第59話:奈落の闇を砕く声
モニター越しに戦いを見つめる佐藤フブキは、込み上げる感情を抑えられず、画面の前で拳を握りしめていた。
目の前で息子が闘っている。まだ17歳の少年が、地球のすべてを背負って苦しんでいる。
「カイ……」
フブキの唇から漏れた小さな声は、決して届かないと分かっていた。それでも、叫ばずにはいられなかった。
(この子は昔からそうだった。いつも周りを気にして、自分の気持ちを後回しにして……)
脳裏に浮かぶのは、まだ小さかった頃のカイの姿だった。
本当は寂しいのにそれを隠し、決して母親に甘えようとしない子だった。親が仕事に集中できるように、いつも感情を抑え我慢していた。
それでも手を差し伸べれば、いつも少し照れた顔を見せながら、その手をしっかりと握ってくれた息子が、今は一人で戦い、苦しみもがいている。
(今すぐ抱きしめたい。あの日みたいに、この子を包み込んで守りたい——)
意識のネットワークを通じて、カイの思考がフブキにも流れ込んでくる。その中に渦巻いていたのは、深い葛藤と痛み、そして——孤独。
フブキは胸が締め付けられるようだった。
(カイ……もう我慢しなくていいのよ。誰にも気を使わず、やりたいことをやりなさい。自分が思うように、好きなだけ……!)
その瞬間、冷たく嘲るような声が響いた。塔の頂上で、ルシフェルが再び笑みを浮かべている。
「所詮は人間だな……カイよ。神だった我が届かぬ領域に、貴様ごときが到達できるはずがなかろう」
フブキの拳が震える。唇を噛みしめ、目に涙を浮かべながら、それでも彼女は口を開いた。
「うるさいわよ!神だか悪魔だか知らないけどね、カイはあんたなんかより何倍も強いんだから!」
その声は、モニタ越しにすら鋭く響き渡った。
思念を通じて、その声はカイの心にも届いた。虚無に沈みかけたカイの思考に、フブキの言葉が刺さる。
「……母さん?まさか、これ見てるの……?」
驚きと戸惑いが混じった声を聞いて、フブキは強く頷いた。
「カイ!お母さんはずっと見てるわよ。あなたは私の自慢の息子よ!」
カイの心の中で薄れかけていた光が、再び小さく輝いた。
「……うん」
フブキの叫びは止まらない。
「こんな奴に我慢する必要ないわ!思いっきりぶん殴ってやりなさい!」
その言葉が、カイの全身に響き渡る。
「……はい!」
その瞬間——カイの周囲を覆っていた暗闇が音を立てて砕け散った。
闇の中で沈み込んでいた彼の体が、まるで水面に浮かび上がるように軽やかに持ち上がる。
意識を押さえつけていた重圧が消え去り、全身を黄金の光が包み込む。温かく、そして力強い光だ。
薄れゆく暗闇の中、カイの中に微かな記憶がよみがえった。
幼い頃、母に抱きしめられたときの温もり。
その手のひらが、確かに彼を包んでいた。
目を開けたカイの瞳は、以前よりも深く、澄み渡っていた。
見上げる先にある燃え盛る隕石。その圧倒的な威圧感に、もはや恐れは感じなかった。
【よっしゃ!カイ復活した!】
【光がすごいことになってるぞ!】
【これ計算間に合うかも!】
【俺たちも頑張るから、カイも頼む!】
【信じてるぞ、カイ!】
ネットワーク越しに次々と飛び込んでくる視聴者たちの声援。
それは単なる応援ではなかった。すべての意識が繋がり、一つの思考としてカイに伝わる。
カイの中で繋がった無数の思考が、まるで新たな叡智の波動となって加速していく。
モニタ越しにその光景を目にしていた佐藤フブキは、息を呑んだ。
ほんの少し前まで、苦しみ、もがき、倒れかけていたカイ。
それが今、世界中の思いを背負い、再び立ち上がろうとしている。
「見て……カイくん戻ってきた……」
隣にいたスタッフたちがざわめく。
「本当だ!あの光が変わった!」
「これって核融合の式ですよね?」
「計算、間に合いそうですよ!」
「まだ……希望はある!」
フブキは涙を拭いながら優しく微笑む。
「……行きなさいカイ!あなたの思うままに」
カイの体を包む黄金の光が、さらに輝きを増していく。
頭上に浮かぶ光源が揺らめきながら収束を始めた。青白い炎を纏い、その輝きは天球のように眩いものへと変貌する。
視聴者たちもその変化に気づき、ざわめき始めた。
【……カイの光源が太陽みたいになったぞ】
【ものすごいエネルギーだ】
【お前ら、もうすぐ計算終わるぞ!】
【絶対やれる……信じてるぞカイ!】
【人類の底力、見せてやれ!】
カイは視線を燃え盛る隕石に向け、拳を握りしめた。
これまでの迷いや不安が嘘のように消えていく。彼の中で燃え上がるのはただ一つ——「やり遂げる」という強い意志だ。
微かに笑みを浮かべながら、カイは低く呟いた。
「またせたね……ここからはボクらのターンだ」
その言葉と共に、頭上の光源が一気に凝縮を始めた。
青白い炎が渦巻き、熱を帯びたエネルギーが天球として輝きを放つ。まるで太陽の核熱を凝縮したかのようなそれは、明らかに破滅をもたらす隕石を迎え撃つためのものだった。
その様子を見上げていたルシフェルが目を見開く。
「ばかな……神にすら到達できなかった領域だぞ……」
驚愕するその瞳には、明らかな焦燥が浮かんでいた。
カイの作り出した光源が限界まで凝縮され、ついに核融合の熱を帯びた天球が完成する。
黄金の光は青白い閃光となり、地球を覆うように輝きを増していく。
「全ての命の願いを背負って……ここで決める!」
カイの叫びが天地に響き渡る。
その瞬間、天球が一気にエネルギーを放ち、破滅的な隕石に向かって螺旋を描きながら収束していった——