12過ちは二度と起こさない
「やっぱり、売れっ子の小説家はいい場所に住んでいるんだね」
私がマンションの自分の部屋に翔琉君を招き入れると、彼はぼそりとつぶやいた。
「別に大したことないでしょ。それで、いったい私に何の用事があるのかな。それとも、両親が何か私について言っていた?」
彼をリビングに案内し、イスに座るよう勧めると、おとなしく席に着く。ちらりと彼の様子をうかがうも、私の質問に答えず沈黙を保っている。仕方なく、飲み物でも出そうかとキッチンに向かう。
「どうぞ。喉が渇いたでしょ」
「どうして、先生は僕のことを家に招いたの?僕が高校生だから、警戒しなくてもいいと思った?僕、もう立派な男だと思うけど」
彼の前に冷たい麦茶の入ったコップを置くと、急に不機嫌そうに言葉を吐きだした。これは、私が女として警戒しろと言われているのだろうか。そんなことを言われても、警戒する必要を感じない。翔琉君の正面のイスに腰かけ、素直に自分が考えていることを伝えることにした。
「私に女性としての魅力があって、翔琉君は私を襲いたいとでも言いたいのかい?それとも、翔琉君は男子高校生で、だれかれ構わず発情する動物にでもなった?もしそうだとするのなら、私はやめておいた方がいい。年齢も親子ほど離れているし、襲ったところで後悔する未来しか思いつかない」
「変な人だね、先生って。そもそも、僕みたいな男を家に上げて何もしない先生の方がどうかしているよ」
「私が年下の男子を襲う?それはないね。私はそういう、ふしだらなことで痛い目に遭っているから、二度とそんなことはしない。それで、翔琉君は私を襲いたい?私は襲われるために君を家に呼んだわけではないんだけど」
「はは」
「ふふ、面白いね。先生って」
お互いの視線が合うと、なんだか面白くもないのに笑えてしまう。笑いがこみ上げてくると、なんだか今までの会話がどうでもよくなってくる。私の笑いが伝線したのか、翔琉君も今までの真面目な表情を崩し、年相応の子供っぽい表情で笑い出す。
笑い顔を眺めながら、あの男の笑う姿を思い浮かべる。あまり、あの男と息子は似ていない気がした。あの男の笑い方はもっと、色気のある笑い方だったが、目の前の彼の息子は、ただの男子高校生の素直な笑い方だった。まあ、あの男と出会った時、男はすでに成人だったので、高校生の頃の笑い方など想像するしかない。それでも、子供のような年相応の笑いにはならないだろうと予測できた。
「おかしいね。オレ、学校ではあんまり笑わないんだ。家でもそうだよ。それなのに、先生のどうでもいいこと聞いていたら、つい笑えてきた。それだけでも家に上がる価値があったよ」
「一人称がオレになっているよ。高校生活がうまくいっていないの?両親とも仲が悪い感じ?」
翔琉君がそんなにも笑わない生活を送っていると知り、つい興味本位で質問してしまう。自分の質問に肯定されてしまったら、どうしようかということも考えていない、後先考えないぶしつけな質問である。口にしてから初めて気づいたが、すでに口から出てしまった言葉は戻せない。私はただ、彼の回答を待つだけだ。
「いつもはオレって言っているけど、両親とか他人の前だと僕にしているよ。僕が笑わないことがそんなに不思議?僕に興味でも持ってくれた?」
「質問に質問で返さないでくれる?まあ、興味を持ったと言えばそれまでだけど、なんだか、翔琉君を放っておけないからかな。どうにも、君の両親についていろいろ思うことがあるから余計に」
「本当!思うところって何?やっぱり、あいつらはやばい奴ってこと?」
「ずいぶんと食いつきがいいけど、もしそれが両親の悪口とかだったらどうするの?」
「別にどうもしないよ。それで、先生。ものは相談なんだけど……」
突然の食いつきぶりに驚くが、彼の方は気にしていないらしい。それどころか、私にとんでもない相談を持ち掛けてきた。
「そんな依頼を、名前だけは知っているとはいえ、よく見ず知らずのおばさんに言う気になったね」
「見ず知らずじゃないよ。僕はあなたのことを知っている。人気作家の先生だよ。それに、僕の両親について僕以上に知っている感じだ。それだけでもう、先生は僕にとって見ず知らずの人じゃない」
「基準が緩くて、今時の若い子の貞操観念が心配だよ。おばさんは」
結局、翔琉君は私の家に一晩泊まることになった。さすがに無断外泊はどうかと思い、両親に連絡を入れるよう伝えると、彼はあっさりと私の指示に従った。スマホで両親に連絡を入れていたが、私は知っている。彼らは今日、家に帰るのが遅くなるだろう。もしかしたら、家に帰らない可能性があるということを。
今日の打ち合わせ後に、食事に誘われていたことを思い出す。私は誘いを断ったが、店はキャンセルしないはずだ。おそらく、夕食後は居酒屋でもはしごするつもりだろう。二人は確か、相当な酒豪で有名だった気がする。
「両親も今日は家に帰らないそうです。ふうん、先生、僕に隠していることがありましたね」
返事はすぐに来たようだが、彼らの返事に何か感じることがあったようで、翔琉君は意味深に、私に問いかけてきた。
「ねえ、外泊の件、友達の家に泊まるって伝えたよね。もしかして、バカ正直に私の家に泊まるとか言っていな」
「ぐうう」
そういえばと、今さながらに彼の両親に対しての外泊の理由をごまかしておくのを伝え忘れていた。彼がバカ正直に私とのことを両親に伝えるとは思えないが、そんなことはわからない。問いかけたはいいが、その途中で間抜けな音が部屋に響き渡る。
「アハハハハ!先生、お腹が減っていたんですね。ずいぶん大きな空腹の主張だ」
「いや、これは」
四十も過ぎた大人の女性が、盛大にお腹の音を鳴らしているのだ。笑われるのは仕方ない。仕方ないとはいえ、今日は夕食を取る暇のないくらい、いろいろあったのだ。翔琉君は夕食をすでに済ましたのだろうか。
「すみません。突然の間抜けな音に、思わず笑ってしまいました。先ほどの質問ですが、さすがに先生のことを両親には言いませんよ。僕があなたと接触したことは両親には言っていません」
「そう、それならいいけど。ところで、私は夕食をまだ食べていないけど、翔琉君は?」
「軽く塾の前にコンビニのおにぎりで済ませましたけど……」
まだまだ彼と話したいことはたくさんあるが、まずは空腹を満たすことが先決だ。腹が減っては戦はできぬ、である。ついでに彼の分も用意した方がいいかと声をかけたが、視線で、私に欲しいと訴えかけてきた。
「ちゃんと言葉で欲しいと言って欲しいけど、まあいいや。適当に家にある残り物で野菜炒めでも作るから、そこで少し待っていて」
「ワカリマシタ」
素直に頷いた彼は、スマホをいじりだした。それを見届けた私は、キッチンに向かい、久しぶりに自分一人ではなく、他人の分の料理まで作ることになった。
「これが、彼氏とかだったらなあ。そんなもの、できる気配もないし、これから作る気もないけど」
ぼそりとつぶやいた私の言葉は、野菜と肉をフライパンで炒めるジュージューという音で掻き消された。