7 俺の婚約者【Side アーク】
初めて彼女に会ったのは、とある貴族の夜会だ。
旨い料理が食えるはずだと目論んで参加した華やかで下らないパーティだった。
美しく装飾されたテーブルには、パサパサのサンドイッチと甘すぎるケーキが芸術品のように並んでいた。
来るんじゃなかったと大きな溜め息をつく。
貴族同士の自慢合戦やマウントの取り合いには興味がないし、料理の味はイマイチだ。
隅っこで果実水を飲んでいると、ギラギラした派手なドレスが近付いて来るのが見えた。
彼女は俺の前まで来ると、挨拶もせずに言ったのだ。
「貴方、確か男爵家の五男だったわよね? 丁度いいわ。私の婚約者になりなさい?」と。
彼女は、大きな胸を揺らしながらそう言ったのだ。
鮮やかなドレスに彩られた溢れんばかりの白い胸。
そこに顔をうずめたら、きっと天国に行けるだろう。
そう思ってしまった俺は男として正常だったと思う。
だからろくに、顔も確認ぜずに返事をしてしまった。
彼女が子爵家のご令嬢『クラウディア様』だと気付いたのは、もうすでに婚約が成立した後だった。
婚約後は直ちに子爵家の屋敷に住むようにと言われ、領地経営と貴族のマナーを叩き込まれた。
貧乏男爵家の五男坊なんて、受けてきた教育は平民とほとんど変わらない。
そもそも俺は勉強が嫌いだったし、お上品な行儀作法や貴族らしい振る舞いをするのが苦手だ。
そんな事をしている暇があるなら、剣の腕を磨く方が何倍も楽しいし有意義だと思っている。
だから俺は、本当は冒険者になりたかったんだ。
困っている人を助けて人の役に立つ冒険者に。
なのに俺は、こんな所で何をしているんだろう?
適材適所って言葉があるだろ?
どう考えても俺には子爵家の婿入りは向いていない。
クラウディアの品定めをするような目が怖かった。
豪華な食事を用意されたって、マナーがなっていないと溜め息をつかれてしまったら、無邪気に旨いだなんて喜べない。
どうして彼女は、俺と結婚しようと思ったんだろう?
実は俺の事が好きなのか?
いやいや、それにしては態度が悪すぎる。
身分が低くて貧乏な男なら、思い通りに動く駒になるとでも考えたのかもしれない。
彼女は、使用人達からの評判もあまり良くない。
実際に俺も、新人メイドのマリアを怒鳴りつけている姿を何度か見た事がある。
ションボリ落ち込むマリアに声をかけると「私、ドジなんですよ。だからいつも、クラウディア様に叱られてしまうんです」と言って悲しそうに笑っていた。
俺は昔から弱い者いじめが大嫌いだ。
だから、クラウディアが立場の弱い新人メイドをいじめている事が許せなかった。
やはり彼女は、噂通りの悪役令嬢だ。
そんな性悪と結婚しなければいけないのかと思うと、胸に釣られた自分を呪いたくなった。
マリアはいつも一生懸命で可愛いメイドだ。
あんなに健気に頑張る姿を見て、どうしていじめようだなんて思うのだろうか?
何度も何度も頭を下げるマリアに、氷のように冷たい視線を送るクラウディア。
せめて、俺だけでも優しくしてあげたいと思った。
マリアは、俺が話しかけると頬をピンク色に染めて、嬉しくてたまらないという顔で笑うのだ。
本当に可愛い。
それはもうクラクラしてしまうほどの可愛さだった。
たぶん俺は、マリアに恋をしてしまったのだと思う。
いけない事だと分かってはいるけど、止められない。
マリアの白い頬がピンク色に染まる度に、甘酸っぱい切ない気持ちはドンドン加速していった。
「俺の夢は、冒険者になって旅をする事なんだ」
そんな子供じみた話をマリアは目をキラキラさせながら聞いてくれた。
「とっても素敵な夢ですね! その時は絶対に私も連れて行って下さい! 約束ですよ? 」
俺達はまるで恋人同士のように、熱っぽく見つめ合って叶わない約束を交わした。
クラウディアのドレスのデザインが変わったのはいつ頃からだろうか?
彼女はいつの間にか、惜しみなく出していた胸の谷間をきっちりと隠すようになっていた。
柔らかそうな太ももやツヤツヤで滑らかなそうな背中も全部、落ち着いた色のドレスで隠してしまったのだ。
見えない方が逆にエロく見えるのは何でだろう?
「朝食と夕食は必ず一緒に!」なんてきつく言っていたくせに、全く呼び出しがかからなくなった。
裏庭で剣の鍛錬をしていても、何一つお小言を言われないし、マリアと仲良く会話をしていても、姿を見せる事すらしなくなった。
もしかして、何か悪巧みでもしているのか?
一抹の不安を感じるようになった頃、クラウディアの父親が屋敷にやって来た。
ずっと王都にいると聞いていた彼女の父親。
婚約が結ばれた時すら来なかったから、この人に会うのは初めてだ。
「アークとの婚約を解消しようと思います」
クラウディアの言葉に俺の心臓はドクリと鳴った。
それはずっと望んでいた事なのに、何故だか嬉しいと思うよりも裏切られたような気持ちになった。
「婚約は遊びではないのだぞ?」
彼女の父親は不機嫌そうな顔でクラウディアを見た。
その目は、娘の身を案じてなんかいない。
面倒事を避けたいというような冷たい視線だった。
彼女は特に怯む様子もなく優雅に微笑んで、何枚かの紙を父親に差し出した。
小さな文字がビッシリと書かれていて、読むのに時間がかかりそうな書類だ。
「私は、お父様ために言っているのですよ? このままでは全員が不幸になります。もし、お家が没落するなんて事になったら、お父様だって困るでしょう? 自由気ままに王都で遊んでいられなくなりますわよ?」
次回8話も、アーク視点が続きます。