第58話:善意と悪意の狭間へ
塔の頂上で、カイは赤黒く染まる空を見上げた。
その瞳には決意の光が宿りながらも、微かに影が揺れている。燃え盛る隕石が空を切り裂きながら迫る中、大気は重く、熱を帯びていた。
『……あの隕石を破壊するには、その威力を上回る宇宙からのエネルギーを利用するのだ』
声は静かに続ける。
『太陽のエネルギーを一点に集め、その核熱を創造すれば隕石を迎撃出来る。ただし、解析と実行にはお前一人の知能では時間が足りない。人類の意識をその頭脳に接続し、その叡智を結集した意識神経細胞を構築するのだ』
「人類の意識をつなぐ……?」カイの眉がわずかに動く。その響きには危険な気配が漂っていた。
『そうだ。だが、これには過大なリスクが伴う。今のお前には理解できよう』
「人間の思考は純粋なものばかりではない。恐怖、嫉妬、憎悪——それらの負の感情が一気に押し寄せ、ボクの精神を蝕むってことだね」
『そうだ。もし耐えられなければ、お前は虚無の奈落に堕ちることになる』
「虚無の奈落……それは堕天になるということか」
カイは『声』の意味を問い返した。
『そうだ。かつて大地の神だったルシフェルも、この方法で天界に挑み、失敗したのだ。つまり人類の善意を信じて……奈落へと堕ちた』
その言葉に、カイの胸を鋭い痛みが貫いた。心臓の奥深くで何かがうごめくような感覚が広がる。
「失敗すれば、今度はボクが厄災をもたらす堕天になる……ってことか」
『今からでも、神となって『魔封』を使う事もできる……つまりこれが最後の選択となるが、どうする』
声が挑発的に問いかける中、カイは拳を握りしめ、天を睨みつけた。
「ボクは……あいつとは違う。それでも人間を信じる」
何かを思考しているカイの様子を見ていたルシフェルは、空中で冷笑を浮かべた。
「さあ、どうする?我を叩きのめしたいのなら、天逆鉾を抜いて戦っても良いのだぞ?」
ルシフェルの声は、塔全体を揺るがせるほどの響きを持っていた。
カイはその冷酷な嘲笑を正面から受け止めながらも、両手を強く握りしめた。燃え盛る隕石を見上げるその瞳に宿る光は、一切揺らぐことはなかった。
「ボクの選択は決まった」
その一言がカイの口から零れ落ちると、静かに両手を天に向けて広げた。
「万象を照らす天陽の炎よ我が手に集いたまえ—— 『天陽創星』」
カイの声が天地に響き渡る。その瞬間、彼の周囲に黄金の光が渦を巻き始めた。カイの頭上の空間が揺らぎ、熱を伴った灼熱の光源が現れた。
「これを見ているみんな!ボクに君たちの思考を繋いでほしい。計算を助けてほしいんだ!みんなの力を借りて、人類の絶滅を回避したい!」
その言葉は、地球上のあらゆる場所で響き渡った。視聴者たちは、一瞬の混乱の後、それぞれが不安と期待を抱いた。
【なんだ……頭の中に数字が浮かんでる?】
【俺もだ、なんだこれ怖いな】
【みんなの脳が繋がってるってこと?】
【CPUの分散計算みたいなもんだろ?】
【みんなで協力しようぜ!】
【勝手に俺の脳に繋ぐなよ!】
その瞬間、カイの脳内には人々の思考が一気に流れ込んだ。計算式が次々と補完されていき、解析は飛躍的に進んだ。
【やめろ偽善者め】
【いじめられっ子のくせによ】
【ヒーロー気取りが】
【どうせ無駄なんだよ】
だが、それと同時に、膨大な悪意が彼の精神を蝕み始めた。
「カイよ、天界にそそのかされたか?其の技は神ですら扱えない不完全なもの。愚かな人類の善意に縋る時点で破綻しているのだよ」
ルシフェルが冷笑を浮かべながら声を響かせた。
「ボクは、人類を信じる」
「信じるだと?奴らの大半は、恐怖、嫉妬、怒り、憎悪に支配されている……お前が今感じている痛みこそ、人間の本質そのものだ!」
「あんたの戯言は聞かない」
「今繋がってる奴らに教えてやろう。失敗すればカイもろとも虚無に堕ちることになるぞ、いいのか?本当に覚悟はできているのか?」
ルシフェルの言葉を聞き視聴者の中には、動揺する者も現れる。
【一緒に奈落に落ちるって?】
【カイって無謀なだけなんじゃないか?】
【失敗したら誰か責任取れるのか?】
【なんで俺たちまで巻き込まれなきゃならないんだ!】
【助けるとかいって結局こっちに頼るのかよ】
【所詮はいじめられっ子だな他力本願とか】
【お前が勝手に頑張ってるだけでこっちは頼んでないぞ】
【ちょっと強くなったからって調子にのってるからだ】
【どうせ死ぬんだから静かに死なせろよ】
その声が思念となってカイの中に流れ込み、彼の意識を重く押し潰していった。
「ぐっ……!」
カイは頭を抱え、膝をつきそうになる。それでも、彼の体を包む黄金の光は決して消えることなく揺らめいていた。
『……耐えろ、カイ。人間の光と影、そのすべてを受け入れる覚悟がなければ、この戦いには勝てない』
声が再び響く。カイは歯を食いしばり、立ち上がった。
「ボクは……人間を信じる。そして、この力を発動してみせる!」
彼の言葉に応じるように、黄金の光が再び輝きを増していく。その姿に、画面越しの視聴者たちも次々に声を上げた。
【ふざけた思考の奴ら黙れ!】
【信じるしかないんだ……世界を救おうぜ】
【カイ!気にしちゃだめだ】
【頑張れカイ!負けるな】
【俺は最後まで一緒に戦うからな】
善の声を聞き、悪の感情を振り払いながら、カイはついに太陽のエネルギーを集束させる術式を完成させようとしていた。
だが、その意識の奥深くには、ルシフェルが言った「堕天の奈落」の影が薄暗く漂ってくる。
カイは天を見上げ、迫りくる隕石の巨大な影を捉えた。その圧倒的な威圧感が、まるで地球全体を押し潰そうとしているかのようだった。
彼の頭には、一瞬だが暗い思考がよぎる。
(もし『魔封』を選んでいたら、違う結果になっていたんじゃないか。人類を巻き込んで、もし失敗したら……ボクは、本当に正しいのか?)
その問いかけに、自分自身で答えを出すことはできなかった。しかし、今は立ち止まる暇すら許されない。カイは小さく息を吸い込み、拳を握りしめた。
その様子を見下ろしていたルシフェルが、不敵な笑みを浮かべる。
「ははは!愚かなる人間どもよ、よく聞け!」
彼の声は塔の頂上から全世界へと響き渡り、モニタ越しにその言葉を聞いた人々の心に不安を植え付ける。
「この事態を引き起こした張本人は、我を封印できる神託を放棄し、無謀にも戦いを選んだこのカイだ!お前たちが頼るべき存在こそ、この混乱の元凶だということを知れ!」
ルシフェルの声には、人間の心を蝕む冷酷な力が込められていた。その言葉が全世界の人々の胸に届くと、次々にコメントが溢れ出す。
【本当なのか?カイが原因だったのか?】
【どっちにしろ死ぬんだからどうでも】
【封印できたのに戦うなんて……何考えてんだよ】
【俺たちを巻き込むなよ……】
【もう誰も信じられないわ】
その思考が、カイに接続された人類の意識を通じて、彼の精神に直接流れ込む。
恐怖、不安、怒り、そして憎悪——それらの感情が渦となってカイの心を侵食していった。人々の言葉が、彼の耳元で囁くように、時に怒号のように響く。
「そもそも俺には関係なかったのに」
「あいつが勝手にやったことだろ」
「カイが選択を誤ったんだよ」
「おまえに興味なんかない」
「おまえなんか要らない」
「無駄な抵抗をするな」
「全てお前のせいだ」
「居なくていいよ」
「おい、佐藤」
「泣けよ」
「カスが」
「死ね」
カイはその圧力に耐えようと必死に意識を保とうとするが、耐えきれずに片膝をついた。
天に掲げた手は力を失い、下へと垂れる。
(ボクが……間違ったのか……?)
瞬間、彼の視界が暗転した。まるで世界が消え失せたような感覚に陥る。
足元が消え、全身が沈み込むような感覚に囚われる。上空に見えていた巨大な隕石が、闇の奥へと遠ざかっていく。どれほど手を伸ばしても届かない。どれほど声を上げても響かない。
カイは気づいた。自分は「奈落」に堕ちつつあるのだと。
広がる闇の中、まるで深い深い海の底へ沈むように、意識が引きずられていく。耳鳴りのような囁きが聞こえる。これは、自分が繋がっている人類の悪意の声——否、それだけではない。
(これが……堕天の奈落……虚無の中か)
(なんでボクばっかりこんな目に)
(どうせ誰も期待してないんだ)
(誰もボクに気が付かない)
(いつも一人だった)
(だれも見てない)
(ひとりでいい)
(もうなにも)
(考えない)
(なにも)
(かも)
(…)
暗闇の中でカイの思考が沈み、光すら失われかけたその時——ほんの一筋の光が揺れた。
「カイ……カイ!」
「カイ様!」
その光はいつか見た温かな手のひらの記憶と共に、彼の心に届いた。
「ごめんねリサさん、助けられなくて」
「メイもどこかに逃げてよ」
「起きて!カイ!」
懐かしく、優しく、力強い声だった。
その声を聴いた瞬間、カイの胸に微かな温もりが灯る。
「え……母さん?」
カイは闇の底で叫び、意識を掴み取るかのように拳を握り締めた。
「いつもほったらかしだったくせに……いつものようにほっといてよ」
彼の周囲を覆う奈落の闇は、なおも深く濃く、その身を蝕み続ける。
人類の運命の行方は、なお暗闇の中にあった——。




