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高地の王子


メルトワ国の一団がボルドーの王城に到着し、ほどなく両国による協議と調印式が行われた。

メルトワ国王の名の下、王子ブラドルがボルドーに対する要望を読み上げる。応じて、元首リザエナ・デア・アルトゥールは、「貴国への友好の証として、医学薬学の知識、及び教育者の派遣と、学徒の受け入れを容認する。」と応えた。

交わされた約束の期限は「永久」──隣国は手を携え、ともに発展する事を誓った。




背筋をピンと伸ばして席に収まるエレネーゼを、ブラストは見るともなしに垣間見ていた。

よほど注意を受けたのか、視線はテーブル上へと置かれ、伏目がちに虚空を見つめている…到着した際には背に垂らしていた三つ編みも、今は解かれて美しく整えられていた。頭に乗せた小さめの冠が似合っており、一国の王女らしい気品に満ち溢れていた。

「会議が終わったら、たくさんお話しがしたいわ。」

馬車から降りたエレネーゼは、魅力的な眼差しを差し向けつつ切望した。

「仰せのままに」と答えるべきだったが、実際、そうもいかなかなかった。患者は今朝から押し寄せており、診療を待っているとの報告を受けていたからだ。

「夕刻を過ぎれば時間が空きます…ご命令とあれば従いますが、任務を果たさねばなりません。」

「任務?」

「私は医師ですから、診察があるのです。」

ブラストの言葉に、エレネーゼは目を見開いた。

「まさか...私にした看病を他の者にもするの?」

「看護は「春光の騎士」の役目です。私は、問診と病の判断を主としています。」

「良かった…」

エレネーゼは正直に告げ、ブラストの胸にそっと顔を乗せた。

「それなら、私があなたの側に行く...それで解決よ。」

「なんですって?」

「邪魔はせず、お部屋の隅でじっとしているから...いいでしょう?」

「...ですが」

「もう決めたの。これは命令よ。」

「命令…」

…こんな時に、権限を行使するのか!

ブラストは苦笑を浮かべるしかなかった。この姫は奔放過ぎる。本当に困ったお方だ。

「診療室は病の者が多く集まる場所...姫君の仰せでも、そればかりは承諾できません。」

「...え?」

「なるべく早く切り上げるとお約束します。ですから、それまで待っていて下さい。」

「嫌よ...」

エレネーゼの頬が膨らみ、目に涙が浮かんだ。

「酷いわ...私の気持ちがわからないの?あなたに会いたくて、無理を言って旅をしてきたのよ...」

「...姫君」

「意地悪…ブラストの馬鹿!」

エレネーゼの声に、仰天した周囲の人々が二人を見遣った。傍にいたヨルムドが目を丸め、ブラドルも呆然としている。

「何を揉めているんだ...」

ブラドルが割って入り、エレネーゼの顔を見て渋面を浮かべた。

「会って早々喧嘩とは...」

「喧嘩じゃないわ、お兄様。」

エレネーゼは否定した。

「お城の中を案内してとお願いしたら、断られたの...だから...」

「申し訳ございません...殿下。」

頭を下げ、謝罪の言葉を口にするブラストを、ブラドルは気の毒にと思った。彼にとって、エレネーゼの訪問は降って湧いた予想外の出来事...彼を煩わせている原因は、同行を許した自分に責任があるのだ…

「…それで、妹の希望に沿えぬ理由とはなんだ?」

「は...多くの患者を待たせておりますので、姫君をお連れするのは望ましくないと存じ...」

「私は邪魔しないと言ったわ!」

「お連れする危険性についてを申し上げているのです。」

「大丈夫って言ってるのに...」

「ですから、そういう問題では…」

「助けて、お兄様!」

エレネーゼの駄々が止まらず、ブラドルは嗜めの言葉を探した。ブラストの判断は正しい。妹の考えは単なる世間知らずの我儘だ。

「妥協案を...」

ヨルムドが片手を上げて言った。

「斜陽、君は先ほど、殿下より姫君の随行を仰せつかったと思う…であれば、その任務を優先すべきだ。」

「月光…」

「診療はヴァイデとシムトに代行してもらおう。パルシャの補助にはキロプスが入る…手が足らねばオルデラもいるし、それで問題は解決だ。」

その提案に、エレネーゼが瞳を輝かせる。

「名案だわ...ヨルムド。」

…これで退路がなくなった。

相手がヨルムドと王女では歯が立たない...

文字通り、妥協するしかなさそうだった。



「私は殿下を王宮にお連れする。」

会議の後、ヨルムドはメルトワの一団とともに大広間を出て行った。リザエナの警護を務めるエルナドも、近衛騎士を連れて後を追う。

残った曙光配下の騎士達は、エレネーゼのもとに集い、次々に歓迎の意を伝えた。礼儀正しく片膝を着き、右手の指先に口づけをした。

「また会えて嬉しいわ。貴方たちが帰ってしまってから、私、とても寂しい思いをしたの...」

エレネーゼは告げた。

「お姉様もボルドーに行ってしまったし、お母様はいつもお忙しいし...いっそ私も留学しようかと考えていたほどよ。」

「...留学?」

パルシャが反問した。

「勉学に興味を?」

「ええ。」

「それは感心だ。」

「そうでしょう?」

騎士達が笑顔を浮かべて賞賛する...自信を得たエレネーゼは、瞳を輝かせて口角を上げた。

…そんな話は寝耳に水だ。

ブラストは小声で呟いたが、その声は誰にも気づかれなかった。

来訪の大義名分は王妃の代理。だが、本音は別だ。

「ブラスト」

隣に立っていたキロプスが静かに言った。

「ヨルムドから話は聞いた...今日一日は姫君の随行に専念するといいよ。私とオルデラも診療室に入るから心配は無用だ。」

「すまない...キロプス」

「彼女は君に会いに来たんだろう?滞在中は覚悟を決めるべきだな。」

「…何とも羨ましい限りだ。」

背後から肩を叩いてきたのはオルデラだった。眉を上げて口角を上げており、視線はエレネーゼに向けられている。

「可愛い方じゃないか…」

仲間に推されて、そのことを否定できない自分がいた。

エレネーゼは美しい…釣り合いが取れないほどに…

「行きましょう...ブラスト。」

エレネーゼが歩み寄り、右手を差し出した。頬がほのかに紅潮していて、期待に胸を膨らませているのは明らかだ。

「光栄です、姫君。」

ブラストは応えると、王女の手を取って歩き出した。

美しい王女が踵を返すと、花のような香りが鼻腔をくすぐる…

「どちらに参りましょうか?」

陽の差し込む回廊を並んで歩みながら、ブラストは尋ねた。

「仰せとあれば、何処へでもお連れします。」

「何処へでも?」

「研究棟以外なら。」

その答えに、エレネーゼは目を細めて口を尖らせた。ブラストは穏やかに微笑んでおり、優しい眼差しを差し向けている...

「どこにも行きたくないわ。あなたの傍にいられるのなら、それだけで満足よ。」

「姫君...」

「ずっと一緒にいたい...昼も、夜も...」

…何ということを言うんだ。

ブラストは苦言を呈した。手紙の文面もさることながら、エレネーゼの率直さは危険な領域に達している...そのせいで心を揺さぶられてばかりだ…

「そうですね...」

感情を抑制しながら、ブラストは提案した。

「では、勉強をしましょうか?」

「勉強?」

「先ほど仰られていましたね…留学したいと。勉学に興味があるのでしょう?」

「え...まあ、そう...だけど...」

「滞在中にボルドー語を学ぶのです。ご希望であれば、私が毎日お教えします。」

「毎日?」

「はい。」

「二人きりで?」

「もちろん。」

エレネーゼは歩みを止め、ブラストと向かい合った。

「...なんて素敵な提案なの?」

「そう思いますか?」

「ええ!」

「では、今すぐに始めましょう。」

「頑張るわ!」

弾む様に答えると、王女は騎士に寄り添った。幸せな瞬間...これから毎日、二人だけの夢のような時を過ごせるのだ。


昼下がり──

ヨルムドは先立って帰宅し、王子を迎えるための準備に追われる屋敷の様子に目を配った。

シュナーベルの采配で整えられたエントランスは美しい花々で飾られており、良い香りに包まれている。花はシュナーベルが庭で育てているもので、大小の百合が中心だった。メルトワの王城ほどではないが研究室もあり、移植した薬草の株を、今も大切に生育しているのだった。

「シュノー」

庭の陽だまりで編み物をしているシュナーベルを探し当てると、ヨルムドはゆっくりとした足取りで歩み寄った。手に持っているのは白い毛糸…子供のための靴下だ。

「あら...」

シュナーベルが顔を上げ、意外そうに見つめた。編みかけのものを膝に置き、顔を寄せるヨルムドと唇を交わす。

「早いお帰りね...お兄様とご一緒?」

「殿下が到着なさるのはもう少し後だ。父上が随行して下さるそうだから、ここで出迎える事にした。」

「お父様が..?.」

「早く帰れと追い出されたんだ。」

「まあ...」

笑顔を浮かべつつ、立ちあがろうとするシュナーベルを、ヨルムドは手を添えながら手助けした。ここ数日、悪阻の症状が顕れていて、少し体調が優れない妻だった。

「顔色が悪い...部屋に入ろう。」

「ええ、そうね。」

「薔薇と蜂蜜を入れた薬酒を作る...少しは気分が良くなるはずだ。」

「ありがとう...ヨルン。」

どんな薬より、あなたの優しさが薬になるのよ...とシュナーベルは思った。騎士としては冷徹な「月光の騎士」…けれど、夫である彼はとてつもなく甘いのだから...


夕暮れが近づくと、ブラドル王子とエルナドが訪れ、久しぶりに兄妹が再開した。

「シュノー」

「ブラッド」

兄と妹は躊躇なく抱き合い、喜びを分かち合う…幼い日から仲が良かっただけに、ブラドルのシュナーベルに対する思い入れは深く、慈しむように頬を寄せながら「体の具合は?異国での暮らしに問題はないか?」と質問攻めにするのだった。

「ブラッドったら...心配のしすぎよ。」

シュナーベルは兄に言った。

「私はとても幸せ…何も問題ないわ。」

「不便もないか?」

「ええ。」

「そうか...それなら良いが…」

挨拶が済むと、シュナーベルがエレネーゼのそばに歩み寄る。そっと抱き寄せ、髪を撫でた。

「会えて嬉しいわ...エレナ。」

「私もよ、お姉様...」

「急に来るから驚いてしまったわ。」

「お姉様への贈り物を持ってきたの...お母様の代わりに。」

「そうらしいわね。」

「ご懐妊、おめでとうございます。おなかに赤ちゃんがいるなんて…素敵だわ。」

「ありがとう…私も不思議な気持ちよ。」

シュナーベルは言いながら、エントランスの入り口に立っている騎士に目を向けた。私服姿のブラスト・オーガナイトが、今まさに、背中を向けとうとしている。エレネーゼも気にしている様子で、ちらと視線を差し向けた。

「オーガナイト先生は、あなたをここまで随行して下さったの?」

シュナーベルが尋ねると、エレネーゼは頷いた。

「今日はずっと一緒だったわ。」

役目を終え、彼は王宮に帰るとのことだった。

... エレネーゼが泣きそうなのはそのせいなのね。

「ヨルン...」

シュナーベルはヨルムドに言った。

「オーガナイト先生をお止めして...エレナの事でお礼が言いたいし、晩餐にご招待したいわ。」

ヨルムドは無言でエントランスに視線を向けた。ブラストの姿は見えず、すでに出立してしまったようだ。

ヨルムドはすぐに従者に要件を伝え、後を追わせた。生真面目なブラストが、残務を片付けたい気持ちは承知しているが、今夜だけは特別だ。

「サー・オーガナイト!」

声がきこえ、蹄の音とともに、ヨルムドの従者の姿が見えた。暗闇ではないため、その顔がはっきり見える...

ブラストは馬を止めて立ち止まり、到着を待った。

「申し上げます。」

従者は告げた。

「ヨルムド様より、屋敷に戻られますようにと...」

「戻る?」

「はい。」

「理由は?」

「ともに晩餐をと…」

「晩餐...」

…夕食の誘い?

ブラストは溜息を吐いた。研究棟に戻って仕事を片付けたかったが、今日の任務は諦めたほうが良さそうだ。

「...断れば、君の立場がなくなってしまうな。」

その返答を聞き、従者は安堵した様子だった。ヨルムドが彼を叱責するはずもないが、言い訳をさせるのも可哀想だ…

「引き返そう。」


戻って来たブラストを見て、エレネーゼは歓喜した。

別れを告げられた時は悲しくて仕方がなかった。今夜も明日も、ずっと一緒にいたい…それが本音だった。

「良かったわね...エレナ。」

笑顔のシュナーベルが耳打ちした。

「今夜は宿泊してもらうつもりよ。彼のお部屋も用意するわ。」

「お姉様...」

思いやりに、心から感謝した。

メルトワの王女だった頃の臆病で引っ込み思案な姉はもういない。エストナド夫人となったシュナーベルは、屋敷を取り仕切る、立派な貴婦人なのだ。

「ありがとうシュノー、大好きよ。」

エレネーゼはシュナーベルに抱きついた。お腹の子に障らないようにするのも忘れなかった。

「どういたしまして...」

シュナーベルも頬を寄せ、目を細めて微笑んだ。



その晩、晩餐は細やかに催された。

緊張感もなく、家族で囲む食事会のような時間…

ブラストは、自分がその場にいる違和感に気が引けたものの、

満面の笑みを浮かべる王子に話題を振られ、終わりの頃には、緊張を感じることもなくなった。

「ボルドーは良い国だ…文化も技術も学ぶべきものが沢山ある。」

ボルドーで作られた果実酒とエールの美味しさにやや飲み過ぎたと思われるブラドルは、いつもの爽やかな笑顔とともに賛辞を含めつつ、雄弁に語った。

「メルトワの未来に、国交は必要不可欠だ。僕は、戦わずして友好を深め、ともに発展することを望んでいる…甘い考えだと家臣はいうが、和平こそが一番だ。」

「尊きお考えです…陛下。」

 エルナドが静かに同意した。

「メルトワ、ルポワド、ボルドー、ネスバージ…同盟を結んだ国々は和平の道を選びました。現在は戦もなく、平穏な日々が続いております。貿易が進めば、双方の利益も増すことでしょう。」

「バルドの皇帝も退位し、現在はさしたる動きもないようです…ルポワドの国政も安定している現在は、好機と言えます。」

「うむ、リザエナ殿にも賞賛していただいた…そこは盤石であらねばならんな…」

…戦が起きれば犠牲者が出る…殿下のようなお考えを、全ての王が持てば良いが…

ブラストは瞼を閉じ、故郷のことを想った。

険しい山々に護られた古い城──

閉ざされた地に遺る、忌まわしい伝説…

「オーガナイト…」

想いに耽っているうちに、いつの間にやら王子が隣へと移動していた。ブラストの顔を覗き込み、小声で囁きかける...

「僕の義弟にならぬか?」

「...は」

「そなたにはその権利がある...そうだろう?」

「何を申されますか...」

「障壁はない...そう思うが?」

意表を突かれ、呆然となった。

言葉の意図が“それ”を指すなら、とんでもない発言だ。

…この方は真実を知っておられるのか?

疑念が湧いた。だとすれば、どこまで辿り着いたのだろう。

…私の負った宿命を、姫君に負わせよと申されるのか?


「僕はエレナの味方だ…メルトワ王家は君を歓迎する。”高地の王子“よ。」


つづく






















































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