アレス・ゼファード
「すみません、メルヴィナ先生。今日も模擬戦で敗けてしまいました」
「別に謝るようなことではないでしょ、アレス君。それに先生、あなたはよくやっていると思うわ」
教員用の個室にまで報告に来たアレスを、メルヴィナは椅子に深く腰かけながら、慰めるように迎え入れてくれた。
「でも俺、この魔術学園都市創立者の1人で、伝説の召喚師とまで言われたクラウス・ゼファードの子孫なのに、星印1の召喚使役体しか喚び出せなくて。先生の生徒の中では連敗続き……頑張ってはいるつもりなんですけど」
「座学の成績や魔力の総量を見れば、君が決して怠けていないのは分かるし、相手の特性を見抜いたり、戦闘の指示も特筆するレベルでこなせてる。けれども……基本の基本である召喚術だけ、なぜかあまり上達しないのよね」
メルヴィナはやんわりと教え子の問題点を挙げた。
つば広のとんがり帽子に眼鏡が知的な彼女は、召喚師育成科の教師。
数百年を生きるエルフだが外見年齢は20代前半。緩いウェーブがかかった豊かな長髪で、レンズ越しの瞳は余裕のある笑みを湛えている。
ゆうに100センチはあるであろう、今にもはち切れんばかりのボリューミーな爆乳。その胸とは対照的に細くくびれたウエスト、そこから続くまろやかなヒップラインは成熟した大人の腰付き。
そんなグラマラスを体現するプロポーションを、肩を出したチューブトップのミニワンピースというボディコンシャスな服装で包んでいる。
いや、正確には包みきれてはおらず、今にもこぼれ落ちそうだったり丸見えになりそうだったりと、色々きわどくて15歳のアレスはいつも目のやり場に困っている。
この魔女ライクで露出過多な格好は、自分が学んだ流派のれっきとした正装だという。
彼女は踵の付いた膝上のブーツで椅子から立った。
「精霊、怪異、怪物、武人、勇者、英雄……そういったものたちの精神や魂魄が時空を越えて存在する異界。その異界と交信してそれらを喚び出し、サマンズとして使役することができるのが、召喚師」
メルヴィナは右手の甲を見た。そこには召喚師を意味する紋様がうっすらと浮かび上がっている。同様のものがアレスにもあった。
「星印1から最大5で区分されるサマンズはそれぞれ戦闘力を持ち、上位ともなれば人とは比にならない埒外の力を持つ。それだけに生徒は日々学び、模擬戦を交えながら術力を高めているわけだけど」
「うちの家系は代々、名のある召喚師なのに、俺は修行しても星印2の召喚もままならなくて。このまま落第、進級できないなんてことには……」
「その心配はしなくても良いわ。あなたの努力は評価してる。それにクラウスさんは私が幼少の頃、とてもお世話になった師匠ともいえる存在。他の生徒より贔屓するつもりはないけれど、彼の子孫であるあなたは私の可愛い愛弟子も同然よ」
メルヴィナはアレスの後頭部に両手を伸ばすと、深く刻まれた谷間に彼の顔を埋めた。
「もごっ!」
「つらいでしょうけど……不安にならないで。埋もれた才能が何かのきっかけで花開くことはある、ね?」
母が愛おしい我が子にそうするように、彼女はさらにぎゅうっと強く抱き締めた。
「んんっ、せ、せんせ、く、苦し」
「そう、今は苦しくても、積み重ねた研鑽が秘めたる資質を輝かせる日は必ず来る」
「むぐ、そ、そうじゃなくて、むぐぐ」
「だから、とにかく鍛練に励みなさい。いつも言っているけど、そのためなら倉庫の魔法道具は自由に使っていいから」
「むう、むぐう」
「アレス君、困ったり悩んだりしたらいつでも先生のところにいらっしゃい。先生にできることだったら、なんでもしてあげる」
「む、むぐ、息が、んぐぐぅ……」
熱烈な激励から解放されたアレスが部屋を出ると、待ち伏せしていたように1人の女生徒が現れた。
「アレス、また先生に慰めてもらってたんでしょ」
「あ、シェリル」
金髪のツインテールで気の強そうな眼差しを持つ美少女が、どこかいたずらっぽい表情をしている。アレスと同じ1年の制服だが、フードつきのケープを付けていることで魔法を学ぶ魔法科だと分かる。
シェリルはザファード家と長年付き合いのある、魔法の名家グランベール家の令嬢でアレスの幼馴染だ。
この歳にして攻撃、防御、支援とさまざまな魔法を習得している才媛。
学園でも人気のルックスから、才色兼備と言えるだろう。
「俺は報告に行っただけだよ。たしかに抱き付かれはしたけど……あれは先生のいつもの愛情表現というか癖みたいなもので。俺も対応に困るというか」
「とか言って、まんざらでもないんでしょ」
そう聞かれてアレスは言葉を濁した。
溺れるような柔らかさとあふれる弾力とふわりとした包容力、そして大人の女性の香りを不愉快だとは偽れない。
あれ以上の好触感を彼はまだ知らない。
「……先生とは、子供の頃から知り合いだし」
「ま、先生はあんたを溺愛してるものねえ。ところで、これからどうせ練習でしょ? うちらも午後はずっと自習だから手伝ってあげる。まずは第1倉庫でマジックポーションでも探してくる?」
手近な倉庫で魔法道具を見つけ、練習するのがアレスの恒例になっている。
「今日は第3倉庫に行こうと思ってるんだ」
「は? あそこガラクタばかりで、ゴミ置き場みたいなものじゃない」
「でも気になることがあって。最近、あそこの近くを通るたび声というか音というか、何か聞こえるんだ」
「? 喋ったり音を出す魔法道具なんて別に珍しくもないじゃない。それとも変なモンスターでも湧いたかしら」
それはアレスも知っている。喋り、ときには動く道具はあるし、実体を持たない霊やモンスターが声を発することもある。
「そうじゃなくて、俺を呼んで語りかけるような………とにかく、ずっと何かが気掛かりになってるんだ」
2人は倉庫の探索を始めた。
厚いカーテンが閉められ、中は埃っぽい。
乱立された棚には魔法薬の空き瓶や実験で使用済みの魔法石などが置かれ、ひび割れたツボには使い古された杖やロッドが傘立て感覚で放り込まれている。
「やっぱり、ガラクタばっかり」
床に堆く積まれたボロボロの書物をにらみながら、シェリルが言った。
「で、例の声の主は見つかった?」
「いや、今のところは」
ふーん、と興味なさげに聞き流した彼女は本棚から1冊の本を手に取った。
「ザファード家の召喚師戦術書その1、だって」
「そんなの、もう暗記してるよ」
「あんたが星印差があってもたまに勝てるのは、身に付けてきた戦術と知識のお陰だものね。これで、強いサマンズさえいれば」
「仕方ないだろ、名家の血筋なのに、俺にはシェリルと違って才能がないんだよ」
あっ、とシェリルは失言に気付いた。
「……ごめんなさい。でも、そんな自虐的にならないでよ。あんたが人一倍努力してるのは私が1番知ってるんだから」
「……うん。でも……俺に強いサマンズが喚べたら──」
ドサドサドサッ
突然、無造作に積まれていた本の山が崩れた。
アレスの足元に散らばってきた1冊が、うっすらと淡い光を帯びている。
「なんだ?」
彼が拾うと、表にはザファード家の紋章があった。祖先が創設に関わった学園だから何もおかしくはないが。
「? これ、本じゃないぞ。本と見間違えるサイズの、薄い箱だ」
古そうだがフタに手をかけるとスムーズに開いた。
そこには、
「魔法のカードだ。それもこれは、サマンズカード」
サマンズを本人同意のもとで保管・保存しておけるカードで、召喚師ご用達のアイテムだ。
使い方は当然、アレスもよく知っている。
本来施されているはずの装飾はなく、サマンズの名前や説明も書かれていない。
書かれているのは星の数、星印だけで──
「星印が6!? どういうことだ?」