9 美味しい手料理【Side アーク】
「アーク様、ここで料理屋をしませんか?」
マリアがそんな事を言い出したのは、2つ目の山のふもとにある、のんびりとした町だった。
ひたすら山を歩き続けて三週間。
魔物には遭遇しなかったものの、ずっと野宿で風呂にも入れず、足の裏はマメだらけ、干し肉と乾パンの食事には少しウンザリしていた。
「それは、冒険をやめたいって話か?」
「いえ! あの、違うんです。冒険が嫌になったのではなくて、私、料理がしたいんですっ!」
「料理が…したい?」
「はい! 実は私、料理が得意なんですよ! それで、アーク様にはいつも美味しい物をたくさん作ってあげたいって思ってるんですけど、冒険してると、その、ちゃんとしたお料理って作れないじゃないですか? 道具も食材も限られちゃいますし…」
「まぁ、それはそうだな」
「私は、アーク様のために美味しいお料理をたくさん作って、たくさん食べてほしいんですよ!」
思い返してみると、マリアは旅の途中で野草やキノコのスープを何度も作ってくれた。
マリアの望みはなるべく叶えてあげたい。
それに、美味しい手料理ってやつにも心が惹かれる。
クラウディアにもらった金もだいぶ残っているし。
冒険は、しばらく後でもいいかもしれない。
「よ〜し、分かった! 俺もマリアの手料理をたくさん食いたいし、一緒に料理屋やるか?」
「ほ、本当ですかっ? アーク様〜大好きっ!!」
俺達は、町の外れにあるこじんまりとした二階建ての家を借りて、一階で料理屋を始める事にした。
元々その場所は老夫婦が飲食店を経営していたそうで、テーブルや食器も一通り揃っていて、格安で借りる事が出来たのだ。
建物は古いし二階部分は屋根裏部屋みたいに狭いが、二人で寝るには充分だと思う。
マリアの得意料理は、根菜と肉団子がたっぷり入ったクリームシチューだった。
少し硬めの黒パンを浸して食べると最高に旨い。
昔、母親に教えてもらった郷土料理だそうだ。
俺もマリアも商売なんてした事はなかったが、料理屋は想像していたよりも順調だった。
料理上手で愛想の良いマリアは、お客さんに人気で、常連客もできた。
営業時間は昼頃から深夜まで。
夜は、つまみや酒も出す。
スパイスの効いたスペアリブと甘辛いタレを絡めて焼いた串焼き肉が店の看板メニューだ。
客と一緒に飲み食いする回数が増えて、俺もマリアも少し太ってしまったけれど、とにかく店は好調だった。
「な、ど、どうして赤字なんだ……?」
あんなに客が来て、酒も料理も売れている。
食材は安く仕入れているし、客からチップをもらう事も多い。家賃だって格安なのに……。
俺は、帳簿を見ながら頭を抱えた。
原因はたぶんアレだ。
ずっと目を背けていたけれど、本当は分かっている。
俺は、帳簿に書かれている数字を指でなぞった。
今月は128枚。先月は154枚。
これらは全て、マリアが割った皿の枚数だ。
「本当にごめんなさい。私、ドジだから……」
皿を割るたびに、マリアは泣きそうな顔をして小さな声で何度も何度も謝まるのだ。
もちろん、わざとじゃないのは分かっている。
でも限度ってものがあるだろ?
洗い物だって配膳だって俺がしてるのに、何でそんなに何枚も何枚も割るんだよ?
「マリア……もう少し気を付けてくれないか?」
つい口調がキツくなってしまう自覚はあった。
でも、言ってるそばからまたすぐに皿を割られると、もうイライラが止められない。
「あの……これ、買ってきて欲しい物リストです…」
気まずそうな顔でメモ用紙を差し出すマリアを見て、ため息が出そうになる。
最近はいつもこんな感じだ。
壊れた歯車みたいにギクシャクしている。
少し前までは、買い出しだろうが何だろうが、どこにでも一緒に行っていたのに。
俺はメモ用紙を見ながら、ノロノロと路地を歩いた。
『レモン、トマト、鶏肉、卵、コーヒー豆、パプリカ』
メモ用紙には、丸っこい文字でそう書かれていた。
「やめてよっ! 痛いってばっ! 離してよっ!」
悲鳴に近い女の声に顔を上げると、ガラの悪そうな男に手首を掴まれた長い金髪の後ろ姿が見えた。
派手な色の服を着た女が裏路地に引きずり込まれそうになっている。
「おいっ! 何をしてるんだ?」
思わず声を掛けると、ガラの悪そうな男は舌打ちをして逃げていった。
「大丈夫か?」
無事を確認しようと女の方を向くと、迫力のある大きな胸が目に飛び込んできた。
一瞬、クラウディアの顔が頭をよぎる。
「助かったわ。ありがとう」
女は大きな胸を揺らしながら肩をすくめた。
少し下に服を引っ張れば、ポロリと胸がこぼれ落ちてしまいそうだ。
「アイツ、しつこくて困っていたの。昔の客なんだけど、金もないくせに付きまとわれてさ。相手して欲しいんだったら金払えって感じよね? あー…でも、そうね。お兄さんだったらタダで相手してあげてもいいわよ?」
「え……なっ…えっ?」
「ふふふ。私、娼館で働いているの。今回だけ特別に、助けてくれたお礼、してあげようか?」
「お、お礼……?」
「もう少し奥に行けば、死角になっているから通行人には見えないの。あまり時間ないから、短時間コースになっちゃうけど、どうする? お礼、いる?」
次回10話も、アーク視点が続きます。