異世界転勤おじさん
「喜べ草壁!今日からお前は異世界に転勤だ!」
「……は?」
思い出されるのは、先週の課長の一言。その課長の言葉から、あれよあれよと言う間に自分のデスクに置かれていた荷物を纏められ、住んでいたアパートを引き払われ、俺は半ば強制的にこの異世界へ飛ばされた。
「……おー」
ポータルを抜けて真っ先に目に飛び込んできたのは照り付ける日の光と沢山の人。目の前に広がるこの光景には特に驚きはしないけども、まさか自分が本当に異世界に来る事になるなんて思いもしなかった。
「…とりあえず、宿行こう」
スーツケースを引いて、とぼとぼと歩き出す。ポータル発着場からしばらく歩いた所にこれから俺がしばらくお世話になる宿屋があった。
「えーと、社員証…社員証は…」
宿屋の扉の前に立ち、ポケットから取り出した社員証をドアノブ付近に付けられたセンサーにかざして中に入る。
宿屋の中は閑散としていた。広くもなく狭くもない、木目調の床と壁が印象的なその宿屋の内部にはテーブルと椅子が一つずつあり、カウンターには小さなベルとノートが一冊開かれた状態で置かれている。
「誰も居ないのか?」
カウンター奥にある部屋を見て、キョロキョロと見渡す。ベルを鳴らすと"カン"という音がした。予想していた音とは違う音でちょっと吃驚。
「誰かえ?」
「わあ!?」
ベルを鳴らしてすぐ、背後から声がした。目を見開いて肩を震わしながら振り向くと、そこには一人のこじんまりとしたお婆さんが。お婆さんは俺を見上げて、にこにこと笑みを浮かべている。
「あ、と、お婆さん…ここの人?」
「そうだよ。お前さん、ここに来たって事は…異世界警察の人だね。話は聞いているよ」
笑みを浮かべたまま俺の姿を舐めるように見てくるお婆さん。名前を聞かれたので自分の名前を答えると、お婆さんは"ついておいで"と言って階段を上がっていった。
「…ついていくべき、なのか?」
「クサカベさん」
「わあ!?」
二度目の吃驚。突然声を掛けてくるのはやめて欲しい。声の方に顔を向けると先程は居なかったカウンターに女の子が座っていた。金色の髪に長い耳。うわ、生エルフ少女。
「これ、クサカベさんの部屋の鍵です。…社員証はお預かりします。もう必要ないので」
「あ、…どうも」
カウンターに置かれた鍵と社員証を交換し、その鍵をまじまじと見つめる。変わった形の鍵だ。これは星なのかと"うむむ"と眉をひそめていると、突然鍵が淡く光りだす。三度目の吃驚。エルフ少女によると、鍵が光りだした理由は鍵が俺を所有者だと認識したからだそうです。どういうこっちゃ。
「部屋は三階の右です。お婆ちゃんが先に着いてるはずだからすぐにわかるはずです」
「………、」
淡々と、吃驚しっぱなしの俺なんて気にしていない様子で言葉を続けるエルフ少女。鍵を持ったままペコリと頭を下げて、俺は階段を上がり三階へと向かった。荷物ありで三階まで階段って、ちょっとキツイぞ。
+
「さ、今日からこの部屋がクサカベさんの部屋だよ」
そう言われて、お婆さんが部屋の扉を開く。
お婆さんが俺の事を"異世界警察"…アンダックと言っていたが、俺は警察官ではない。俺はただの一般企業に勤める、ただのしがない会社員だ。
俺が勤める会社には、一風変わった部署が存在していた。その名も『異世界犯罪取り締まり課』。通称・異世界警察。
なんともふざけた名前の部署だけど、本当にある部署だから酒の席での笑い話には一切ならない。アンダックという言葉は、この世界の言葉で"捕獲者"の意味を持っているのだそうだ。
「何か必要なものがあれば言っとくれね。用意するから」
「あ、ありがとうございます」
パタンと扉を閉めて、お婆さんの足音が離れていく。部屋にはベッドとテーブル。窓の近くには観葉植物。床には灰色のカーペット。あと天井には証明と、そこは俺がよく知っている宿屋の部屋と大差はなかった。
スーツケースをベッドの脇に置いて窓を開けると、外の賑やかな声が聞こえてくる。日本語ではなく、この異世界で一般的に使われている言語だ。先程のお婆さんとエルフ少女も使っていた言葉。どうして俺が理解出来ているのかというと、胸ポケットに付いた翻訳機のおかげだ。こっちに来る時に課長から貰った異世界言語翻訳機。この翻訳機がなかったら今頃言葉が通じずパニックだっただろう。
「すー。はー」
涼しい風を浴びて、しばらくボーッとする。こんな穏やかな時間を過ごすのは何年振りだろうか。目を閉じて深く息を吸い、深く息を吐く。
今日から俺はここで生活していくんだなぁ。
子供の頃に何度も夢見た異世界での生活。この草壁大珂、齢三十三。まさかこの歳になって子供の頃の夢がこんな形で実現するなんて思いもしていなかった。
「おはろー!!」
「わああ!?」
感慨に耽っていると、突然バンッ!と大きな音を立てて部屋の扉が開く。それと同時に大きな声も聞こえてきて俺は肩をビクリと震わせた。四度目の吃驚。バクバクと鳴る胸に手を当てて振り向くと、そこには満面のニッコリ笑顔で片手をあげたスーツ姿の男が立っていた。
「よーよー!お前か?今日から入るっつー後輩は!」
「だ、…っ」
…誰?
「ん?あれ?どうしたん?返事ないぞ新人?先輩であるこのオレが挨拶してんのに無視するな。よし、ではもっかい。おはろー!」
「……、」
「おはろー!!」
「っ、お…おはろー?」
「ふふん。よろしい」
近付いてきて、再び笑顔を浮かべる男。なんだかよくわからず俺は目を見開いたままその男を見ていた。首に不思議な形をしたチョーカーを巻いている。
"おはろー"って、今時言わないだろ。今まで生きてきた中でそんな挨拶してきた人、現実では一度も見たことないんだけど。
「えと、貴方は?」
「ん?ああ、悪い。まずは自己紹介からだったな!…オレの名前は佐渡。佐渡淳だ。"さわじゅん"って呼んでもいいぞ!」
「…はぁ」
そう言って、さわじゅん…佐渡さんはスーツの内ポケットから名刺を取り出して俺に渡す。渡された名刺には名前の他に、会社名と部署名…それと見慣れぬ文字と数字が書かれていた。彼は俺と同じ会社に勤めている人のようだ。俺も同じように名刺を渡して、自分の名前を伝える。
「…よろしくお願いします」
「おー。よろしくな草壁くん!」
ペコリと頭を下げれば、肩に手を置かれて強い力でバシバシと叩かれた。テンション高い人だな。
「ところでくさ…あー、めんどいから大珂でいいか。ここ会社じゃねぇし。大珂はさ、ゲームとかよくする人?」
「ゲーム…ですか? まぁ、人並みには」
「ジャンルは何やるん?RPG?シューティング?ホラー?シミュレーション?それともギャルゲー?」
「ええと、…一応まんべんなく。ジャンルとかは特に気にせず、気になったものはやる派です」
「へぇ、そうなんね。オレもジャンル気にせず派のまんべんよ。…ってか、こっちに送り込まれる条件ってのがそれだからそれが当たり前なんだけどな」
「え?そうなんですか?」
「ん?知らなかったの?」
「…まぁ、確かに課長には勤務初日に色々聞かれたような覚えがありますけど」
それは、俺の勤務初日の事。意気揚々と"異世界犯罪者取り締まり科"の扉を開けて課長に挨拶をした時。最初に課長に言われたのは
『草壁くん、ゲーム好き?』
だった。ゲームではなくても、もしくは小説だったりアニメだったり映画だったり。俺はあまり趣味をオープンにする性格ではなかったけど、上司からの質問には答えなければいけないから渋々と頷き、そこから怒涛の質問責めが始まった。
ゲームでは何が好きだとかアニメでは何が好きだとか映画では何が好きだとか根掘り葉掘り。おかげで勤務初日の思い出はそれしかない。
「あは。出た課長の初日質問ラッシュ! 懐かしー!オレもやられたわー!」
お腹を抱えて"ははは"と大口を開けて笑う佐渡先輩。目に涙を浮かべる程笑ったあと、先輩はベッドに腰を降ろした。
「あー。ははっ。こんな笑ったんも久し振りだよ。最近はやたらかたっくるしい奴らと一緒の勤務だったからさー」
「……」
「ってー事でオレの用事はここからなんだけどさ」
「…あ、はい」
そう言って、先輩は内ポケットに手を伸ばす。
用事あって来たんだ。まぁ、それはそうか。用事がなきゃ知らない人の部屋には勝手に入って来ないよね。そう思いながら、手を伸ばして内ポケットの中をゴソゴソとしている先輩をじっと見つめる。
その時、突然視界が暗くなった。それと同時に窓から吹き飛ばされそうな程の強風が吹いてくる。ドォンッ!という大きな音が俺と先輩の鼓膜を刺激した。
「は?」
振り向いて窓から外を見てみる。見えたのは視界いっぱいのオレンジ色だった。オレンジ色の…これは、毛か?ふっさふさで、風に靡いてわさわさと揺れている。
[グウウウオオオオ!!]
「!?」
おわー、何だこれ。そんな呑気な感想が頭の中でぐるぐると回る。次の瞬間、とてつもなく大きな声が耳をつんざいた。咆哮と言うのか、その大きすぎる声に耳を塞いで俺は窓から落ちないように身を乗り出す。
「……ええぇ」
どうやら俺が見ていたのは、"それ"の腕部分だったらしい。それの声と同時に聞こえてくるのは、街の人たちの叫びと逃げ惑う声。もう少しだけ身を乗り出して空を見上げれば、それの顔がなんとなくだが見えた。
[グウウウオオオオ!!]
……狼?
「はぁ。ったく、こんな時に」
「!」
俺の背後で同じように"それ"を見ていた先輩が溜め息まじりに言った。
「しゃーない。後輩には早く覚えてもらわにゃ駄目だしな。見たとこ超即戦力っぽいし」
「先輩、あれは一体…」
"それ"。超デッカイ狼を指差して口元を引きつらせる。首に巻かれたチョーカーに触れて先輩はニヤリと笑った。チョーカーに触れた手を素早く離すと先輩の手には光が集まり、その光は一つの短剣となる。
「なっ、!?」
五度目の吃驚。目を見開いて自分を見ている俺に気が付き、先輩はそのまま手にしたそれをくるっと回した。
「へへん。どうだ、新人?吃驚しただろ?」
「はい、とても…」
吃驚しすぎて心臓が止まりそうです。こっちに来てから俺何回吃驚してるんだろう。…というか、どういうシステムが働けばチョーカーから短剣が生まれるなんて事が可能になるんだ。そういうプログラムが組まれてるのか?
[グオオオッ!!]
「!おっと。こうしちゃいられねぇ!大珂!こっちに来る前に渡されたものあるだろ?」
「渡されたもの?…はい、ありますけど。スーツケースの中に入ってます」
「それ持ってオレについてこい。"犯罪者"との初戦闘だ!」
そう言って、先輩は部屋を出ていく。
こっちに来る前に渡されたもの。ベッド脇に置いていたスーツケースの蓋を開けて、見える所にしまっていたピンク色のポーチから俺はそれを取り出した。
こっちの世界に来る前に"異世界片道ポータルカウンター"に居た受付の女性から貰った真っ白な色をしたリストバンド。手首に着けると、真っ白だったそれは徐々に青色へと変化した。
「ん?」
リストバンドを手首に着けた瞬間、視界の端っこに"Lv"という文字が小さく映る。
レベル…?
[グオオオ!]
「うーわー。足元から見ると顔がまったく見えねぇ!」
「おっと」
疑問に思ってる場合じゃない。早く先輩のところに行かないと。
先輩の声にハッとして俺は開いたスーツケースをそのままに慌てて部屋を出ていく。階段を降りると出入り口の扉前にはエルフ少女とお婆さんが居て、"いってらっしゃいませ"と頭を下げていた。
+
「先輩!」
グオオオッ!!と超デッカイ狼の声が響く。先輩の元へ走っていくと、先輩は俺の手首に着けられたリストバンドを見て、口元を緩ませた。
「よし。まずは第一関門突破だ。さて大珂君。今何が見えてる?」
「何って…。先輩?」
「オレが見えてるのは当たり前よ。他に。他には何が見えてる?…あ、街とか人とかモンスターとかは無しね」
「…えと、それなら…少し前から視界の端に文字が。…レベル、ですよねこれ?」
「そう。正解。さっすがゲーマー大珂君。それは今の君のレベルを表してるんだ。レベルの横に数字あるっしょ?」
「数字?…、ああ、はい」
言われてから気が付いた。確かにレベルと書かれた文字の横に数字がある。
「1ってあります」
「それが現在の大珂のレベルだ。ちなみにオレのレベルは38。まだまだ精進ってところだな」
レベルは、モンスターを倒して貰える経験値を溜めていくと自然に上がるそうだ。レベルとか経験値とか、マジでゲームみたいだ。ちなみにモンスターのレベルもわかるらしく、狼の方に顔を向けると"レベル3"と映っていた。このデカさで、3。
「デカイわりにはスライム張りの弱さだね、こいつ」
ははは。と笑う先輩。
確かにこのデカさで3ってのは、ちょっと困惑する。
「でもま、この程度ならお前でも余裕っしょ」
「えっ、まさかあれと戦えと?」
「…お前ここに何しに来たの?ここに来たらお前はもう一般サラリーマンじゃない。立派な異世界警察官だ。気を張りなさい。気を」
「……、」
目の前で暴れる超デッカイ狼を見つめて眉を下げる。今から俺はあいつと戦わなきゃいけないのか。転勤初日になんてこった。
「先輩は戦ってくれないんですか?」
「オレのレベルだとあいつワンパンだからね。パーンって弾け飛ぶから。だから今回はオレは傍観」
「……、武器ってどう出すんですか?」
「さっき見てたでしょ? それに触って念じるだけ。"武器よ出ろー"って。そうすれば、今の自分に見合った武器が現れてくれる」
「はぁ」
手首に着けたリストバンドを見る。自分に見合った武器。どんなものなのか楽しみな反面、一体どんな武器が自分の元に現れてくれるのか凄く不安。
「……リストバンドに触れて、念じる」
「狼を追いかけながら行くぞ」
先輩のあとをついていく。ドスンドスンと揺れる地面と狼の足音を聞きながら、俺は意を決してリストバンドに触れた。
念じる。"武器よ出ろ"と念じる。そうすれば自分に見合った武器が現れる。深く息を吐き、眉をひそめる。次の瞬間、リストバンドが淡く光を放った。
光を放ったら手を離して、手の中にその光を閉じ込める。光は徐々に収縮していき武器の形となって俺の手に握られた。俺の元に現れた武器。光が消えて、その姿が露になる。
「……ん!?」
手に握られていた武器を見つめて六度目の吃驚。俺の手の中にあったのは、なんと木の棒だった。普通の木の棒。そこら辺を探せばすぐに見つかるだろう普通の…ただの木の棒。
いや、あの、わかるよ。わかる。言いたい事はなんとなくわかるんだけど、何で木の棒?そりゃ誰しも最初は木の棒始まりだけどさ、何で木の棒?てっきり俺は鉄の剣か銅の剣とかが出てくれるのを期待していたんだけど、…そうかぁ、木の棒かぁ。
先輩の方を見ると、先輩は俺の持つ木の棒を見つめて哀しみの目を向けていた。いや、そんな可哀想な人を見るような目やめてください!
「…これで狼と戦えってか」
口元を引きつらせて、木の棒を見つめる。でもこの木の棒はリストバンドから出てきたれっきとした武器。きっと何か目に見えぬ力をその身に宿しているのかもしれない。そう思った俺は走るスピードを上げて、狼の目の前まで移動する。先輩が心配そうに見つめている中、俺は木の棒を構えて全神経を集中させた。
[グオオオッ!]
狼が足を止める。目を閉じて息を吐く。手に握られた木の棒から力を感じる…気がした。しかししばらくそのままの状態が続いて、特別何かが起こる事はなく、俺は痺れを切らした狼に大きく振りかぶられた爪で斬り飛ばされてしまった。誰かの家のコンクリートの壁にめり込んで痛みに顔を歪ませる。
[グオオオッ]
狼が再び歩を進める。
やっぱり木の棒じゃ駄目だった。
「大珂!」
先輩が俺の元へ走ってくる。
「うっわ。痛そう」
「実際、物凄く痛いです」
ゆっくりと身体を動かす。あれだけの衝撃を受けて"痛い"だけで済んでいるのはリストバンドのおかげだ。受付に居た女性の話では、このリストバンドには"アンチダメージ・ワン"という機能が搭載されていて、たとえどんな攻撃を喰らったとしても絶対に致命傷にはならないようになっているらしい。便利。
「あの狼、ワンパンで倒しましょう。先輩」
「それは駄目だって。諦めたらそこで終わりだよ大珂君」
「……、弱点とか無いんですか?」
「弱点?例えば?」
「例えば…、背中とか?」
「うーん。背中か。あいつの背中毛むくじゃらだから違うんじゃないか?」
再び狼を追い掛けながら先輩と考える。うーん。と頭を捻って狼の弱点らしき箇所を探すも、全然見当たらなかった。こういう巨大な敵には"弱点箇所"が必須なんだけどな。
「先輩、とりあえず俺やってみます」
「やってみるって?」
「弱点探します」
「どうやって?」
「どうって、…よじ登って?」
草壁大珂の作戦その1。狼の身体にへばり付いて、足から背中まで登っていく。途中で振り落とされそうになったが、なんとか堪えた。
草壁大珂の作戦その2。背中の毛に掴まって弱点を探す。巨大な敵の多くは大体が背中の何処かが弱点。これには確証がなく、俺個人が勝手に調べ上げた結果。
草壁大珂の作戦その3。弱点だと思う箇所をひたすら木の棒で叩く。はたから見たら"ツボ押し"に見えなくもない。
[グオオオ、…ッ、グオッ]
「ん?」
ひたすらに弱点だと思われる所をただただ無心で叩き続ける事数分。その時、狼の足が止まり苦しそうな声をあげた。知らぬまに弱点を突いたか。
[グオオオ、グオオオ]
「何処だ?何処だ?ここか?」
[グオオオ、グ、グオオオッ!!]
「っ!ここか!」
ある一点を叩くと、狼の声は大きくなった。弱点を突いた。作戦は成功だ。よし、あとはここを叩きまくるのみ。
[グオオオオッ!!]
トントントントントントントントン。と、素早い動きで木の棒を弱点箇所に叩きつけていく。見た目は不恰好極まりない。けど、俺にとっては初めての"犯罪者"との戦い。不恰好でも良いじゃないか。
[グオオオ…]
叩き続けていると、力尽きたのか両膝を地面に付けて狼はその場にうつ伏せに倒れた。それを見た先輩は目を見開いて小さく"マジか"と呟いた。
「あはは…。やるな新人。大したもんだ」
「いえ。たまたま運が良かっただけですよ。……と?」
狼の背中から降りる。すると狼の身体は光の粒子に包まれて消えてしまった。狼の身体があった場所には丸い球が転がっていて、先輩がそれを拾って俺に渡す。
「何ですかこれ?」
「これが経験値だ。こうやって割ると…」
手のひらの上に置いた球を真ん中から真っ二つに割る。割った瞬間、視界の端にあるレベルの所に"+2000"という数字が映り込んだ。レベルが2に上がったようだ。
「レベルが…」
「まぁ、3だからな。経験値はこれくらいか」
2000って、多いのか少ないのか。まぁ多分それはレベルによって違うのだろう。
「ああ良かった!アンダックの人達が助けてくれたぞ!」
「ありがとうございます!」
「ありがとー!おじちゃんたちー!」
今まで隠れていたであろう街の人達が一斉に出てきて俺たちに感謝の言葉を伝える。何か今さっき"おじちゃんたち"って聞こえた気がしたけど、空耳かな。
「…とまぁ、だいたいこんな感じかな。アンダックの仕事は」
街の人達の声に応えながら先輩は言って、短剣を瞬時に消す。俺の持っていた木の棒はいつの間にか消えていた。
「どうだった?モンスターを倒してみてのご感想は?」
「……なんか、どっと疲れました」
「ははっ。素直でよろしい!…ってか本当、よく木の棒でやれたな。期待の大型新人じゃん。これは報告書の内容が捗るな!」
「だから、たまたまですって」
眉を下げて笑う。そして俺と先輩は、お疲れ様とハイタッチをして宿屋へと戻っていった。宿屋では出ていった時と同じようにエルフ少女とお婆さんが"お帰りなさい"と頭を下げる。
「そいじゃ、おつかれさん。今日はもうゆっくり休めよ。明日迎えに来るから」
三階の俺の部屋。そう言って、先輩は俺の肩を叩いて階段をら降りていった。部屋の扉を開けて溜め息を吐くと、俺はだらりとベッドに倒れ込む。あー。もう。本当に。どっと疲れた。
「ぐー」
疲れている場合、俺は寝るのが早い。ぐっすりと寝息を立てて、俺はそのまま眠ってしまった。次に起きたのはエルフ少女が"夕飯が出来た"と伝えに俺の部屋に来た時だった。
+
「……と、まぁ。これが俺がこっちに来た初日の話」
「へぇ。なんか新鮮。ダイカのそんな話聞くの」
街にある呑んだくれが集う酒場。日もすっかり落ちた夜の時間。カウンター席に座って、俺はそこで少し遅めの夕食を取っていた。
カウンター席を挟んだ反対側にはこの酒場で働いている女性の店員が居て、話を終えると、俺の昔話がそんなに珍しかったのか彼女は目を丸くして動かしていた手を止めて口を開く。
「そうか?」
「そうだよ。だってあんたあんまり自分の事話さないじゃないか。いきなりこんな話するなんて、どういう風の吹き回しだい?」
「……たまにはいいだろ。昔の話くらい。あの頃は何もわからなかったからな。平和だったよ、身も心も」
コップに注がれた酒を飲む。
ごくりと喉を鳴らして、口の中をさっぱりさせた。
「…あんたがこっちに来て、もうどれくらいだっけ?」
「ん? ええと、…こないだで6年が経った」
「はぇ。もうそんな経つかい。時が過ぎるのは早いねぇ」
年々早くなって仕方ないよまったく。
女性は言って、手に持っていた皿を背後にある棚に置く。
「おーい、マイヤー!ビール追加!」
「はーい!ちょっと待っといてくれ!」
女性の名前はマイヤーと言って、彼女との付き合いもだいぶ長くなっていた。佐渡先輩に初めてここに連れてこられた時からだから、5年くらいか。
「あの時のあんたはまだ可愛げがあったんだけどねぇ。なんでこんな風になっちまったのか」
「環境のせいだよ、絶対」
「やっぱりそうか?あははっ」
マイヤーは笑う。
豪快に歯を見せて大きく笑う彼女の表情を見て、俺も口元を緩ませた。
「あ。そういや、ジュンって今何してんの?最近めっきり来なくなったから気になってるんだ」
「……さぁ。俺も最近連絡取ってないのでなんとも」
「うーん。そうか。ダイカが知らないんじゃお手上げだな。…あいつが来ると賑やかなんだけどね」
「………」
注文されたビールを注いで、マイヤーはカウンターから離れていく。皿に残っていた最後のウインナーを口に含んで、俺も席から立ってカウンターを離れた。
「マイヤー!ごちそうさま!」
「あいよー!」
二枚の銀貨をカウンターに置いて、そのまま酒場を出る。月明かりが照らした道をとぼとぼと歩いて寝泊まりしている宿屋へと帰ると、扉の前には金色の髪の少女が居た。少女というにはもうその幼さは残ってはいないが、俺にとっては少女はいつまでも少女である。
「おかえりなさい。ダイカさん」
「おお…。出迎えなんて珍しいな」
待っていてくれたのか。そう聞くと、目の前にいる金髪のエルフ少女…エルカティスはこくりと小さく頷く。
わぁ、マジか。まさか待っていてくれているなんて思わず、俺は吃驚して目を見開く。
「今日はすぐに帰ってくるって言ってたから楽しみにして待ってたのに、結局遅かった。夕食食べちゃったよ?」
「…ごめん。今日は色々あってさ。真っ直ぐそのまま帰るなんて出来そうになかったから、酒場に行ってたんだ」
「酒場って、マイヤーさんの?」
「そう。飯食いながら色々と話を聞いてもらった」
ほぼ昔話だけど。
そう言って、俺はエルカの頭に手を置く。俺のその言葉を聞くと彼女は眉をひそめて頬を膨らませた。
「…話なら私も聞けるのに」
「子供に仕事の愚痴なんて言えないって。それにここじゃ酒飲めないだろ?」
「お酒は嫌い」
「だから俺はあの酒場を選んだの。……ふあぁ。じゃ、明日も早いからもう寝る」
欠伸をして、俺は宿屋の扉を開ける。ポケットに入った星形の鍵が反応してカチャリとセンサーが音を鳴らした。
「……ダイカさん!」
「ん?」
階段を登り、三階の自分の部屋へ行こうとするとエルカの声に呼び止められる。振り向くと、彼女も宿屋の中に入ってパタンと扉を閉めた。
「あ、えと、…おやすみなさい」
「…ああ。おやすみ」
口元を緩ませて微笑む。それを見てエルカも目を細めて笑い、俺は彼女に背を向けて階段を登った。
三階の自分の部屋の扉を開けて、ベッドにうつ伏せに倒れ込む。…ああもうくそ。今日もどっと疲れた。
「うーん、」
このまま眠ってしまいたい。
でも、報告書書かないと。
"うぐぐ"と痛めた身体に鞭を打って起き上がり、窓を開けて空気の入れ換え。ああ、風が気持ちいい。
「……はぁ」
やばい。もう溜め息しかでない。
「…よし、やろう」
最後の一仕事。報告書を書いて提出。パシンと頬を叩いて、テーブルの上に置いてある紙束を見つめる。
テーブルに向かって今日起こった出来事を頭の中で整理しながら、俺はそれを忘れないようにペンを手に取り、まっさらな紙に文章を書き始めた。