第52話:堕天の王降臨
塔の最頂部。触媒から噴き出すエネルギーが広間全体を赤黒く染め上げる。空間を歪ませるような轟音が響き渡り、周囲の柱が軋む音を立てる。
眩い光が天空を突き抜けるように立ち上がると、触媒の中心が裂け、暗黒の奔流が渦巻きながら空間を押し広げた。
――そして、そこから現れたのは、堕天使の王――ルシフェルだった。
彼の姿は人間に似ているが、背中には黒い翼が広がり、その羽根は光を吸い込むかのように闇を纏っていた。彼の瞳は底の見えない漆黒の深淵を映し、その存在感だけで周囲を圧倒する威厳があった。
バルバトスはひざまずき、深々と首を垂れると、全身を震わせながら歓喜の声を上げる。
「降臨された……ついに我が王が……!」
ルシフェルはゆっくりと目を開き、自らの手を見つめた。その指先を軽く動かし、顕現した体の感触を確かめている。その所作には、絶対的な支配者の風格が漂っていた。
「久しぶりの地上界。やはりいいものだな……」
彼の声は深く、冷たく、広間全体に響き渡る。それはまるで存在そのものが語りかけているようで、ただ聞くだけで恐怖を呼び起こす響きだった。
「どれ、試してみるか——」
ルシフェルはふと目を上げ、塔の外に広がる風景を見渡す。そして、無造作に手を天にかざした。その視線の先には、60階を超える超高層ビルがそびえ立っている。
「ふむ……」
手刀を振り下ろすような仕草をすると、塔の頂点から眩いばかりの細い光線が発射され、天から地上へ剣のように振り下ろされる。それは瞬く間に超高層ビルに到達し、その中心を真っ二つに切り裂いた。
――ドォォォォン!
轟音と共に、ビルはゆっくりと崩れ落ち、瓦礫が煙を上げながら地上へと散らばる。爆風が辺りを包み込み、地上の人々の悲鳴がこだました。
一方、地上では神楽アヤメ率いる部隊が眷属との死闘を繰り広げていた。その中、突如として響き渡る轟音と共に、塔の頂上から降り注ぐ光の軌跡が彼らの視界を捉える。
「あれは……!」
アヤメは顔を上げ、光の方向を見つめた。その目に映るのは、巨大な高層ビルが真っ二つに割れ、崩れ落ちていく光景。
「まさか……もう堕天の王が降臨してしまったというの……?」
彼女の声には焦りと絶望が混じっていた。
なぜなら、自分たちが踏ん張っていることで、そこまでの生命エネルギーを集めさせてないはずなのだ。
その背後では隊員たちが口々に騒ぎ始める。
「司令!これは……!」
「落ち着け!」
アヤメは部隊に冷静を呼びかけながらも、内心では計り知れない不安が胸を締め付けていた。
今、考えられるのは、リサの怒りの炎を儀式に利用されたという可能性だった。
仮に想定より早く大厄災が始まり、神託者による堕天の封印が間に合わなかった場合、人類は絶滅という運命を辿ることになる。
彼女は一瞬だけ空を仰ぎ、呟いた。
「カイ……急いで……」
◇ ◇ ◇
——再び塔の最頂部。堕天の王ルシフェルは満足そうな笑みを浮かべていた。
「……素晴らしいではないか」
崩れ去るビルの光景を目にし、ルシフェルは満足げに微笑んだ。
「よくやった——バルバトス、面をあげよ」
「ありがとうございます、ルシフェル様。この娘の原初の炎と我が触媒が、貴方様の早期の降臨を成し遂げました」
ルシフェルは隣で鎖縛されているリサに目をやる。その瞳には冷酷な光が宿っている。
「なるほど……この娘が発する”原初の炎”を使ったか。最高の仕上がりだ。よく働いた」
バルバトスは再び深く頭を垂れる。
「しかも……神託者が未だ到達していないということは『魔封』も顕現しておらんのだな」
「はい、神託者は中層にて『鎖縛』しております。今回の者は愚かしいほどに覚悟のない人間でございました」
「そうか、いよいよ我らが天界に達する時が来たということだな」
その声が響いた次の瞬間、広間全体が微かに揺れる。ルシフェルは目を細め、その異変に気づく。
「ほう、これもまた……今までにない感じだ」
塔の中腹から、まるで神力と怒りが混在した波動が押し寄せてくるのを感じた。遠く離れていても、それは無視できないほど強烈だった。
バルバトスもすぐにその気配を察知し、表情を引き締める。
「……あの神託者が、鎖縛を解いたようです」
「うむ……この気配は神力に達したのかもしれんな……しかし、なぜ『魔封』を覚醒しておらんのだ?」
堕天の王ルシフェルの疑問に、バルバトスが薄笑いを浮かべる。
「今回の神託者は『魔封』を体得できない落第者なのかもしれませんな……神界の選定に誤りがあったのかも」
するとルシフェルは笑みを浮かべた。
「愚者とはいえ、警戒するに越したことはない。バルバトス、行って神託者を足止めせよ」
「御意……『魔封』を持たぬ神託者など、私でも対処できましょう」
ルシフェルはリサの鎖縛された姿を再び見つめ、冷たく微笑む。
「この娘は、まだ生かしておく価値があるな。我はこれより、大厄災の準備を進める。人間どもが絶望するよう……神託者をできる限り残酷に処せ」
「御意……では配信といわれる人間どもの技術を使い、絶望を与えましょう」
バルバトスは再び深く頭を垂れると、触手を振り広げ、中層へと滑るように向かっていった。
広間に一人残ったルシフェルは、静かに両腕を広げる。その姿はまるで、この世界を手中に収めた支配者そのものだった。
「さあ……地上に恐怖と絶望を撒き散らし、天界を制する時が来た――」
広間全体が黒い光で満たされ、塔全体を包み込む闇がさらに濃さを増していった。
◇ ◇
カイとメイは無言のまま、薄暗い塔の中を駆け上がっていた。緊張が漂う空気の中、メイがふと口を開く。
「カイ様……塔の頭頂部の方角から、強力な気配を感じます」
その言葉に、カイは前を見据えたまま静かに頷く。
「うん、おそらく堕天の王が降臨したんだろうね」
メイは一瞬目を伏せ、そして覚悟を固めた表情で問いかけた。
「もし堕天の王が大厄災を引き起こしたら、塔がさらに伸びて天界に至るということなのでしょうか?」
カイは少しだけ振り返り、淡々と説明する。
「塔が空に伸びるわけじゃないよ。十二界まで覚醒したことで、やっと仕組みが理解できた。これはエネルギーを集めて次元を開く装置だ。物理的に空へ行くんじゃなく、天界を“繋ぐ”ためのものだね」
「次元を……つまり、天界と呼ばれる地への扉を開くということですね」
メイの問いに、カイは短く肯定の声を返した。
「そうだね。でも、ボクには神界がどうなろうと関係ない。ただ、地上に大厄災を起こさせるわけにはいかない。だから堕天の王は潰す」
その言葉に込められた静かな怒りを感じ取り、メイも決意を込めた眼差しで応えた。
「ちょっと冷たいカイ様も、いい感じです」
二人が息を合わせたその時、再び広間に差し掛かった。
中央には、一人の男が立ちはだかっている。赤黒い体に無数の触手を持つ奈落の解放者――バルバトスだ。
「面倒な奴らだ……ここから先には行かせるなと、堕天の王ルシフェル様からの命だ。お前達には、ここで死んでもらう!」
バルバトスの声が広間に轟き渡る。だが、その挑発にも関わらず、カイは一歩も引くことなく冷静に彼を見据えていた。
すると、静かにメイが一歩前へ進み出る。そして、冷徹な声で宣言した。
「バルバトス……あなたの相手は私よ」
その言葉に、バルバトスは驚いたように目を見開き、そしてすぐに嘲笑を漏らした。
「ほう、あれほど痛めつけてやったというのに、まだ力の差がわからないのか、蜘蛛女」
だが、メイはその挑発に一切動じることなく淡々と言い放つ。
「今回はカイ様から許しを得ている。だから……手加減はしないわ」
その冷静で圧倒的な自信に、バルバトスは苛立ちを隠せず、声を荒げた。
「はっはっは、ならば絶望のショーの前座にでもなるがいい!人間どもにこの女の無様な亡骸を見せてやろう!」
そう言うと、バルバトスは配信用のティックバードを起動させた。
【なんだ!配信か?】
【また堕天の使徒とメイちゃんのバトル?】
【やめてくれ!今度こそ殺される!】
【お前ら配信見てる場合かよ!】
【もうあんなの見たくない……】
コメントが流れる中、バルバトスはカメラに向かい狂気じみた笑い声を上げた。
「さあ、人間どもよ。お前達に希望などないことを教えてやろう。この女が無惨にくたばる姿をもってな!」
その言葉に、カイが静かにメイへと声を掛けた。
「じゃあメイ、ここは任せるよ。ボクは堕天の王を止める」
メイは振り返り、深く一礼する。
「かしこまりました。カイ様、どうかリサを……」
だが、カイは手を軽く上げて彼女を制し、低く鋭い声で言い放った。
「一つだけお願い、いや命令だ――」
「なんなりと」
「あのクソ野郎が……恐怖で二度と奈落から戻ってこれないよう、無慈悲に、徹底的に、叩き潰せ」
メイは静かに目を閉じ、そして冷徹に頷いた。
「かしこまりました……ではいったん人間を忘れます」
その言葉に満足したように、カイは一瞬でバルバトスの背後に回り込み、次の階段へと姿を消した。
「くっ……しまった!追わねば――」
踵を返そうとしたバルバトスだったが、その瞬間、体に絡みつく糸の感触に動きを止められる。
「待ちなさい。あなたの相手は私と言ったでしょ」
冷たく響くメイの声。その声に、バルバトスは憤怒の表情を浮かべながら触手を振り回す。
「お前など、私の相手ではないわ!」
そう言うや否や、数百本の黒い剣が空中に展開され、雨のようにメイを覆い尽くした。広間全体が剣の衝突音と轟音に包まれ、視界を埋め尽くす爆煙が立ち込める。
「一瞬で終わりだ、愚かな女め!」
バルバトスの声が広間に響く。しかし、その歓喜に満ちた声は、爆煙の中から聞こえた冷たい言葉によって掻き消された。
「終わり……?それは、どちらの話かしら?」
爆煙が晴れると、そこには圧倒的な存在感を放つメイの姿があった。背中には八本の巨大な蜘蛛の脚が生え、漆黒の甲殻が彼女の全身を覆い、腰からは蠍のような尻尾が蠢いている。
『アラクネ・ロード』その黒いオーラが広間全体を圧倒し、空気を一瞬で凍らせた。
「その姿……なんだ……!」
バルバトスの声には動揺が滲む。しかし、メイの表情は冷静そのものだった。
「ひとりで任されて良かった……」
静かに、しかし確かな決意を込めて語るメイ。その声には、不気味な乙女心と冷徹さが交錯していた。
「この姿は、カイ様のお好みじゃないと思うから」
その言葉に、バルバトスは短く息を呑む。
「躾てあげるわ……二度と奈落から戻りたいなんて思わないほどの『恐怖』と『絶望』で」
次回――「蜘蛛の女王の復讐」
バルバトスの慢心が崩れ去る中、メイの放つ恐怖が牙を剥く。




