第54話:堕天と叛逆の信託者
広間の中心で、堕天の王ルシフェルは静かに闇の触媒を見つめていた。その背後には、黒い翼がゆっくりと広がり、広間全体に影を落とす。その口元には冷酷な笑みが浮かんでいる。
「地上界に絶望を刻む時が来た。四堕天使よ……出よ。そして、余に忠誠を示せ」
彼が手をかざすと、触媒から溢れ出した闇が空間を歪ませ、次元の裂け目が出現した。そこから次々と姿を現すのは、ルシフェルの命を受けて地上に大厄災をもたらすために召喚された四堕天使――その姿は人知を超えた恐怖そのものだった。
地震を司る堕天使――ティンターン
巨躯に岩のような鎧を纏い、その足元が地に触れるたび、大地が揺れ、裂け目が走る。両腕に生えた無数の岩の拳は、地盤を崩壊させる地震を起こす力を持つ。
洪水を司る堕天使――レヴィアズス
その姿はまるで巨大な水蛇のようで、全身が流れる水で覆われている。大規模な洪水や津波を引き起こし、街を水の底に沈める存在。
噴火を司る堕天使――ヴォルケイノス
全身が灼熱の溶岩で覆われ、その一歩一歩が大地を焦がし、眠る火山すら噴火させる。燃え盛る瞳が、破壊を歓喜するように輝いている。
極寒を司る堕天使――グラシエラス
冷気を纏い、その存在だけで周囲の温度を極限まで低下させる。翼を広げるだけで凍てついた嵐が発生し、土地を氷の荒野に変える力を持つ。彼の一歩一歩が地面を凍りつかせ、やがて氷河期を引き起こす。
四堕天使は、かつてルシフェルが神として地上に降りた際に手を貸した存在であり、堕天した彼と共に天界から追放された者たちである。
彼らはルシフェルを「唯一の主」として崇拝しており、彼に忠誠を誓うことで、自分たちの存在意義を見出している。
通常の堕天の際は、そのうちの一体または二体が呼び出されるが、大厄災の四堕天使すべてが召喚されるのは歴史上でも稀となる。
「お前たちは地上の真実を知り、天界の欺瞞を拒絶した。我と共に歩む者として、地上の全てを壊し尽くせ」
堕天使たちは一斉に頭を垂れ、その忠誠を示した。
「承知しました」
「喜んで」
「行け」
その言葉と共に、堕天使たちは次元の裂け目に消え、それぞれの任務地へ向かった。
広間が再び静寂を取り戻したその時、遠くから足音が響く。扉が軋みを立てて開き、現れたのはカイだった。
「あなたが、堕天の王ルシフェルか?」
カイの声は静かだが、その中に冷たい怒りが込められていた。ルシフェルは振り返り、黒い翼をゆっくりと広げながら、彼を見据えた。
広間に対峙する堕天の王ルシフェルと神託者カイ。闇に染まる広間には、触媒の光が不気味に揺れ、緊張が支配していた。
「遅かったな、神託者よ。大厄災はたった今始まったぞ」
ルシフェルは悠然と振り返り、その冷たい瞳でカイを見据える。彼の背中の漆黒の翼がわずかに広がり、威圧感を放つ。
カイはルシフェルの隣にある柱に縛りつけられているリサを見て、無事であることを確認すると。ゆっくりと低く、威圧感のある声を発した。
「これ以上、あんたの好きにはさせない」
カイの声は静かだが、その中には確固たる意志が宿っていた。
「ならば、なぜ『魔封』を使わぬのだ?それが神託者の唯一の使命だろう」
「その神託は拒否した……あんたらを叩き潰すために」
それを聞いたルシフェルは一瞬驚いたような表情を見せたあと、呆れたような笑みを浮かべてカイを見つめる。
「叩き潰す……か。愚かな、貴様は本当に、この連鎖が我によって始まったと思っているのか?」
ルシフェルは冷たい笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩き出す。その動作には余裕すら感じられた。
「……いいだろう、教えてやろう。我が堕天する以前から、この地上に厄災をもたらすのは天界の神々の定めだったのだ」
「どういうことだ……?」
カイの眉がわずかに動く。その反応を楽しむかのように、ルシフェルはさらに言葉を続けた。
「地上の生命力を定期的に収穫する。それが天界の神々の習わしであり“定め”。この地上界はただの資源……すなわち燃料だな」
「天界が……厄災を起こしてただと?!」
その告白に、カイは目を見開いた。
「かつてのは私は、神としてその役目を担う“執行者”だったのだよ」
「あんたが……神だった?」
「そうだ。当時、地上の人々は希望を持ち、我に祈りを捧げていたよ。しかし、その祈りは神々にとって何の価値もない。ただ利用するだけだ。我はだんだんそれが許せなくなった……そして我は、大厄災の執行を拒んだのだ。その結果が、この姿だ」
ルシフェルは自嘲するように笑った。その声には苦悩と憎悪が入り混じっていた。
「じゃあ、あんたが堕天する前も、厄災は繰り返されていたというのか?」
「そうだ。つまり我を倒したところで何も変わらん。時間が経てば再び執行者としてこの世界に現れるだけだ」
「じゃあどうすれば、この連鎖を止められるというんだ?」
「そうだな……天界を滅ぼさない限り、この連鎖は終わらないだろう」
カイは拳を握り締めながら、低い声で問いかけた。
「それが真実だとして……あんたは、なんで今も地上に厄災をもたらしている?神々の命令に従わないなら、どうしてそれを続けるんだ?」
ルシフェルはその問いに冷たく微笑む。
「我が厄災をもたらすのは、神々への復讐の一環だ。地上を破壊し尽くし、命の収穫を断つ。それが、神々に対する叛逆になる。……まあ結局、この役割からは逃れられなかったということだ」
カイはその言葉に動揺しつつも、毅然とした声で問い詰める。
「叛逆?ただの自己満足じゃないか。あんたがやっているのは、神々の代わりに同じことを繰り返しているだけだ。そんなものは、人間にとって何の救いにもならない!」
ルシフェルの瞳に僅かな怒りが浮かび上がる。
「ならば問う。叛逆の神託者よ……貴様はどうするつもりだ?この連鎖を終わらせるには、天界そのものを潰すしかないのだぞ?」
カイは深い呼吸をし、目を閉じて一瞬思考を巡らせる。そして目を開き、静かに言い放つ。
「それが真実なら、ボクは天界も潰す!」
その言葉に、ルシフェルの瞳がわずかに輝いた。そして、冷たい笑みを浮かべながら一歩前に出る。
「ははは……なんと剛気な、お前のような神託者は初めてだ。いや、もはや神託者ではないな。貴様は堕天の域に足を踏み入れている……つまり、我と同じ側に降りてきたということだ」
「……あんたらと一緒にするなよ」
「どうだ、神託者……いや、カイよ。一緒に天界を目指さないか。神々を打倒し、我が天界を、貴様がこの地上界を支配すれば、堕天の連鎖を終わらせることができるぞ」
「お前のやり方は許さない。誰かを犠牲にして得た未来なんて、意味がない」
その言葉に、ルシフェルは冷笑を浮かべ、彼の言葉を嘲るように続ける。
「愚かしい。人間など弱い生き物だ。祈りに頼り、神にすがるだけの存在だ。それが自らの力で未来を掴めるとでも思うのか?」
カイは強い意志を込めた声で応じる。
「祈りも、希望も、ボクら人間が持つ力だ。お前にはそれが理解できないんだろうけど、それがボクたちの『意地』だ。たとえ夢物語でも、それを守るのがボクの正義だ!」
ルシフェルはその言葉に一瞬だけ沈黙し、冷たい笑みを浮かべながら翼を大きく広げた。
「正義……それを掲げて他者を蹂躙し、虐殺を繰り返したのは、他ならぬ貴様ら愚かな人間の歴史そのものではないか」
「だとしても、自分たちで選び、悩み、苦しんだ先に……夢が、未来があるんだ」
「ならば、その夢物語を抱えたまま滅ぶことになってもか?」
「たとえそれが僅かな希望だとしても、ボクはその夢を守る。それが……神託者として、いや、人間としての意地だから!」
ルシフェルはその言葉を聞くと、大きく翼を広げ、闇を纏ったエネルギーを解放する。
「ならば、見せてみよ。その人間の意地とやらを。……その希望がどれほど無意味か教えてやろう!」
広間全体が暗黒の力で満たされ、激しい風が吹き荒れる。カイもまた力を高め、光の力を手に宿した。
するとカイは配信用のティックバードを取り出し、空中に放った。
「堕天の王ルシフェル……多くの人間が見守る中で、ボクが人間として……お前を乗り越えて、この連鎖を終わらせる!」
その言葉が発せられた瞬間、ティックバードは配信を開始。カイとルシフェルの対峙は緊急報道番組を通じて全世界へと瞬く間に広がっていった。
一方、地上——
都会の喧騒も薄らぐ山間のラボの地下にある一室。様々な計器やサーバーが置かれた開発室では、エンジニアたちがその手を止めてざわついていた。
「開発作業は中止だ。緊急事態が発生した!」
そう叫ぶのはカイの母、佐藤フブキの上司だ。だが、フブキは作業机に向かい、必死にキーボードを叩き続けている。
「どうして開発を止めるんですか?!いまが佳境なんですよ!」
フブキの額には汗が滲み、まるでトンネルの中を進むように集中していた。
上司はそんな彼女を見て眉をひそめる。
「佐藤くん……君はテレビやニュースを見てないのか?世界がとんでもないことになってるんだぞ!」
「世界……?」
フブキは初めて手を止め、上司を見上げた。その視線は、全く事態を理解していないことを物語っていた。
「とにかく来い!説明より見たほうが早い!」
上司に腕を引かれるようにして連れて行かれたのは、休憩所に設置された大きなテレビモニターの前だった。そこには大勢の社員が詰めかけており、画面に映るニュース映像に釘付けになっていた。
画面では、四堕天使によって引き起こされた大災害が次々と映し出される。洪水に飲まれる街並み、溶岩流に焼かれる村、地震で崩壊するビル群……世界の終焉を告げる光景が続いている。
「な、なにこれ……どうなってるの……」
フブキは呆然と立ち尽くす。目の前の映像は、彼女の知る日常とは完全にかけ離れていた。
「世界が終わるらしいよ……」
近くで呟く声が耳に入る。
「せめて家族のそばで死にたかったな……」
「でも、神託者の少年が堕天の王を倒してくれるかもしれないってさ」
「無理だろ、あんな若者が勝てる相手じゃない……」
その時、テレビ画面が切り替わり、新たな映像が流れ出した。
「見ろ!堕天の王と神託者の少年が戦うぞ!」
視線が一斉に画面へと向けられる。その中心には、黒い翼を広げたルシフェルと、それを睨みつけるカイの姿が映っていた。
「……カイ!?」
フブキの声が震える。
「え?佐藤カイって……知り合いなんですか?」
近くの同僚が不思議そうに尋ねる。
フブキは画面の中の少年を指差しながら呟いた。
「私の……息子よ……」
その言葉に、周囲の人々が一斉に驚きの声を上げた。しかしフブキの視線は画面から一瞬たりとも離れない。彼女の瞳には、驚愕と戸惑い、そしてかすかな誇りが混じり合っていた。
画面では、光と闇がぶつかり合う一瞬がスローモーションのように映し出されていた。広間に吹き荒れる風が激しさを増し、次の瞬間、閃光と共に戦いの幕が切って落とされた。
次回「正義の光と影」——人類の意地と命運を賭けた戦いが始まる。