それはカルシュの声で、おそらく主の帰還を知って駆けつけたに違いなかった。

「入りなさい。」

ブラストが応えると、少年が姿を見せて歩み寄る。

「お帰りなさいませ。気づくのが遅れてしまいました...申しわけありません。」

「構わないよ。世が明けるまで起こすつもりはなかったんだが...」

「昨夜はお戻りにならなかったので、宿舎にて仮眠をとらせていただいておりました…何かお役に立てる事がありますでしょうか?」 「そうだね、厨房に行って朝食になりそうな物を探して持ってきて貰えると助かるな。時間までここで仕事をしていたんだ。」

「はい!すぐにご用意いたします」

カルシュは山積みにされた書類をチラと見やって頷いた。

いつもながら我が主人は多忙を極めている…一国の王子だと言うのに働いてばかりだ…

…本来であれば、民を統べるご身分なのに…

サンザスの民がボルドーに来るのは希なことで、自分がこの場に居るのも、一重に王子の恩恵によるものだった。残念ながら医学を会得するほどの頭脳はないが、せめて「斜陽の騎士」のような一流の騎士になりたい。

「何とか、良い食べ物をかき集めよう!」

少年は決意を固めた。

厨房係と交渉を成立させることが大切。厨房係を上手く口説こう。



「ブラストは王子だったの。」

エレネーゼが告げた。

「サンザス国…あの山々のどこかに、彼の国があるのですって。」

妹の第一声は意表を突くものだった。秘密裏に調査を進め、いま少し少し深く追求せんとしていただけに、ブラドルは驚きを隠せなかった。

「オーガナイトが自ら語ったのか?」

エレネーゼを唖然と見つめる...シュナーベルも隣で目を丸めていた。

「そうよ、昨夜、全て話してくれたわ。ブラストはサンザスという小国の第一王子で、ボルドーに騎士として帰属しているのだと。」

「オーガナイト先生が…王子様?」

シュナーベルがヨルムドを見やる…ヨルムドは表情を変えず、無言で妻を見つめ返した。

「王子と王女なら、身分の違いはないと思います。お兄様。」

「エレナ…」

「お兄様は、以前からその事実をご存知だったの?」

「知ったのは最近だが…」

「では、私は彼の妻になれるわね?」

「そう答えを急ぐな。」

ブラドルは渋面になって言った。

「昨夜そなたとブラストに何があったのかは知らぬ…が、言い切るからには、オーガナイトが結婚について肯定したと捉えて良いのか?」

「私達はキスをしたし、ブラストは結婚の準備を始めると

言ってくれた…もう心は一つよ…」

「まあ...」

エレネーゼの告白に、シュナーベルが頬を赤らめた。ブラドルも咳払いし、グラスの果実酒に手を伸ばす。

「その発言は僕の胸に納めておこう...オーガナイトの名誉のためにもな。」

…お兄様の仰る通りよ。

シュナーベルは再び夫に視線を移した。会話に干渉することなく、淡々と食事を口に運ぶヨルムド…彼とて、赤裸々な事実を晒されたくははないはずだ。

「私に異論はないが、父上が首を縦に振るとは限らないぞ。」

ブラドルは告げた。

「サンザスは謎多き国だ…僕ですらその存在を知らなかった。過去にはたった一人の騎士が訪れた事があるらしいが、それも伝承に過ぎない…メルトワ人がその地に足を踏み入れた記録は一度もなく、故に、誰もその王国を見た者はいないのだ…」

エレネーゼは押し黙った。解っているのはブラストが語った伝説と継承の証だけ…あの不思議な形の痣を見て、ユリウスとクロウディアはどう思うのだろう…

「彼の故郷がどんな国でも、ブラストの行いは褒めて下さったわ。」

「そうね…お父様もお母様も私も、とても感謝しているわ。」

シュナーベルはエレネーゼを援護した。兄の意見を否定するつもりはないが、ブラストの貢献に対し、両親が厳しい判断を下すとは思えなかった。

「サンザスがどんな国なのか、私が直に見極めるわ。」

エレネーゼは言った。

「ブラストが言っていたの。結婚するためには、国に戻って儀式を受けなければならないって…私、ブラストが遠い場所に行ってしまうなんて嫌…メルトワに戻って彼が来るのを待ち侘びるなんて耐えられない。それなら、いっそメルトワの勅使として、私がサンザスの王に会いに行けば良いわ。ブラストと一緒に。」

「サンザスに、そなたが⁉︎」

ブラドルは声を上げた。これにはヨルムドもさすがに反応して顔を向ける…とんでもない発想だ。

「提案はオーガナイトに伝えたのか?」

エレネーゼは首を横に振った。真実を知って混乱し、そこで話が終わってしまったのだ。

…ブラストは私を誤解したかもしれないわ。

もしそうだとしたら、早く会って「違う」と伝えたい…

「とにかく、オーガナイトと話さねばならぬ…詳しい決め事はそれからだ。」

エレネーゼに釘を刺しつつ、ブラドルは腕を組んで思案した。

昨夜、ブラストに伝えた言葉は真意であり、国王も王妃もすでに承知してはいる…奔放で我儘な末の王女を他国の王家に、まして、ブラストに嫁がせられるなら、これ以上の良縁はないだろう。

「ヨルムド、そなたも立ち会ってくれ。」

「御意に、殿下。」

「よし…早速出かけよう。」

王子が席を立つと、ヨルムドもそれに従った。

「行って来る。」

シュナーベルの頬にそっと触れると、ルムドが広間を出ていく…本来なら一緒に行くところだが、今は勉学より、体の安静を第一に考えるべき時だった。

「ヨルムドは優しいのね。」

姉と二人きりになると、エレネーゼはため息を吐いた。

「羨ましい…」

シュナーベルは目を細めて微笑み、金糸の髪を優しく撫でた…



「なんだ、もう任務復活か?」

診療室に姿を現したブラストを見て、パルシャが意味ありげに言った。

「昨夜はヨルムドの館に泊まったそうじゃないか…それで、姫君の機嫌は治ったのか?」

揶揄混じりの夫の口調にアイリが目を丸めた。悪意はないものの、心優しいブラストに対して、少し配慮が足りないのでは…

「いや…今日も少し時間を貰うことになる。滞在中にボルドー語を教える約束をしたんだ。」

「ボルドー語を?」

「ああ、物の名称や簡単な会話を教えようと思う。」

「やる気は?」

「頑張るそうだ。」

「ほう…」

パルシャは顎を上げた。行動力はありそうな王女だけに、この勢いで留学を実現させるかもしれない。

「昼下がりまでは触診を中心にするつもりだ。必要なら昨日の患者も診よう。当分はヴァイデとシムトの手を借りねばならないが、よろしく頼むよ。」

「任せておけ、俺は野暮はせん。」

パルシャが太鼓判を押すと、ブラストは笑顔で頭を下げた。踵を返し診療室に入る…脇には沢山の羊皮紙を抱えていた。

「王女様がオーガナイト先生に夢中になる気持ち…よく解るわ。」

ブラストの後ろ姿を見つめながらアイリが呟いた。

「本当にお優しい方…素敵。」

「…は」

パルシャが眉根を寄せて妻を覗き見る。

「なんと言った?」

訝しげな夫に、アイリは笑顔で寄り添った。少し厳しいけれど慈しみ深い「霧氷の騎士」はブラストとは全く人種が違う…

「あなたは素敵だと言ったのです。」

アイリの言葉に、パルシャの表情が緩んだ。妻は本当に油断ならない…ともすると、気持ちの制御が効かなくなる…

「当然だ。」

自信満々に答え、そっと妻の手を握った。


エレネーゼとの約束の時刻が近づくと、ブラストはシムトとヴァイデに診療を引き継ぎ、足早にエントランスへと向かった。

美しく整地された庭園を横目に、歩道を歩く...馬を出すようカルシュに頼んでおいたので、すでに広場で待っているはずだ。

「斜陽…」

しかし、そこにいたのは、ヨルムドだった。

「殿下と陛下がお待ちだ。」と、唐突に告げる。

「お召し?」

ブラストは反問した。

「用件は何だろうか?」

「大切な話があるそうだ。詳しくはお二人に伺うといい。」

「姫君との約束があるのだが…」

「ここにいた少年に、館へ行くよう伝えた。姫君はまもなくこちらにおいでになるだろう。」

ヨルムドが穏やかな口調で告げる。

「感謝する。」

ブラストは胸を撫で下ろした。エレネーゼが来るのであれば特に 問題はなさそうだ。

王城の中央階段を上がり、二人の近衞が立つ入口を抜けて、さらに奥へと進む。目的地はリザエナの居室であるようだった。そこは一介の騎士が滅多に足を踏み入れない部屋。例外は「曙光の騎士」エルナドと宮廷歌人ヴァルダーの二人で、彼らはリザエナの側近中の側近なのだった。

「エストナド卿のおなり!」

小姓が声を上げる。すぐに扉が開かれ、ヨルムドがブラストを促した。紺色の布ばりの椅子に座したリザエナと、ブラドル王子が揃ってこちらを見つめている。リザエナの脇には、曙光の騎士が立っていた。

ブラストは数歩前に進み出ると、その場に跪いた。ヨルムドが脇を通り過ぎ、ブラドルの隣に立ったのを見計らって、口を開いた。

「オーガナイト、参りました。」

「多忙のようだな...ブラスト。」

リザエナは前置きなしに尋ねた。

「日々、城内には病人や怪我人が絶えぬ…医師はまあ、他にも居るが、そなたへの信頼が厚いせいもあって、患者が殺到しているとエルナドに聞き及んでいる…ご苦労なことだな。」

「...いえ、私一人では収めるなど無理な事です。ロッドバルト卿をはじめ、仲間の尽力により、任務が成り立っている次第です。」

「曙光の部下は優秀な者ばかりゆえ、治療においては誰もが重要ではあるが、そなたの触診は特別...代わりは居らぬ。決して無理はするなよ。」

「お心遣い感謝します。」

ブラストは微笑を浮かべた。

「曙光」配下の騎士達が様々な研究を続けられるのは、リザエナの理解あっての賜物だ。自身も薬学の知識を持ち、必要性を熟知しているからこそ、ボルドーの医学は他国よりも進んでいる。

「妹のことで、気持ちを煩わせてすまないな...」

続けて、ブラドルが言った。

「エレナに泣きつかれて訪問を許したものの、やはり面倒なことばかり言い出し困っている...そなたをこれ以上巻き込みたくはないのだが、避けられない事態になってしまっているのだ。」

「避けられない事態...でありますか?」

「うむ、今朝、妹はそなたと結婚すると断言した。決意の理由は、そなたの身分が自分に“相応であるから“と主張している。細かな言い訳は省くが、僕も以前からそのことは把握しており、そなたが私の義兄弟となることを望んでいた。」

…それが、疑問の答えか。

ブラストは納得した。バラガンダ掃討作戦の前夜、ブラドルが打ち明けたメルトワの衝撃的な真実...その忌まわしき過去を、異国人である自分に何故打ち明けたのか不思議だった。

「真にそなたがサンザスの王子であれば、メルトワ王家はこの婚姻を歓迎する...早急ではあるが、この件について、そなたの考えを聞かせて欲しい。」

…考えというより、明確な答えでは?

姫君を愛しています...その告白で終われば、どんなに楽であろうか...

「恐れながら。」

ブラストは答えた。

「私がサンザスの王位継承者である事は事実...そのことに相違ありません。それゆえ、他国の王女との婚姻となれば国の大事...国王の許しを得る必要があります。」

「その通りだ。」

リザエナが静かに告げる。

「王女との結婚を望むなら、サンザスに帰国する必要があろう?」

「…いかにも」

「そのつもりはあるのか?」

「勿論です。」

「ほう。」

即答するブラストに、リザエナが思わず声を上げた。どうやら王女との間柄はすでに深まっているらしい...

「では、ここからが本題だ。」

ブラドルが身を乗り出した。片膝を床に着けたままのブラストを起立させ、椅子に座るよう勧める。目線の高さが同じになり、立場がブラドルと対等となった。

「エレネーゼはそなたの妻になることを強く望んでいる。父上の推薦を得ていることも、先に告げた通りだ。本来なら、勅使を遣わせ、幾度か書簡での協議を繰り返して然るべきだが、あやつはそんなに待てないと言って聞かぬのだ。」

「姫君が?」

「どうせ遣わすのなら、自分を勅使にして欲しいと無茶を言う…まったく、儀礼もしきたりもあったものではない。」

ブラドルの愚痴に、ブラストは昨夜の会話を思い出した。『禊』の存在ついて話した時、エレネーゼは不安そうな表情だった。再開したばかりで別離の話を切り出したのは配慮に欠けていたかもしれない...

「…とは言え、十日後にはメルトワに帰らねばならぬし、無理矢理連れ帰るのも難儀だ。いっそこのままボルドーに滞在させ、準備が整いしだい、希望どおりにサンザスに遣わすほうが良いのではないかと思う。」

「姫君をサンザスに?」

「そなたが同行すれば、危険はあるまい?」

…そうかも知れないが。

ブラストは答えに迷った。

サンザスまでは馬を使っても三日以上の道のり...領地までは山道が険しく、場所によっては高度な乗馬技術が必要となる。

…姫君は乗馬の経験がない。山道を行くなど不可能だ。

「せっかくのご提案ですが、姫君にはメルトワにてお待ち頂くほうが賢明です。何とか説得してみましょう。」

止むを得ず答えた。打ち明けた真実をエレネーゼがどう受け止めたのか気になっていたが、今朝の様子では、どうやら失望には至らなかったらしい。別れは辛いが、今は納得して貰うしかなかった。


話が済むと、ブラストは階段を降り、エントランスに控えていたカルシュに声をかけた。報告によれば、すでにエレネーゼが到着しており、庭園で待っていると言う。

「ご苦労だった。私は姫君のお相手をしなければならない…帰りは夕刻になろうから、それまで課題に専念するといい。」

少年は瞳を輝かせた。従者に課せられた仕事は山ほどあるが、許しがあれば、心置きなく取り組む事ができる。

「感謝します。サー」

嬉しそうに踵を返すカルシュの背中を見やりながら、ブラストも外に向かって歩き出した。



視線の先に、愛しい人の姿が見える。

栗色の髪と青灰色の瞳…

凛々しく、賢く、優しい、私だけの騎士━━

「なんて素敵なの…」

うっとりと見つめながら、彼が近づいて来るのを待った。

駆け寄って抱きつきたいけれど、ブラストが指にキスをするまで我慢…抱擁も口付けも、このあといくらだってできるのだから…

「お待たせしました、姫君…」

エレネーゼの前に立つと、ブラストは地面に片膝をついた。

「お迎えに上がるつもりだったのですが…」

「いいの…悪いのはお兄様なんだもの。」

右手を差し出すと、予定どおり、ブラストが指先に唇を付ける…

ほんの一瞬だったため、なんとか心が弾むのを抑えることができた。

「本を読んでいたの。お姉様がメルトワで読んでいたボルドー語の童話…楽しい物語だし、意訳も書かれていて、とても勉強になるわ。」

「素晴らしい。」

ブラストは感心しつつ、エレネーゼが開いたページに目を向けた。

描かれた挿絵と簡単な文章、ところどころに、手書きのメルトワ語が添えられている。

…シュナーベル様らしい。

本は「入門書」の様なもの。シュナーベルが初めからヨルムドと意思疎通できたのも、幼い頃から地道な努力を積み重ねていたからに違いない。

「このお城はとても居心地が良いわ…メルトワみたいに騒々しくないから、お勉強が進む気がする。…それで、今日はどんな言葉を教えてくださるの?」

ブラストを立ち上がらせる前に、エレネーゼは自ら先に立って言った。騎士の腕を引っ張って目線を合わせる…すかさず胸に顔を乗せた。

「こんなに近くては、何も出来ませんよ。」

ブラストはエレネーゼの瞳を見つめながら言った。初めからこの調子では前途多難だ。


果たして、どこまで理性を保つことができるだろうか...


つづく








































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