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三日月の種

作者: whitemoon

 『月夜見の器』に続く、三日月シリーズの第二弾です。

 今回の主人公は、警視庁池袋西警察署刑事課・八城警部補の物語です。


   三日月の種   



 薄汚れた都会の深淵

 蠢く欲望の徒

 醜悪なる獣の群れと罪

 明日のひかりを踏み躙り

 罪は罰へ

 罰は死へ


 古への記憶は

 獣の崩壊を暗示しめし

 絆の芽は

 終焉の時に芽吹く

 命は儚く終われども・・・



 三ヶ月振りの訪問だった。

八城征彌やしろせいやは久し振りに残業も宿直の泊まりも無く、自宅マンションからほど近い行きつけの居酒屋の暖簾をくぐった。

「いらっしゃ!あら八城っちー!」店の主人よりもいち早く、やや恰幅のいい常連の女性が酔った勢いの大きな声で来客を歓迎すると、見知った刑事の顔を見て満面の笑顔を見せる。

「さち子さん!どうも、御無沙汰しちゃって」

「ほんとよ~いくら刑事が忙しいからって三ヶ月も顔出さないなんてちょっとヒドいんじゃな~い」さち子と名乗る常連の女がしかめっ面で睨むと八城はたじろぎながら苦笑するしかなかった。

「すいませんホントに、今日は俺が奢りってことで許して下さい」

「え!八城ちゃんのオゴり!やったー!だってよ~みんな~!」

「え?」

  ガラガラー!

「おい!ホントかよ!」

「ラッキー!今朝の占いマジ当たったわ~」

「いいんスか?俺も?」八城が振り返ると、今入って来た店の入り口の引き戸が開き新たな常連組が勢いよく入って来た。

「邦彦さん!人絵ちゃん!中江田君も!」

「ひっさしぶりじゃ~ん!八城ちゃんが来なくってアタシ寂しかったよ~!」人絵と呼ばれる二十代後半くらいの水商売風の女が流行りの香水の香りを纏いながら八城に絡み付く様に抱き着いて来る。

「ああ!八城ちゃん!ひっさし振りに来たクセに人絵ちゃんとイチャイチャすんなよなぁ~」

 今度は邦彦と呼ばれる年の頃は五十代半ばくらいのハゲ頭の男が年甲斐もなく拗ねた顔で八城に文句を言ってくる。

「いや、別に勝手に絡み付かれてるだけですから、人絵ちゃんホラ、邦彦さんが拗ねちゃうからさ」

「も~つれないんだから~でも、そういうクールなとこがまたイイの」

「人絵ちゃ~ん!早くこっち来て飲もうよ~」

「八城さんも!こっちで一緒にやりましょう!」ハゲた親父の甘え声と中江田と呼ばれる俳優志望の若者が八城と人絵を自分達のいつものテーブル席に誘ってくる。

「ああ、悪いな、お母さん、ビール一本お願いします」

 呼ばれた席に行きながら八城はこの店の女主人である昌枝に注文を入れた。

「はいよ!でも、ホント久しぶりねぇ~アタシてっきりどこかの組の幹部とドンパチやっておっ死んじゃってんかと思ったよ~アタシが毎っ回防弾チョッキ来なさいって言ってんのにちぃ~っともいうこと聞かないからさ~」

 冷蔵庫から冷えたビールを用意しながら八城にボヤく姿がすっかりお馴染みになっていた。

「だから~お母さん!そんな普段からドンパチなんてやってないって~ドラマや映画じゃないんだから~前も言ったじゃ~ん」

 八城が呆れながら冷えたビールとグラスを受け取ると女主人の昌枝は首をゆらゆら揺らしながら言う。

「あ~そうだったっけ~誰かさんが三か月もウチの暖簾をくぐってくれないから忘れちゃったよ~」

「はいはい、すいませんでした・・・」

「まぁ八城ちゃんの事を心配してくれてるってことだよ~毎日俺たち話してたんだからさ~なぁ!」

 邦彦が皆の同意を求めるように言うとさち子や人絵、中江田もうんうんと頷いて同調した。

「まぁ、はい、ありがたいっスよ」照れ笑いを浮かべる八城を見ながらさち子が声を上げる。

「よっし!八城警部補の久々の帰還に乾杯といこうじゃないの~」

「そうだ!しかも今日はその警部補様のオゴリじゃ~」

「イエぇ~い!」

「イエぇ~い!」人絵と中江田の若者二人も同調して盛り上がる。

「はいはいわかったよ、もう好きにしてくれ」苦笑の中にも八城はよううやくここに帰って来れた事に心からの安堵を覚えた。

 それが刑事としてのひと時の休息であったとしても。


「ところで、八城ちゃんさ~もうひと月になるけど、あのばあさんの葬儀行って来たんだろ?」八城の久方振りの帰還を歓迎した宴が少し落ち着いた頃、邦彦が徐ろに訊ねて来た。

「ああそうか、俺達は通夜の方に出ただけだから八城さんとは顔合わせなかったんでしたよね」中江田が言うと・・・

「通夜の日は当直でどうしても抜けられなくてさ、当直明けで告別式の方に顔を出させて貰ったんだ、世話になったけど何もしてあげられなかったな」八城がしみじみとした雰囲気で言う。

「なに言ってんのよ!通夜の時さ、あのばあさんの弟さんが涙ながらに言ってわよ」酔いが回ってさらに大きな声でさち子が言う。

「『八城さんにはいつも姉の入院先の病院に何度も足を運んでもらって、本当にお世話になりました、八城さんがいなかったら姉も長年溜め込んでいた想いを果たす事が出来なかった』ってさ、弟さん、ばあさんのもう一つの顔は知らなかったけどホントにアンタに感謝してたんだよ」

 八城は一つ二つ小さく頷くと・・・

「ええ、告別式の時に話し出来ましたよ、だから最後にあのばあさん、トメさんのもう一つの顔も話してさ」

「ええ!そうなの?」八城以外の全員が驚いた表情で彼を見る。

「ああ、弟さんもそんな感じで驚いてたよ、でもスグに落ち着いて『姉は八城さんの、刑事さんのお役に立てたんですか?』って訊かれてな」

「それで、なんて言ったの?」皆が更に八城に注目すると数秒、間を置いて・・・

「勿論だって、自分の情報屋の中でもトメさんが一番の情報屋だったって話した。トメさんのおかげで解決出来た事件も沢山あったって事もな、そしたら弟さん涙を浮かべながら何度も何度も頷いてた」

 八城はそう言いながら少し自分の目元を拭った。

「そっか・・・」

「それならいい葬儀だったんじゃねぇか?」

「おばあちゃんもホントに嬉しかったんだよ、八城ちゃんの仕事のお手伝い出来てさ」

 さち子がしみじみと呟き、邦彦がどこか寂しげに、でも八城を称える笑顔で、そして人絵は涙で声を詰まらせながらも、その表情は必死に笑顔を作っていた。

「いつか、グスっ!言ってくれたんですよ、ばあちゃん俺に・・・」中江田が涙を拭いながら鼻を啜って話し出したのを皆が顔を上げて聞く。

「『アンタはまだ若いが諦めずに挑戦を続けて行けば必ずいい役者になれる』って『何か目標を見つけて日々少しずつでも前進してるアンタを私は仲間として誇りに思う』って『ツラい事も沢山あるだろうけど、アンタは自分の夢に向かって今頑張ってるって事はもう半分はその夢が叶ってるって事なんだ』って『だってそうだろ?夢を見ない人間がどうやって夢を叶えるっていうんだ』って『夢を叶えてるイメージがアンタの頭にあるんなら後はそれをアンタの頭の外側で実現させるだけじゃないか』って『簡単だろ?違うかい?』って・・・俺そん時やっと入った劇団でも上手くいかなくて、先輩にも毎日怒られてて、ホントにもう諦めようかなって思ってて、でも怖くて誰にも相談も出来なくて、そんな事一度でも口にしたらホント俺、辞めちゃうんじゃないかって、でも、でも、ばあちゃんは・・・トメさんは、そんな俺の情けないトコに気付いてくれててそれで、それで・・・」感情が昂って話がまとまらなくなった中江田の肩を隣の八城がポンポンっと優しく叩く。人絵も席を立って中江田の涙でくしゃくしゃな顔を愛おしそうにギュッと抱きしめる、ふくよかな胸が中江田の顔面に押し当てられ中江田は赤面していたが、すかさず邦彦がそんな中江田の頭を無言で引っぱたく、そして笑いが起きる。

 そんな風景を主人の昌枝はカウンターの奥で優しく見つめていた。


 

 八城の情報屋・塩鞍トメ(しおくら)とその最後の事件。

 それは、今からひと月前の事だった・・・


池袋駅西口の繁華街、その中の一角にある五階建ての雑居ビルの最上階から一人の女性が窓ガラスを突き破って転落死している遺体が発見された。女性の身元はすぐに判明し・・・

 真岡世理那まおかせりな三十八歳独身。衆議院議員鴻村忠士こうむらちゅうじ代議士の第一秘書。

 窓を突き破っての転落死という異常な状況ではあるが、早朝四時のことで目撃者も無くまた遺書などもなかったため、他殺とも自殺とも事故とも断定されておらず、とりあえずわかっているのは薬物の使用形跡はなく、過去に犯罪歴も無ければ精神科や心療内科の通院歴も無いということだった。

 ただ、後に監察医から鑑識課への報告である異常が発見された。

「脳みそが無い?」八城はこれ以上ないというくらい眉間に深い皺を作って訊ねた。

「ああ、こっちも驚いたよ。突然呼び出されてさ、ガイシャの脳のCTを見せられたんだけどな・・・」

 そうボヤくのは八城が所属する池袋西署の鑑識・上草希美うえくさのぞみだ。話し方は男っぽいが三十二歳のシングルマザーで五歳と八歳の女の子を女手一つで養っている。

「そんな事ありえるのか?」

「あるわけねぇだろ!こんな事アタシだって初めてだよ!」

「まぁそうだろうな、呼び出されたって事は検視官からか?」

「ああ、あのセクハラじじいに会うのはほんっと勘弁願いたいんだけどな!ま、まぁ一応テルさんもいたからさ・・・」

 希美は八城が信頼を置いている鑑識員の一人でもある。今でこそ彼女は署内の男性陣の中で唯一、八城には心を開いているが、プライベートで過去に何度も男に騙されている為、署内でも有名な男嫌いで知られていた。

 ただし本庁の鑑識官主任・照井吉人てるいよしひとは八城以外で希美が認めている男性。というより希美は照井に惚れているワケで嫌悪の対象からはしっかり外れている。因みに八城に心を開いているのは照井に向けている恋心などではなく、どんなに嫌っても突き放しても八城自身が自分を信用してくるから根負けしたというのが彼女の言い分である。

 警察の様なまだまだ男社会の様相が色濃い組織では、彼女の様なタイプは正直生き辛い事も多々あるだろう、だが、それでも子供を二人も抱えて日々奮闘している姿を見ていると八城は希美に対して尊敬の念を抱かずにはいられなかった。

「ああ、テルさん元気だったか?」

「ま、まぁ相変わらず博識で、ス、ステキな人だったよ・・・」もうこれ以上ないくらい希美の顔は真っ赤になっている。

「ははは、お前ホントにテルさん命だな、逆プロポーズしたら?」

「バ!バカを言うなぁぁぁぁぁあ!」希美の拳の嵐が一発二発と炸裂しそうになるのを八城は笑いながら避けている。

「あはははは!顔から火ィ吹いてるぞ~」

「殺す!テメぇはぜってぇ殺す!はあ!はあ!」

「なんだよ息切らして~タバコ止めた方がいいんじゃないか?」

「八年前に子供出来た時から吸ってねーわー!この体力バカがぁぁぁぁぁ!」

 希美は渾身の拳で八城に向かっていく。

「わかったよ~俺が悪かったから!そろそろ例のガイシャのCTの話し聞かせてくれ」

希美の渾身の拳はあっさり八城の手の平で受け止められた。

「はあ、はあ!くそ!ぜってぇいつか・・・一発入れてやるからな!これだよCTのコピーだ!」

「ああ、これか・・・」勢いよく投げつけられるように希美に渡された真岡世理那のCTのコピーを見ると確かに脳が映る筈の部分が真っ黒になっていた。

「成程、確かにこれは妙だな。CTの機械の不具合って事は?」

「アタシがそんな初歩的な疑問を持たなかったと思うのか?」不機嫌そうな表情で希美が睨む。

「ま、まぁそうだな、これ、テルさんも見たんだよな?」

「え!あ、ああ、機械の不具合もガイシャの脳疾患もとにかく色んな方向性から可能性を考えてテルさんも解剖医や監察医共に食い下がっていたけど、帰ってくる答えは『こんなことはありえない』以外には無かったって」

(照井さんの事になると名前を出しただけでも戸惑うくらい好きならさっさとコクっちまえばいいのに)という事を密かに思いつつ・・・

「そうか、テルさんもそう言ってたのか」

「あ、でも・・・」

「ん?なんだ?」

「ああ、テルさんなんか言ってたな・・・独り言みたいにボソッと『三日月・・・村?』」

「・・・!三日月村っ!そう言ってたのか?本当に!」八城は突然、希美の両肩を鷲掴みして興奮気味に迫った。

「い!いてぇよ!バカ!いや、ボソッと独り言みたいに言ってたから確かかどうかわかんねぇよ!でも、訊き返したら、なんかいつものテルさんらしくなくて、誤魔化されたからさ、アタシちょっとなんだかショックで、そんで忘れらんなくてお前に今、話したってワケ・・・」勢いよく来た八城に反発する様に言い返した希美だったが、徐々にその勢いが削がれ声も小さくなっていた。

「ああ悪い、わかった、ありがとう」そう言って八城が希美の前から去ろうとすると・・・

「ちょっと待てよ!なんだよ三日月村って!」

「バカ!」八城は慌てて希美の口を押えて黙らせる。

「うぅ!お、おい!何すんだよ!」

「いいからデカい声でそのワードを口にするな!最悪お前の家族にも影響する事だ!」

「な、なんだよ、それ・・・」家族・・・希美の脳裏に二人の子供達の笑顔が浮かぶ。

「いいか、二つ約束しろ、一つは今みたいにさっきのワードは絶対にもう二度と口にしない事、世間話どころか呟くのも駄目だ、もう一つはネットやSNSでも検索したり広げたりするな、全ては家族とお前の人生の為だ」

「あ、あのな!アタシがそんな脅しで!」

「脅しじゃねぇ!ちゃんと聞け!テルさんだってお前の事を考えてハッキリ言わなかったんだぞ!」

「だ、だから!なん・・・だよ・・・」

「いいか、もう一度だけ言うぞ、絶対に今のワードは口にするな、お前の大切な家族の為にも忘れろ、それが一番いい」照井もそして今、目の前にいる八城も『三日月村』というワードを聞いただけでいつもと全然違う顔を見せる。

希美は背中に少し寒気を感じた。

「わ、わかったよ、お前がそこまで言うなら、でも」

「ん?」

「何かアタシに出来る事があったら言ってくれ・・・」

「上草」

「アタシだって警察官の端くれだからなっ!」そういう希美の眼には強い光が灯っていた。

「ああ・・・そうだな、ありがとう」そう言って八城は少し憂いの篭った複雑な笑顔を返した。

「なら、そうだなお前がもし今後、今のワードを他で聞く事があったら迷わず俺に連絡しろ、俺もそうしている」

「俺も?なんだよ八城っちもその誰かに?」

「ああ、赤名さんと皆口さんに俺が今お前に言った事と同じ様な事を前に言われた、だから俺もホントの所は詳しい事は殆ど知らない、だが・・・」

「だが?」

「赤名さんや皆口さんの口調や雰囲気からかなりヤバくて大きな何かに関わってる事だっていう事はなんとなく解るんだ。でも、その上であの二人は俺の事を心配して詳しい話はしないでいてくれている」

 八城は自身が心底尊敬している警視庁捜査一課の刑事・赤名剛志あかなつよしと現在は警視庁主席監察官の任に就いている皆口愼司みなぐちしんじに言われた事を思い返しながら希美に話していた。

「そっか、お前の目標の人達がお前の事を守る為に」

「ああ、でも、きっとテルさんもお前に対して同じ様に思ってるぜ」

「なっ!なんでテルさんがそこで出てくんだよっ!」照れながら言う希美に対して八城は真剣な顔で言った。

「決まってるだろ?テルさんにとってもお前は大切な存在だからさ」

「え?」希美の顔に熱がこもる。

「だって、俺テルさんに会う度にお前のこと訊かれるんだぞ?希美は大丈夫か?しっかりやってるか?身体壊して無いか?無理してないか?子供達も元気か?って」

「そ、そうなのか?」希美は思わず嬉しくて顔を赤らめながら淡い想いを抱く少女のような照れた笑顔を浮かべていた。

「ああ、だから、そのテルさんの思いも汲んでやれ、テルさんにとってお前は守ってやりたい存在なんだからさ」希美はその言葉を聞いてゆっくりと二、三度頷きながら顔を上げて八城の眼を真っ直ぐ見つめた。

「わかった、うん、もう何も言わねぇよ」

「今度もしテルさんに会う機会があったら一言礼でも言っとけ!いつも見守ってくれてありがとうってな・・・」

「なっ!そ!そんな事!ま、まぁでも・・・そ、そう・・・だな」今日一の真っ赤な顔を見せた希美はそれでも八城の言葉をしっかりとその胸に刻み込んだ。


「じゃあな、サンキュー!」受け取ったCTのコピーを持つ手を軽く上げて八城はその場を後にした。

「にしてもやっぱアレが絡んでるのかよ・・・」言いながら八城は自分の右手にある真岡世理那のCTのコピーが入った封筒を見つめた。



 今日の午後は比較的ロビーは空いていた。いつもならこの病院に入院している患者や見舞い客、更に医療関係のセールスマン達等でごった返していて座る席を見付けるのもひと苦労なのだが、昼前から強くなりだした雨の所為もあって今日は苦労なく、しかも以前から狙っていた新しく柔らかいソファに腰を下ろす事が出来た。

「あ、トメさん!今日は見事にゲット出来たねぇ!前から狙ってたそのソファ~」

「ああ、シゲちゃんか、どこぞのイケメンかと思ったよ~フフ、そうなんよ~ようやくコレに座れたわ~ふっかふかでイイ座り心地よ~」

「そりゃ羨ましいな~よし!なら次はワシが座ろう」

「ん~じゃあ、あと二時間いや、三時間は待たないとねぇ~」

「おいおい、そんなに待ってたらホラ見ろ!今日は朝から雨が降りっぱなしで湿気が凄いんじゃ、ケツにカビが生えちまうよ!」

「なんだいそりゃぁ?奇病だよシゲちゃん、先生によ~く診て貰ったらいいよ」

「あ~そっか~んじゃ、あの女医さんに俺のケツ診て貰うかな?ハハハハハ!」

「変態ジジイ!ハハハハハ!」ふたりの老人が実に内容の無いいつものバカ話をしていると、呆れた表情でその光景を見ていた若い医師が声を掛けて来た。

「な、中々、面白い話をしてますねぇ~」

「あん?あ~ららシゲちゃん、ホントのイケメンが来ちゃったよ、しかもお医者だよ!高給取りだよ!イケメンで高給取り!これが今、巷で話題のハイスペック男子だ!」

「あら!昔のハンサムはココにいるけどね!ハハハハハ!」シゲちゃんと呼ばれる老人が大きく口を開けて抜けた歯を見せながら満面の笑顔で笑っている。

「トメさん、どこでそんな言葉覚えるの?ていうか僕はそんなに高給取りじゃないから・・・」若い男性医師が首を横に振ってこたえる。

「ありゃ?高給取りは否定してもイケメンの方は否定せんのだねぇ~」そう言ってトメは若い男性医師をからかって楽しんでいる。これもいつもの光景だ。

「イケメンでもないですって~トメさん勘弁してよ~」

「ハハハハハハ!そんなこたぁ無いよ、昨日だってアタシのホラ新しい担当になってくれた新人ナースの実来ちゃん?アンタの事気になってるってよ~」

「ええ!ホントにっ!」若い男性医師は飛び付く様にその話しに食いついて来た。ちなみに新人ナースの実来とは、この病院で医師や患者たちの間でちょっとした話題になっている羽村実来はむらみくという美人ナースである。よく気が利いて愛想も良く仕事の覚えも早いため病院中の人達から非常に人気が高い。

「ああ、何かって言うと松浪先生、松浪先生、ってさ~あ~聞いてるこっちが恥かしくなるくらいさね、ありゃババアの勘だけど相当アンタに参ってるね」

「うん、ジジイもそう思う」

二人の老人にそんな話をされて若い男性医師・松浪賢伍まつなみけんごはすっかりその気になってしまっていた。因みに今のトメの話しは全て出鱈目である。

「そっか~実来ちゃんが~そっか~」すっかりのぼせ上がっている松浪はトメとシゲに完全にハメられている。しかしそんな松浪を見てるのがこの二人の老人の退屈な入院生活の楽しみの一つであった。するとそこに・・・

「あれ?先生!ほら実来ちゃんじゃねぇか?」

「あれま、こりゃ偶然!おーい実来ちゃ~ん」シゲがわざとらしく実来の姿を見付けて松浪に教えると、トメもわざとらしく偶然を装って実来に声を掛ける。

「は、羽村さん!」

「ああ松浪先生お疲れ様です。トメさんなぁに?大事な話しって?」

「え?大事な話し?」松浪がトメと実来の顔を不思議そうに交互に見る。

「ああ、違うのよ!ゴメンなさいね!実はこの松浪先生が実来ちゃんに話があるって言うからねぇ~忙しいのに御免なさいね」

「ええええええぇぇぇぇぇぇ!ト、トメさんっ!そ、それは!どういう!」

「ああ?なんだい老人の耳元でうるさいねぇ!びっくりして心臓止まったらどうすんのさ!アンタ私がなんでここの病院に入ってるか解ってるのかい?」しかめっ面でトメが松浪を叱りつけると松浪は複雑な表情で頭を下げる。

「い、いや、ま、まぁそうだけど、す、すいません」

「じゃあ、ほら!ね!しっかりやんなさいね、さてと私はちょっと眠くなっちゃったから部屋に戻るよ、シゲちゃん、子守歌でも歌っておくれよ」

 言いながら、トメとシゲは席を立って病室に戻っていった。

「ああ!トメさん一緒に行きますから!」

「いえ先生、私が・・・」後ろから松浪と実来が同時にそう言うとトメは振り返って言った。

「年寄りだからってお舐めでないよ!一人で行けるわい!」

「一人りじゃないよ~ワシがおるじゃん」

「ああ~そうだったそうだった、ハンサムじいさんがおった、おった」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

そう言って病室に戻っていった二人を呆けて見ながらふと松浪と実来はお互いの顔を見合わせて苦笑していた。

「イイ光景じゃな、ああやって若いのがキラキラしているのを見るのはな」

トメがそう呟くと・・・

「ホントにお節介ババアじゃなお前さんは」

「なぁに言ってんだ共犯者め」

「まぁな、でもおまえさんだって自分の事はそっちのけのクセに」

「あん?何だって?」

「息子サンからは相変わらずかね?」シゲがやや神妙な面持ちで訊く。

「ふんっ!何かと思えば、あんな何処で何やっとるかわからんバカ息子なんか知らんわ!もう親子でも何でもないさね!」トメは病室に向かいながら十一月の冷たい雨が打ち付ける窓ガラスに視線を向ける。

もう二十年以上も会っていない息子の姿を思い浮かべて・・・



「先生、池袋西署の金盛署長からお電話が入っております」

「やっと来たか!」

代議士・鴻村忠士は落ち着かない様子で池袋西署の金盛署長からの電話に出た。

「私だ、どういう事なんだ!」焦りのためか鴻村の口調が思わず強くなる。

真岡世理那の遺体が見付かったのは今から六時間前。身元がスグに割れた割には確かに関係者への連絡は遅かった。

 転落死した真岡世理那は代議士・鴻村忠士の第一秘書だったのだ。

「ご連絡が遅くなりました事を池袋西署を代表致しまして心よりお詫びを申し上げます!誠に申し訳ありませんでした!」金森署長は電話口で見えない相手に深々と頭を下げる。

「そっちがチンタラしている間に真岡君に連絡が着かないと言ってウチの若手秘書が情報をとっくに仕入れて来たよ!ウチの若手だ!昨日今日入ったばかりの新人中の新人秘書だ!お前ら池袋西署の人間はウチの新人秘書よりもノロマなのかぁ!」

激昂していた。しかし、金盛はその鴻村の怒りと焦りに見当はついていた。

「申し訳ございません、先生の第一秘書の真岡世理奈さんのお悔みを心より申し上げます」

「ふん!ご丁寧な事だな!それでそのご丁寧なお悔みと遅過ぎる連絡だけなのか!要件は!」

金盛は鴻村の怒鳴り声にやや辟易しながら真岡を検死した監察医から送られて来た脳内のCT画像を手元にその内容を報告した。

「脳が無いだと?」

「はい、脳内を何度もCTで検査しましたが、ある筈の脳が映し出されていませんでした、それでご家族の許可を得まして先程、解剖も終了致しましたが」

「解剖?司法解剖だろ!家族の許可など本来は要らない筈だ!」

「え、ええ、まぁ確かにそうですが、真岡さんの御家族は山形に居るお母様お一人でしてその一応と言いますか・・・」

「この私より真岡の母親に気を遣うのか?私より先にか!ふん!君も中々殊勝な男になったモノだな、誰のおかげで今のその署長の椅子に座れていると思ってるんだ!」

「・・・・・・」金盛は受話器を握る手に力を込めながら沈黙した。湧き上がる怒りを鎮める為に・・・

「なんだ?おい!金盛!何を黙っている!私がお前を今の署長の位置まで推し上げたんだぞ!警視庁の人事に手を廻したのがどれだけ・・・!」

「鴻村忠士代議士!」

「な!なんだ突然!」

「ご報告はそれだけではありません」

「なに?」

「真岡世理那さんの自宅マンションの家宅捜索において彼女のPCの隠しファイルから貴方が関与、いえ、運営している未成年売春組織の証拠が出ました」

「な・・・に・・・?」

「ウチの捜査員がもうそちらに到着する頃です。残念です先生」

「ちょ・・・!ちょっと待ちたまえ!えっと・・・ああ!あれだ!じ、実はな、正直に話そう!実はその、ま、真岡君とは最近折り合いが少々悪くてな、た、多分アレじゃないか!私への腹癒せかなんかで!か!彼女がアレだ!主催していたんだよ!聞いた事があるんだ!さ!最近彼女がおかしな連中と会っていたとか、そのおかしな連中というのはだな・・・」数分前まで激昂していた姿とは裏腹に薄くなった頭部には膨大な汗をかきながら狼狽し、話している内容がまとまらない。

その鴻村に冷徹な金盛の声が届く。

「詳しいお話はウチの捜査員に御願い致します。では」金盛はそのまま受話器を戻して深い溜め息を突いた。

「お!おい!か!金盛君!金盛署長!おい!」

 代議士の鴻村は衆議院議員になる前は警察庁の官僚であった、その際同じ大学出身の後輩だった金盛を自身の手足の如く使っていた。池袋西署の署長に金盛を推し上げたのも自身がいつか金盛に寝首を掻かれない様にする為、いくらかの恩を売っていたのだが、当の金盛はそんな鴻村の奸計などとっくに見抜いていた。



〈本日、午前四時頃、池袋駅西口近くの繁華街の路上で、その一角にある五階建ての雑居ビルから転落したとみられる女性の遺体が発見されました。警視庁は事件と事故の両方の面から捜査を進めているという・・・〉

「ほら!これだよトメさん!今朝の事件だよ!なんなんだろうなぁ~あ、ほら言ってるよ!頭から窓ガラスを突き破ったってさ!」

「ああ、ホントだねぇ、何考えてんだろうね近頃の人は」いつもの夕方のニュースを隣の病室から来たシゲと見ていたトメはテレビ画面を見ながら嘆かわしいと言わんばかりに首を横に振っていた。

 と、その時、ほんの一瞬だったが現場を映し出したテレビ画面の中のとある人物をトメは見逃さなかった、いや、見逃せなかった。

「そ、そんな!ウソでしょ?なんでお前がそんなトコに・・・」

「ん?なんじゃどうした?トメさん」

「今、一瞬じゃったが、見なかったか?今の事件の現場のニュースの・・・」

「ああ見てたよ?それがなんじゃ?」

「一瞬、ホントに一瞬・・・左耳を掻くクセ」

「左耳?だ~か~ら~何がじゃい?」

「一瞬、映ったんじゃよ・・・蒔人・・・」

「え?なんじゃって?」

「シゲちゃん!電話電話!」そう言うとトメは慌ててベッドから飛び起きて病室を出てロビーにある公衆電話に向かった。

「あら?トメさん!もうすぐ夕飯ですよ?」すれ違い様に廊下で担当ナースの実来に声を掛けられたが・・・

「あーそれどこじゃないんじゃよ~電話電話!」

「トメさん?」トメの背中を見送った実来は不思議そうな顔で首を傾げた。


 その実来がトメの居た病室を覗くと・・・

「あ~シゲさん、シゲさんもそろそろ自分の病室に戻って夕飯の時間よ」

「あ~実来ちゃん。いやさ、なんかさっきトメさんが急に出てっちゃってさ、電話電話って」

「あ~今私も声掛けたら言ってたわ、どうしたの?あんなに慌てて珍しい」

「さぁなぁ、夕方のニュース見とってさ、今朝の事件知ってるだろ?池袋駅西口の繁華街の」

「え?」

「ほら、雑居ビルから女が転落死した」

「ああ、うん、それを見てたの?」

「そうなんじゃよ、一瞬映ったとかなんとか言ってさ、あと〟左耳〝がどうとか〟まき〝なんとかって言ってたような」

「そう、まぁほらでもトメさんきっとスグ帰ってくるからシゲさんは自分の病室に戻って下さい」実来が優しく諭すように言う。

「はいはい、可愛い子にそんな優しく言われたら爺じいさん困っちゃ~う」

「はいはい、ありがとね、大人しく病室でご飯食べてくれないと私も困ります!」

「わかったよ~あ、ところで、昼間どうじゃった?松ちゃんと、ん?どうなった?ん?じじいに話してみんさいな」

「べ!別に何もありません!もう!変なこと言って松浪先生を困らせないでくださいよ!まったくもう!」

「おや?その様子だと実来ちゃんも満更じゃないなぁ~」

「シゲさん怒るよ!」

「おぉ~怖い怖い!わしゃご飯の時間じゃから戻らないと~」

「もうっ!お節介じじい!」強い言葉とは裏腹に照れた様子の実来をシゲはからかいながら自分の病室に戻っていった。


「えっと、えっと、八城ちゃん、八城ちゃんと・・・」その頃トメはぶつぶつと呟きながら公衆電話のボタンを押していった。


 ヴーヴーヴー!

「あれ?公衆電話?」夕方の捜査会議中、八城は胸ポケットにあったスマホの着信に気付く。

「あ、すいません・・・」コソコソと捜査会議を抜け出した途中、先輩刑事が睨んでいるのに気付いたが一瞬も気に留める事はせず会議室近くの休憩スペースで電話に出た。

「もしもし、トメさんか?どうしたの?今捜査会議中なんだけど」

 公衆電話の文字を見てトメからの電話だとピンと来た八城が出ると・・・

「八城ちゃん!蒔人だ!蒔人が帰って来たんだよ!」

「蒔人さんってトメさんの息子さんの蒔人さんか!」

「それ以外の蒔人がどこにいるってんだいっ!」

 塩鞍蒔人しおくらまきとかつてフリーライターとして様々な事件や事故を記事にしていた業界内でも有名な敏腕ライターだった男で、一方ではその正確且つ、豊富な情報量で都内の警察関係者に重宝されていた腕のいい情報屋でもあった。しかし今から約二十五年前、蒔人は突如その姿を消した。確かな理由は誰も知らないが、ウワサでは政界との繋がりのある裏の組織の秘密を握り、それがバレて既に消されたとか、ある戦場ジャーナリストが海外の紛争地域で見掛けたとか、とにかくあらゆる憶測やウワサが飛んだがどれも確かな情報では無く、長い事その行方が明確にはなっていなかった。

 が、しかしそんな蒔人が今回一瞬とは言えテレビカメラにその姿が映し出された。年月がいくら経とうがそれにより容姿がいくら変わろうが、母親である塩鞍トメの眼はほんの一瞬であってもそのしぐさや雰囲気でしっかりと息子の姿を捉えていた。

「本当ですか?本当に帰って来たんですか?」八城のその問い掛けにトメはその息子の姿と、テレビ画面に一瞬映った左耳横を掻くクセ、夕方のニュース映像で見掛けたというその経緯とともにゆっくりと八城に説明した。後半声を詰まらせて語るトメのその声に八城もつられて目頭が熱くなる思いだった。

「死んだとばかりアタシは、もう死んだとばかり、だってそうだろ?二十五年だよ二十五年!あのバカ息子!なぁんにも連絡一つ寄越さないでさ」

「ですよね、でも、でも生きてた。トメさん生きてたんだ蒔人さん」八城も声を詰まらせながらも優しく告げる。。

「ああ、よかったホントにさ、ありがとうね八城ちゃん・・・アンタとは出会ってまだそんなに長くないけど誰よりもアンタは私に顔を見せてくれたね、アンタがツライ時には何もしてやれなかったって言うのにさ、アンタはいつもアタシを励まして」

「何言ってんだよ!トメさんは俺が刑事になって一番最初に出来た情報屋だぞ!五年間も情報屋として俺を支えてくれてるじゃないか!トメさんが一番最初の一番腕のいい情報屋だよ」

「ありがとうホントにありがとう」

「よし、蒔人さんが池袋にいるなら俺に任せろ!必ずトメさんに逢わせてやるから!」

「バ!バカ言っちゃいけないよ!アンタあの転落死事件の捜査してるんじゃないのかい!自分の仕事放っぽってそんな事はいいんだよ!アンタにそんな中途半端な仕事させるために話したんじゃないんだから!」

「いや、でもさ、ようやく逢えるかも知れないんだぞ!事件の捜査なら俺だけがしてるんじゃないから」

「なんだいアンタ!アタシをバカにしてんのかい!」

「ええ?なんだよ急に!」電話口で突然低い声で怒り出すトメに八城は困惑している。

「アタシが自分の事でアンタの仕事を邪魔するような、そんな人間だと思ってたってのかい!情けないじゃないか年寄り扱いして!アタシャ、アンタの!八城刑事の情報屋だよ!その誇りがあるんだ!それをアンタの仕事の邪魔をして踏みにじるような事を出来ると思ってんのかい!バカにするんじゃないよ!」病院のロビーの一角で大きな声で捲し立てるトメの姿を周りの人間が驚いて見ている。

「トメさん?今病院じゃないのか?でっかい声で大丈夫なのか?」八城が心配そうに言うと・・・

「黙れ青二才が!アタシの心配なんか!ウッ!ウゥ・・・!」突然トメが自分の左胸を抑えて苦しみ出した。

「トメさん?もしもし!トメさん!どうしたトメさん!」通話先の異常に気付いた八城が懸命にトメの名前を呼ぶがトメからは一切の応答がない。

「マズい心臓か!」八城は電話を切って慌ててトメの居る病院に向かった。

途中先輩刑事にデカい声で呼び付けられたが完全無視で署を飛び出した。



「緊急オペだ!スグにオペ室に運んで!」

「はい!ですが先生!前回執刀医の梁間はりま先生は明日まで海外の学会に出てるって聞いていますが執刀は誰が!」

ロビーで苦しんでいるトメを松浪がいち早く発見して容体を診たところトメは急な興奮で心臓に負担が掛かり危険な状態であった為、緊急オペの判断を下した・・・しかし、トメの担当医で前回の心臓手術の執刀医だった梁間という医師は海外で行われている学会に出席する為、不在にしていた。

「僕がやる、梁間先生にはもしもの時の為にトメさんの事は詳しく聞いている。緊急オペの許可も併せて・・・」オペの執刀医を訊ねてきた看護士にそう言うと松浪はオペに必要なスタッフの名前が書かれた用紙を渡し手配を頼んだ。

「わかりました急いで連絡します!あれ?あの、先生これ器械出しのナースに羽村さんの名前がありますが、まだ彼女は新人ですよ?」

「いいんだ!いつもの器械出し担当のナースが休暇中だ!とにかく急げ!一刻を争うんだぞ!」いつもの穏やかな松浪の雰囲気は一切なく看護士に強く言い放った。

「は、はい!すいません!今スグに!」


「はぁ!はぁトメさんっ!」八城は息を切らせて病院の受付に急いだ。

「あの!すいません!トメさん!塩鞍トメさんは!」

「な、なんですか!突然!」年配の受付の女性が八城の尋常ではない様子を見て驚いている。そんな彼女に八城は警察手帳を提示して言った。

「教えて下さい!トメさんは大丈夫なんですか?」

「ああ、警察の方、塩鞍のおばあちゃんは今手術中で、さっきそこのロビーで倒れられてね」

「そうですか!あの!手術室は!」

「ああ、こちらですどうぞ!」案内されて手術室に急ぐとその前の待合室の腰掛けにシゲが肩を落として佇んでいた。

「シゲさん!」

「おお!八城ちゃん!トメさんがよぉ~トメさんがよぉ~」顔をクシャクシャにして泣き出しそうなシゲの背中に八城は優しく手を置いた。

「俺の所為です、俺が余計な事を・・・トメさんの性格を考えればスグに解りそうなことだったのに」

「なんだか知らねぇがそう気落ちすんなや、トメさんにどやされっぞ、若い男が肩落とすなって」

「はい」

「ああそうだ、今朝の事件。池袋駅西口の繁華街のビルから女が飛び降りた」

「ああ、はい」

「アレを夕方のニュースで一緒に見てたらよ、トメさんが急に病室から飛び出して行ってよ、そしたらこんな事にさ、八城ちゃんどういうことなんだろうな?」八城は首を捻るシゲに事の次第を説明をした。 


「ああ、そっかぁそういう事かいな、だからさっき俺の所為だなんて言ってたんか」

「ええ、息子さんが生きて、しかもウチの署の管轄内にいたと知ったら、俺どうしてもトメさんに逢わせたくなっちまって、それでつい余計な事を」

「う~んまぁトメさんもあんな性格だかんな無理もないが、余計な事なんかじゃねぇよ」

「え?」

「トメさんの事を思っての事なら、あのばあさんだってホントは嬉しかったんだよ、アンタが自分の仕事を放って息子に逢わせてくれるって言ってくれたこと、ただ・・・」

「ただ・・・?」

「アンタの役に立っている情報屋としての自分の誇りも解って貰いたかった、アンタの仕事を支えているっていう誇りがあのばあさんの生きる支えでもあったんだろうからな・・・だから八城ちゃんよ、アンタの刑事としての誇りも大切にして貰いたかったんじゃねぇかな?なんてな、じじいの意見だからホントのトコはどうだか本人に訊いてみなきゃわからんがな」そう言ってニカっと笑うとシゲは八城の肩に手を置いた。

優しかった。そう八城に諭すように言うシゲの言葉も眼差しも、そして肩に置いてくれた手の温もりも、八城は目元を拭いながら頷き言った。

「俺、ここに来ながら思い出してました。目標としてる警視庁の刑事に以前言われた事」

「目標?ああ、いつかよくトメさんや俺にも聞かせてくれた二人の?」

「ええ、その内の一人の赤名さんていう捜査一課の人から『お前が関わった事件はお前が解決するんだ。お前のヤマだと思わずに捜査をしてそれが刑事だと言えるか』って、そしてもう一人、皆口さんていうすっごい上の人からは『事件から学ぶんだ人を人生を』って、一瞬たりとも忘れちゃいけない言葉だったのにまだまだだな俺は」

そう言う八城の背中をシゲは今度はバシッ!と、思いっきり叩いた。

「いでっ!」

「だったら!こんなトコいんじゃねぇよぉ!行け!トメさんの事は俺に任せろ!何かあったら連絡すっからよ!」

「シゲさん」

「トメさんが目ぇ覚ました時!胸張って事件解決したって言いてぇだろ?」シゲは再びニカッと笑ってスグに八城の眼を真っ直ぐ見つめた。

「はい!」それに八城も真っ直ぐに応えてシゲに一礼し捜査に戻ろうとした、

すると・・・

「八城警部補!」突然シゲにそう呼び止められて振り返る。

「こっちの方がいいな、俺は」そう言うとシゲは機敏に右の手を自身の目の上にかざし敬礼の姿勢をとって見せた。

「シゲさん・・・」そして八城もそれに応える様に背筋をしっかり伸ばし右肘の角度をしっかりとつけて上げ敬礼を返した。瞬間、八城はもう一つ思い出した。シゲはかつて警視庁捜査一課で検挙率ナンバーワンを三年連続維持して名を馳せた優秀な刑事だった事を、もう四十年も前の話ではあるが、今でも警視庁・警察庁の誇りある幹部達はこのシゲの功績を忘れてはいない。

「そうだ俺は、こんな凄い人達に支えられていたんだ」静かに呟きながら八城は熱いモノを胸に奮い起こして改めて捜査に踏み出した。



八城が病院を出て捜査に向かった二時間後トメの手術が無事に終わった。

「お疲れ様、羽村さん」手術で使用した器具を実来が片付けていると松浪が声を掛けて来た。

「あ、松浪先生お疲れ様です!凄かったです!あんなに素早く処置してしまうなんてホントに驚きました!」

「いや、危険な症状だったから一刻でも早く処置する必要だあったからね、でも、当たり前だけど梁間先生は圧倒的にもっと上手いし早いよ、それにしても君だってよく頑張ってくれた!初めてだったのに何の落ち度もなかった、こっちこそ驚いたよ!」

「いえそんな、私も急に呼ばれて驚きましたけど正直トメさんを助けたい一心で、殆ど何も覚えてません、貴重な体験をさせて頂いたのにすいません」実来は深々と頭を下げて謝罪したが松浪は逆に慌てて恐縮しながら、実来の健闘を称えた。

「いや!こっちこそ急に呼び出して悪かったと思ってる!でも、患者さんを救いたいって思いは我々ドクターも君達ナースも同じだから誇りに思っていいよ、ありがとう!君が居てくれて本当に助かった」

「そんなこちらこそ、ありがとうございました」照れ笑いを浮かべながらも実来は心から嬉しかった。そして・・・

「あとはトメさんの気力次第・・・どうか・・・」

 松浪の小さく呟いたその言葉に、実来も同じ思いを重ねていた。 


 やや時間は遡り、八城が病院を出てタクシーを拾い署に戻っていると・・・

 ヴーヴーヴー!

 スマホが着信を告げる、見ると刑事課の直属の上司である矢中課長からの着信だった。

「はい八城です!」電話に出ると矢中は神妙な面持ちで言った。

「八城か、今どこだ?スグに戻れるか?」

「はい、すいません捜査会議を途中で抜け出して、どうしました?」

「ああ、それはいいからとりあえず戻れ、詳しくは署長からお話があるから戻ったら署長室に来てくれ」

「なんですか?これから捜査資料をもう一度確認しに署に戻るつもりでしたけど、署長のお説教なんて聞いてるヒマないっすよ?」

署長の金盛は普段から部下の八城に対して厳しくあたっている為、捜査会議を途中で抜け出した八城は署長の話が出た瞬間にてっきり自身への小言を言いたがっていると思った。  しかし・・・

「バカ!緊急事態だ!鴻村代議士の自殺とみられる遺体が見付かったんだ!」

「ええっ!鴻村代議士の!」八城はそう呟くと捜査会議の時、事件の詳細を説明された内容を思い出していた。

 真岡世理那の転落死事件から捜査を進め、彼女の自宅の家宅捜索を行ったところ自身が秘書として仕えていた鴻村代議士が未成年者の売春組織を主催していた事を決定づける証拠が発見され、真岡自身も未成年への売春を斡旋していたという事実も判明した、真岡は事件現場となった雑居ビルに入っているメイド喫茶に頻繁に出入りしていた形跡も見られ、その店で大きな金額の報酬をちらつかせて未成年を売春の道に誘っていたとみられているが、裏でその手引きをしてたのが鴻村だった。

「それでバレたから秘書共々自殺かよ、でもそれじゃあ、あのCTは・・・」昼間、鑑識課の希美から見せられた脳内のCT、その謎が八城の中でみるみる大きくなっていった。


 十数分後、池袋西署に到着した八城は玄関口で希美の姿を見付けた。

「上草?」

「ああ、八城っち!」希美も八城に気付いて駆け寄ってくる。

「どうした?お前、鴻村代議士の鑑識捜査に行かないのか?」

「ああ、他の連中が行ってるよ、今回は呼ばれなかった、まぁ遺体が見付かったのは衆議院議員会館だから管轄も違うし、こっちから行ったヤツ等もあくまで応援だ、でも議員相手なら本庁の鑑識が中心でやるだろうな」

「そっか、確かにな」

「お前は?捜査会議すっぽかして何処行ってたんだよ?」

「ん?ああ、まぁちょっとな、後で話すよ。じゃあ悪いな署長に呼ばれちまってんだわ」八城は溜め息を突きながら戻ったワケを伝えた。

「またか!凝りねぇな」

「いや、今回はいつものお小言じゃないっぽい、なんせ鴻村がな、俺も驚いたが、まぁでも考えられない事じゃない、秘書共々マスコミの格好の標的になる事を考えたら」

「成程な、まぁ本当に自殺だったら?だろ?」希美は八城の顔を覗き込むように見つめる。

「やっぱりお前もそう思うか?あのふてぶてしい感じの鴻村が逃げを打つのに自殺なんて選択するのもなんだか腑に落ちないし、それにその秘書の奇妙なCTを見たら」

「まぁ確かにな」

「だから、署長からはそういうトコも、もう少し何か聞けるかも知れない」

「もしかして新情報?」

「さぁな、あの署長がわざわざご丁寧に呼び出してそんな事を俺に教えてくれるかって疑問はあるけどな」

「相性最悪だもんな、ま、行って来いよ!泣かされたらコーヒー一本くらいで慰めてやっから」

「はいはい、ありがとな、んじゃ・・・」そう言って八城は希美の肩をポンっポンっと二回叩いて署長室へと向かった。


 コンコン!

「八城です!」署長室の分厚い扉を叩くと中から矢中課長の声が聞こえて来た。

「ああ、入れ!」

「失礼します!」軽く頭を下げて署長室に入ると・・・

「おお八城、すまんな!」

「いえ、大丈夫です」そう言う八城を金盛は何かの書類に目を通しながらひと睨みして言った。

「フン、大丈夫です、か?随分偉くなったモノだな八城警部補、直属の上司に気を遣って貰えるなんてな、捜査会議を投げ出して一体何をしていたんだ?」嫌味たっぷりのいつもの口調で八城をなじる。

「す、すいません!私はそんなつもりでは!」八城が自身の物言いで嫌味を言われたことに矢中は慌てて金盛に頭を下げる。

「まぁいい、今回は緊急事態だ。鴻村代議士とその秘書、真岡世理那の件だが、両方の事件はその背景に二人が未成年の売春組織の主催及び斡旋を行っていたという由々しき事態が判明し、鴻村氏及び真岡秘書の両二名はその事から自責の念を抱いて自殺という道筋をつけたという展開で落ち着く事になるだろう、というのが本庁との連携の中でついた結論だ」

「なんですって?結論付けた?都合よく遺書でも出ましたか?」八城は険しい顔で金盛を睨み付ける。

「今度は上司を睨み付けるか?全く君という人間は・・・」

「どいうことですか!署長もあのCT画像を見たでしょう!」

「や!八城っ!声が大きいぞ!」矢中課長が慌てて八城を制する。そしてその大声はこっそり八城の跡を付けて署長室の分厚い扉の前で聞き耳を立てていた希美の耳にも届いた。

「何、興奮してんだアイツ」

「そんなに大声で話さなくても聞こえている」

「耳じゃなくてココで聞いて下さい!」八城は自分の胸を叩いてアピールする。

「署長!アンタはいつもそうだ!早期解決が身上だか何だか知らないが!そうやって無理やり事件を解決しようとする!」

「それの何が悪い、事件は大なり小なり次から次へと湧き出て来る!そんなモノにいちいち時間を掛けていられない!早期解決は第一優先事項だ!」

「それが時に間違った判断を招くって事がアンタにはわからないのか!」八城が更に大声で迫ると、金盛は低く落ち着いた声で応える。

「私の捜査方針が気に入らないのなら、いつでも警察手帳を置いて消えたまえ、今回の事件の捜査揮権は本庁から仰せ付かったこの私にある」

 確かに今回は代議士が絡む事件にしては本庁から管理官も捜査員も出張って来ない、しかしそれは本庁幹部と金盛の間で既に先ほどのように鴻村、真岡の自殺の線で話しがついていたからだった。それ故に本庁からの捜査員は寄越さず、金盛に自殺で処理するよう捜査指揮権まで与え本庁はそう命じたのだった。

「くっ!」八城は握る拳に力を込めて金盛を再度睨む。

「フン!まるで狂犬だな、そんな感情むき出しで冷静さを欠いた捜査員など必要ない、もう下がっていいぞ、ご苦労だったな、自宅に帰って頭を冷やすといい何なら暫く有給でも取るか?」その瞬間、八城は怒りに任せて金盛に掴み掛ろうと足を踏み出したがその八城の前に矢中課長が立ち塞がった。

「課長!」

「八城!これまでにしろ!」矢中課長は力強い視線を八城に向けた。

「どうしてですか?だったらどうしてここに俺を呼んだんですか?」

「なんだわからんのか?狂犬に首輪をつけるためだ、八城」憎々しく金盛は八城に告げる。

「署長こんな事件、異常でしょう?脳が無いんですよ?どうして捜査せず放っておけるんですか?」

「ふ~八城警部補それは君たち刑事の仕事ではないからだよ、警察の仕事であったとしても科捜研や科警研の仕事だ、まぁ最も、調べるにしても監察医か検視官辺りが妥当だがな」呆れながら一息ついて再び何らかの書類に目を落としながら金盛は八城に告げた。

「もしかして金盛署長この事件アレが絡んでいるんじゃないですか?」そう言い放った瞬間、金盛は書類からもう一度目を離し今度は逆に彼が睨み付けて言った。

「不用意にそういう話をするんじゃあないそれについて確かな事など何もないのだ、二度と言うな!」

「・・・・・・」しかし八城も負けずに金盛に強い視線を向ける。

「八城頼む!この通りだ!お前一人だけの問題じゃあ無くなるんだ、わかるだろ?もしお前の言う通りだとしても頼む!この通りだ!」すると突然矢中課長は八城に向けて土下座をして見せた。

「か、課長!やめて下さい!頭を上げて下さい!」課長の突然の土下座に八城は驚いた。

「頼む!この通りだ八城!」

「わかりましたから!もう!ホントにやめて下さい!」

「やれやれだ、上司にそこまでさせるとは・・・」八城は向けられたその言葉にグッと堪えながら金盛を見据えて言った。

「金盛署長、俺はあなたのやり方は絶対に認めない!」

「構わん、君に認められる為にここにいるわけではない、早く出て行きたまえ」そして金盛は最後にもうひと睨みするが、八城はそれを受けずに踵を返す。

「失礼します!」八城は勢いよく署長室の扉を開けようとノブに手を置いた。

 しかし、その瞬間。

「待て、下らん言い争いで言いそびれるところだった」

 金盛署長のその低い声に八城は手にノブ握ったまま少しだけ首を後ろに向ける。

「鴻村代議士は既に運ばれた、秘書の真岡を検視した病院だ」

「・・・?」八城は金盛の真意が掴めずに黙っている。

「CTでもなんでも好きに確認しに行けばいいだろう、どうせもう捜査は自殺で処理することに決まってそれ以上の捜査も行わん、よってこちらはお前の暇潰しに関与するつもりもない」

「・・・!」

「署長、それって・・・」八城の代わりに矢中課長が金盛に訊ねる。

「私は忙しい、もう下がりたまえ」その言葉に八城は背を向けたまま軽く頭を下げると速やかに署長室を出て行った。

「ん?」すると廊下の先に希美が慌てて走り去る姿が見えた。

「上草!あいつ!はぁ~やれやれだ・・・」



 八城が去った後の署長室は重苦しい沈黙に包まれていた。

「も、申し訳ありません、八城にはよく言って聞かせておきますので」矢中課長は自身の部下の非礼を詫びたが、金盛の反応は冷徹だった。

「必要ないどうせ無駄だ、君ももう下がりたまえ」

「は、はい、では失礼致します」そうして署長室を後にしようとすると後ろから金盛の声が忠告した。

「君も気を付ける事だ、彼は危うい男だ」



 八城が足早に池袋西署の玄関に向かっていると、その玄関口に希美の姿が見えた。

「上草!聞いてたんだろ!」希美の背中にそう声をぶつけると、希美は気まずそうに苦笑いを浮かべながら振り返った。

「あははは!べ、別に?」

「盗み聞きとはイイ趣味だな?テルさんに言うぞ?誰かサンはそういう趣味があるって」

「や!やめてくれ!悪かった!つい!」希美は想いを寄せる照井の顔を思い浮かべて慌てて頭を下げた。

「やれやれ、まぁいいや聞いた通り今回のヤマは真岡の件も鴻村の件も自殺で片付けられたよ」八城はついさっきの金盛との事を思い出して悔しさを露わにしている。

「どうせまた、本庁のお偉いサンからなんだろ?国会議員のスキャンダルでもあるからな、マスコミ対策なんだろうが事件を出来るだけ長引かせたくないってのがみえみえだ」

「全くだどうかしてる」体裁。その言葉が八城の脳裏に浮かんだが、同時にもう一つ別の事も浮かんでいた。

「アレが絡んでいたとしても調べなけりゃどうにもなんないだろうが」独り言をつぶやく八城に希美が反応する。

「ん?何か言ったか?」

「ああいや、そういえばお前さっき何処か行こうとしてたか?」

「現場の撤収作業だよ、殆ど鴻村の自殺現場である衆議院議員会館の方に人間が持ってかれちまったからさ、アタシはメイド喫茶の方でお片付けだそうだ、お前も行くか?メイド喫茶」悪戯っぽい笑みを浮かべながら希美が言うと八城は顔を顰めた。

「妙な誘い方するな、ああ、わかったよ、俺も行くわ、ただちょっと別件もあってな少ししたら抜けるぞ?」

「別件?メイド喫茶にお気に入りの娘でも?」

「バカそうじゃねえよ、テルさんにちょっとな・・・」

「えっ?テ、テルさん!」希美の頬がぽっと赤くなる。

「鴻村の自殺現場の鑑識に行ってるんだろ?」

「あ、ああ、そ、そりゃ!テルさんほどの人なら当然だろ!本庁鑑識官主任だぞ!鑑識官主任!」

「知ってるよ!よく知ってる!興奮すんなよ!」

「バ!バカがっ!誰も興奮なんてしてねぇよ!ふ、ふ~んまぁいいや、じゃあちょっと待ってろ!ウチの車まわしてくるから!バカがっ!」

「ああ悪いな、頼むわ」

 そして希美の運転する車で二人は池袋駅西口の雑居ビルの現場に向かった。


 八城達が現場に着くと見慣れた顔があった。

「おぉ練間!お前帰ってなかったのか?」交通課の後輩刑事である練間が不満げな表情で八城に泣きついて来た。

「八城さ~ん!捕まっちゃいましたよ~せっかく今日こそみすずちゃんとのデートに漕ぎ着けようと思ってたのに~てか、相変わらずヨレヨレスーツですね」

「うるせぇ!お前だけだそんな事言うのは、ああ、この前俺が聞き込みしたあのキャバクラの娘か?お前、職務規定違反で処分されるぞ?」

「ええ!マジっすか!ヤバいっすかね?」

「警察官がキャバクラ行っちゃだめなんて規則ないだろ?」横から希美が運転席から出て来て口を挟む。

「げっ!上草先輩!」練間は希美が苦手だった。

「げっ!ってなんだよ?オイ!ご挨拶だな?ね~り~ま~」怒りの表情で迫る希美に練間は怯えた子犬と化している。

「す、すいません!勘弁してください!八城さ~ん!」

「まぁまぁ上草、教育的指導は撤収が終わってからにしてやれ」

「や、八城さ~ん?きょ、教育的?」

「しょうがねぇな、んじゃ先に行ってるぞ!」希美が先にメイド喫茶の現場に向かうと、練間は再びボヤき出した。

「八城さんなんであの人と一緒なんスかぁ~?俺、あの人苦手なんスよ~」

「お前がバカな事言うからだろ?ほら行くぞ撤収!」

「ああ!待って下さい八城さん!これ・・・」と、練間は自分の背広のポケットから一つの封書を出して八城に手渡した、封書の表記は八城宛てとなっている。

「ん?なんだこれ?」

「俺、一番先にここの現場に着いてたんですけど、上のメイド喫茶の扉に挟まってました、八城さん宛てなんで早く渡さないとと思ってココで待ってたんですよ」

「そうか、悪いな、上のメイド喫茶?待てよ、てことは部外者が現場に入ったのか?警察関係者ならこんな事しないよな?」

「ま、まぁ確かにそうですけど、あの、中見ないんですか?一応、危なくはないと思いますけど・・・」

「ああ、そうだな」手渡された封書を開いて中に入っていたモノを見ると一枚の折り畳まれた紙が入っていた。

「なんだ?J・F・M /V・W・v・G/P・F/Johannes・12/24」

「なんスか?これ?暗号?あ、裏にもなにかありますね」

「裏?ああこれか・・・〟表を解いて来い。西口公園で待つ〝」

「この暗号を解いて西口公園に来いって事ですかね?解かないで行っちゃいます?」

「いや、解かないで行っても意味がないんだろうな、見てみろ」

「え?」八城は暗号の裏に書かれた文章の最後を練間に見せる。

「コタエナケレバサキハ無イ。アヤマリモ同ジ。」

「は、ははは答え合わせでもするつもりですかね?」

 八城は練間の声には応えず手にある暗号に注視した。


 〟J・F・M /V・W・v・G/P・F/Johannes・12/24〝


「あ!わかった!」練間が突如声を上げる。

「なに?ホントか?」

「はい!上のアルファベットはチンプンカンプンですが、最後の数字はクリスマスイブじゃないですか?十二月二十四日!」練間はどうだ!というドヤ顔丸出しで八城を見る。

「練間くんありがとな、ありがたいからちょっと黙っててくれるか?」

「何スか~!せっかく一緒に考えてあげようと思ったのにー!」

「うんうん、わかってるわかってるありがとう、その気持ちだけで結構です」

「やめて下さいその敬語」

「クリスマスイブつまりキリスト生誕の前日。小学生でもわかるな、ん?キリスト?あ!そうかJohannes・・・ヨハネ」

「え?何スか?よはね?」すると・・・

 ヴーヴーヴー!

「ん?公衆電話、あ!もしかしたら!」スマホの着信画面を見て八城はて慌てて電話に出た。

「もしもし!シゲさん?」

「ああ!八城ちゃんか!終わったよ、何とか無事にトメさん帰って来てくれたよ、ホントによかったホントに・・・」通話先でトメの無事を喜ぶシゲが涙を流しながら喜んでいた。

「そっか!よかった・・・俺も安心しまたよ」

「うん、うん、おぉ!そうじゃ、事件の捜査の方はどうじゃ?って流石にこんな短時間では何もないか」

「ええ、残念ながらそれどころか最悪な展開で」

「なんじゃと?」

「ウチの署長が自殺で処理しちまって、捜査も何もあったモンじゃないですよ」

「自殺か、まぁ自分から窓ガラスに突っ込んで死んだっていうからなぁ、じゃがマスコミも更に食い付こうとしていただろうにその矢先の自殺での処理。なんかクサいな」

「シゲさんもそう思ういますか?あ、これは完全に内密でお願いしたいんですけど」

「ん?ああ、もちろん口は堅いじじいじゃよ?」なんとも軽い口調だが八城は元刑事の倫理観を信じて告げた。

「そのビルの最上階から投身自殺した真岡が鴻村の第一秘書なのは知ってますよね?その鴻村代議士が今度は衆議院議員会館でついさっき自殺体で発見されました」

「なんじゃと?自殺の動機は?」

「遺書はなかった、ただ投身自殺した女の自宅から、その代議士と共に未成年に如何わしい商売をさせていた証拠が出て来ました、上はおそらくそれが見付かった事が動機だろうって判断したみたいで、ウチの捜査員がその件で踏み込んだ時にはもう・・・」

「女も同じ理由でか?」

「ええ、だからそう言う事も含めてまだ捜査が必要なのに、早期解決が身上の署長様と本庁幹部に強引に幕引きされましたよ」

「そうか、解決とは確かに程遠いな、じゃが、まぁとりあえず一泊置こうや、また捜査のチャンスが来るやも知れん」

「え?」

「お前さんが諦めなければな、きっとチャンスは来るよ」

「シゲさん・・・」

「あのばあさんだって諦めちゃいないさ」

「トメさんが?」

「ああ、いつも話しとるんじゃよ、早くこの病院を退院して大好きな絵を見に行きたいんじゃと」シゲは通話口でにっこり微笑みながらトメの病室のある方角を見やる。

「大好きな絵?」

「ゴッホおるじゃろ?絵描きの」

「ああ、はい」

「そのゴッホが、なんちゃらミレーって画家の真似て描いた絵があるらしくての、その絵の題名は忘れちまったがのう、なんかそのなんちゃらミレーの方のその絵は山梨ともう一つはアメリカのボストンの美術館にあるらしいんじゃ」

「山梨とボストン?へ~トメさんがそんな事を?」

「ああ、なんだかその絵はどっちも殆ど同じ絵らしいんじゃよ、ん~やっぱり名前が思い出せん」

「ハハハ、まぁシゲさんも年だから無理ないですよ~」

「ぬ!そう言う事を言われると意地でも思い出したくなるのう、ワシも見た事あれば説明出来るんじゃが悔しいのう、あ!そうじゃ一個思い出した!」突然シゲが大きい声を出す。

「うおっ!ビックリしたぁ!なんです急に!」

「ヨハネの十二章二十四節!」

「え?ヨハネ十二しょ・・・あ、待ってくださいシゲさん!ヨハネのってあのキリストの弟子の?」そう言って八城はポケットから先刻の暗号が描かれていた紙を取り出す。

「ああそうじゃ、トメさんがそんな話をしとったな?内容はやっぱり思い出せんが」

「そうか、ヨハネ伝十二章二十四節の事かこれは!いいぞ、ピースが揃って来た!ありがとうシゲさん!助かりましたよ!」八城はシゲに礼を述べる。

「あん?なにがじゃ?」

「シゲさん、トメさんの事よろしく頼みますね」

「お?おお!なんじゃ急に」

「ちょっと今から行かなきゃならないトコがあって、すいませんが」

「おお、そうかわかった、またトメさんが目を覚ましたら連絡しよう」

「はい、お願いします!じゃあまた!」そう言うと八城は電話を切って暗号に目をやる。

「J・F・・・V・v・・・ぶつぶつ・・・」八城が集中しながらぶつぶつ言っていると練間はやや呆れながらその姿を眺めていた。

「こうなっちゃうとこの人はダメだ、何も耳に入らないや」そうして五分ほど経った頃八城が突然声を上げた。

「わかった!シゲさんありがてぇ~よし、あとはこれか、P・F・・・」

「P~F・・・P~F・・・ポール・・・ポール・・・」練間もぶつぶつと呟きだした。

すると・・・

「ポール?ポール・フライシュマン?種まく人・・・」

その瞬間、八城の頭の中に広がっていた靄が一気に晴れたような気がした。

「そうか、ここに書かれている全てに共通するのは」

「八城さん?」

「練間わかったぞ!解けた」

「え?」

「西口公園に行ってくる、ここの撤収は頼んだぞ!」そう言って八城は池袋駅前の西口公園へと向かった。

「や、八城さん!」

「お前の〟ポール〝のヒント!役に立ったぞ!後でキャバクラでもなんでも奢ってやるよ!サンキューな!」振り返って満面の笑みを浮かべた八城は練間に礼を述べて、改めて西口公園へと向かった。

「マジっすか!よっしゃ!みすずちゃん待っててね~」そして練間は完全に浮かれてスキップしながら、メイド喫茶の撤収作業に向かった。




 久し振りの池袋。この街の事は隅から隅まで知っていたつもりだったが、暫く来ない間に、薬物や淫行・・・それを裏で糸を引く腐った獣達の臭いが男の鼻を突いていた。

「薄汚れた街がとうとう腐り始めて来たか・・・」

 秋の夜風が男の胸中に憂いをもたらした時、もう一人の男が息を切らせてこの西口公園に駆けて来たのを男は見つけた。そして、駆けて来た男のその手には一枚の紙が握られている。

「ほう、あれから二時間も経っていない。割と早かったな・・・」さっきまでの憂いは男の胸中から徐々に薄れていった。


「八城警部補だな?」

 八城が西口公園に到着し周りを確認していたその時、背後からその声はした。

振り向くとそこにはトレンチコートを着た五十台半ばくらいの男が立っている。

「なかなか池袋の刑事も優秀だな、こんな短時間でここに来るとは、あと数時間は待たされる覚悟していたのだがな」

「まぁ仲間達に助けて貰ったけど、何とか解いてきましたよ、答え合わせしますか?」

「ああ、聞こうか・・・」男は少しだけ頬を上げると八城を真っ直ぐ見つめた。

「ジャン=フランソワ・ミレー/フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ/ポール・フライシュマン。あのアルファベットの羅列は彼等の名前の頭文字。そしてヨハネ伝十二章二十四節・・・そこから考えられる共通するものは〟種まく人〝」八城も真っ直ぐその男に鋭い眼差しを向けている。

「見事だ。まぁ、ちょっとしたテストみたいなものだ。君の能力を軽く試させて貰ったが、遅くとも明日の朝までここに来なければ我々はこうして顔を合わせる事は無かった」

「明日の朝?」

「明日の朝の一番の便でアルジェリアに飛ぶ事になっている。日本には暫くは戻るつもりはない」

「その前にお母さんに逢って行かないんですか?塩鞍蒔人さん」八城は確信をもってその名を口にした。

「〟種蒔く人〝か・・・ミレーにゴッホ、文学界ではフライシュマン、昔よく母に連れて行かれたよ、山梨の美術館にミレーの絵を観にな、私の名前はそのミレーの絵を見て付けたそうだ。蒔人・・・」

 優しい目だった。二十五年間自身の母親に会いに来なかったのは決して蒔人の母への愛が消えたというワケではなかった。

「トメさんは、今も心臓疾患で長い事入院生活をしています。今日も倒れられて緊急手術が行われました。なんとか無事でしたが・・・」八城はついさっきの夕方の事を簡潔に蒔人に説明する。

「ああ、いつも世話になっているようだな心から礼を言うよ、有難う。だが、母はもう長くはない・・・」

「え?」八城の表情が険しくなる。

「あと数時間だ。母の時間が終わる」

「なんだって?」八城の口調が強くなる。

「決まっているのだ、いや、自分で決めるのだ我々は、命の時間を・・・」

「我々?」

「そう我々『三日月の民』はな」

「三日月!アンタまさか!」

「ああ、君も少しくらいは聞いているだろう?あの二人から・・・」

「あの二人?まさか、赤名さんと皆口さんの事知ってるんですか!」

「知ってるも何も彼等は今も私と戦ってくれているよ・・・彼等とはもう十五年の付き合いになるな」

「俺が警官になる前から?そ、そうですか・・・」八城は思わず恐縮した。

赤名と皆口。八城の警察官として、また人間として目標とする彼等と長い間信頼関係を築いている蒔人は、この時から八城にとって深く敬うべき存在となった。

「なに、それ程畏まる事もない、それに君には母が世話になっている、私の方こそ君には頭が上がらない、本当にありがとう八城警部補」

「いえ、ですがまさかあなたとトメさんが、三日月村との繋がりがあったとは驚きました」

「ああ、今日君に会う事にした理由の一つには『三日月の民』について少し話をしておこうと思っていたんだ」

「はい、聞かせて下さい!」

 そして塩鞍蒔人は語り出した。自身の身に流れる三日月の血の宿命とその長い歴史を。

「この国のどの地図にも載っていないとある山村に、我々三日月の民の故郷である『三日月村』があった。しかし、今から二十五年前ある恐ろしい事件が我々の村に起きた」

「恐ろしい事件?」

「ああ、今思い出しても悍ましい光景だった。村の三分の二の人間が毒殺されたんだ」

「ええっ!村の三分の二の人がっ!」八城は驚きを隠せなかった。

「詳しくは今は省くが、たまたま故郷に立ち寄っていた私はその時のその現場に出くわした、それからだ、私が母の元から消えその事件の深い根を探り始めたのは・・・」

「どうしてお母さん、トメさんの元を離れなければならなかったんですか?二十五年もの間、それにその口振りだと黙って消えたんですね?トメさんの前から」やや非難を込めた口調で八城は言った。

「それは、私が相手にするモノがとてつもなく大き過ぎたからだ」

「相手?」

「あの日、凄惨なその光景を目の当たりにした私は、自分の情報屋としての能力と三日月の血から授かった力を使って許しがたい敵の正体をあと少しで掴めるというところまで迫った、だが・・・」

「ど、どうなったんですか?」

「この国のある大手企業、更に警察、司法、そして内閣。その全てが我々の動きを封じ込めた」

「え?警察も?だって大量殺人事件ですよね?村の三分の二ですよ!」

「ああ、だが、どうやら私の故郷の人間達は、この国の民とは認められていなかった様だ」

「そ、そんな!本当に警察は捜査も何もしなかったんですか?」一瞬、八城の脳裏に先刻の金盛との言い争いが蘇える。

「いや、その当時も今の君の様に警察のそのやり方に疑問を呈した人間もいた。だが、それでも警察の殆どの人間、取り分け権力という力を持った人間ほど我々の為に動こうとした人間はいなかった。最もそれは警察という組織に限らず、今挙げた他の組織でも同じ事だったがな」

「だから蒔人さん一人で?」

「いや、さっき我々と言ったろう?わずかに生き残った三日月村の仲間や三日月の民ではないが我々に協力してくれた仲間もいたよ、そしてその我々が奴らに対抗しうるように作った組織が今も地下や裏の世界に潜んで動いてはいる。だが、組織というのはやはり悲しいモノだ、我々の中でもこの国のあらゆる組織の様に分裂が起き、短い間に大きく三つの勢力に分かれた・・・」

「三つ?」

「簡単に言えば、過激な攻撃志向を主義とする一派と徹底して冷徹な知略を巡らし一切の感情を排し目的を遂行しようとする一派、そして我々のようなその中道を行く一派・・・」

「成程それが、三日月の組織の構成か」

「始めは自分達を排斥しようとしたこの国に存在する大きな組織に対する復讐だった、が、今はその目的も変わってしまっている。すべての支配という恐ろしい魔性の誘惑に囚われてな・・・」

「すべての支配?この国のですか?」すると蒔人はゆっくりと首を振る。

「いや、この世界のだ」

 それからおよそ一分程の沈黙が八城と蒔人の間に生まれた。

 

「これからどうするんですか?」八城は明朝一番の便でアフリカ大陸のアルジェリアに向かうという蒔人に訊ねた。

「私は情報屋だ、調べるさ。最も最善の未来を築ける方法を、それにその為に私は生きている」

「日本に居て、お母さんのトメさんのそばにいてもいいんじゃ・・・!」その言葉を聞くと蒔人はゆっくりと顔を上げて八城の目を真っ直ぐ見据えた。

「アフリカを始め世界中に同志がいる。俺の助けを待っているんだ。今回のアルジェリアの件については向こうで厄介なテロ集団が動き出したらしくてな、どうしてもそいつ等の細かい情報を集める必要があるんだ・・・」

「そんな事までしてるんですか?でもやっぱり最後に少しでもトメさんに、お母さんに逢って行きませんか?もう、もうこれを逃したら・・・」

「君は本当に優しい男だな」その言葉に八城は下を向く。

そしてそんな八城を見る蒔人のその眼には、彼の決意や母への愛情が滲み出ていた。

「我々三日月の民は君たちにはないある繋がりを持てるんだ。異能力を持った人間は特別な繋がり方が可能なんだよ、例え直接逢わなくてもな」

「異能力?」

「今回の真岡世理那と鴻村忠士に起きた事を話しておこう、あの脳が消えていたのは〟感染〝という異能力で人間の脳に異能力で生み出した細菌を感染させ脳を思い通りに操る事が出来る、つまり脳からの指令で人間は手足を動かすが、それを操作されてしまうという事だ、外からな」

「人間を思い通りに操る?」

「ああ、カマキリに寄生するハリガネムシのようなものと解釈すればいい」

「脳が消える理由は?」

「簡単な事だ、感染された脳はその細菌に恐るべきスピードで喰われる」

「喰われる?」八城は背筋が寒くなる思いだった。

「跡形もなくスッキリとな、そしてその細菌はその後スグに自ら消滅する」

「待って下さい!それなら鴻村の脳も?」

「ああ、とっくになくなっているだろうな、あとでお仲間にでも確認すればいい」

 八城は後に本庁観察官主任の照井に確認しようとしていたことがここで判明した。

「それで、その最近は役目を終えたら、死ぬって事ですか?」

「いや、消滅だ。始めから無かった事にする。外傷も一切残さない、説明の便宜上、細菌という表現を使ったが厳密には細菌の様な異能力であり、この地球上の生物学的細菌とは違うモノだ、そもそも生物ではないからな、つまり今回の事件においては感染という異能力が細菌のように人間の脳を食い尽くしたという事だ。因みにあの議員と秘書が死んだのはいわば天誅。腐ったゴミを始末しただけの事。そしてそのゴミ処理が我々の仕事。先に話したテロリスト共も我々から見たら同じゴミだ。が、決してこの国は勿論どの国の法でも我々を裁く事は出来ない、そうだろう?」蒔人は不敵な笑みを八城に向ける。

「確かにそうですね?じゃあ、殺したのはあなたなんですか?」

「御想像にお任せしよう、もしかしたら私の身内かも知れないな」蒔人は面白そうに告げる。

「トメさんが!」八城がそう言うと蒔人は再び不適な笑みを浮かべて言った。

「いや、私の身内は母だけではない。過去に妻も居た事がある、子供も一人な、だが、我々のような者達が普通の家族を持つという事は簡単な事ではなかった。ま、妻とは籍も入れていなかったから身内と呼べるかどうかということもあるが・・・羽村。この苗字を変えてあげる事は出来なかった・・・」

 蒔人は冷えた夜空を仰ぎ瞳を閉じる。八城はそんな蒔人を真っ直ぐと見つめた。

 やがて蒔人は瞼を開き再び口を開く。

「この力、三日月の血は強過ぎる。普通の人を幸せに出来る力ではないんだよ」

「悪を滅ぼす力ですか?あの鴻村や真岡のような悪を」

「まぁそうだが、あんな奴等は所詮小物だ、。ああ、そうだこの力は本当かどうかわからんが、この国が出来た頃からその存在はあったと言われている、卑弥呼や聖徳太子、歴史上の人物の多くにも三日月の血がルーツとなっている人物もいた様だ、その高い能力故に・・・」

「まるでおとぎ話か、そうでなければオカルトですね」

「ハハハ、まぁ、似て非なるモノとだけ言っておこうか」

「あなた達はあなた達の正義に則って悪と定めた者達を裁いているのかも知れません、しかし俺は警察官としてあなた達に命を奪う行為を止めさせるべきなんだろうと思います。本当は・・・」強く拳を握り締めながら八城がそう言うと、蒔人は一枚の名刺を差し出して来た。

「母の死後、君の情報屋の役割は私が引き継ごう。この街の事を始め何か知りたい情報があったらここに連絡をくれ、必ず役に立つよ・・・」

「蒔人さん、もしかしてあなたは迷っているのではないですか?あなた達のその使命感に!」

八城は名刺を渡して背を向ける蒔人の背中にぶつけるように言った。

「使命感?フフ、そんなカッコいいもんじゃないさ、それにそんな綺麗なもんでもない」

「それは」

「始めに言ったろ?復讐心だよ、八城君。そこいらの犯罪者やテロリストと我々も変わらんさ」

「しかし三日月の民も三つに分かれたと」

「ああ、俺はそれが一番悲しいがね、だが、別れたとは言え奴らの気持ちもどこかわかる」

「俺にはあなたが三日月の民を止めようとしているようにも思えます!」

「・・・案外、君も青いな」

「そうかもしれません、でも俺には目標としている人達がいます!その人達もきっと同じことをあなたから感じ取るような気がするんです!」

「何故?」

「あなたは俺のことを何も訊かない、あなたとは初めて会ったのに、でもそれはきっとあなたが俺のことを既に知っているからだ!そしてこうして繋がりを求めようとしている」

 八城は、今蒔人から渡された名刺を手に掲げて告げる。

「おこがましい言い方になりますが、我々の力を欲しているのではないですか?利用するためならこんなことをしなくても、俺の脳でも弄ればいい。カマキリに寄生するハリガネムシのように」

「フフ、青いといったのはとりあえず訂正しておこう八城警部補」

 蒔人はゆっくりと振り返る。その顔には微かに笑みを浮かべている。

八城は探るような視線を蒔人に向ける。

「だが、惜しいな、それにこの脳を喰らう異能力の持ち主がわかったところで、やはり君達警察には、いや、この世の法律では我々は裁けない」

「あらゆる情報を掴むのも異能力?」八城がそう問うと蒔人は自分の右のこめかみを指で軽くたたく仕草をしながら告げる。

「ああ、そんなところだ。君たち普通の人間よりココのストック量が遙かに段違いなんだよ、単に記憶がいいと言う次元の話しでもない、この世のあらゆるスーパーコンピューターも私のココには敵わないさ」

「それはトメさんから引き継がれた力ですか?」

「そうかもな、三日月の民の力が消えないのは遺伝によるものもある。すべてがそうではないがな、ま、そんなことで、改めて以後お見知り置きを八城警部補殿」

「はい」

「では、そろそろ行くとしよう。また連絡を待ってるよ、それと・・・」

「はい」

「君に一つ頼みがあるんだが」

「なんでしょうか?」

「君に守って貰いたい人間がいる」

「守る?」

 蒔人は静かに頷くと八城に先刻の名刺を出すように告げ、その裏にその相手の名前を記して池袋の夜の街に消えて行った。


 ヴー!ヴー!ヴー!

 蒔人が去った後、八城のスマホが着信を告げる、表示には照井の文字。

「はい、テルさんですか?はい、はい、・・・そうですか」

「ん?なんだあまり驚いてないな?」通話先の照井が意外と言わんばかりに訊く。

「俺の情報屋の方が一歩早かったです」

「情報屋?この件はまだお前にしか話してないが、まぁいい、それなら一応鴻村のCTの写し、また希美に持たせるよ」

「え?植草?」

「なんか現場の撤収作業ももう終わるから、これからメシでもどうですか?だってよ、子供たちも一緒に」

「はは、そっか、なら行って上げてください。きっと喜びますよ」

「よろこぶ?ああ、そうだな焼肉でも食わせてやるか!ハハハ!」

「ええ、きっと喜びます、じゃあ、また」そう言って八城は電話を切った。

 見上げると池袋の夜空にどんよりと浮かぶ雲の隙間から一つの星が煌めいている。



「塩鞍蒔人か、トメさんあなたの息子さんは生きていますよ・・・」




 その夜、トメは夢を見ていた。


「母さん!母さん!・・・母さん!」

「蒔人?お前どこに行ってたんだい?」

「母さん、遅くなってごめんよ」

「全くお前って子は、本当に心配掛けて」

「ああ、悪かった」

「大丈夫わかってるよ、お前の事だ、しっかりやっているってわかってたよ」

「母さんの子だからな、母さんの三日月の血が俺にも流れているからな」

「ああ、そうだね、またお前と一緒に見たいねぇ、あの絵・・・」

「ああ、そうだな、でも今度は、娘も一緒にな」

「ありがとうね、あんなにいい子を最後に私に逢わせてくれて、あの子に世話して貰えて本当に幸せだったよ・・・」

「ああ、よかった、本当によかった・・・」




 一筋の涙がトメの皺だらけの頬を伝って流れた。



 翌朝。塩鞍トメは静かに息を引き取った。

七十八年の生涯で最も幸せな穏やかな微笑を浮かべて・・・



 そして、枕元には眠っていた筈のトメの字で一枚の置き手紙が置かれていた。

 そこには・・・




 ありがとうみんな、楽しかったよ。



 ありがとう八城ちゃん嬉しかったよ。



 ありがとう実来、おばあちゃんは幸せだったよ。

 

 ありがとう蒔人、私の大切な大切な息子。


 

 ありがとう・・・

                              





 八城はその朝にシゲからトメの報せを受けた。


 そして、蒔人から受け取った名刺の裏を見てその眼を前に向ける。



 羽村 実来。  異能名『感染』








                                 了



 刑事としての誇り、情報屋としての誇り、そして復讐心を抱えながらこの世の闇に立ち向かうものとしての誇り、それぞれの立場からその視点で紡いだ物語です。

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