5 成長期?
ゴク、ゴク、ゴク、再びグレイの喉が鳴る。
やはり痛かったのは一瞬だけ。
すぐに得も言われぬ快感が全身を包む。
私は、肉食獣に捕食される草食動物のように、全てを委ねて静かに目を閉じた。
「ク、クラウディア様っ! 大丈夫ですか?」
いつの間にか吸血行為は終わっていたけれど、一度目のような不完全燃焼感はなかった。
満ち足りた幸福感と体に残る甘い余韻。
グレイは完全に大人の男性の声になっていた。
あぁ…………神様は本当にいるのかもしれない。
この声は、紛うことなく最推しの声だ!
目を開けると、長身の美しい男性が立っていた。
髪はヒザの下あたりまで長く伸びて、まるでルネッサンス期のイタリアの絵画『ヴィーナスの誕生』みたいになっている。
黒髪の隙間から見える、スラリと長い筋っぽい手足にドキドキしてしまう。
服はビリビリに破けて床に散らばっていた。
グレイは全裸になっているけど、男性のシンボル的なアレは、髪に隠れているので安心して下さい。
トン、トン、トン。
突然部屋に響く軽快なノックの音。
見つめ合っていた私達の空気は一瞬で凍りついた。
ど、ど、ど、どうしよう?
謎の全裸の男と部屋で二人っきりの状態。
『この男性は、あの使用人見習いのグレイなのよ!』
そう説明しても絶対に信じてもらえないだろう。
トン、トン、トン! トン、トン、トン!
「お嬢様! クラウディアお嬢様! どうしたのですか? 何かあったのですか? 返事をして下さい!」
この声は、執事長のセバスだわ。
セバスはクラウディアの親代わりのような人だ。
育児放棄したお父様の代わりに、ずっと私の世話を焼いてくれている。全く屋敷に帰って来ないお父様の代わりに、領地を仕切っているのも彼だ。
「貴方の事は必ず守るわ。吸血鬼だって事も誰にも言わないから安心して」
私は、動揺して固まっているグレイに耳打ちをした。
「お嬢様っ! 失礼致します!」
ガチャリと部屋のドアが開き、慌てた様子でセバスが入ってくる。
そして、私達を見て固まった。
「セ、セバス……あの、これは、その……」
私は必死で言い訳を考えるが、何も思い浮かばない。
「えーと、信じてもらえないかもしれないけど、この方は使用人見習いのグレイなのよ…」
グレイは私の言葉に「そ、そうなんです」と頷く。
「使用人見習いのグレイ…………ですか?」
「そ、そうなのよ! 一緒に焼き菓子を食べていたらね、何故だか分からないけど、急に成長して大人の姿になっちゃったのよ……」
「……………ふむ、そうでしたか」
セバスの眼光が眼鏡の奥で鋭く光る。
「これは………たぶん、成長期ですな」
「せ、成長期?………か、かもしれないわね?」
そんな訳あるかっ!と盛大にツッコミたかったけど、ここはセバスの話に乗っかる事にした。
だって、まともな言い訳が全然思い付かないし。
「クラウディアお嬢様も、12〜13歳頃に急に大きくなられましたから……お懐かしゅうございます」
遠い目をして少し涙を滲ませるセバス。
確かにクラウディアは、12〜13歳頃に身長や胸が一気に大きくなった。
「子供の成長は、本当に早いものです」
「そ、そうね。グレイは幼く見えていたけれど、本当は18歳だったらしいから、せ、成長期が急に来たのかもしれないわね?」
セバスは嬉しそうに目を細めてから、胸ポケットからスッと布を取り出した。
ハンカチかと思ったら、テーブルクロスだった。
何かサイズ感がおかしくない?
それ、胸ポケットに入る大きさじゃないよね?
セバスの胸ポケットは、昔から四次元ポケット並みに色々な物が出てくるのだ。
セバスはテーブルクロスをグレイの腰に巻き付けて、上品にお辞儀をした。
「それでは、お嬢様。グレイの身なりを整えて参りますので、少々お待ち下さい」
部屋から出て行く二人を見送ってから、一気に肩の力が抜ける。
何とか無事に切り抜けられた………よね?
セバスは私に激甘だけど、他の人にはとても厳しい。
グレイが敵認定されなくて本当に良かったわ。
テーブルに置きっぱなしのお茶に手を伸ばす。
お茶はとっくに冷めて、小さなゴミも浮いている。
これじゃ飲めないわね。
色々あって喉が渇いたわ。
メイドを呼んで、お茶を淹れ直してもらおうかと考えたけれどやめた。
もし今、マリアが来たら相手をする余裕がないもの。
カップを割って大騒ぎする姿が容易に想像できる。
大きなため息をついて、冷めたお茶を眺めていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ、入っていいわよ」
「失礼します。クラウディア様」
静かに開いた扉から、髪を短く切ったグレイが優雅な足取りで入ってくるのが見えた。
執事服に身を包み、左手のトレイの上にはお茶セット一式が載っている。
危なっかしい様子は一つもない。
見とれてしまうほど上品で洗練された動きだ。
「新しいお茶をお持ちしました」
グレイはクラウディアを見つめて嬉しそうに笑う。
手際よく淹れられた紅茶は甘い果実の香りがした。