ピース・ウォーズ・ゼロ・後編
では、後編開始です。
この物語は、何の構想もなく突然変異的に生まれた作品です。
書いている時はほぼ行き当たりばったりで、作者的にも最後はどうなるか分からない状態でした。
その為、作者もこの物語がどう完結するかは、殆ど分かっていません。
ですが、一先ずピース・ウォーズ・ゼロは決着です。
少しでも皆様に楽しんでいいただければ、幸いです。
6
そして、これはその少し前の話。
「やはり、気になるわね」
「はい? 気になるとは?」
唐突なラーの呟きにルウが眉をひそめる。ラーはフー・ズーに目を向け、命を下した。
「――サクヤとシェリカとファンカルを呼んできてもらえる? 大事な用があるの」
「了解しました、陛下」
恭しく礼をしてから、フー・ズーは退室する。件の三人がラーの執務室にやって来たのは、それから十分後。開口一番――二十代前半のシェリカ・パナカはこう告げた。
「ほえー?」
「……えっと、皆に集まってもらったのは他でもないわ」
「ほえ?」
「実は仕事を頼みたいの」
「ほえ?」
「と言うのも、アレでね」
「ほえ~~!」
「………」
と、ラーは全力を以て隠し持っていたナイフを、シェリカに投げつける。
「――って、あぶなッ?」
ソレを何とか回避したシェリカを見て、ラーはつまらなそうに目を細めた。
「……なんだ、普通に喋れるんじゃない」
「い、いえ。ちょっと〝ほえ〟と言う名なの萌え言語だけで、会話を成立させようと思って」
「この前は〝でやんす〟にハマっていたわよね……貴女。私、貴女のそういうアホなところ、割と好きよ?」
「……そう思うなら、殺そうとしないでもらえますか、陛下?」
しかし、その訴えは無視してラーは再度、本題に入る。
「実はある少女を見つけ出し、その力量を試してもらいたいの。仮に、これが危険な物だと判断したなら、貴女達三人がかりで始末してくれる?」
「私達が、三人がかりで? お言葉ですが陛下、その程度の仕事一人居れば十分では?」
十代半ばの、サクヤ・テンゼンが不満げな響きを漏らす。
ラーは、それでも譲らなかった。
「私もそう思いたいのだけど、ちょっと引っかかるのよ。ただの勘に過ぎないけど、何かが不味い気がする。故に厳命します。例え相手が何者であろうと、常に三人で行動して。それ以外は、手段は問わないから。で、ルウ――その少女の事なのだけど、何処までわかっていて?」
「ええ。噂では、年の頃は十五から二十。金髪緑眼で、陛下と同じ大剣の使い手です。マーニンズ周辺を活動拠点とし、名は確か――フォートリア・フォートレム」
「だそうよ。なので、先ずはマーニンズから情報収集をし、足取りを追って。くれぐれも油断しない様にね。出来れば、例の興行の前に戻ってきて」
「はい。確かに承りました、陛下」
シェリカがロングスカートの両端を抓み、一礼する。
ソレを興味無さそうな様子で、十代半ばのファンカル・シルファが一瞥する。
サクヤは気を研ぎ澄まし――その体のまま三者は件の仕事に身を投じたのだ。
◇
「それで先の話の続きですが、成る程、確かにこれは陛下方しか成し得ぬ話です」
「ええ。アウストラの働きで皆も快く了解してくれたし、数ヶ月後には初日を迎えるつもり。ルウもそのつもりでいてね」
この通達を受け、ルウは珍しく動揺の声を上げる。
「は? あの、私も、ですか?」
「当然じゃない。最初の一回ぐらいは、つき合って。後は自由にして構わないから」
「御免こうむりたいところですが……ま、良いでしょう。ナリウスの為とあらば、この非才、喜んで力になりましょう」
彼の反応を見て、ラーは嬉々とした。
「素直で結構。それで、これから先は私の構想なのだけど、感想を聞かせてもらえる?」
「それは、天下平定までの道筋、という事でしょうか?」
ルウの問いに、ラーは首肯する。彼女は初めて第三者に、自分の策を打ち明けた。
「まず、領土拡大の件なのだけど、これは流言を使う事にするわ。『私達が乗っ取った国の民は、みな裕福な暮らしをしている』という。その上で、この話に食いつきそうな国の民を後押しして、反乱を起こさせる。ナリウスと同じ段取りで王を討ち〝黒色錬刃〟の一人を王に据えようと思うの。その後、隣国と貿易を通して同盟を結び、勢力を拡大する。その為の根回しも既に完了している。これがナリウスを落す以前から私が抱いていた構想なのだけど、ルウはどう思う?」
是非を問われたルウは、率直な意見を口にする。
「成る程。理に適っております。グナッサとの和睦も成立し、流賊達も正式に陛下直属の騎士となった。後は旧ナリウス騎士団さえ陛下に従属すれば、我が兵力は三万に及ぶ。その策とこの兵力を以てすれば、小国くらいならその手順で落せるかと。ですが――陛下の真の狙いはそこではないのでしょう?」
ルウの洞察を前に、ラーは舌を巻く。
「流石。もうこちらの真意を読み取った、か。ええ、そうよ。私の本当の狙いは、別にある。その為にも小国をこの手順で三つか四つ、落しておきたいの。そうなれば、私達の仕事もしやすくなるから」
「でしょうね。では、早速その様に取り計らいます」
「いえ、その作戦の指揮は貴方に任せるわ。〝黒色錬刃〟のメンバーから適当な人間を厳選して、自由に使って良い。彼等には、私の方からそう厳命しておくから」
と、ルウが怪訝な表情を見せる。
その理由は、彼自身が己を過小評価しているからかもしれない。
「随分と私を買っておいでなのですね? 前からお聞きしたかったのですが、それは何故?」
必然とも言える問いに、ラーは普通に答えた。
「決まっているじゃない。私は貴方の、罪の意識に付け込んでいるの。この大乱を呼び込んだ貴方の罪の意識に。そんな貴方なら、この戦乱を終わらせる為に骨身を惜しまない。どんな手を使っても、目的を達成する。現に貴方は嫌がりながらも、件の興行に力を貸すと言った。なら、私としては、これほど頼もしい話は無いわ」
「成る程。それもまた理に適っていますね。ですが、逆を言えば陛下以上に天下平定に近い人間が居れば、私はその者に味方するのでは? 陛下を裏切る事も、辞さないのではないでしょうか? そういう考え方も、出来ませんか?」
「かもね。でも――だからこそ貴方は面白いのよ」
事実、微笑さえ浮かべて、彼女は言い切る。ルウは些か呆れながら、嘆息した。
「多少無防備ともとれる発言ですが、陛下の器の大きさと解釈しておきましょう。それと例の大義の件ですが、いかがいたします?」
「そうね。人を、それも自分を正義だと思っている人達を動かすには、尤もらしい美辞麗句が必須だわ。でも、そのカードはまだ伏せておく。私がそのカードを晒すのは、例の作業を終えた後。いえ、その後だからこそ、この大義は最大限生かされる事になる。私はそう思っているのだけど、これは間違い?」
意味不明な事をラーは告げるが、ルウは的確にその考えを読み取る。
「いえ、仰る通りかと。では手筈通り事を進めましょう。先ずは数ヶ月後の、一大興行の準備を整える。同時に、国取りも実行いたします」
ソレだけ確認し、ルウは恭しく一礼して、退室しようとする。
その後ろ姿を見て、ラーは全く別の言葉を投げかけた。
「というか、私と二人きりの時は――別に老人のフリとかしなくて良いのよ?」
「………」
故に、ルウ・ジャンは足を止めたのだ。
◇
「やはり、知っておいででしたか」
振り返りざま、ルウが問う。ラーは、椅子に深く身を預けた。
「ええ。だって話を聞いた限りだと、事が起こった当時、貴方はまだ十歳だった。なら、貴方はまだ三十六。それほどの老人である訳が無いわ。でも、当然ね。幾らなんでも素顔で首都に居座るのは、無理があり過ぎる。貴方の変装は、身分を隠す為に絶対必要という事ね。その上で訊くのだけど、一度ぐらい私に素顔を見せる気はない?」
すると、ルウは一考したのち平然とラーに向き直る。彼は即座に決断した。
「ま、いいでしょう」
彼は髭を取り、化粧道具でかいた皺も拭う。
其処に居たのは、白い長髪を背中に流した、壮年の男性だ。
いや、それ以上に意外だったのはラーの反応だったのかもしれない。
「……ちょっと驚いた。思ったより、ずっといい男なのね?」
「まさか。何処にでもいる様な顔ですよ、こんなのは。それで、ご満足ですか?」
「いえ、お蔭でもう一つ頼みたい事が出来てしまったわ」
「はい? 何事でしょう?」
「ええ。件の興行の前に開かれるパーティーの時、一緒に踊って下さらないシトネ・スオン?」
「は、い……?」
彼女の申し出を――彼は唖然として受け止めた。
◇
それから話は、一気にラーの思惑通り進んだ。ルウの指揮のもと、ナリウスは同時に三つもの国を落す。ナマント、パナカッタ、ヌウベストと言った国々を切り崩したのだ。民意を掴んだ彼等は王族と騎士団長を追放し〝黒色錬刃〟のメンバーを王に据えた。
ナマントは――オリエルタ・クタナに支配させ、パナカッタは――ナルブレット・リィに支配させ、ヌウベストは――フー・ズーに支配させた。
三万の兵を以て圧力をかけ、指導者を失くしたそれ等の軍をラー達は吸収する。その総戦力を、一気に六万にまで肥大させた。
件の興行が行われたのは、そんな荒業を成し遂げた後である。
だがそんな折――彼等にしてみれば実に深刻な事態が起きる。
その日の昼――ラー・ダークナスはナリウス城から姿を消したのだ。
◇
その最中――メイド姿の少女が城下町を闊歩する。
嘗て重税を課せられていたかの国は、今や見違えるほど活気に満ちている。夜の酒宴に向け民衆は大わらわと言った体だ。
彼等のそんな姿を興味深げに少女は観察し、あても無く街を行く。
時に買い食いをし、時に路上ライブを前にして足を止め、時に手品などを観賞する。
「……ああ。なんというか本当にひさしぶりね。こういうの」
自宅で多くの人間が慌てふためく中、少女は実にご機嫌だ。家を出てから三時間、遊びつくした彼女は、そろそろ我が家に戻ろうとする。
もう十分羽根は伸ばしたとばかりに、帰路へつこうとした時、彼女は眉をひそめた。
「んん?」
それは他国からやって来た商人で、何やら金髪の少女と話している。やがて彼等は金髪の少女を連れ、路地裏へと足を運ぶ。
ソレを見て、彼女は嘆息しながらその路地裏に赴いた。
「えっと、悪いけど商売の邪魔をさせてもらうわね、人買いさん達」
「あ? なんだ、おまえは?」
けれど、それ以上彼等が言葉を発する事は無かった。金髪の少女が気付いた時には、人買いと呼ばれた五人の男性は、既に昏倒していたから。
凡そ魔術としか思えないこの手腕を見て、金髪の少女は素直に驚く。
「……え? あれ? 今、何をしてんです?」
「さてね。きっと、熱中症にでもかかったんじゃない? 最近、暑いから」
「な! それは大変ですね! 直ぐに助けを呼ばないと!」
「……いえ、冗談よ。本当は、私が殴って気絶させたの。と言うか、あなた人が良すぎ。この人達は、あなたを奴隷として売りさばくつもりだったのよ?」
彼女が呆れると、金髪の少女はガタガタ震えだす。
「……そ、そ、そ、そうなんですか~~~っ?」
「あなた……もしかしてどこかの国のお姫様? それとも、豪商の箱入り娘かしら? かなりの世間知らずに見えるけど?」
自分の周りには居ないタイプの少女を見て、彼女は思わず苦笑する。
金髪の少女は、三度ほど目を瞬かせた後、返答した。
「あの、私もソレが知りたくて」
「んん? ソレが知りたい?」
「はい。実は私――自分が誰なのかわからないんです」
「へ?」
さすがの彼女も――この発言には思わず面食らっていた。
◇
「……自分が、誰だかわからない? それって、もしかして記憶喪失ってやつ?」
「かもしれません。自分では、良くわからないんですが」
「うわ、うわ、うわ。私、記憶を無くした人、初めて見た!」
「……え? あの、ちょっと……っ?」
あろう事か、彼女は喜々としながら少女の姿を眺める。少女の周りをグルグル回って、少女の姿を楽しそうに注目する。金髪の少女は、ただただ動揺した。
「と、ごめんなさい。思わず喜んじゃったけど、当事者にとっては大変な事態よね。それで、何も覚えていないの? 誰か保護者の人とか、一緒じゃなかった?」
「それがその、背の高い女性と一緒だった様な?」
はてと首を傾げる少女に対し、彼女は力強く頷く。
「背の高い女性ね。いいわ。私が見つけ出してあげる」
「ほ、本当ですかっ?」
「ええ。基本、私に不可能はないから」
ドヤ顔で言い切り、彼女は少女の腕を引き路地裏を後にする。
その途中、少女は問うた。
「あの、御親切にありがとうございます。失礼ですが、貴女、お名前は?」
「んん? 名前? ……名前か」
まさか、本名を名乗る訳にもいくまい。ならばとばかりに、彼女は大嘘をついた。
「私は――フォートリア・フォートレム。見ての通り、ただメイドよ」
「フォートリアさん、ですか。では私の事は、ラーとお呼び下さい」
「……え? なぜ、ラー?」
「いえ、今ふと、その名が頭を過ぎったので」
「そうなんだ……? わかったわ、ラー。ではさっそく役所に相談に行きましょうか」
ラーは首肯し――フォートリアはやはり彼女の手を引いたまま西の方角に足を向けた。
で、彼女達が役所についた途端、事務員は総立ちとなって一礼する。
「こ、これは、陛下! 何の御用でしょうかっ?」
が、直ぐに状況の異常さに気付く。何せ王である彼女が、メイド姿なのだから。
「いや、いや、いや、そうではなく! 今、城は大騒動となっているそうですよッ? 陛下が居なくなったという事で!」
「いえ、人違いではなくて? 見ての通り、私は只のメイドよ。私はアナタ方に、お願いがあって此処に立ち寄ったの。それ以上でも、それ以下でもないわ」
「……そ、それは、『そういう事にしろ』という御命令でしょうか?」
が、彼女は首を横に振る。
それどころか、彼等にとってはあり得ない事まで彼女はしはじめた。
「まさか。私はこうして、頭を下げてお願いしたいの。私の依頼を、どうか引き受けて下さいって」
「いや、いや、いや! 頭をお上げください! わかりましたから! どんな話でも最優先で片づけますから、どうかその様な真似は二度としないで!」
「それは助かるわ。ついでに言うと、この事はまだルウには内緒ね。あの人、私の事を優等生だと誤解しているから、偶にこういう事をして困らせたいの」
「……その台詞、ルウ様が聞いたら激怒なさるでしょうね。それで、ご依頼というのはなんでしょう? 我らに果たせる事でしょうか?」
「ええ、多分。衛兵を動員して、背の高い女性を探して欲しいのだけどこれは可能?」
彼女の依頼に対し、事務長である男性は誇らしげに頷く。
「――勿論です。直ぐに手配いたしましょう。えっと、その前に畏れながら一つ質問が。何か他に特徴はありますか? 背が高いだけでは、些か情報不足なので」
「だそうだけど、何か覚えている事はあって、ラー?」
「……あの。その前に、お聞きして良いですか? フォートリアさんこそ、貴族の御令嬢か何かなのでは?」
「いえ、みな人違いをしているのよ。頻繁にあるのよね、こういう事が。それで、繰り返しになるけど、何か覚えている事はある?」
と、ラーは首を傾げながら思案し、やがて一つの解答を導き出す。
「そうですね。確か私と同じ年頃の、茶色い髪をした女の子を連れていた様な……?」
「だそうよ。では後の事はよろしく。私はこの子と、ガールズトークでもしているから」
「承知いたしました。直ぐ取りかかります」
それで話は決まったとばかりに、役所の人々は動き出す。
衛兵に伝達し、以上の特徴を持った女性達を探し出すよう取り計らったのだ。
そんな中、フォートリアは椅子に腰かけ、本当にラーとお喋りを始める。
「というか、ラーって好きな子とか居るの? それとも、まだ理想のタイプの男性と会った事がない?」
「えっと、すみません。良く思い出せないんですが……?」
「と、それはそうか。記憶喪失だものね。じゃあ、私の方からカードを晒すわ。実は私、最近好きな人が出来たの。しかも、初恋」
「――本当ですかっ? おめでとうございます! それでその事はもう、意中の方に告げたのでしょうか?」
「いえ、まだよ。というか、私の方からは一生言わないつもり」
「……それは、何故? それでは、気持ちが伝わらないのでは?」
が、フォートリアはもう一度ドヤ顔を浮かべる。
「それでいいのよ。何せ私は、むこうから告白させるつもりなんだから。やっぱり、惚れるより惚れさせた方が気持ち良いでしょう? 惚れさせたもの勝ちって言葉もあるし、主導権も握れるし、正にいい事づくめじゃない」
「なるほど。勉強になります。そっか。惚れるより、惚れさせた方が勝ちなんですね?」
けれど、何故かラーは顔を曇らせる。
「でも、だとしたら私は一生負け続けるかも。私にそんな真似、出来る筈がないから」
「んん? それは、何故? 記憶を失っているあなたが、そう言い切る理由は何?」
フォートリアが、真剣な顔で訊ねる。ラーは、困った様に呟く。
「確かに私は何も思い出せませんが、一つだけわかっている事があるんです。それは、私は多分誰からも愛されないという事。家族以外の人達からは、一生疎まれて生きていく。そんな感じがするんです。幼い頃そう確信するナニカがあった気がして、だからそんな風に感じるのかも」
「あなた――実は人間嫌い?」
「よ、良くわかりましたね? 多分だけど、私は人と言う物があまり好きではないのかもしれません」
まるでそれが大罪であるかの様に、ラーは眉根を歪ませる。
フォートリアは、やはり真顔で告げた。
「んー、私は逆かな。私は本気になれば、誰にだって好かれる自信がある。老若男女問わず、誰だってね。現に私、こう見えて結構モテるのよ?」
「そうですね。そんな感じがします。それはもう、羨ましいぐらいに」
だが、フォートリアは首を横に振る。
「でも、その反面、私はこれでもドキドキしているの。本当にあの人を、振り向かせる事ができるのか、と。私にそれだけの器量があるのか、毎日の様に問いかけているわ。ついで言えば今日もう一つ悩みの種が増えてしまった。果たして私は、人間嫌いのアナタに好かれるだけの器かしら?」
「……は、い?」
「ええ、ラー、その予感は間違いよ。だって私はアナタの事、気に入ったもの。友達と呼んでもいい程に、アナタは十分魅力的な人よ。私が保証するのだから、間違いない」
金髪の少女の手を握り、彼女は言い切る。しかし、まだ彼女は気付かない。この会話の重さを。自分が何を語ったのか、彼女はまだ、知る由もなかった。
故に、ラーは破顔する。その頬に、涙と言える物を伝わせて。
「バカね。なぜ泣くの……?」
「……多分、そんな事を言われたのは、初めてだから。私はそんな事、今まで言われた事なかったから、本当に嬉しくて」
「……そう。なら、良かった。この私が、何も奪う事なく、誰かの力になれて」
その時――一人の衛兵が二人の女性を連れてくる。
その二人は他の人間には目もくれず、ラーへと駆け寄った。
「姉様! 心配したんですよ! まだ記憶は戻らないんですかっ?」
「……えっと、ごめんなさい。私、まだ何も思い出せなくて」
「と、あなたが此奴の保護をしてくれた? 本当にすまなかったね。此奴の事だから、何か面倒をかけたのでは?」
「アハハハ」
先の人買いにさらわれかけた事を思い出し、フォートリアは失笑する。
そのまま彼女は、椅子から立ち上がった。
「では、後の事はあなた方にお任せします。ラー、どうか元気でね。縁があったら、また会いましょう。その時も、今日の様に、友達として――」
「はい!」
金髪の少女達に見送られ、彼女はその場を後にする。次に出会う時、二人にどんな運命が待ち構えているか、知る筈も無く。
二人の少女はやがて訪れる再会の時まで、暫しわかれたのだ―――。
◇
そして、怒られた。彼女は年相応の少女の様に、ルウに怒られた。二時間は説教され、一応反論した物の論破され、そのぶん怒られた時間が長引いた。
それから更に二時間ほど経った頃彼女は約束通りパーティーの席でルウと共に踊ったのだ。
「あら、謙遜していた割にはずいぶんいける口じゃない。――この私についてこられるなんて」
「今日の為に特訓を積みましたから。陛下の嫌がらせ……もとい、御好意に応えるべく」
「そうね。これって貴方にとっては――最高の嫌がらせでしょ?」
黒いドレス姿の少女が、楽しそうに笑う。ルウは、ただ憮然となりながら顔をしかめた。
「本当に自由な方ですね、陛下は。王という立場にありながら、その立場に縛られない。私はそんな王を、初めて知りました」
「そう? でも王なんて所詮、弱者に頼らなければ生活さえ成り立たせる事が出来ない寄生虫みたいな物でしょ?」
「成る程。確かにそういう考え方もありますね」
「そういう貴方は相変わらず、クスリともしないのね。よくよく考えてみれば、私、貴方が笑ったところを見た事がないわ。これってまだ、私に心を開いていない証拠?」
「さて。正直、笑い方など、疾うに忘れましたので」
「………」
そこで、彼女はワザとルウの足をヒールで踏む。不愉快そうな彼は、更に顔を歪めた。
「へえ? 痛そうな顔は、ちゃんとするのね? なら、そのうち笑い方だって思い出すかもよ?」
「……本当に、アナタと言う方は」
相変わらず楽しそうな、ラー。
故に思わず頭を抱えそうになりながら――ルウ・ジャンは嘆息したのだ。
「……つーか、なぜあのジジイがラーと踊っている?」
「いいから、落ち着きたまえ」
「……本当、これは一体、なんの冗談なんです?」
「いいから、落ち着きたまえ」
「あいつ、マジで俺にケンカ売ってんのか?」
「いいから、落ち着きたまえ」
「……さっきからそれしか口にしていませんね、アウストラは。アナタも私達に、ケンカを売っているんですか?」
「いや、それ以外の何が言える? 俺だって、この光景は予想外なんだから。真剣に陛下は、何を考えているのやら。ただの嫌がらせなのか、それとも本当にアレなのか」
「……嫌がらせに決まっています。というかアレってなんですか、アレって?」
「さあね。多分ルウも気付いていないだろうから、それはそれで良いんじゃない?」
殺気立つマリベルとダイダロスに挟まれ――アウストラもまた人知れず溜息をもらした。
◇
件の催し物が始まったのが、パーティーが終わってから一時間は経った頃。
その催し物とは、他でもない。
ラーはあろう事か〝黒色錬刃〟のメンバーを動員して、ナリウスの征服譚を劇にしたのだ。
しかも初日に限り、王であるラーと宰相であるルウも出演すると言う。この宣伝効果と三つの国を同時に征服した事が話題を呼び、ナリウスには多くの人々が訪れた。
現に初演にもかかわらず、劇のチケットは完売した。あれほど寂れていたナリウスには多くの観光客が集まり、その経済効果は莫大な物となる。飲食店には人の列ができ、店主達は初めて見るこの光景を前に、思わず破顔した物だ。
加えて言えば、その劇の為だけに集合した〝黒色錬刃〟の演技は凄まじかった。いや、演技自体は素人に毛が生えた程度の物なのだが、注目するべきはその殺陣だ。
ラーは〝黒色錬刃〟のメンバーの半分をナリウスの騎士に扮させ半ば本気で斬り合わせた。人ならざる者同士の鬼気迫る殺陣を前に、観客の誰もが息を呑む。或いは本当に死人が出るのではと、彼等は身を震わせる。最後はルウが、事実通りの策を用いてナリウスを平定し、そこで劇は終わった。
この真に迫った舞台を観て、誰もが立ちあがって拍手喝采する。ここでもラーの狙い通り事は運び、ナリウスは莫大な収入を得る事になったのだ。
「成る程。これが国を運用するという事ね。皆、驚きなさい。ナリウスを征服する為に使った金銭を、遥かに上回る収益よ。これを後五、六回繰り返せばきっと準備が整うわ」
「準備、ですか? それはもしかして、天下平定の?」
マリベルの問いに、ラーは笑みを以て答える。ラーはいよいよ行動する事になる。
ソレは――正に急転直下の展開だった。
ラーがした事は、四つ。まず〝ナリウスが乗っ取った国の民は、財を分け与えられ裕福な暮らしをしている〟という噂を更に流した。実際、これは事実なので、為政者に不満を持っていた民はナリウスに呼応する動きを見せる。
だがラーはそう言った噂を流しただけで、今度は反乱を起こさせようとはしなかった。
いや、正確には他の国々の警戒が強まり、民への圧力が増して何も出来なかったのだ。
故に、彼女の支配権は四つの国にとどまり、それ以上の領土拡大は成し得なかった。
「ですな。他国の王族も、決して愚鈍ではありません。これ以上同じ手は、通用しないでしょう」
「そうね。確かに『同じ手』は通用しない。では、こういうのはどうかしら?」
ナリウスが挙兵したのは、件の劇を行ってから二月後の事。ラー軍は悠々と国境を越え、目的地へと進軍を開始する。
特筆すべき点は、国境を超えながらも、その国の軍に進行を阻まれなかった事だ。ラー軍はただの一度も交戦しないまま、国々を素通りする。
その理由は、一つ。
「ええ。私の本当の目的は、王族達の目を民に向けさせる事。その上で王族達に民が迂闊に動かない様、圧力を強めさせ、軽々に兵を起こさせない様にする。私が真に求めたのは暴動を起こす事では無く、各国の王達に籠城を余儀なくさせる事よ」
そう。いま各々の王達は、疑心暗鬼に囚われている。国外に兵を出した途端、民衆が反乱を起こすのではないかという疑念があるのだ。
もしこれが現実となれば、彼等は国を乗っ取られ、支配権を奪われる。この最悪の事態を避ける為にも、王達は軽々しく軍を動かせずにいた。
各国が兵を出せないこの間に、ラー軍は各地に点在する義勇軍を吸収する。やがてその兵力は、十万にも及ぶ事になる。かの大軍が、目的地に達したのは十五日後の事だった。
ラー軍は今――満を持して大国リグレスト王国を取り囲んだのだ。
それはかの国に対し――こう要求する為。
「単刀直入に言うわ。スオン皇ナトナル陛下の御身を――引き渡してもらいたい。それさえ成せば、大人しく軍を引くと約定する」
スオン皇――ナトナル。
それは分裂したスオン皇家の一員で、現在〝西のスオン皇〟という立場にある。戦乱により首都チンジュアが荒れ果てた後は、リグレストに寄宿した。その非才から、周囲より厄介者扱いされている老人である。
リグレスト王ラプレストも彼の使い道に関しては、頭を悩ませていた。
何せその権威を利用しようにもナトナルは〝東の偽皇ヴァーズを滅ぼせ〟の一点張り。その為に号令をかけ募兵をしたが、結果は散々だった。ナトナルの治世時代、それが如何に劣悪な環境を招いたか知っていた民は、これを無視したから。結局兵は集まらず、ナトナルは半ば絶望する事になる。
が、そうと知った上でラーは謳う。
「仮にこれが叶うなら我が軍は即座に東へ反転し〝東のスオン皇〟ヴァーズ殿を滅ぼす。私の要求は、あなたの宿願を果たす唯一の好機と受け取ってもらいたい、ナトナル皇」
「――そ、それは、まことかっ?」
ナトナルの問いに、ラーは平然と頷く。
「当然です。我が大義とはスオン家を再興させ、再びロウランダ大陸を統一する事。これを阻む者は皆、唯一無二なるナトナル皇に牙をむく賊軍なり。この道理を解せる者は、即座に我が下へ馳せ参じよ。共に手を取り合い、民草が安寧に過ごせる国家を取り戻そう」
自分でも些か芝居めいた事を口にしていると自覚しながら、ラーは断言する。
リグレスト王が動いたのは、この大義を耳にした後。美辞麗句と断じられるであろうラーの大言を聴き、リグレスト王は一笑しながら決意する。
十万の兵を有しようとあの様な小娘に何ができると侮り、彼はラーの要求を受諾した。これを厄介な老人を放り出す好機とし、ナトナルをラーに押し付けたのだ。
けれど、ここでリグレスト王に誤算が生じる。確かに、国は動かなかった。他の王族達もラーの稚拙な大義を無視して、高みの見物を決め込んだから。
しかし――民は違った。
実際に圧政下にあった国々を解放してきた〝黒色錬刃〟の名は民の中で強く浸透していた。彼等は自分や家族の生活を改善するべく、民兵として立ち上がる事になる。
その数は五十万を超え、ラー軍に合流する。
六十万にも及ぶ人の波となって――彼等はヴァーズを保護するミストリアに迫ったのだ。
「……六十万ッ? まさか、そんな事が……っ?」
自国の首都を取り囲む兵の数を聴き、ミストリア王マルムントは戦慄する。
そんな彼女に、ラーはただ要求した。
「スオン皇を騙る、ヴァーズ殿を引き渡してもらいたい。さすれば、ミストリアには一切、手出しはしない」
だが、ここでヴァーズを引き渡せば、ラーは宣言通り彼を殺すだろう。その一方でヴァーズを放逐すれば、ミストリアは〝皇帝〟殺しに手を貸したも同然だ。各国から非難を受け、国としての面子も潰れる。かといって、六十万もの兵と戦う力などミストリアには無い。
このジレンマを前にミストリア王は頭を抱え、呼吸さえ止める。
そんな彼女に救いの手を差し伸べたのは、やはりルウだった。
「何を簡単な事を悩むのです、ミストリア王? 単にあなたも、ナトナル皇こそが唯一のスオン〝皇帝〟だと認めれば済む話ではないですか。さすれば、ヴァーズ殿は只の人に過ぎない。只の人を引き渡したところで、あなた方が非難を受ける謂れはないのでは?」
「……ああ」
そうしてここに全ては決した。この甘言を受け、ミストリア王はナトナルをスオン〝皇帝〟とし、ヴァーズを自国から追放した。その身柄を、ラー軍に引き渡したのだ。
ラーは無二の〝皇帝〟たるナトナルの前で、ヴァーズを処刑。
ナトナルが望むままに処断し、ここに歴史は動く事になる。
六年にも及ぶスオン家の内紛は終結し――遂にロウランダ大陸は再統一されたのだ。
しかもソレを成したラーは、敵味方問わず一兵の兵も損なっていない。――ヴァーズの命のみという、最小の流血にとどまった。
大陸全土を巻き込んだ皇族同士の諍いを、最小の流血のみで平定する。それはある意味、奇跡と言って良い。ラーと言う少女は――ある種の奇跡を成し得たのだ。
「と、まあ、そういう訳だけど本当に頑固ね、貴方? この状況でも、ほくそ笑みさえしないんだから」
「いえ、陛下。寧ろ――ここからが正念場です」
そう告げるルウを見て、ラーの方が不敵に微笑んだ―――。
7
そして、これもまたその少し前の話。
「まさか――っ?」
傭兵隊を指揮していたキーファの将軍が慄く。いや、それはかの傭兵団長達も同じだ。
それも当然か。
今、フォートリアという名の少女の背後には、彼等の仇敵が立っているのだから。
「ほ、本当に、キーファに降ると言うのか――トライゼン将軍……?」
が、この誤解を彼女は即座に解く。
「いえ、私が味方するのは――フォートリア・フォートレムに対してのみ。それ以外は興味がないので、悪しからず」
「そう言う事よ。で、何か異議はある? 私以上の功績を上げたと主張する人は、いるかしら?」
件の〝傭兵連合〟の団長達を前に、フォートリアは質問を投げかける。
彼等は互いに顔を見合わせた後、早々に結論するほかなかった。
「わかった、良いだろう。おまえの勝ちだ。俺の隊は今日よりフォートリア隊に合流する」
「ま、しかたないわね」
黒髪の男性に続いて、赤髪の女性も苦笑しながらこれに倣う。他の三つの傭兵団長も彼等に追随し、フォートリアは予定通り五つの傭兵団を併合する。
その兵力を――約二千にまで肥大させたのだ。
「いや、待たれよ、フォートリア殿。アナタ方には、是非ともキーファに仕官してほしいのだが、どうだろう……?」
キーファの指揮官もまた、フォートリアとトライゼンの死闘を見ている。あの人間離れした戦いを、彼は網膜に焼き付けた。ならば彼がそう提案するのも、無理からぬ事である。
フォートリアと言えば、微笑みながら頷く。
「実にありがたいお言葉ですね。ですが、暫し考える時間を頂けますか? 返事はおってご連絡いたします」
一礼して、トライゼンを伴ったフォートリアは、その場を後にした。
この戦で彼女はトライゼンという人外を獲得し、他の傭兵団を吸収する。
更に――彼女はもう一つの物を得ていた。
「なるほど。漸く読めました。姉様の目的はトライゼン将軍を倒し、その名声を得て、ソレを武器にする事。その名声を以て――仕官先を思うがままにするおつもりですね?」
ジェンナが問い掛けると、フォートリアは嬉々とする。
現にキーファの国境付近で宿をとる彼女のもとには、仕官の呼びかけが後を絶たない。六つの国から同時に誘いを受けたフォートリアは、満を持して解説する。
「ま、そういう事ね。戦って初めて実感したけど、トライゼンというネームバリューにはそれだけの価値がある。その彼女を倒したとなれば、仕官先は引く手あまたでしょう。私は二千にまで増えた兵を養う為にも、そろそろ就職先を考えなくてはならない。死ぬほど無理をしてトライゼンと戦ったのも、その為よ」
「なるほど。お前らしい、脳筋的な考え方だ。で、キーファにリグレスト、シャーニングとミストリア、マーナムにラジャンからも話が来ているが、何処を選ぶ気?」
レテシアが挙げた国は、どこも大国と言って良い。マーナム以外は、高給が望める国ばかりだろう。けれど、フォートリアは全く別の事を口にする。
「というかトライゼン、あなた、全人類を皆殺しにするのは私を殺してからにして。それまでは私が指示した人間だけを殺すと、ここで誓ってちょうだい」
「……は? 全人類を、皆殺し? 冗談だろ……?」
「いえ、冗談ではありません、レテシア・フォートレム。ですが、フォートリアの言い分は正当な物でしょう。あなたに敗れた以上、その借りを返すまでは、私も自身の目的を果たすべきでは無い。そのぐらいの道理は、弁えているつもりです」
壁に寄りかかりながら微笑し、トライゼンは言い切る。
それを胡散臭そうに眺めながらも、フォートリアは一応納得した。
「……つーか、こいつそんなヤバキチなのか? 私達はそんなのと、これからつき合っていかなきゃならない?」
レテシアが小声で耳打ちすると、フォートリアは真顔で頷いた。
「そうよ。月並みな言い方をすれば、『綺麗なバラには棘がある』ってやつね。知恵や力ある者を臣下にすると言う事は、それだけである種のリスクを抱え込む。そんな彼等に足元をすくわれかねない人種こそ、王という立場にある者よ。問題は、ソレだけの危険を許容するだけの器があるか否か。仮に否を唱えるなら、それだけでもう王としての資格が無いと私は思う」
「ですね。姉様にしては真面な意見です。ではその真っ当な見識を以て、仕官先も定めていただけますか?」
ジェンナの提案に促される様に、フォートリアは腕を組む。
ソレは何かを思い悩んでいる様にも見えたが、彼女は即答した。
「ええ――私達はこれより弱小国マーナムに仕官するわ」
「……は?」
それはラーが挙兵する、四カ月近く前の事。
フォートリアは遂に流浪を終え――一個の国家を足場としたのだ。
◇
では、マーナムという国について説明しておこう。
結論から言えば、マーナムは中堅国家カシャンの隣国で、紛れも無い小国である。大乱に乗じて何度か兵を挙げたが、尽く返り討ちに合っている。今では挙兵するだけの士気も無く、自給自足をしながら籠城を余儀なくしていた。
ただ一つ美点があるとすれば、民衆の支持が高い事。税率も他の国に比べれば低く、圧政という言葉からは最も縁遠いと言える。それは〝黒色錬刃〟が、真っ先に標的から外した事からも窺い知る事ができるだろう。
そんなマーナムが、大国と競ってまでフォートリア達の獲得に動いたのは、訳がある。彼等は現在、カシャンに侵略戦争を仕掛けられている最中にあった。
この状況を打破する為にも、マーナムは何としてもフォートリア達を迎えたかったのだ。
「ああ。だが――本当にそれが叶うとは、正直思っていなかった」
これが、フォートリア達を前にした、マーナム王ヒリペの第一声である。
フォートリアは恭しく片膝を地につけながら一礼し、首を横に振る。
「何を仰います、ヒリペ陛下。陛下の人徳は、国外に居ても伝え聞く程。そんな御身こそ他国の模範となるべきだと、私は考えております。マーナムが領土を広げる事こそ、全ての民の幸福だと私は結論いたしました。故に、ここにお誓いいたします。微力ながら我が全身全霊を以て、陛下を御支えすると」
「私等には、もったいない言葉だな。けれど、どうか頼む。我が国の民を守る為にも、その誓いは果たしてもらいたい」
齢五十五の老王が、苦笑する。
元から病気がちであったが、カシャンの件で更に心労を呼び、彼は憔悴している。
それは初対面のフォートリアさえ――容易にわかる事だった。
「で、訊く迄もないのですが、姉様がこの国を仕官先に選んだ理由は何?」
フォートリアと共に王との謁見を済まし、廊下を行くジェンナが問う。その背後には、レテシアやトライゼンの姿も見える。彼女達を前に、フォートリアは言い切った。
「そんなの、決まっているじゃない。皆で力を合わせ――この国を乗っ取る為よ」
「――なにっ? 正気か、おまえはっ?」
思わず、レテシアがツッコム。ジェンナは〝でしょうね〟とばかりに、嘆息した。
「ええ。他の大国では仮に可能でも、乗っ取るのに時間がかかる。それでは、ラーとの差が広がるばかりだわ。ならここは最小の労力で、最大の成果を得るべきじゃないかしら? 幸いヒリペ王には世継ぎが無く、しかも年老いていて病弱ときている。これほど付け込みやすい相手も、ほかに居ないでしょう?」
「姉様の言いたい事は、わかります。ですが如何に名声を得ようが、私達には武器が足りません。新参者で後ろ盾も無い私達では、余程の手柄をあげない限り信頼は得られないでしょう。例えば、カシャンとの戦で大勝するとか。ですが――ヒリペ王としてはそれを前提に姉様達を召し抱えた。言わば、カシャンとの戦いに勝利するのは彼にしてみると当然の事なんです。無論、それに見合うだけの褒美や地位は得られるでしょうが、恐らくそれだけの事。とても王にとって代わるだけの材料には、成りえないと思います」
「後ろ盾か。……あ、いや、実は具体的どうするかはノープランだったんだけど、今ので良い事を思いついた。もしかすれば、いけるかもしれないわ」
「……また、そこはかとなく厭な予感がしますね? で、その策とは?」
「ええ。今こそ――彼女に協力してもらう時ね」
それだけ告げて――フォートリアはただほくそ笑んだのだ。
◇
ここで、彼女について少し語ってみよう。
と言っても、彼女はとりわけ不幸でも、とくべつ幸福でも無い。ごく平凡な農家に生まれ、両親も健在で、一人の兄に妹と弟が居るだけ。
それでも彼女が傭兵に身を窶したのは、祖父の代からの借金があったから。これを返済するべく、人に誘われて、彼女は傭兵となった。
だが経験が乏しい彼女を高額で雇う傭兵団は無く、彼女は渋々シャイゼンの旗下に加わる。その後は低賃金でこき使われ、いつ捨て石として使われてもおかしくない状況だった。いや、へたをすればその美貌故に、シャイゼンの囲い者になっていたかもしれない。
この危機的状況を打開したのがかの金髪の娘で、彼女は今でもその事を忘れていない。ズフォン砦で戦意を失わなかった人間の一人である彼女は、あの少女の偉容を覚えている。
あの少女が〝皇帝〟を目指していると告げてもそれほど動じなかったのは、その為かもしれない。その想いはトライゼンとの戦いでいっそう強くなり、何時しか彼女は自分の気持ちに気付く。この仄かな感情の正体を、彼女は自覚しつつある。
故に今日も彼女はあの少女の背中を追い、戦場を駆け巡っていた―――。
◇
カシャンとの戦が終わったのは、その日の昼だった。フォートリアとジェンナは策を用いず力押しでカシャンに挑んだ。
結果、三千対六千という兵力差にもかかわらず、マーナムは勝利する事になる。フォートリアとトライゼンの武勇はここでも遺憾なく発揮され、敵陣を正面突破した。彼女達はそのまま後方に控えていた敵将を、討つに至ったのだ。
ソレは正に、マーナムにとって初と言っていい快挙である。
「成る程。力押しで事に及んだのは、マーナムには知恵者が居ないと思わせる為ですか。その分彼等も心の何処かでマーナムを侮り、次は策を以て私達を無力化しようと図る。その策を読み取り、逆に利用するのがジェンナ・フォートレムの役目という訳ですね?」
トライゼンの問いに、ジェンナは苦笑いを浮かべる。
「ええ。我らの将が、真っ当に私の意見を聴いてくれるなら」
「んん? 私、一度だってジェンナの献策を、軽んじた事はないわよ? 寧ろ、アナタあっての〝フォートリア軍〟だと思っている。だから、自信を持って構わなくてよ?」
カシャンとの戦に大勝した事で、催された祝宴の場で、フォートリアは言い切る。
こんな従姉を横目で見つめながら、ジェンナは問うた。
「で、その私にさえ何も語らぬまま、貴女は何をしようと言うのです? あ、いえ、やっぱり言わなくていいです。……何かもう、大体わかったので」
「なら、結構。予定通り、話を進める事にしましょう。エイリカ――ちょっと話があるのだけど、良いかしら?」
「は、はい?」
部隊長としてはただ一人、この祝宴に呼ばれたエイリカが首を傾げる。
彼女は現在いつもの鎧姿ではなく、華やかなドレスに身を包んでいる。無論、彼女の私物ではなく、この日の為にフォートリアが貸し与えた物だ。
件の二人は人気の無いテラスに出て、何やら密談を始める。
「単刀直入に、言うわ。エイリカ、あなた――王族になってみない?」
この唐突すぎる提案に、エイリカは思わず眉をひそめた。
「……え? あの、それはどういう……?」
「ええ。驚くのも、無理はないわね。でも、これはマーナムの将来を思っての事なの。ヒリペ陛下は現在跡取りが無く、御高齢と言って良いわ。仮に陛下の御身に何かあれば、その時点で我が国は混乱する事になるでしょう。それを避ける為にも、私としては打てる手は打っておきたいの。もしよければ――あなたの事をヒリペ陛下に紹介したいのだけど、どうかしら?」
フォートリアにしては回りくどい説明だったが、エイリカは即座に理解する。
「……ああ、そういう事ですか。というのが、建前ですね?」
エイリカが、思わず微笑む。その顔を見て、フォートリアは舌を出す。
「当たり。本音は前に言った通り、私が自分の国を持ちたいから。その為には、明確な後ろ盾と、王に対する発言権を持つ人材が不可欠なの。この両者を兼ね備えるのは、王妃しかないと考えた訳。仮にこれが成功すれば、あなた達一族の生活も一変すると思うのだけど、どう?」
だが、エイリカの反応は、フォートリアが思っていた以上に思わしくない。
「……正直、余りに急な話なので、混乱しています。第一、私等を陛下がお目にかけて下さるでしょうか……?」
「そこら辺は出来る限り手を尽くすけど、ほぼ賭けね。でも、私はいけると思うわ。だってあなた、私の目から見ても魅力的だもの。私が知る限り最も綺麗な女性は、あなただわ」
「……フォ、フォートリア将軍の目から見ても、私は魅力的? 最も綺麗な女性?」
ただ茫然としながら、エイリカはフォートリアの言葉をなぞる。
その頬に、一筋の涙を伝わしながら。
「……え? あれ? やっぱり厭だった? こんな政略結婚みたいなのは……?」
「……というか、お前、心底バカだろう? お前は今、自分が王になる為に、自分の部下を他人に売り渡そうとしているんだぞ? そういう事、ちゃんとわかって喋っているか? 第一、権力が欲しいなら、まずてめえが王に売り込みにいけって話だろうが」
レテシアが話しに割って入って来るが、彼女の妹はケロッとしている。
「それは無理ね。私が王妃の座につけば、行動に制約がつき、軽々に戦場には立てなくなる。身籠れば、尚更そうなるでしょう。以上の理由から、私は王妃にはなりたくない。けど、姉上の意見も尤もだわ。私は今、私欲の為に部下の人生を歪めようとしている。戦場で命を落とすならまだしも、その身を売れと口にしているのだから。故に、私は絶対に強要はしない。エイリカが否を唱えるなら、私はあなたの意思を尊重するわ。それであなたが損を被る事はないとここに約束する」
が、もう一度エイリカは沈黙する。それを見て、フォートリアももう一度焦燥した。
「……と、ごめん。私がバカだった。今言った事は、全部忘れて。この話は一切なし」
やはり焦りながら、フォートリアは背をむける。その後ろ姿に対し、彼女は問うた。
「あの時将軍は言っていましたね。この大陸に永遠の平和をもたらすのが、自分の目的だと。これは――その為に必要な事なのですね?」
「いえ、だからその話はもういいのよ」
「いえ、よくありません。もう一度だけ、明言してもらえますか? 貴女の大義という物を。貴女の、この歪んだ世界に対する想いを――」
ソレはきっと、命さえ懸けた問いかけだ。それだけの想いが込められた言葉は、だからもう一度フォートリアを振り向かせる。
フォートリア・フォートレムは、その大嘘を言い切った。
「ええ。自分自身に誓うわ。私が〝皇帝〟を目指すのはこの大陸に永遠の平和をもたらす為。それが、私の大義よ」
ついで、エイリカ・ラウナは決意する。
「……わかりました」
あらゆる感情を、ただのみ込みながら。
「本当に私や皆の家族が平和に暮らせる世をつくれるなら、本望です。微力ながら、全力を以て私は将軍の助けとなりましょう」
「後悔……しないのね?」
「ご自分で提案されたのに、その反応はないと思いますが?」
やはり微笑しながら、エイリカは頷く。それで話は終わったとばかりに、彼女は一足早く祝宴会場に戻る。
彼女を見送りながら、レテシアは告げた。
「わかっていない様だから言っておくけど、エイリカが惚れていた相手は、お前だぞ」
「まさか。そんな訳がないじゃない。もしそうなら、私はこの上ない下種野郎だわ……」
眉根を歪ませ、奥歯を噛み締めながら、吐露する。
ソレはレテシアでさえ殆ど見た事が無い――フォートリアの人間らしい感情だった。
話が一気に進んだのは、その数十分後。フォートリアは自身の策通り動き、エイリカをヒリペに紹介する。
その席で――フォートリアはエイリカに真顔でこう言わせた。
「はい。私には、野心があります。それは大国の王の妃となり、子を設け、王の母となる事。今は兵に身を窶しておりますが、必ずやこの大望、果たしてご覧にいれます」
穏やかな外見に反するこの大言を前に、ヒリペは思わず訊いてしまう。
「それは、本気で言っている?」
「無論です。故にお聞きしますが、陛下は果たしてマーナムを大国とする事をお望みでしょうか? 私が見る限り、陛下にはその様な野心は無いようにお見受けしますが?」
「な、何を、一兵卒風情が、無礼な!」
が、ヒリペは家臣を手で制し、成る程とばかりに頷く。
「つまり、私ではそなたに釣り合わぬと?」
「それは陛下が、一番よくご存知かと」
「………」
それから一礼し、エイリカは踵を返してこの場を後にする。
その姿を見送りながら、ヒリペはフォートリアに問うていた。
「すまないが、もう一度訪ねたい。あの娘の名は?」
「――エイリカ・ラウナでございます、陛下」
ヒリペ王がエイリカを〝相談相手〟と称して呼び出す様になったのは、その翌日から。それから十日ほど後、話は電撃的に展開した。
エイリカはヒリペの求婚を受け、これを受諾し、晴れてマーナム王妃の座についたのだ。
◇
「しかし、疑問ですね。あれだけ挑発的な挨拶を聞き、なぜ王はエイリカを気に留めたのでしょう? あの王は、マゾ気でもあるのでしょうか?」
このあらぬ冤罪を、臣下であるフォートリアが晴らす。
「……いえ、そういう訳では無く、この場合要点は経験則よ。ジェンナの話だと、ヒリペ王は今まで三人の妃を得たけど、みな病死している。その何れも、心根が穏やかな貴族の娘だったそうよ。反面あの時のエイリカは只の一兵卒で、しかもトライゼンが言う通り挑発的だった。今まで王の周りには居なかったタイプの女性ね。そんな彼女なら、自分のナニカを変えてくれると王は期待した。或いはこれだけタフな女性なら、子をなす前に死ぬ事は無いと考えたのでしょう。しかもエイリカってば、とびっきりの美人だし」
「というか、姉様がそうなる様、仕組んだというだけの話でしょ?」
ジェンナの策を曲解した戦術を以てカシャンに勝利した後彼女達はそんなやり取りをする。ジェンナのツッコミを無視しつつ、フォートリアは肩をすくめた。
「なんにしても、これで私達は後ろ盾を得たわけよ。今はまだそれほどの存在感ではないけど王の子さえ身籠ればその地位は盤石となる。私達がマーナムを乗っ取る日も、そう遠い話ではないわ。王が没した後、その子の後見人になるのが権力を得る早道ね」
「……ま、良いですけどね。それで話は変わるのですが、ラー王がナリウスで催し物を開くという話はご存じですか? 何でもラー王自らが役者に扮し、舞台に上がるとか」
「知らなくもない」
「……相変わらずラー王の話題になると、ヘソを曲げるのですね、姉様は。ですが、これは好機だと思いませんか? ラー王の姿ややり様を、直に知る為の」
「確かに、標的の顔を知っておくのは悪い話じゃないわね」
珍しく素直に、フォートリアはジェンナの意見に賛同する。
いや、そう決意した彼女の行動は、迅速だった。
「陛下。我等はこれよりナリウスに赴き、ラー王の動向を探りたいと思います。その間、マーナムの守りはトライゼン将軍に一任しようかと思うのですが、いかがでしょう?」
フォートリアの進言を受け、ヒリペは静かに一考する。
「ラー王、か。私としては、ナリウスの振る舞いは、対岸の火事と思えるのだが、これは誤りだと?」
「畏れながら、私が見たところ、ラー王はかなりの野心家です。現状で満足する様な者ではないでしょう。或いは天下さえも視野に入れ、行動している様に思えます」
「ジェンナはそう感じるか。では問うが、その場合かの王とどう付き合うべきだと思う? 敵とするか、味方とするか、どちらが賢明?」
「畏れながらそれを知る為にも、フォートリア将軍の提案は重要かと。故に、後者だと判断した場合は、正式な使者としてラー王と接触する事をお許し願えますか?」
明らかに、フォートリアの笑顔が引きつる。しかも、ヒリペは頷く。
「了解した。ナリウスの件は、フォートリア将軍に一任しよう。王妃もそれで構わぬかな?」
「そうですね。では一つだけ。この件に限ってはジェンナ殿の意見を重視するよう、お願いします、フォートリア将軍」
「……承知いたしました、王妃様」
どうやらエイリカにはラーを敵視している事は、筒抜けらしい。
恐らくあの姉から聞いたのだろうなと思いながら――フォートリアはマーナムを後にした。
◇
そして――これは例の三人組の事情。
「ククク。何にしても、これは好機だぜ。ラーの気持ちを、俺に向けさせる為の」
「というか――ダイダロス達だけじゃなくアナタもっ? 幾らなんでも、陛下モテ過ぎでしょうッ? どんだけモテてるのよ、陛下っ?」
道中、ファンカル・スルファの企みを聞いたシェリカ・パナカが叫ぶ。
闇色の狼を彷彿とさせるファンカルは、普通に問うた。
「何だ、ラーが羨ましいのか?」
「別に私は陛下が、羨ましくなんてないんだからね!」
「だから、オマエ、誰からそういう芸風を学んでくるんだ……?」
「そういうアナタこそ、陛下の前ではツンデレよね? 何時もは無口でムスっとして。とても好意を持っている様には見えない」
「……うるせえな。俺が思うに、これが普通だ。ダイダロスのおっさんが、余りに大っぴらすぎるんだよ」
確かにその通りなので、ウェーブがかかった髪をなびかせながら、シェリカも若干話題を変えざるを得ない。
「……にしてもこれで少なくとも、ダイダロスとマリベルとファンカルは陛下狙いな訳か。フー・ズーは良くわからないわね。むっつりだから。寧ろ私に気がある素振りがある」
「………」
「……何? その可愛そうな子を見る目は? というか私が思うに、若者を若造よばわりする大人は、自分が老いぼれだと認めている。大人をおっさんよばわりする若者は、自分を未熟な小童だと認めていると思う」
「……余計なお世話だ。というかマリベルの小娘っぷりに比べたら、俺なんて可愛い物だろう?」
開き直った様に告げるファンカル。この二人のやりとりを聞き、ハカマ姿のサクヤ・テンゼンは心底から嘆息した。
「余裕ですね、二人とも。ラーの注意が、行き届いていないと思える程に。後悔してもしりませんよ」
「後悔? おもしれえこと言うな、サクヤは? ぶっちゃけ、こんな仕事俺一人で十分なんだぜ? だっていうのに、三人も動員されている辺り、フォートリアとかいうのが哀れすぎる」
心からそう確信し、ファンカル達はフォートリアを追跡する。彼女がラジャンに向かったと聴き、三人も標的の後を追う。そこで待っているのが、喜劇にも似た光景だと知らずに。
この時、ひさしぶりに、彼等は他人をこう評したのだ。
「化物……っ!」
フォートリアとトライゼンの戦いを遠方から目撃し、ファンカルが戦慄する。シェリカも呆然とし、髪をポニーテールに纏めたサクヤは普通に私見を述べる。
「どうやら、ラーの勘が当たったみたいですね。トライゼンの方がどうか知りませんが、フォートリアは見るからに野心家です。トライゼンに一騎打ちを申し込んだのが、何よりの証拠。そんな彼女を放置するのは、危険だと言わざるを得ない」
「その意見に、異議を唱える気は無いわ。問題は、私達が今後どう動くか。……どうする? 応援を呼ぶ?」
が、予想通り、ファンカルはこれを全否定する。
「なみっともない真似が出来るか! 前も言ったが、叶うなら俺一人でブチ殺したいところなんだぜっ?」
「それに関しては、私も同感ですね。これ以上、ラーのもとから戦力を削るのは宜しくない。ここはどんな手を使ってでも、私達だけで彼女を仕留めるべきだと思う」
「なら、今は待つしかないわ。あの二人が徒党を組んでいる内は、手が出せないもの。フォートリアとトライゼンがバラけた時を、狙うしかない」
そう結論し――三者はソノ時が来るのを待った。
◇
そして、漸くその好機は訪れた。見るからにフォートリアは遠出の身なりで、マーナム城を後にする。
彼女と共に行動しているのは、長身の女性と矮躯の少女だけ。トライゼンの姿は其処には無く、これは正にサクヤ達にとって絶好の機会と言えた。
「というか――これってナリウスに向かってない? 方角を見る限りだと、そう思えるのだけど?」
「……なら、尚のこと早めにブチ殺さないとな。このままナリウスまで行かれたら、俺等マジで笑いものだ」
崖の上からフォートリアの動向を監視しつつ、ファンカルはそう結論する。別行動をとっていたサクヤが戻ってきたのは、その二分後の事。
「幸運にも、地の利を得ました。あの大剣だけが彼女の得物だとすると、勝機は我等にあります。叶うならファンカルの初手を以て、葬りさりたいところですが」
「問題ねえよ。これは『気がついたら死んでいる』ってパターンだ。地の利とやらが生きるとすれば、俺の定石をブチ破る程の化物だった場合だけ。そんなやつは世界に三人も居ないって事を、今から証明してやるぜ」
こうしてサクヤ、シェリカ、ファンカルの三人は、その死地へと踏み込んだ―――。
◇
ソレが起きたのは、フォートリア達が、幅が狭い道にさしかかった時。
道幅は三メートル程で、左方には崖が広がっている。
彼女がその異変に気付いたのは、ほぼ直感である。もう少し科学的に言えば、目に見えない力の流れを感じたから。
それは――フォートリア達の頭上で起きた。
(へえ?)
十メートルはある崖の上から、何かが降ってくる。しかも脳を加速しながらも、可能な限り気配を消して。
フォートリアの首を薙ぎ払おうとしたファンカルが喜悦したのは、その瞬間だ。彼は確実にフォートリアを仕留められると確信した。
(な――?)
だが――フォートリアはその一撃を避ける。一歩後退しただけで、彼女はファンカルの一撃を回避する。
自身の一撃が不発に終わった時、彼は改めて件の少女の危険性を実感した。
(今のを躱す? この手順で屠れないのは、ラーかアウストラぐらい。やはり歴然たる脅威。何があっても――ここで始末するべき存在)
瞠目に値するこの手腕と、彼の好戦的な表情を見て、フォートリアは確信する。
(驚いた。本当に私達以外に、これだけの動きが出来る人間が居たとは。だとしたら、間違いなくラーの部下。私を脅威と見なし、始末しに来た? いえ、ラーには、そこまでの確信はまだ無い筈。精々部下を派遣して私の技量を測り、それ如何によっては始末する程度の認識でしょう。ならば、敵は一人? いえ、ラーが真に知恵者なら、最低でも三人は刺客として送り込んでいる)
これは当っており、フォートリアがファンカルと対峙している間に事態が動く。ファンカルの後方二十メートルの位置に、栗色の髪をしたドレス姿の女性が出現する。
加えて、背後では和装の少女が崖から飛び降り、レテシアを牽制する。
サクヤは手にした刀を抜き、一息でレテシアに斬りかかった。
(やはり、敵は三人。今まで手を出してこなかったのは、私とトライゼンの戦いを見ていたから。私達が一緒に行動している間は、任務を果たせない。そう認識しているからこそ、彼等は今まで好機がくるのを待った)
フォートリアが驚愕したのは、次の瞬間だ。
ファンカルが右腕を突き出した途端、その腕は瞬間的に巨人の様に肥大化したから。彼は明らかに膂力が増した拳を、フォートリアに突き出す。
その一撃を後方に下がる事で、彼女は何とか躱す。
(明らかに、人間離れした力。私でも出来ない様な真似を、涼しい顔で熟す。見かけよりも遥かに怪物と言って良い敵。問題はそんな連中が、三人も居るという事――)
現に、遠方よりシェリカが投げつけたナイフの速度は、音速を超える。
この超速を前にフォートリアは首を傾け回避し様とするが、その時その異常は起きた。
シェリカは初撃以上の速度を以て、第二射目を放つ。ソレは事もなく一撃目に追いつき、柄の後ろを突いて、あろう事かナイフの軌道を変える。
フォートリアが首を傾けた方角へと方向を変え、彼女の顔面へと迫った。
(やはり――揃いも揃って化物ばかり)
(なら――それを平然と受け止めるてめえは、何者だ?)
まるで事前にこうなる事がわかっていたかの様に、フォートリアは行動する。シェリカのナイフを指で掴んで無力化し、同時に放たれたファンカルの一撃も躱す。
その一方で、フォートリアはただ防御に徹していた。
(いえ。単に私がナイフ使いなら、今みたいな業を習得すると思っていただけなのだけど。それより、道が狭すぎる。ここでこの大剣を使うのは、ただ不利を招くだけ。そういう計算でむこうは動いている訳か。しかもこのナイフ、恐らく毒が塗られている)
つまり、あのナイフが掠りでもすれば、その時点で詰みだ。
フォートリアはそう読み取り、更に後方へと下がる。シェリカの二撃目を受け止めながら、彼女は結論した。
(だからと言って、いま脳内加速を行えばむこうの思うつぼ。持久戦に持ち込まれ、私の方が先に力尽きる可能性がある。なら――手は一つだけ)
そう決意したフォートリアが、一歩踏み出す。
それを待ち構えていた様に、ファンカルは吼えた。
「今だ――ダイダロス!」
(四人目の、刺客? いえ――それはない。あれは恐らく面子やプライドにこだわるタイプ。なら応援は呼ばず、事前に用意されていた必要最小限の人数で事に及ぶ。更にラーも私の様な不確定要素一人を倒す為に、九人しか居ない仲間から四人もさく筈がない)
故にフォートリアは更に一歩踏み出し、ファンカルの足を踏み砕こうとする。
その前に、ソレは来た。
ファンカル・シルファは自身の額に角を作り出し、フォートリアの額を貫こうとする。正に絶妙なタイミングで放たれたその一撃は、彼女を以てしても回避できる筈がない。
(そうだ。俺達はラーと共に天下を、奪う。そう約束した。そう彼奴に誓いを立てた。何れ死ぬ筈だった俺達が彼奴のお蔭で生き長らえたあの時から、ソレは決まりきった事なんだよ。おまえにそれだけの想いがあるか――フォートリア・フォートレム?)
(――悪いのだけど、そんなモノ、私には無い)
そう断じながらも、彼女は少しだけ無理をする。
フォートリアは、馬鹿げた事に右足の関節を全て外す。筋肉と靭帯を引き伸ばし――攻撃の射程を五十センチ以上、増やしていた。
「なっ、は……ッ?」
彼女の一撃がファンカルの頭突きよりはやく決まったのは、それ故だ。足の甲を破壊されただけで彼の攻撃は力を失い、バランスさえ失う。
この一瞬の隙を衝き、フォートリアはファンカルの首筋に肘打ちを加える。
彼が倒れ伏したのと同時に、シェリカは足の関節をハメたフォートリアの姿を見失う。
いや、再び視認した時には、脳を加速したフォートリアの拳が彼女の腹部に決まっていた。
(――まさかっ。たった数十秒程であの二人を倒したっ?)
未だレテシアと対峙するサクヤは、唖然とする。いや、彼女が本気でレテシアを殺そうと思った時には、全てが決していた。
なら、サクヤに残された選択肢は、二つだ。
彼等の仇を討つ為、切り札である居合を使うか、その反対の真似をするか。
(ええ、そう。今――私がするべきことは二人の仇を討つ事)
そう強く思いながら、サクヤは跳躍する。
それはもう、心を引きちぎられる様な想いで。
(……ではなく、何としてもフォートリア・フォートレムの脅威をラーに伝える事!)
故に、彼女はファンカル達を捨ててこの場から離脱しようとする。崖を駆けおり、なんとか落ち延びようと図る。
だが、それを許す程フォートリアという少女は甘くなかった。
「姉上、槍を借りるわ」
機械的に告げ、彼女は手にした槍を投擲する。ソレはやはり、音速を超えてサクヤへと肉薄する。
気が付けば彼女の背中には、刃とは反対側の槍の端が届いていた。
「ぐッ、はぁ――っ?」
その槍を取りに行きサクヤに意識が無い事を確認した後、フォートリアは踵を返したのだ。
◇
「……あの、皆、殺してしまったのですか? だとしたら、非常に不味いのですが?」
足手まといにならぬ様、岩陰に身を潜ませていたジェンナが問う。
フォートリアは、普通に応じた。
「いえ、私としては残念だけど、ソレは無い。今ここでこの三人を殺せば、ラーに宣戦布告した事になる。私一人ならそれも良いでしょうけど、マーナムを巻き込む訳にはいかないわ。以上の理由から、彼等を殺すのは止めておいた。但し、二度と戦う事は出来ない体にはなったでしょうけど。ついでに言えば、後三日は目を覚まさないと思う」
「つまり私達は後三日の内にナリウスへ辿り着き、ラー王の為人を探らねばならないと?」
「そうなるわね。そしてマーナムの事を思うなら、最低でも時間稼ぎをしなければならない。今ナリウスに攻め込まれたら、間違いなくマーナムは終わるから」
本当に不本意そうに、フォートリアは顔をしかめる。ジェンナも、この意見には賛成した。
「……ですね。マーナムは七千ほどしか兵を持たずナリウスは三万にも及ぶ軍がある。最悪、マーナムを守る為に、姉様はかの国を離れないといけないかも」
「頭に来るけど、その通りだわ。ね? 言ったでしょう? ラーはロクなやつじゃないって」
「とにかく……ナリウスに向かいましょう。全てはそれから、という事で」
話は決まったとばかりに――フォートリア一行は歩を進めた。
◇
で――かの珍事は彼女達がナリウスに着いたとき起きた。
彼女達は武器を門番に預け、城下町に入る。人でごったがえすナリウスの街中で、ジェンナは些か場違いな事を訊ねた。
「そういえば、今ふと疑問に思ったのですが、姉様って脳を減速させたらどうなるんです?」
「脳を、減速? ああ。そういえば、試した事がなかった様な?」
ならばとばかりにフォートリアは従妹の促しに応え、脳を減速させてみる。
途端、彼女はジェンナ達に問うた。
「アレ? あなた方は、誰でしたっけ?」
「……は?」
レテシアとジェンナが、声をそろえて呆ける。
そんな二人を置き去りにして、彼女は続けた。
「……いえ、それ以前に、私は、誰?」
「まさか――脳を減速した事で、記憶が失われたッ? そんな事がっ?」
しかも喜劇は続く。人波が更に押し寄せ、ジェンナ達とフォートリアの間を分断したのだ。
こうして彼女は迷子となって、人買いにさらわれそうになり、黒髪の少女と出逢う。
ジェンナ達にとって最悪だったのは、その後もフォートリアの記憶は戻らなかった事。そのまま夜を迎え、三人はラー主催の劇を見る事になっていた。因みに劇のチケットは、ダフ屋から買った。
「……って、これって絶対まずいですよね? 下手をすれば、マーナムが侵略されかねない事態ですよね?」
「……かもな。いや、性格がまともになったのに、国が危うくなるとか不条理もいいところだが」
しかし、そんな深刻な二人を余所に、フォートリアはある事に気付く。
「あれは、もしやフォートリアさん?」
「なに?」
眉をひそめながら、レテシア達が舞台に注目する。其処でラー役を演じていたのは、紛れもなくフォートリアを保護した、黒髪の少女だ。
「彼女が――ラー王っ? まさか、そんな事が!」
思わず、疑いの声を漏らす。しかし、ナリウス側が宣伝する限り、ラーの役はラー本人が演じる事になっている。ソレが嘘でなければ、あの少女は間違いなくラーだ。
「……とんだ偶然もあった物だな。本当に出来過ぎな程だ。で、どうする、ジェンナ? この劇を主催したのがラー自身だとすると、あれはかなりのやり手だ。敵に回すのは、得策じゃない」
「……ですね。けど姉様がこの状態なのに、ラー王と接触するのは余りにリスクが高いかも。残念ですが、この場はラー王達の顔を確認出来ただけで、よしとするべきかもしれません」
「だな。完全に子供の使いになるが、今はさっさとナリウスを出た方がいいだろう」
そう結論し、記憶を失ったままのフォートリアを連れ、ジェンナ達はかの国を後にした。
その旅の途中、更なる異変が起きる。
「……はっ?」
〝縁があったら、また会いましょう。その時も、今日の様に、友達として――〟
「……そう、か。あれが――ラー。ラー・ダークナス」
「え? ……姉様、もしかしてやっと記憶が? でも、なぜ泣いているのです……?」
「……泣いている? 私、が? まさか、そんな訳が、ない」
理由がわからない、涙。今にも胸を掻き毟りそうな、衝動。普段より速く脈打つ、鼓動。
様々な感情を混交させながら、フォートリア・フォートレムは、何故か奥歯を噛み締めた。
8
そして――ここに最後の幕が開く。
ラーがその一報を聴いたのは、劇の初日が終わってから三日後の事だった。
「はい。手紙には確かに『フォートリア・フォートレムを討ちもらした』とあります」
「――まさか、あのサクヤ達、が?」
彼女は椅子から立ち上がり、伝令役の青年から手紙を受け取り、目を通す。
それからラーは、安堵の溜息を洩らした。
「『三人共、命に別状はなし』か。やはりサクヤとシェリカを同行させたのは、正解だったわ。ファンカルは性格上、任務に失敗した時点で、自害しかねないもの。これはあの二人がソレを止めてくれたと見るべきでしょう。問題は、私達が今後どう動くか。『フォートリアはマーナムに仕官した』との事だけど、今の内に叩き潰しておくべきかしら?」
傍に控えている、ルウに問う。彼は逆に、ラーに訊ねる。
「その前に、一つ質問が。それは、私怨故の行動ですか? 建国以前からの仲間を殺されかけた事による、報復? ならばお止め下さい。ある皇帝は身内を殺された事で道理を誤り、戦争を始め、敗北し、その大望を果たせませんでした。どうか陛下は同じ轍を踏まぬ様、お願い致します。更に言えば、今の時点でマーナムに対し兵を挙げるのは道理に反しております。なにせフォートレムにしてみれば〝襲われたのでただ自衛した〟のみ。寧ろサクヤ将軍等を殺さなかった判断を、重く受け止めるべきかと存じます」
この進言を受け、ラーは静かな納得を見せる。
「……確かにむこうから見れば、これほど理不尽な話は無いわ。まだ明確な害にさえなっていない時点で、命を狙われた訳だし。だと言うのに、サクヤ達の命を奪わなかったのは、私との全面戦争を避ける為でしょう。その反面、皮肉ね。これでフォートリア・フォートレムは、確かな脅威だと証明されたのだから」
「はい。何れ決着をつけねばならない相手である事は、間違いありません。ただその前に陛下にはやるべき事があるかと。その頃には、ナリウスの兵力は今とは比べ物にならない筈。その上でマーナムに圧力をかけるのが、上策だと思います」
「いいわ。では、計画通り話を進めましょう」
ラーが挙兵したのは、ソレから二ヶ月後の事。以降、彼女はナトナル皇を奪取し、ヴァーズ皇を処刑して、東西の争いを平定する。ナトナルを唯一の〝皇帝〟とし、六十万にも及ぶ兵を引き連れ、彼をナリウスに招く事になる。ここでも――彼女達の動きは迅速だった。
ラーは人を使い、旧スオン家の大臣を見つけ出し、彼を買収する。ラーは〝皇帝〟を前にした彼に、こう言わせた。
「ナトナル陛下。陛下が唯一の〝皇帝〟になったにもかかわらず、未だに国々が争いを続けるのは訳があります。民は戦乱を招いた〝皇帝〟陛下に、不満を抱いているのでしょう。まずこの問題を払拭しない限り、ロウランダ大陸に平穏が訪れる事はありません」
歯に衣着せぬこの発言に、当然の如くナトナルは憤慨する。
「……そなた、予を前にして、よくもそのような無礼を口にできるな? 予とて、この様な状況は望んではおらぬ。予がどれほど停戦を命じる書簡を各国に送ったか知っていて、そう言うか……?」
「無論です。ですがその反面、ソレに効果が無かった事も存じています。故に進言申し上げたいのですが、ここはいっそラー王の名声を拝借するのはいかがでしょう? 陛下を御救いし、スオン家を統一した切っ掛けをつくった彼女なら、或いはと思うのですが?」
「……なに? 何が言いたい? ハッキリ申せ」
「では、率直に献策いたします。ラー王を――陛下の養女とするのがここは得策では?」
それが何を意味するか、ナトナルでなくとも理解出来るだろう。
それ故に、彼はやはり唖然とするしかない。
「……あの娘を、予の養女にだと? つまり、予が死んだ後は、あの出自もわからぬ娘が〝皇帝〟になるという事か――?」
そう問い掛けるナトナルに対し、彼は続ける。
「はい。不幸にもナトナル陛下の御子は皆、ヴァーズとの戦でお亡くなりになりました。今となっては帝位を継ぐ者はおらず、このままでは益々大陸は乱れる事でしょう。そんな事態を避ける方法は、一つ。いま最も民の心を掴んでいる王を、身内にする事。彼女が次代の〝皇帝〟となると知れば――大陸の形勢に些かの変化が生じると思われます」
怒声を浴びせられる事を覚悟しながら、彼は言われたとおりの役を演じる。
対してナトナルの反応は、彼にとっては拍子抜けする物だった。
「かも、な」
ルウにとっても意外だったのは、ナトナルがすんなりとこの甘言に乗った事。
彼は半ばヤケになりながら、こう告げた。
「どうせ全ては、予が死んだ後の事だ。――好きにしろ」
かくして少女は〝ラー・スオン〟に姓を変え――その名を各国に轟かせたのだ。
◇
と、彼女はベランダに出て夕日を眺め、囁く様に呟く。
「漸く、ここまで来たわね」
「ええ。漸く、ここまで来ました」
ラーに答える、ルウ。彼は心中で、これからの事を思い巡らせる。
元々ラー達がまだ若いヴァーズではなく、年老いたナトナルを勝たせたのは一計あっての事。
後数年もしない内に崩御するであろう老人なら、ラーが〝皇帝〟の座を手にするのも時間の問題だ。
しかもラー達にとっては幸運というべき事に、ナトナルには子が居ない。
以上の理由から、ラーはかの老人を〝皇帝〟に据えていた。
「後は可能な限りナトナルを権力の座から遠ざける事。それだけで陛下は、いよいよ〝皇帝〟の座に就く事でしょう。故に、私の出番もここまでですね」
「そうなる、かな」
「はい。如何に一族の末席だったとはいえ、流石にスオン家の者が私を見れば、誰か気付く。そうなれば、最悪の状況を招きかねない。ならば、私は一線を退くのみ。どこかの部屋に籠もり、人知れず相談役にでも転じようかと思います」
その時、ラーは無関係な言葉を漏らす。
「なんにしてもこれでまた舞台のネタが増えたわ。ナリウスの征服に、グナッサとの戦。それに東西の争いを終息させ、遂にただの義賊が〝皇帝〟となりロウランダを平定する。こんな事つい半年前は誰も考えもしなかったでしょうね」
「はい。当事者の一人である私でさえ、こうも上手くいくとは思っておりませんでした」
この時、ラーは満面の笑顔と共に、彼を労った。
「ええ。でもこれは全て、貴方の功績よ。貴方が積み上げ、形にし、自らの罪を贖った証し。貴方は自分で招いた大乱を、自らの手で治めたの。私はそんな貴方が――心から誇らしい」
それは普段のラー以上に、優しさに満ちた声だった。
だからこそ、彼の心にもより鮮明にその意味が伝わる。
「……いえ、申し訳ありません。私とした事が、言葉につまり、何と言っていいかさえわからない。こんな事は、生まれて初めてかもしれない」
呆然としながら、彼は呟く。そんな彼を、彼女は慈しむ様に見た。
「……ありがとう、シトネ・スオン。あの日、貴方を訪ねて、本当に良かった。貴方がいなければ、私達は、きっともっと多くの命を奪っていたわ。だから、良かった。アレ以上多くの人の命を奪わなくて、本当に良かった……」
「……その御言葉、生涯の誉れといたします、ラー陛下」
その日、二人で西に沈む赤い夕陽を見た。
その鮮烈な景色を前に、彼は目を細め、彼女は微笑する。永遠にこんな日々が続くと疑いもしないまま――彼女達は今ユメを叶えようとしていた。
その上で、彼女は彼に問うたのだ。
「というか、貴方、私に何か言いたい事はない?」
「は? これ以外、ですか? いえ、今の時点で面映ゆく、これ以上の事はとてもと言った感じなのですが?」
「……この雰囲気でこの反応。成る程。これは本当に人生を懸けた一大事業になりそうだわ」
そう言って、ラーは今、心から微笑んだのだ―――。
◇
その頃、フォートリア達には吉報と、凶報の二つが届いていた。
吉報と言うのは、エイリカの懐妊である。彼女は妊娠三ヶ月である事が公にされ、マーナム中がこの話題でもちきりになる。
一方、凶報とは、遂にラーが〝皇帝〟の座に王手をかけた事である。
しかも彼女は、東西の争いを鎮めるのに敵味方問わず、一兵も損なわなかった。命を奪ったのはヴァーズ・スオンのみで、正に最小限の犠牲と言える。
その為に大陸中の民が協力し、今やナリウスの兵力は六十万に及ぶという。これは最早一個人の武力で撥ねのけられるレベルでは無い。
この話を聴いた時、ジェンナはフォートリアがまた癇癪をおすと思った物だ。いや、或いはこの状況を覆す為、悪魔の様な策を用いるかも。
だがその予想は何れも外れ、フォートリアはこの時初めて、落胆した様に椅子に腰かけた。
「ええ、そう。この結末は、或る種の奇跡よ。私の目から見てさえね」
「……姉、様?」
「わかった。認める。ラーはとんでもないやつだわ。私より狡猾で、私より計算高く、私より直感が働く、歴史に名を残すだけの才女。やっと、わかった。私がラーの何を怖がっていたのか。そう。彼女さえ居れば、私なんて必要ない。だって私がしたい事は、皆、彼女がしてくれるもの。最短で大乱を治め、合理的に大陸を統治し、長期的な政権の礎をつくる。彼女なら、きっとそれが出来る。間違いなく、それを現実にする。なら――私は一体、何? ええ、そうよ。私はそんな理想を邪魔するだけの存在でしかない。今となっては、私は戦争を長引かせるだけの害物でしょう。私は――そう自覚するのが怖かった。泣くほど怖かった。あの日、彼女に触れた時、それがわかったのよ。彼女の器がどれほどの物か、自分がどれほど要らない人間か、私はあのとき思い知った―――」
恐らく初めてフォートリアが漏らす弱音を、ジェンナは肯定する。
「……かも、しれません」
よって彼女は――尚も続けた。
「なら、私の出番はもうここまで。私のユメは、ここに潰えた。多分私は、初めてラーの噂を耳にした時点で、その事がわかっていた。でも――それでも私は人を殺し続けた。死ななくてもいい人々を、殺し続けた。全ては無駄に終わると心の何処かでわかっていたのに、それでも悪あがきを続けた。その結末が、これよ。マーナムは何れ、ナリウスから圧力を受ける事でしょう。『フォートリアを引き渡せ』という要求をつき付けるに違いない。これをのまなければマーナムは滅びる。私の為に王妃となったエイリカと共に、彼女が身籠った子供と共に、皆無くなってしまう。それを避ける手は、私がマーナムを出て、何処かの辺境で隠者の様に暮らすしかない。既に私とラーの間には、それだけの差がある。私はこれまで最速最大の手を打ってきた筈なのに、それだけの差があるの。本当に私は今まで何をしてきたのかしらね?」
力なく笑い、フォートリアは頬杖をつく。恐らく彼女が言っている事は間違いない。いや、全て事実だと断言しても構わないだろう。フォートリアが言う通り、ラーと彼女には、それだけの差がある。
でも、それでも、彼女は、ジェンナ・フォートレムは告げたのだ―――。
「ええ、そう。確かに民の事を思えば、姉様は表舞台から退場するべきなのかも。このままラー王が〝皇帝〟となれば、この大陸は統一されたも同然だから。でも、それでも――ソレはただの可能性に過ぎないんです。本当にラー王が天下をとれるかなんて、今はまだ誰もわからない。もしかすれば彼女を否定する一派が現れ、ラー王と交戦し、乱世はまだ続くかも。その時――貴女はどこで何をしているつもりですか?」
「それ、は」
「そう。貴女は今、自分は一生負け犬のままだと、そう口にしかけている。その程度の人間だと、認めようとしている。でもソレを認める事と、例え強がりでもその現実に抗う事は天と地ほどの差があるんです。貴女は何時だって、後者の道を選んできた筈でしょう? 確かにその為に、たくさんの人を殺めた。死ななくても良い人を、殺してきたのかもしれない。これ以上戦う道を選べば、もっと多くの人々が死ぬ事になるでしょう。でも、それでも、私が唯一〝皇帝〟と認めたのは、貴女なんです、フォートリア。母の為にお金を工面し、私の罪さえ背負おうとしている貴女を、私は選んだ」
「ジェンナ、貴女」
「そう。本来、軍師とは、その弁舌を以て多くの人々を殺害する職種です。でも、姉様は私の分まで罪を背負うおつもりなのでしょう? 私の策をそのまま使わないのは、その為なのでは? 貴女は誰の命も尊重しないと言っていたけど、きっとそれは嘘だ。貴女は死ぬまで認めないだろうけど、貴女が本当に見ていたモノは、きっと別のモノ。貴女は見も知らぬ他人の為に、どんな非道を用いようと最短でこの大陸を征服しようとした。その想いは、きっとラー王にさえ引けを取らない物です。なら、胸を張って、フォートリア。自分自身の頭の中だけで全てをわかった様なフリをして、全てを投げ出さないで。策が無いなら、私が考えます。それでも打つ手が無いなら、私が弁護します。それでも死ぬしかないとわかったなら、私もこの命を投げ出しましょう。既に貴女は私にとってそういう存在だと言う事を、決して忘れないで」
ソレを聴き、フォートリアは思わず顔を上げる。
「……ああ。ズルいな。ジェンナは、ズルい。私より、余程強かだ。私一人が身を引けば、全て丸く収まるかもしれないのに、まだ私に諦めるなと言うのだから。本当に、厄介な従妹を軍師に据えた物だわ」
「はい。だから、貴女が言わないなら、私が言いましょう。貴女のユメは既に、貴女一人だけの物ではないと。例え一人だけでも貴女のユメを後押しする者が居るなら、貴女は立つべきです。私が諦めない限り――貴女は自分のユメを捨てるべきじゃない」
「………」
この決意に、この子供じみた悪あがきに――フォートリアは心底から愕然とする。
それを踏まえ、彼女は言った。
「わかった。愚痴は、ここまで。ここから先は、これからの話よ。では将として問うわ、ジェンナ・フォートレム。貴女にこの難局を乗り越える方法が、果たしてある?」
ジェンナが決死だというなら、フォートリアもそれは同じだ。
だというのに、ジェンナはよくわからない事を告げる。
「……実は一つだけ、気になっている事があるんです。それも恐らく、凄く重要な事。でも私にはそれが思い出せない。あの夜、私は何かが引っかかったのにそれがまだよくわからない。それさえ思い出せれば、或いは何かを変えられるかも」
「……あの夜というのは、ラーの劇を見た時の事? もしかして、誰か知っている人でも居た?」
全く思い当たらないフォートリアに対し、ジェンナは思わず呆然とする。
そんな心境のまま、彼女はただ身を震わせた。
「知っている……人? ああ、そうか――思い出した」
そして、この呟きが、歴史を変えた―――。
◇
その時が訪れたのは、ナリウスがマーナムに兵を向けた後。
後一日でマーナムに到着するというこの時になり、ある噂が広まった。彼女にとって最悪だったのは、ナトナルの耳にもその噂が届いた事。あろう事か、彼はわざわざナリウスを出て、事の真偽を明らかにする為ラーに合流した。
噂の広がりを抑えようとするラーに、ナトナルは問うたのだ。
「そなた、ルウ・ジャンという者が――あのシトネ・スオンと知った上で軍師に迎えたのはまことか?」
「まさか。そのような者は、我が幕下にはおりません。所詮、敵国が私をハメる為に流したデマ。信じるに値する物ではありません」
「ではルウ・ジャンなる者を、召し出せ。予が直々に、面通しする」
「いえ。生憎、かの者はいま別件で動いていてこの場にはおりません。その話は、後日という事にしていただけますか?」
が、この時間稼ぎが裏目に出る。それだけで〝ルウ・ジャン=シトネ・スオン〟という説が軍の中で蔓延したから。これにより、続々と民兵がナリウスより離れ始めたのだ。
それも、当然か。それは、子供でも知っている事。元々この大乱は、シトネ・スオンがスオン家を殺し合わせた事から始まった。彼がそのような真似をしなければ、彼等の家族は戦争で死ぬような事はなかったのだ。
ならば、もしルウがシトネだとすれば、ソレは民に対する致命的な背信行為だ。その事をラーが知っていたとしたら、民兵が彼女を見放すのも当然と言えた。
実際、マーナムはこう大義を掲げる。
〝果たしてシトネ・スオンという大罪人を使うラー王に天下を治める資格があるか〟と。
「やられた、か。恐らく、あの演劇に出演した時、客席に私の事を知っている者が居た。その者が、私の正体を見抜いた、か」
アウストラに護衛されているルウは、一人そう理解する。
あの遠い日に思いを馳せながら――彼は遠くを見た。
それは、彼がまだ十歳の頃。彼には、歳が七つ離れた姉が居た。気が強く、強引で、怒りっぽい。彼も幼い時から、良く彼女の怒りを買っていた物だ。
幼少の頃から皮肉屋だった彼と、口より先に手が出る彼女。正反対とも言える性格の持ち主だったが、多分、彼は彼女の事が好きだった。
その想いを明確に感じたのは、全てが終わった時。彼女には婚約者が居たというのに、ナトナルやヴァーズの息子達は彼女を辱めようとした。ただ〝見かけが良かったから〟という理由だけで、彼等はそう行動しようとした。
ならばスオンの姓を名乗る事を許されながら、末席である彼女には二つしか選択肢が無い。一つは、彼等の理不尽を受け入れるか、もう一つはその逆か。
だが、ただ拒絶するだけでは、彼女の家はあらぬ咎を受けるかもしれない。ならば、彼女には他に道は無かった。彼女はそうなる前に――自ら命を断ったのだ。
〝……まさ、かっ?〟
その一報を聴いた時、彼はまず愕然とする。
それから、彼女を死に追いやった男達の前で、こう告げた。
〝この度は、姉が不愉快な真似をして申し訳ありません。こうなったのも、全ては姉の心が弱かったから。殿下方が心を痛める事など、一切無いのです〟
腸が煮えくり返る中、それでも彼は笑顔でそう言い切った。今にも号泣しそうな中、それでも彼は平伏した。
そこから先は、ただひたすらに教養を身につける為だけに時間を費やした。どうすれば効率よく、スオン家に復讐できるか? その好機はいつ訪れるか? 彼はただひたすら待つ事になる。
そうしてその二十年後、報復の時はやってきた。父や母が没し、身軽になった後、彼は二つの派閥に分かれていたスオン家に対しこう言いだしたのだ。
ヴァーズには、ナトナルがヴァーズの弟を暗殺する動きがあると。ナトナルには、ヴァーズがナトナルの息子を暗殺する動きがあると告げた。
実際に彼等の食事に毒さえ盛って、その話の信憑性を高めた。元々一触即発状態だった彼等は、それだけで戦争を開始した。他国を巻き込んで殺し合いを始め、全ての元凶が彼であると判明した時には手遅れだった。スオン家の人間は殆どが戦争で死に、それが切っ掛けで国家間でも諍いが始まったのだ。
彼としては、姉を死に追いやった男達さえ殺せればよかった。だというのに、彼は自分がやり過ぎた事を知る。ロウランダ大陸には戦火が広がり、彼はそれをただ見ている事しか出来なかった。
こんな自分がなぜ今日まで生き長らえてきたのだろうとふと考え、やがて一つの答えに辿り着く。
全ての準備を整えた彼は――アウストラの目を盗んでラーの陣地に向かった。
◇
ラーが彼と対面したのは、日が傾きかけた頃。彼は変装を解き、素顔のままで彼女と顔をわせる。それが何を意味しているか、ラーは即座に思い知った。
「……ちょっと、待って。嘘、でしょう……?」
「いえ、残念ですが、ここまでです」
「ここ、まで?」
「はい。私は疾うに、死んでいなければいけない人間でした」
「やめて」
「けど、生きていて良かった。死ななくて、本当に、良かった」
「やめて。やめて、よ」
「貴女の言った通りです。私には、この大乱を鎮める責任が、あった。絶対に、そうしなければ、ならなかった。でも、世情はすでに私一人で、どうにかできる物ではなかった」
「だから、やめてって、言っているでしょうぅッ!」
「そんな時です。貴女が、私を訪ねてきたのは。全てに絶望していた私に、貴女は生きる場所を与えてくれた。責任の取り方を、教えてくれた」
そこで、ルウ、いや、シトネ・スオンは片膝をつく。
「ええ、そう。あなたは、ほんとうに、わたしにとって、きせきのような、かたでした―――」
「……シト、ネっ」
事前に毒を飲んでいた彼は、そのまま、地面に倒れ伏していた。その姿を見て、その絶望を知って、ラーは今にもよろけそうな足取りで彼のもとに辿り着く。
彼女は、彼の体を抱え上げた。
「ああ。ほんとうに、もったい、ない。わたしのような、ものを、あいてに、なみだしてくださるなん、て」
「……なんで? なんで、一人で勝手に決めたの? 私達、何時だって相談し合ってきたじゃない。そうやって、ここまで一緒に来たんでしょう? それなのに、何で、こんな―――?」
「もうしわけ、ありません。です、が、どうか、いまのかなしみを、しょうがいおわすれに、ならぬよう、おねがいいたします。だれかが、しぬというのは、どれほどかなしいことか、どうか、わすれないで。もし、わたしにできることがあるとすれば、もうそれぐらい、だから」
「………私の質問の、答えになってない。私が何時、死ねと命じた? 貴方の人生は、私が買い取るって言ったじゃない。なのに、何で、何で、何で―――ッ?」
「そう、か。あなたのなみだは、こんなにも、あたたかいのですね。こころから、かんしゃ、いたします。―――ありがとう、らー。かなうなら、あなたが〝こうてい〟になるすがたを、みてみたかった――――」
「………ああぁぁッッ、ああああぁあぁぁぁッッッッ!」
それは、彼女が初めて見た、彼の笑顔だった。
もう二十六年間も笑い方を忘れていた彼が、最期にもう一度だけ、微笑む。
本当に、自分は満足だったと、彼はその笑顔だけで語っていた。
「………これで、本当に一生、私の気持ちは伝えられなくなった。ただ〝好きだった〟って言いたかっただけなのに。それだけなのに、私はもうそんな事さえできないっていうのシトネ……? ねえ、シトネ? ……シト、ネ?」
こうしてこの日、黒い少女は、同じユメを追い掛けた青年を、失った。
◇
彼がラーのもとにやって来たのは、暫く経ってから。
アウストラ・ガンナーは無言で、その場に佇む。
「……アウ、ストラ。貴方、ワザとシトネを見逃したわね? 彼が何をするつもりか、わかった上、で」
「流石は、陛下。この様な時でも、聡明であられる。はい――私は陛下の為、彼の自害を止める事はしませんでした。これを裏切りと見なすなら、いかなる罰も受けましょう」
「……そ、う」
頷き、立ちあがって、涙を拭う。
最後にもう一度だけ彼の笑顔を思いだし、それでも彼女は告げたのだ。
「では、王として命じます。この大罪人の遺体を、衆目に晒して。身分を偽り、私に近づいて人心を惑わした罪で」
「本当に、よろしいのですね?」
半ばそうなるように図ったにもかかわらず、アウストラは問わずにはいられない。
彼女の答えは、決まっている。
「それが、彼が最期に望んだ事だもの。なら――私はそうするしかない」
正直いえば、頭の中はグチャグチャだ。何を考えていいのかさえ、わからない。あれほど何をすれば利を得られるか即座に判断できた自分が、不調を訴えている。
でも、それでも――彼女は王だった。
ルウ・ジャンが最期まで仕えた――王だった。
「ええ、そう。私は――彼がユメ見た物の続き。その私が――立ち止まれる筈が無いから」
こうしてシトネ・スオンの遺体は広場に晒され、民衆から罵倒の限りを浴びせられる事になる。あらゆる怨嗟を一身に受け、その身が腐るまでこの地に晒された。
「あー、最期まで気に食わねえ野郎だったな。死に方まで、ラーの心を掴みやがった」
「かも、ね。ああ、だからと言って、君まで泣かなくて良いよ、マリベル。彼の為の涙は、ラーがちゃんと流してくれたから」
「……だから、泣いているんです。頭領がもうこれ以上、彼の為に泣かなくていい様に……」
けれど、彼女達には最早、そんな余裕さえ無かった。シトネの遺体を晒した事で、民兵の暴動は抑えられた。その一方でラーへの不審は拭い切れず、やはり彼等は彼女のもとから離れていったから。六十万もの兵力は――既に二万までに減少している。
「更に言えば――私達には今や退路も無い」
陣中に将軍達を集めたラーは、開口一番そう告げた。
「そう。西の国々がナリウス軍の通過を許したのは、私達が人心を掴み、それに見合う兵があった為。けど、ソレが無くなった以上は、ナリウス本国に戻ろうとするだけで攻撃を受けかねない。更にこのままマーナムを攻めれば、ソレに呼応して西の国々が私達の背後を攻撃してくるかも。言うなれば、私達はいま袋のネズミと言って良いわ。ナマント、ヌウベスト、パナカッタ、そしてナリウス本国の代理為政者達も独立を宣言してしまったしね」
それが彼等の判断だった。ルウの素性が公になる前に、四つの王国の代理為政者達は手を打ったのだ。民に敵視される前にラーと手を切り、彼等は自身の身の安全を図った。
正にマーナムに向け、兵を挙げた事が、裏目に出たという事。ラー軍は現在、完全なる孤立状態と言えた。ならば、どうするべきか? 仮に、この場にあの彼が居たら何と口にしただろう? ふと、そう思いながらラーは言い切る。
「けど――ここは敢えてマーナムを攻める。マーナムを攻め落とし、軍の拠り所として、暫く息をひそめる事にするわ」
「では、スオン家の養女になる件は、やはりご破算に?」
「ええ。私のもとに居るぐらいならリグレストに戻った方がマシだと言い捨て、ナトナルは今朝発った。これで〝皇帝〟への道は、だいぶ遠のいたと思っていい」
「つまり――ラーはまだ〝皇帝〟の座を諦めてねえって事だな?」
答えるまでも無いとばかりに、彼女は笑みを浮かべる。彼女は改めて宣言した。
「敵は――マーナム。第一目標は――フォートリア・フォートレム。敵の数は七千程。カシャンとグオールグとマーニンズは、無視して構わない。彼等も、ナリウスとマーナムが潰し合う事を望んでいる筈だから。では始めましょう。あの日の様に――私達の新たな国取りを」
ソレが済んでももう自分のもとに彼が訪ねてくる事はないけど――ラーはそう命を下した。
◇
「やった、わね。どうやら、ジェンナの言う通りだったみたい」
伝令役からナリウスが現在どんな状態にあるか聴いたフォートリアは、奥歯を噛み締める。目前に佇む従妹は、思わず震えそうになる体をおしとどめながら、告げた。
「はい。今から六年前、シトネ・スオンの手配書が出回った時の事です。私はその彼の似顔絵を使って、想像した事があったんです。髪を蓄えた姿や、老人に変装した姿を。もう六年も前の事だったので忘れていましたが、やっと思い出しました。あの舞台で見たルウ・ジャンという老人は、私が想像した通りの顔だったと」
「正にジェンナの好奇心の強さが、吉と出たな。このバカなんて、興味が無いとばかりにその手配書、ちり紙代わりに使っていたのに」
と、姉の軽口を、妹は憤慨して受け止める。
「今日も一々五月蠅いわね、姉上は。というか、問題はここからよ。兵が減ったからと言ってそれを率いるのは、あのラー。加えて、いま腹心を謀殺された彼女は怒り心頭でしょう。私達はそんな彼女を、迎い討たなければならない。さしあたっては彼女達の背後にある、西の国々が決起するまで。尤も、シーナとストックゲイは、交戦状態で動きが取れない。マーニンズとグオールグはカシャン同様、事を傍観するでしょう。援軍を期待できるとすれば、キーファ、ミストリア、アルベナスと言ったところね」
「挟撃を成すまでの時間稼ぎ、か。完全に籠城戦だな。それ以外の策は?」
「今のところ、策と呼べるほどの物はありません。ただ誰でもわかる話ですが、今は打って出る事だけは避けるべきでしょう」
「ちょっと待て。ジェンナがそう言うって事は、お前、まさか?」
睥睨しながら、レテシアは妹に問う。フォートリアは、当然の様に首肯した。
「ええ。打って出るわ。私自身を、囮として」
「……姉様」
「さっき言った通りよ。ラーはルウを殺した私に、怒りを覚えている筈。その私が城を出て攻撃すればどうなるか、見てみたい。仮にこの陽動が成功し、ナリウス軍が此方に向かって引き伸ばされるとする。そこをトライゼンの軍が逆方向から攻撃すれば、将軍の一人か二人ぐらいは討ち取れるかも。確かにリスクは高いけど、その分、リターンも高い作戦ね。私としてはそう思うのだけど、ジェンナはどう考えている?」
「やってみる価値は、あると思います。但し、忘れないで下さい。ラー王にはまだ――〝黒色錬刃〟のメンバーが味方をしている事を」
この従妹の、いや、軍師の忠告を受けた後――フォートリアはヒリペのもとに向かった。
「では、やはりナリウスとの戦争は避けられない、と?」
「遺憾ながら。恐らく彼女の狙いは私の身柄でしょうが、孤立したラー軍は拠り所を求めています。マーナムが、その恰好の標的である事は疑いようも無いでしょう。ですが、もし陛下がお望みなら、私はこの国を出ようと思います。そうすれば、或いはマーナムがラーの標的となる事は、避けられるかもしれません」
が、内政には聡いヒリペは素早く決断し、フォートリアの意見を否定する。
「それは違うな。今、ラー軍の面前で最も組みやすいのは、マーナムだろう。我が国を無視しカシャンやグオールグ等を攻めようとするとは、とても思えぬ。それはフォートリア将軍の身柄を引き渡したところで変わらないと思うが、これは誤りか?」
「いえ、御明察の通りかと。その上で、改めて先ほどの献策をご検討下さい。仮に我が軍が戦を有利に進めれば、それだけ西の国々が立つのも早まるかもしれません。敢えて打って出るのは、その為の布石です」
「了解した。では、この戦、フォートリア将軍に一任しよう。全権を委ねる故、好きな様に兵を使うといい」
「それは……本気で仰っていますか?」
ヒリペは、躊躇いなく首肯する。
「是非も無い。私が戦争に疎いのは、そなたも知っていよう。そして、私も知っている。そなたが――無敗の将軍である事を。最悪な事にラー王もまた無敗の傑物だが、だからこそ私の出る幕は無いと思う。ならば、この国の命運は、そなたに任せるべきだろう」
この全幅の信頼を受け、フォートリアは思わず微笑む。
「なら、私は自慢せずにはおられません。仕官先をこのマーナムに決めた己を、我が君を陛下とした自分自身を、私は改めて誇りと致しましょう」
「私ではなく、自分自身を、か。それは何と言うか、そなたらしい表現だな」
かくして、喜々としながらヒリペはあっさり全軍をフォートリアに託した。
その翌日――ラー軍はいよいよ二キロ先にまで迫る。
彼女等の姿を確認し、フォートリア達はこう謳った。
「さて――敵は蓋世不抜の王に、一人当千の将軍達。正に私達の相手には相応しいと思うのだけど、これは間違い、トライゼン?」
「ええ、誤りです。何故なら、その異名は私達にこそ相応しいから。そう言う事で良いのですよね、フォートリア?」
こうしてフォートリアとラーの運命は、遂に交わる事になる。
戦争という最悪の形を以て、彼女達は再会を果たそうとしている。
時にしてスオン歴百二十一年――十一月二十日の事である。
◇
そして、夢を見る。まだ幼かった、あの日の夢を。
それは、実に他愛のない話だ。まだ学び舎で学問を学んでいた時、彼女達は教諭達と共に山へと遠出した。野を超え、山の頂を目指し、自分達は世間を広げようとした。
実際、まだ幼かった彼女達は、そこで多くの物を見聞きする。見た事がない昆虫に、初めて見る花々、毒を持った草やキノコ類など、多くの物を彼等は知った。
いや、それだけでは無い。其処で彼女達は、初めて命の危険を覚える事になる。まだ冬も最中で、だから冬眠している筈のクマと彼女達は遭遇してしまったのだ。この思わぬ事態を前に教諭達は必死に子供達を逃がそうとした。自ら盾となり、時間稼ぎをするよう図る事になる。
そのとき彼女が思った事は〝ああ、これで終わったな〟だった。〝これでこの人間関係は、きっと終わるに違いない〟――。
彼女はそう理解し、そのため僅かに躊躇して前進する。
いや、そうしようとした時には、全てが終わっていた。
見れば、彼女の横をあの少女が横切っていたから。
教諭に向け振り上げられたクマの腕が降り下ろされる前に、その少女がクマの心臓を抉る。まだ六つになったばかりの少女が、あろう事か自分の身長の三倍近い生き物を素手で殺す。その返り血は少女の全身を赤く塗らし、彼女は強く思った。〝ああ。此奴は本当にバカな奴だ〟と。この時から、少女は彼女にとって生涯を通し〝ただのバカ〟になっていた―――。
◇
「……レテシア姉様? レテシア姉様?」
「ああ、悪い。ちょっと呆けていた。で、戦況は? 何か動きはあった?」
「レテシア姉様が呆けるなんて、珍しいですね。いえ、今のところはまだ。どうもラー軍は緩慢にマーナム城へと近づいている様です。フォートリア姉様とトライゼン将軍は、城の外に出てこれを迎え撃つ構えです」
但し、ラー軍の正面に陣取るフォートリア軍に対し、トライゼン軍は伏兵である。近くにある森に身を隠し、ラー軍がフォートリア軍に引きつけられるのを待っている。森を通ってラー軍の後方へ向かい、ラーが兵を動かしたと同時に、挟撃する事になっていた。
実に、単純な策だ。だが、仮にラーのフォートリアに対する怒りが確かな物なら、効果があるかも。フォートリアに対する激昂が、ラーの視野を狭めるかもしれない。
「ま、どちらにせよ、ラーがあのバカを無視できない事には変わりない、か」
「ですね。何せ姉様が指揮する軍の数は――六千五百。遠目なら、マーナム軍の総兵力に見えるでしょう。これが総攻撃をしかけてくるのだから、ラー軍も迎撃するしかない。仮に伏兵が居たと見ぬいても、ソレは五百程の小隊です。これが後方を衝いたとしても、被害がそれほど出るとは思えない。これを指揮するのが、普通の将軍なら」
「だな。問題はむこうが、トライゼンをどれほどの将だと思っているか。噂通りと見るか、それとも侮ってくるか。それによって、状況は大分変ってくるな」
一応、フォートリアの隊にも、トライゼンに扮した将軍を紛れ込ませてある。故にナリウスとしては、フォートリアとトライゼンの武勇で戦況を乗り切るつもりの様に見える。
いや、そう見せなければ、この作戦は成功しない。七千の兵を以て、二万の軍に痛手を負わせる事は叶わないだろう。
だがこの作戦が成功すれば、西の国々もナリウスに呼応し、早急に兵を挙げるかも。そうなれば前方をマーナムが、後方は西の国々がラー軍を攻撃する事になる。
大軍同士での挟撃が可能となり、その時点で決着はつくだろう。
「ま、心配は要らないか。ジェンナには悪いが、彼奴が君の逆の策を用いて敗北した事などない訳だし」
「……確かに事実ではありますが、レテシア姉様にさえそう思われていたとは心外です。私には、誰一人味方は居ないのでしょうか?」
城の正門を守りながら、二人はそんなやり取りをする。
ジェンナの憮然とした顔を見て、レテシアは微笑んだ。
「かもな。私は今まであのバカを尊重する余り、ジェンナを蔑にしてきたのかも。私に後悔があるとすれば、そんなところか」
「……レテシア姉様が、フォートリア姉様を尊重? とてもそんな風には、見えませんでしたが?」
いや、思い返してみればそうかもしれない。何故って、彼女は口では悪態をつきながら、ただの一度もあの妹を止める事は無かったから。それを尊重と言うなら、そうなのだろう。
「いや、いい。つまらない事を言った。ここならまず安全だろうが、油断せずいこう」
後に、ジェンナは述懐する。この時、彼女が浮かべた笑顔を、自分は生涯忘れなかったと。
今は知る由もない未来を置き去りにして――遂に人外同士の戦は始まろうとしていた。
◇
そう。これは――人外同士の戦い。フォートリアが改めてそう感じたのは、ラー軍が二百メートルの距離に迫った時だった。ここで彼女達は六千五百の兵を以て、ラー軍に突撃しようと図る。
だがその時――ラー軍も動きを見せる。彼女達は軍の最前線に、ある物を運んでくる。ソレは――巨大な投石器だった。ソレを見た瞬間――フォートリアは叫んだ。
「……つっ? 停止ッ! 全軍、停止せよ――っ!」
が、全ては手遅れだ。彼女がそう号令をかけるのと同時に、ナリウス兵が投石器のレバーを引く。
途端、グナッサ戦とは違い、ダイダロスの襟首を掴むラーは、ほぼ全力で跳躍する。投石器の力と己が膂力をプラスしたその跳躍力は、軽く千メートルは超える。
簡単にマーナムの城下町へと辿り着き、ラーは空中でダイダロスと位置関係を逆転させた。あろう事か、今度はそのままダイダロスがラーを全力で投げ飛ばす。
「なっ、は――ッ?」
空を駆け、ラーがナリウス城へ侵入したのはその直後。彼女は大剣を床に刺し、横に滑りながら着地を果たす。彼女は、一目散に玉座の間に向かった。
「はぁい。ヒリペ王にエイリカ王妃。はじめまして。私は――ラー・ダークナスという者よ」
「……くッ?」
瞬間、玉座の間は――凍り付いたのだ。
いや、それはジェンナ達も同じだった。何せ空より、長身の男が降ってきたのだから。彼もまた、矛を地面に突き立て、横に滑りながら着地する。
それを前にレテシアの兵達は明らかに動揺し、浮き足立つ。逆に、彼――ダイダロス・ザストは冷静だった。
彼はマリベルが思う様な愚者では、決してない。現に、彼は一目で看破する。
(あの兵士とは思えねえ、茶髪の娘。それが軍と共に行動しているという事は、あれがナリウスの軍師? つまり――シトネをハメた元凶か)
故にダイダロスはジェンナに向け、矛を振り上げる。ソレを見て、レテシアは即座に切り札を使った。
彼女もまた、フォートレム家の中でも突然変異と言っていい存在である。彼女もまたあの妹同様、脳の処理を加速できる。但し、ソレは一日につき一回限りだ。
その百八倍もの脳内加速は、あっさりとダイダロスのソレを超越する。彼女の槍は彼の心臓目がけて、突き出される。けれど、その前にダイダロスは、笑った。
(確かにシェリカあたりなら、屠れるだけの動き。だが運が無かったな。俺が〝黒色錬刃〟の中では、アウストラの次にラーの組手の相手を務めていたのは)
だから、彼はただの反射だけで彼女の一撃を凌ぎ切る。
あまつさえ、矛を返し――そのままレテシアの左半身に矛を突き立てていた。
「ぐっ、がぁっ!」
「レテシア姉様ぁぁぁあああああ―――ッ!」
ジェンナの絶叫が、響き渡る。漸く閉じられていたマーナムの門が開き、フォートリアが全力を以て駆け出してくる。それを見て、ダイダロスは素早く動いた。
(〝フォートリアが来たら、迷わず逃げろ〟か。あいつも俺がブチ殺しておきたいところだがしかたねえな)
ダイダロスが、全力で逃げに転じる。彼の背中目がけて、二つの物体が高所から投げつけられる。それは気を失った――ヒリペとエイリカだった。二人を受け止め、ダイダロスは城下町を囲む塀に向かう。
ソレを前にしても、フォートリアはあの姉のもとに赴いた。
「……姉、上? レテシアぁぁああああ―――っ!」
「バカ、か。私に、かまっている、場合、か。今は、あの賊を追う時だろう、が」
「つ……ッ!」
この正論を聴き、フォートリアは一瞬硬直した後、ダイダロスを追おうとする。
けれど、その前にソレは来た。
「悪いけど――邪魔をさせる訳にはいかなくてね」
「……くッ!」
二十メートル高所から、自分と同じ大剣を持った少女が降ってくる。その黒き大剣を受け止めつつも、フォートリアは弾き飛ばされる。
この時――黒い少女と白い少女は初めて目が合った。
「……そ、う。あなたがフォートリア・フォートレムだったの。残念だわ。本当に、友達になれると思っていたのに」
「よくもっ、レテシアをおおおお―――ッ!」
「ええ、残念だわ。でもね――私もシトネを殺されたのよ」
「つ……っ!」
それは――両者を決定的に決別させる宣言だった。
ラーは地面に大剣を振り下ろし、粉塵を巻き上げる。フォートリアの視界を遮った後、彼女も脱兎の様にダイダロスの後を追った。
彼女達はあろう事か、十五メートルある塀を駆け上がりながら城外へ脱出しようとする。
その後をフォートリアも追おうとするが、塀の上には既にマリベルが陣取っていた。やはり投石器で此処まで飛んできた彼女は槍を放ち、フォートリアの足止めを図る。
この間にラー達は塀を駆け上がるが――その時ソレは来た。
「あなた――邪魔です」
「く……ッ!」
気が付く間もなく、マリベルの背後をトライゼンがとる。矛を薙ぎ払い、マリベルの首を刎ねようとする。だが、それより速く、彼女は喜々としながら告げた。
「いえ――邪魔なのはあなた」
ラーの後ろ回し蹴りが、トライゼンのこめかみ目がけて放たれる。それを左腕で防御しながらもトライゼンの体は、十メートルは弾き飛ばされる。
この隙に三者は地を蹴り、二百メートルは飛び、ナリウス軍と合流する。僅か三分足らずでナリウス軍は――王と王妃の身柄を奪われていた。
更に、あの彼女の命さえも、いま尽きようとしている。
「姉様ぁッ! レテシア姉様ぁぁッッ! レテシア姉様ぁあッッッ!」
「……ああ」
ラー達を取り逃がしたフォートリアがジェンナに抱えられたレテシアのもとに戻ってくる。彼女は糸が切れた様に、その場に跪いていた。
それを見て、レテシアは思わず口を開く。
「なんて、顔して、やがる。お前の、そんな腑抜けた面は、初めて見るぜ」
「姉、上」
呆然とするフォートリアに対し、彼女はそれでも笑みを浮かべながら告げたのだ。
「あの、さ、お前が人間嫌いになった理由って、アレだろ? まだガキの頃、お前が素手でクマを殺したのが、原因だろ?」
少女は確かにクマを殺し、皆を救った。けれど、その血塗られた姿を見た時、他の子供や大人が感じた物は、恐れだ。明らかに自分とは違うイキモノを見る様な目で彼等は少女を見た。
それからである。集団の中で少女が孤立する様になったのは。周囲の人間は、こぞって少女を敬遠する様になった。
「ああ。だからこそ、私はお前がバカだと思った。私にはそうなることがわかっていたから、そんな事さえわからなかったお前は本当にバカだとしか思えなかった。そうだ。だから私はそんな一人ぼっちの未来を恐れて躊躇したのにさ。私がそんな事を考えた時には、お前は既に皆の為に、動いていた」
だから、心からバカだと、思った。そんな未来さえ予期できなかったこの少女を、彼女は今でもバカだと思っている。
「けど、本当のバカは、私だ。私は、お前が動く前に、絶対さきにやらなきゃならなかった。私はお前の、姉さんなんだから、絶対に妹にあんな真似をさせちゃいけなかった。お前の姉である私が、お前の代りをして、お前の立場になるべきだったんだ」
「レテ、シア」
「だから、むねを、はれ。おまえは、まぎれもなくばかな、わたしのいもうとで、だれがなんといおうと、わたしのえいゆうだ。たとえ、たにんがおまえをきらおうとも、わたしだけは、おまえをあいして、やる、ふぉーとりあ」
「……だったら、死なないで、よ」
「フォートリア姉様……?」
「そう、よ。私が辛うじて人でいられたのは、姉上達が居たから。貴女達が居なければ、私は疾うに人とは言えない物になっていた。だから、お願いだから、死なないで。姉上に死なれたら、私は、本当に、人じゃなくなる。皆と違う、化物になってしまう。姉上が言う通り、本物の、バカになってしまうから」
だが、彼女は最後の力を振り絞り、首を横に振った。
「いや、だいじょうぶ、だ。おまえには、まだ、じぇんなが、いる。かのじょがいるからわたしはあんしんして、いける。でも、どうか、わすれないで。これが、せんそうというもの、だという、ことを。わたしのようなやつが、こんなふうに、しんでいくのが、せんそうだってことは、おぼえていて。それさえ、わすれなければ、おまえは、いまいじょうのばかには、ならないよ、ふぉーとりあ」
「……ああ」
ソレが、最期。レテシア・フォートレムは、多分、フォートリアにとって最愛ともいえる姉は、静かに息を引き取る。その姿を前に、フォートリアはこう言う他なかった。
「ああ、そう、か………」
〝このバカの事だから〟
〝本当に、五月蠅いわね、姉上は〟
「……私達は、もう、そんなやりとりさえ、二度と出来ないの、か―――」
そうしてこの日――白い少女は初めて世界に絶望した。
◇
目の前には、自分と同じように頬を濡らす、従妹が居る。
フォートリアは、まるで独白する様に、ジェンナに問うた。
「……ああ。彼女の目を見てわかった。あの時、ラーが言っていた初恋の人って、ルウだわ。なのに、なぜ彼女はまだ戦っていられるの……? こんな風に愛した誰かを殺されてまで、何であんな風に気然に振る舞えるっていうのよ……? 教えて……ジェンナ?」
「……私にも、わかりません。でも、それは多分、彼女が、本物の王だから。ルウ・ジャンがその命さえ懸けた王だから……彼女はきっと今も王であり続けている」
なにげなく、ジェンナは言う。だが、ソレが如何に困難な事か、今のフォートリアには痛いほどわかっていた。こんな想いを抱えたまま戦い続けるという、その人を超えた信念が彼女に重くのしかかる。
けど、だからこそ、彼女もまた結論した。
「そう、か。なら――私も立たない、と。立って、戦わない、と――」
「姉様……」
「……でも、人間って本当にバカだわ。こんな想いをしてまで尚も争い続けているのだから。こんな事を、何千年も繰り返しているのだから、本当に、救いが、無い……」
ついで、一分前には彼女達に合流していたトライゼンが、口を開く。
「かもしれませんね。少しは私の気持ちが、わかりましたか?」
人を絶滅させたがっている女性が、訊ねる。
フォートリアはただ、姉の亡骸を抱き抱えた。
「もし、姉上がそう望むのなら、ね。でも、彼女は絶対にそんな事は望まない。私の英雄である彼女は、死んでも、そんな事は望まない。だから私は今、初めて世界に絶望したけど、まだ諦めない。どこかに希望があると、最期まで信じ続けるわ」
それからフォートリアは、即座に思考を切り替える。
「けど、姉上が言う通り、私はバカだった。これは人同士の争いじゃないってわかっていた筈なのに、あんな手に引っかかるなんて。王と王妃をさらわれたマーナムは、これで最悪の窮地に陥った。あのお二人をラーがどう使うかは、容易に想像がつくもの」
確かにこれでマーナム軍は、一切の軍事行動を封じられる事になる。今、マーナムがナリウスを攻めれば、間違いなく王夫妻は殺されるだろう。
それ以前に、王の命を蔑にしてまで軍を動かす等、大義に反する。とてもそのような命令をマーナムの兵達が聞くとは思えない。
「いえ、それより恐ろしいのは、やはりあのラー。……彼女は、どこまでも冷静だった。私達に怒りなど微塵も感じず、私達の策を見抜いて、逆手にとった。私達がほぼ全ての兵を城外に出すと読み切り、その上で人知を超えた方法で城へと潜入した。王と王妃をさらい、私達に対する盾としている。正に――心身共に人間離れした怪物。それが今――私達が戦っている敵」
「なら、彼女が次にするべき事は、何?」
このトライゼンの質問に――フォートリアは何も答えなかった。
◇
ソレはきっと、わかり切っていた事だったから。
実際――ラーはその通りに動く。
「ええ。これで、後顧の憂いはなくなった。王と王妃の身柄を押さえた以上、マーナムが攻めてくる事は、無いでしょう。なら、次に私達がするべき事は決まっているわよね?」
まるで居もしない誰かに、問いかける様に告げる。ラーは即座に、書状を送った。
「キーファ、ミストリア、アルベナスの王達に告げるわ。ナリウスには、休戦する用意がある。仮にこの友好姿勢に反する意思があるなら戦争をする他ないのだけど、どうする?」
ラーは、西の国々に返答を求める。その一方で、彼等はまだナリウスがヒリペ夫妻を捕えた事を知らない。なら、答えは決まっている。
つい先日、ナリウスに苦汁をなめさせられたミストリア王マルムントはこう返答した。
「大罪人を軍師として重用していたナリウスは、今や賊国だとなぜ気付かない? それとも、賊国と友好関係を結ぶ国など無いという事がわからない程、ラー王は痴愚だと?」
今まで牽制し合っていた三国は、この時に限り、連合を組む事になる。彼等は未だ孤立状態のナリウス軍に向け兵を挙げ、六万二千の兵を以て彼女達を攻め立てた。
迎え撃つのは城さえ持たず、だから籠城さえ叶わないナリウス軍だ。
しかも彼女達には二万の兵しか居らず、退路さえ無い。
だが、ラーは知っていた。追い詰められた兵は、死にもの狂いで戦う物だと。あの軍師よりそう学んでいたから。
「ええ。故に――彼等は勇戦する。私達――人外と共に」
先陣をきったのは――アウストラ・ガンナー。彼は得物である盾を以て、ただ敵陣目がけて駆け抜ける。特筆すべき点は、ソノ突進力。現在より先の人間が、今の彼を見たとしたらこう評していたかもしれない。〝あれは人の形をした――巨大な弾丸だ〟と。
現に彼が、息が切れるまで走り切った時には、千五百もの敵兵が轢き殺される事になる。この偉容を前に、三国の騎士団長は唖然する。噂通り、ナリウスには魔物が巣くっている事を思い知る。
しかも、ナリウスの兵は誰もが強兵だった。一人で十人もの敵と相対し、命を賭して彼等に襲い掛かる。或いはあのラーに仕えている自分達が、負ける筈が無いと本気で思っているのかもしれない。
いや、この考えは正しかった。ラーには、この勝負の行方など既にわかり切っていたから。
「と、そろそろ、か」
ソレはキーファ、ミストリア、アルベナスの軍の意識が完全に正面に向いた時訪れた。
あろう事か、彼等三国の背後を衝く勢力が現れたのだ。
「まさかっ。ナリウス本国に、ナマント、パナカッタ、ヌウベストかっ? だが、かの四国はラーを見限ったと聴いたぞッ?」
「ええ。その情報に誤りはない。私がシトネを使ったと聴いた彼等は、私達〝黒色錬刃〟が居ない間に、勝手に独立したから。だから、そんな彼等をまた此方側に引き戻したのよ。かの四国に〝黒色錬刃〟のメンバーを送り込む事によって」
ナマントにはオリエルタを、パナカッタにはナルブレットを、ヌウベストにはフー・ズーを、そしてナリウス本国には、ダイダロスをラーは送った。
このたった四人の男女は、簡単に城内へ忍び込み独立を宣言した指導者達を殺害した。ラー軍の優勢をそれぞれの国の兵達に聞かせ、馳せ参じるよう促したのだ。ならば、後はその援軍が到着するまで時間を稼げばいい。
それこそルウが死んだ後、ラーが真っ先に思いついた策である。
故に、キーファ、ミストリア、アルベナスの本国は、背後からかの四カ国の攻撃を受ける。大多数の兵を正面のラー軍に注いでいた彼等は、逆に窮地へと陥った。
「……だが、何故だッ? 何故、マーナムは動かないっ? マーナムさえラー軍の後方を衝いていれば、間違いなく彼女等を滅ぼせた物を!」
「ああ。それは――私達が国王夫妻を人質にとっているから。先に言っておかなくて、ごめんなさいね」
「……なっ!」
ここに戦線は崩れた。数で圧倒していた筈の三カ国連合は、背後からの奇襲にあい、前方の兵をひき戻す事になる。
ラー軍は当然の様に、この潰走に追い討ちをかける。徹底的に三カ国連合を打ちのめし、彼等に籠城を余儀なくさせていた。
ラーはここでもその類まれなる才を発揮し――三カ国連合に圧勝したのだ。
「なら、私達が後は何をするか、明白よね?」
ナマント、ヌウベスト、パナカッタ、そしてナリウスの残存兵力と合流したラーは、こう告げた。
「ヒリペ夫妻の身柄と引き換えに、マーナム本国を引き渡してもらえるかしら? 其処を私達の、新たな拠点にするから」
「……でしょうね」
その事を予期していたフォートリアは、ラーの取引に応じざるを得ない。
フォートリアは全軍をマーナム国から引き払い、ラー軍の入国を認める。ヒリペ夫妻を慕う国民達も、揃ってフォートリア軍に追随する。この日、マーナム本国は完全にラー軍の手中に収まる事になった。
ラーは宣言通り新たな国を奪取し――名実ともに王へと返り咲く。
ソノ様を、フォートリア達はただ傍観するしかなかったのだ―――。
◇
事態が急変したのは、それから暫く経った頃。
思えば、彼女は幼い頃から英雄だった。
彼等は人知を超えた、異常な環境で育った。ソレは、人を超えた人を生み出す為の実験場である。被験者に脳内の処理速度が低下する薬を服用させ、常人以上の生活が送れるよう鍛錬する場だ。
この荒行を乗り越えられた子供は、脳内を一時的に加速できる術を身につける。彼等はさらってきた子供達にそう言った薬を服用させ、洗脳し、従属させようとした。そう言った子供達を育て、各国に売りさばき、これを商売にしよと図った。
けれど、ソレは、生命活動に支障をきたす危険な行為でもある。
何せ、脳の機能が低下するのだ。時には呼吸器系に不具合が起こり、時には心臓その物に欠陥が生まれ、多くの子供が死んだ。
あの大人達は、そんな彼等を道具の様に扱った。死んでも、また代りは幾らでも居る。足りなくなったら、また新しい子供をさらってくるだけだ。
無力な子供とは、つまり彼等の利益となる道具でしかない。その道具が幾つ壊れようと、彼等の心は全く痛まなかった。
だからこそ、彼女にはよくわからない。他人をそう扱う人間が、なぜか自分達だけは特別な存在だと思っている、その考え方が。
そんなのは、動物だって知っている事だ。虫を食する虫は、それより大きな小動物に食い殺される。その小動物も大型の哺乳類の、エサでしかない。
なら、あの子供達を食い物にしている彼等は、一体何者だろう? 彼女はふとそう疑問に思い、やがてそう考える事にも飽きた。
切っ掛けは初めて自分を友達だと呼んでくれた、少女である。少女は、唐突に問うた。
〝ねえ、幸せって、何かな?〟
名も無い少女は、実に無邪気にそんな事を口にする。なぜよりにもよって自分にそんな事を訊くのか問うと、少女は少し困った様な顔をした。
〝うん。私も良くわからないけど、貴女なら知っていそうだったから〟
まさか。だとしたら、見込み違いも良いところだ。なにせ彼女はそんな事など、考えた事さえないのだから。だというのに、少女はまるで自分に訴えかける様に、連呼する。
〝あー、幸せになりたい、幸せになりたい、幸せになりたいよー。貴女もそうでしょ? 私達は、きっと幸せになる為に生まれてきたんだから。自分も幸せになって、誰かも幸せにする。それが、私が抱いたたった一つのユメなんだ〟
そう言って、彼女はニパッと笑った。それが初めて、彼女が少女を意識した瞬間だった。
今になって思えば、あの少女ほど強い人間を、彼女はほかに知らない。
〝また、一人、死んじゃった。でも、私は泣かないよ。だって、泣いたらあの子まで悲しい想いをしちゃうから〟
そう言って、無理やり笑う。何れ自分も、その子の後を追うかもしれないと言うのに。少女は彼女に精一杯の空元気を向けてくる。
その笑顔を見て、何処かが苦しいと感じたのは何時からだろう? もしかして、自分は取り返しのつかない間違いを犯そうとしているのでは? いつしか、彼女はそんな事を考える様になっていた。
そうしてその時は、思いの外、早くやって来た。何時もの様に薬を投与された後、少女の体調は急変したのだ。その時になって、彼女は漸く気づいた。
今まで自分とは違う生き物だと認識していた少女が、死にそうなだけ。なのに、何故か自分の感情が悲鳴を上げている。
〝うん。そう、だね。わたしが、あなたより、さきで、よかった。わたしは、もう、おおくのこたちを、みおくってきた、もの。だから、あなたのことをみおくらずにすんで、わたしは、ほんとうに、しあわせ、だよ〟
〝は……?〟
〝でも、ごめんね。わたしばかり、しあわせになって。わたしは、けっきょく、だれもしあわせには、できなかった〟
幸せ? 今、この少女は、何と言った? 今から虫けらの様に死ぬと言うのに、幸せだと言ったのか? こんな自分に看取られ、死んでいくことが、幸せだと? そんなバカな話が、あるか? 本当の、幸福とはもっと、別のモノだ。決してこんな歪な形をしたモノじゃない。
だというに、なぜ本当にそんなに幸せそうなのか? 少女がなぜ自分に謝罪するのか、彼女にはわからなかった。
故に、彼女は漸く其処がただの地獄であったことに気付く。あの大人達の言う事を何でもそつなく熟してきた彼女は、だから今になって理解した。自分が、本当にしなければならない事を彼女は思い知ったのだ。
〝……ああ。それでも、例え上手く行っても、もう貴女には直接、謝れないけど〟
その日、彼女は地獄をつくった。彼等、大人達にとっての地獄を。本当なら、もう少し成長してからやるつもりだったが、彼女は痛感したから。自分のこの甘い考えが、あの少女を殺したのだ。
脳を一時的に加速できる大人は、全部で六人。責任者である大人は、その中でも特に手強かった。
それでも、齢十の彼女は、その全てを殺した。
殺して、殺して、殺し続け、右腕は折られ、頭蓋はひび割れながらも彼女は目的を果たす。
自分はただ、あの少女が本当に幸せになれる世界を欲しただけ。
けれどそれさえ間に合わなかった自分は、気が付けば周囲の子供達に英雄として扱われた。
〝……いえ、違う。違うの。私はただあの子が幸せなら、後はどうでも良かった――〟
その後悔が、そのただ一つの失敗が、彼女をさらなる衝動に駆りたてた。
今まで何かを奪われ続けてきた自分達が、今度は力ある者達から、全てを奪う。
財産も、地位も、天下さえも奪い去る。
その為に、残った仲間と共に彼女は義賊を結成した。
強者が弱者から搾取する様に、彼女達は強者から搾取を始め、ソレを弱者に還元した。
ソレが、ソレだけが、彼女があの少女の為に出来る最後の事。
強者が弱者を虐げるこの世界そのものに対する――彼女達のせめてもの復讐だった。
「けど、蓋を空けてみれば、ここでもただ哀しい想いをしただけ」
愛した人を殺され、友人になれると思っていた少女の姉を殺した。
本当に、馬鹿げた話だ。自分達がしている事は、ただの主導権争いに過ぎない。ただそれだけの事なのに、悲劇はとどまる所を知らず、連鎖する。一つの問題を片づけたとしても、それは別の問題を生む苗床でしかない。
人の世は、問題が問題を生み出す、ただの地獄でしかなかった。
「でも、約束した物ね、シトネ。私ならこの大乱を治められる、と」
ならば、やるべき事は変わらない。その為にも、今はただ息をひそめる。再度決起するその日の為に、今は力を温存する。
だが、彼女がそう計算していた時、ソレは起きた。
「へえ?」
マーナムを完全に乗っ取ったラーは、伝令役の女性から、その一報を聴く。あろう事か他の砦に落ち延びた旧マーナム軍が、此方に向かっていると言うのだ。
(果たして、どういうつもりか? 旧マーナム軍には十分兵糧を持たせ、死兵となる事は避けた。国を奪われても、まだ彼等には食と住が残され、生き延びる事が出来る。それで尚、自国を取り戻す為に動く? しかも、たった七千の兵で?)
かたや、現マーナム側は、六万にも及ぶ大軍だ。これは、かの三カ国連合に匹敵する戦力である。その自分達に対し兵を挙げる等、自殺行為そのものだろう。
しかしそう考える一方で、敵はあのフォートリア・フォートレムである。何らかの策があるとみるのが、妥当だ。
(まずはフー・ズーあたりをぶつけ、様子を見るべきか?)
彼女にしては消極的な話だが、正直、今のラーにはフォートリアが意図するところが読めない。彼女でさえ、どう考えても、七千の兵で六万の軍を討ち破る未来図が描けないのだ。
「それとも、シトネ、貴方ならこの状況さえ看破できる?」
或いはその考えこそが正解だったのかもしれない。己を客観視しきれなかった彼女は、未だに気付かなかったから。ジェンナ・フォートレムが最後の賭けとばかりに行った、その策に。
続々と伝令役がラーのもとにやって来たのは、それから一月程たった頃だ。聞けば、西と東の全ての国が――マーナムに向け兵を挙げたという。
このバカげた事態を前に、思わずラーは王座から立ち上がった。
「まさか――旧マーナム国が各国を動かしたというの? 一体、どうやって――?」
「ええ。ラー王には、わからないでしょうね。当然の様に、奇跡じみた勝利を何度もおさめてきたあなたには」
ジェンナが行った事は、一つだけ。彼女は予め他国に旧マーナム国に味方する様、書状を送り続けたのだ。
だが、そんな事で、それぞれの思惑を持つ各国が動くか? 答えは、間違いなくノーだろう。
故にジェンナは常にラー軍の戦況を書き綴り、ソレを他国へ送り続けた。かの王が如何に強く、人間離れしているかを、つぶさに書き切って。
現に――ラーは幾つもの奇跡を現実の物としてきたではないか。
たった十人でナリウスを占領し、同様の手でナマント、ヌウベスト、パナカッタを落した。
あろう事か、三人で三千ものグナッサ軍を撃退した。
敵味方一兵も損なう事なくスオン家の紛争を終結させ、〝皇帝〟の座に後一歩まで迫った。
更に旧マーナム国から国王夫妻を奪取し、これを人質として旧マーナムを降伏させた。
三カ国連合にさえ呆気なく圧勝し、今や六万もの兵を有している―――。
「そう。あなたは、余りに勝ち過ぎた。あなたは、余りに鮮烈に輝き過ぎた。それこそ、大陸中の王に敵視される程に。その事に気付かなかった事が――あなたの唯一の失策です」
「まさか……」
それもその筈か。フォートリアも幼い頃ラーと同じ様な事をしたが、その結末は真逆だったのだから。
フォートリアはクマから学友達を救い、ラーは大人達から仲間を救った。結果、フォートリアは恐れられ、ラーは英雄に祀り上げられた。
どこか似たこの二人の性質が微妙に異なるのは、それが原因だろう。
その為、今まで英雄視され続けたラーは気付かなかったのだ。
強すぎる力を持つ者は、世の人々から疎まれるという事を―――。
「だから大陸全ての国々が、私を倒す為だけにマーナムへと集結している? たったそれだけの理由で――?」
ジェンナが、三カ国連合にヒリペ夫妻誘拐の件を教えなかったのも、その為だ。わざと現マーナムを圧勝させる為に、ヒリペ夫妻の情報は秘した。表向きは〝その事を三カ国連合に伝えると、ヒリペ夫妻が害される可能性があったから〟という名目である。
けれど、あの勝利が最後の引き金になったのは、間違いない。三カ国連合の猛攻さえ平然と討ち破ったラーは、その時点で各国の脅威となったのだ。
故に、今――現マーナムには五十万もの兵が集結しようとしていた。
「フフフ、ハハハハハハハハハ。そう。そういう事。この構図を完成させる為だけに、アノ敗北はあった? 旧マーナム、いえ、フォートリア・フォートレムはあっさり自国を私に差し出した、と?」
だとすれば、大博打も良いところだ。
余りにも分が悪い賭けに身を投じた物だと、呆れるばかりである。
だが――現にフォートリア達はその賭けに勝ってみせたではないか。
「なら、私がするべき事は、一つよね?」
喜々としながら、ラーはもう一度王座から立つ。
彼女は、余りにも力強く言い切った。
「皆――逃げるわよ。今はもうこの大陸に、私達の居場所はない。でも、これは決して敗北ではないわ。昔から言うでしょう。〝逃げるが――勝ち〟と」
だが、果たしてどうやって?
いや、そこはラー・ダークナス。万が一の時に備え、当然の様に退路は確保している。
彼女達が占拠していたナマントは、貿易大国である。ならば、他の大陸と貿易を行う為大型船の五つや六つは持っている。
ラーは即座に交戦を断念し、自国の兵をマーナムの港に接舷してある船へと乗り込ませた。
「私と行く者は、早急に船に乗って。この大陸に残りたい者は、それで構わないわ。でも、約束する。私は必ず帰ってくる、と。このロウランダ大陸を――統一する為に」
そうして三万の兵がラーと共に行動し、ロウランダ大陸を発つ事になる。
ラーの英断により彼女はやはり一兵も死なせる事なく――この戦争を終わらせたのだ。
◇
ラー軍を乗せた大型船六隻が、出向する。それを見計らい、旧マーナム軍が自国へと入城する。民草を連れ自国を取り戻した彼等は、そこで大歓声を上げた。
「――ヒリペ王、バンザイ! ヒリペ王、バンザイ! マーナム国に栄光あれ――っ!」
その頃、フォートリアとジェンナ達は、城下町の外で一人の少女と邂逅する。
金色の長髪を背中に流し、金で出来た鎧を身につけた少女は、独り呟く。
「ラーは去ったか。あれほど怪物じみた真似をした女傑も、最後がこれでは竜頭蛇尾だな。だが、褒めてつかわす。死に花を咲かせるより、最後まで見苦しく足掻くその姿勢は」
「……えっと、あの見ているだけで目がチカチカする人、誰?」
フォートリアが、ジェンナに問う。彼女は些か慌てた様子で、従姉に耳打ちした。
「シャーニングの――アウドメデキス王です。今回の勝利も、大国シャーニングが動いたからこそなし得たと言えるでしょう。つまり、マーナムの恩人といっていいかも」
「なるほど。要は私の――今後の敵ね?」
「……ま、姉様的にはそうなるでしょうね」
その時、アウドメデキスがフォートリアに気付く。
「ほう? そなた、中々いい面構えをしているな。どこぞの王か何かか?」
「いえ、私はただの将に過ぎません、アウドメデキス王。ですが予告しておきましょう。近日中にも、戦場であなたとあいまみえる事になると」
「んん? それは、味方として? それとも、敵として?」
だが、フォートリアは答えない。ただ、肩だけを竦めている。
「美しい上に、面白い女だ。叶うなら、今すぐにでも押し倒したい程に」
「……はぁ」
「だが、今は許そう。恐らくそなたは、王となる。王となってから味わい尽くした方が、よほど面白そうだ。精々その時まで、ソノ身を清めておくがいい」
黄金の少女が、踵を返す。その後ろ姿を、フォートリア達は静かに見送った。
何れ彼女が――ロウランダ大陸の三分の一を制覇するとは知らぬまま。
そして、夜が来る。
昼から催された祝宴は今も続き、自国を取り戻した民衆は歓喜に溢れかえっている。王や王妃は勿論、勝利の立役者であるジェンナも酒の肴にされ、延々酒を飲まされていた。やがて深夜を迎え、騒ぎ疲れたマーナム国の人々の殆どが眠りにつく。
その中にあって、三人の人物が城下町を抜け出し、海辺に身を晒す。その一人であるトライゼン・ラブラクスは、唐突に告げた。
「そう言えば、まだ私が人を憎む理由を言っていませんでしたね、フォートリアにジェンナ」
「だったかしら?」
「ええ。実につまらない話です。私の故郷は、宗教が盛んな村だったんです。神は清いものだと教えられ、神は常に正しいものだと周囲の大人達から学んできた。でも、実際は違ったんです。何故って、神の名のもとに人を支配するのも、所詮人に過ぎなかったから。如何に神が完全な存在でも、その名を使って人を支配するのは不完全な人間でしかない。なら、何処まで行っても不完全な彼等では、不完全な世界しかつくり出せないでしょう。最悪なのは、彼等がそんな事にも気付かなかった事。いえ、気付いていながらも、その過ちを認めなかったというべきでしょうか? 故にその体勢を盤石な物にする為、彼等は人を人として扱わなかった。彼等の教義に反する者は拷問にかけられ、腹を裂かれて改宗を迫られ殺されていく。首を刎ね、生きたまま燃やし、ソレを見せしめとする。その時、気付いたんです。彼等は単に神の名を利用しているだけだと。人々を自分達の都合のいい様に扱う為に、人は神の名を騙る。自分達に都合が悪い物は、神の名を以て平然と切り捨てる。ほら――こんなのは、数千年続く人の業その物でしかないでしょう? だから、幼い日にその事を思い知った私は、本物の神を求めた。人を超える力を身につければ、或いは神を知覚できるのではと、ユメ見た。結果は、散々足るものでしたがね。結局私は何も得る物が無いまま、神さえ道具にする人こそ最大の害物だと思うしかなかった」
ここまで聴いて、フォートリアは眉をひそめる。
「もしかして、貴女の肉親は……いえ、何でもない」
「そうですね。だから私が思いとどまる事があるとすればソレは本物の神に諭された時かも。いえ、本当につまらない話をしました」
それだけ語り、トライゼンは十歩後退する。ジェンナもこれに倣い、後ろに下がる。
続けて、彼女は問うた。
「姉様。貴女はトライゼン将軍さえ退け、あの三人の刺客を撃退した無敗の将です。……だから、今度もきっと勝ってくださいますよね?」
だが、フォートリアの答えは曖昧だ。
「さて、ね。正直、自信は無い。でも、貴女はそんな私を勝たせてくれた。私の目に狂いが無かった事を、証明した。だったら、少しばかり私も格好をつけないと」
この会話の意図するところが、この地に辿り着いたのはその時だ。あろう事か、その少女は海を駆けながら此方に向かって来て、そのまま跳躍する。
ラー・ダークナスは――いま再びロウランダ大陸の大地に降り立っていた。
「さすが。私が戻ってくると、予見していたか」
「ええ。平たく言えば、そんなところ」
「そうね。ちょっとやり残した事があって帰ってきたのだけど、お蔭で手間が省けたわ」
「そう? 私がここで助けを求めれば、それだけであなたの企みは水泡に帰すのに?」
「まさか。あなたは、そんなつまらない真似はしない。あなたの目的は、私と同じ。あなたはずっとこの時を待っていた。だからこそ、私の行動を先読み出来たのでしょう?」
「なら、一つ訊くわ。あなたは、ルウを殺した私が、そんなに憎い?」
表情を消したまま、フォートリアは問う。黒い少女は、嘆息した。
「どうかしら? 正直言えば、私は昨日まで王だった。彼が理想とする王であり続けようと、私怨を押し殺してきた。もし私があなた憎しで行動し、全てを失えば、それこそ彼は犬死だから。その一方でそんな事も気にかけず、自由に振る舞う王だっているでしょう。殺したい時に殺し、抱きたい時に抱き、憎みたい時に憎む王も確かに居る。でも――シトネが望んだ王は違ったのよ。彼がユメ見た王は――きっと私そのものだった」
いったい誰が気付けるだろう? そう告げる彼女が、今にも泣き崩れたい心境にある事に。
そんな事を微塵も感じさせず、彼女は続けた。
「私はね、彼の前ではそれだけ自由に、振る舞ってきたつもりなの。自分を偽った事なんて、一度も無い。そんな私を彼が愛してくれたかは、知らない。考えもつかない。でも、彼はそれでも、命は懸けてくれた。どう足掻こうが〝皇帝〟の座から遠ざかるであろう私の再起を、ただ信じて。果たして――あなたの周りにそこまでしてくれる人が居て?」
彼女の問いに、フォートリアは何も言わなかった。
例え、レテシアが自分の為に死んだとわかっていても。
「そう。私は彼をシトネとしてではなく、ルウとして死なせたかっただけ。私を〝皇帝〟に上り詰めさせた立役者として、華々しく死なせて上げたかった。あんな風に誰からも罵られ、非難を浴び、憎まれながら死なせたくなかった。ルウとして死ねば、彼の名は別の意味で歴史に刻まれていた筈だから。だから――私は改めて思うしかないのよ。例え歴史を捻じ曲げても、『ルウ・ジャンはラー・ダークナスを〝皇帝〟にした名将だった』という事にしたいと。天下人なら、きっとそういう事も可能だから。その為には――やっぱりあなたは邪魔なの、フォートリア」
即ち歴史の改竄こそ、自分の目的だと彼女は謳う。逆に、ラーは白い少女に問うた。
「そういうあなたは、どうなの? お姉様を殺した私が、やはり憎い?」
ラーとは違い、フォートリア・フォートレムは、ハッキリと告げた。
「ええ、憎い、わ。だって、あなたは私が持っていない物をたくさん持っていた。なのに私が持っていたたった一つの物を、あなたは奪ったんだもの」
「たった一つの物?」
「そう。私の事を罵ってくれるのは、叱ってくれるのは、彼女だけだった。彼女は、私を人として扱ってくれた、数少ない人だった。彼女が居なかったら、私はもっと別のモノになっていたわ。人を人として扱わない、そんな存在になっていたに違いない。そんな私をギリギリのところで、おしとどめてくれたのが、彼女よ。私は彼女が居たから、辛うじて人間で居られた。でもあなたは違った。あなたは、きっと一人でも王で居られた。だってそうでしょう? 現にあなたはルウが死んだ後でも――そうやって理想の王のままでいるじゃない」
顔をくしゃくしゃに歪めながら、フォートリアはその現実を突きつける。
ラーはただ、そんな彼女を見つめながら首を振る。
「かも、しれないわ」
「ええ。私も認めるわ。あなたは、強い。私なんかより、ずっと強い。でも、だからこそ、許せなかった。仲間に慕われ、愛する人に命まで差し出された、そんなまばゆいあなたが。だからあなたが私を憎しみで殺さないというなら、私はあなたを憎みながら、殺す。あなたが捨てた人間性を以て、私はあなたの命を断つしかないわ――ラー」
故にフォートリア・フォートレムは――背にある白き大剣を引きぬく。
同時にラー・ダークナスも――背負った黒き大剣を抜刀する。
「でも、正直に言って良い? 本当に、私達ってバカよね。誰より自分の心の傷を共感できる相手と、こうして殺し合わなくてはならないんだから。人は、私達は、何処まで行っても本当に愚かだわ」
「同感ね。私とあなたの関係こそが――戦争という物の縮図よ。あなたが言う通り、私達は同じ傷を生涯ひきずりながら、それでも憎み合い続けるしかない。けど、シトネが信じてくれた私なら、そんな因果さえ何時か断ってみせると言い切れる。あなたはどうか知らないけど、私はまだ人の可能性を信じているのよ―――」
「人の、可能性、を? レテシアを殺したあなたが、どの口でそんな事を!」
だから、その為にも、今はただ殺し合おう。
その決意のもと、二人の少女は手にした剣を構えたのだ―――。
◇
先手を打ったのは、フォートリア。彼女は脳の処理速度を百倍に高め、ラーに肉薄する。故に常人には、ジェンナには、その動きが知覚できない。逆にフォートリアは、万物が停止している様な感覚にとらわれてさえいる。
疑似的な、時間停止。ソレが〝彼女達〟の能力である。
だが、ソレはフォートリアだけの固有能力では、決してない。
トライゼンに〝黒色錬刃〟のメンバー、そしてラー・ダークナスもこの力の使い手だ。ならば、フォートリアの一撃でさえ、彼女にとっては凡庸な物でしかない。
事実、ラーはその一刀を受け止め、その瞬間両者は再びジェンナの視界から消えた。
(また、空……ッ?)
この経験則に基づく読みは、正鵠だった。
ラーとフォートリアは、天に昇りながら互いの得物をぶつけ合う。頭から落下しながらも、大剣と大剣が衝突する。両者共会心の一撃を放った後、二人の体は後方に跳ね飛ばされる。
助走をつけ、少女達は再び激突。禍々しい気配を放ちながら、再び天へと跳躍して、ひたすら切り結ぶ。その最中、ラーは無駄口を叩く。
「やはり、そう。あなたも私と同じ様に、脳が常に加速している状態なのね」
「それが?」
今更確認する必要がない事を訊かれ、フォートリアは眉をひそめる。ラーは続けた。
「つまり、私達のスペックはほぼ互角。でも残念ながら私には、あなたに無い物がある。ソレは――能力者との戦闘経験よ」
「つ……ッ!」
途端、フォートリアの背筋には死に直結した悪寒が走る。それは彼女も予め想定していた、明確な差だった。ラーの動きが変化したのは、直後の事だ。
今まで直線的だった彼女の太刀筋はしなる様に変わり、フォートリアの剣を受け流す。彼女は、バランスを失ったフォートリアの肩へ刀の柄を突き出す。
この流麗な業はフォートリアの肩の骨に亀裂を生むが、それでも彼女は吼えた。
「おおおおおおおおおおッッッ!」
「フ――っ!」
そうだ。そんな差は戦う前から知っていた。自分が能力者と戦った回数は、百二十回ほど。トライゼンを旗下に加えた後、彼女と毎日の様に模擬戦を行った。
だが、彼女はわかっている。その自分でも、ラーには遠く及ばない事を。
何故ならラーは数年前から〝黒色錬刃〟として活動し、その仲間と模擬戦を行ってきた。
つまり、彼女の戦闘経験は自分のソレを遥かに超えている。数十倍以上の差が、ラーとフォートリアの間にはあった。
だとしたら、どういう事になる?
(ええ。私にはあなたの動きが手に取る様に、わかる)
(でしょう、ねッ!)
現に先の斬り合いでフォートリアの動きを見切ったラーは、彼女の大剣を受け流す。力点をズラし、隙をつくって、フォートリアの体に剣を叩きこもうとする。
ソレを彼女は受け流された方向に体を移動する事で、何とか躱す。やがて二人は地面へと着地し、フォートリアは早くも切り札を使う。
脳の処理速度を百十七倍まで高め、ラーへと斬りかかった。
(私には通用した、手。ですが、この場合はどうでしょう――?)
この、トライゼンの懸念が当たる。ラーは言った。〝自分も脳の処理を常に加速している状態にある〟と。つまり、彼女の加速速度もまたフォートリアと、互角という事だ。
(だから、その差は変わらない)
(く……ッ!)
やはり大剣を受け流され、その度にラーの業がフォートリアの体を決まり始める。
頬を掠め、腹に蹴りを入れられ、薙ぎ払われた剣に吹き飛ばされる。故に血反吐さえ吐いてフォートリアは体勢を立て直し、なんとか剣を構え直す。
だが、その先はただひたすらに防戦一方だった。
「トライゼン将軍。今、どちらが、優勢ですか?」
凶兆を覚えたジェンナが、問う。彼女は、ただ事実だけを口にした。
「圧倒的に、ラーが優勢です。このままでは、フォートリアに勝ち目はないでしょう。ですが私は彼女に加勢しませんよ。そんな無粋な真似をしたら、私がフォートリアに斬り殺されかねませんから」
この酷薄な宣言に、ジェンナも当然の様に同意する。
「は、い。それで、構いません。これは、何時かは姉様が通らなければならない、道。そんな姉様がここで負けるというなら、彼女の器量はそこまでだったという事。そうでしょう?」
「ですね。ですが、ジェンナ。そういう事は、泣きながら言う事では無いと思います。少なくてもレテシアなら、笑ってフォートリアの勝利を信じるでしょう」
「は、い。本当に、その通りです」
彼女は涙を拭い、両者の戦いを見届ける。彼女はもう、そうする他なかった。
そして、両雄の戦いは今も続く。
「ここまで窮地にたっても、トライゼンは手を出さない? それだけあなたを信用していると言う事? だとしたら、あなたはとんだ思い違いをしている事になる」
三十五度、フォートリアを吹き飛ばしながら、ラーが謳う。
更にその剣がフォートリアの足を掠めながら、彼女は尚も吼えた。
「その事にあなたも気付いているのではなくて、フォートリア?」
「……さてね! そんな事は、知らない!」
そうだ。彼女がわかっている事は、一つだけ。本当は、そんな事は、初めから知っていた。
(姉上を殺したのは、私だ。私が、ジェンナの言う通り、籠城策をとっていれば彼女は死なずにすんだ。いえ、それ以前に、彼女をこの旅に誘わなければ、彼女は今もレシェンドで暮らしていた。彼女の人生を歪めたのは、ラーでも、誰でも無い。この私、だ)
同じ想いは、ラーにもあった。
(ええ。ルウを殺したのは、私。私が彼のもとを訪ねなければ、彼は平凡な人生を全うしていた。あんな死に方をしなくて、良かった。私は、断じて彼に関わるべきじゃなかった。だってフォートリアが言う通り、彼が居なくても、私は王でいられたのだから)
でも、それでも、彼は告げたのだ。〝死ななくて、本当に良かった〟と。〝今まで生きてきて、本当に良かった〟と、彼は笑みを浮かべながら死んでいった。
それは彼女も同じだ。彼女は、確かに告げていた。〝おまえは、わたしのえいゆうだ〟と。そんな自分と共にあって楽しかったと、その笑顔が語っていた。
故にフォートリアはあの歪んだ想いを、今は彼女に捧げる様にもう一度誓う。
(ええ。そう。初めて、思った。もう誰にも、こんな想いはさせたくないって。戦争は本当に酷い事で、それを利用してのし上がろうとしていた私は、本当にバカだった。だから今度は自分自身じゃなく、レテシア・フォートレムに誓う。私は、皆の為に、ジェンナやエイリカやそしてレテシア達の為に――〝皇帝〟を目指すと。その為に戦を失くす為に、私はどんな手も迷わず使う―――)
(そう。私達は同じユメを見て、同じように愛した人を失ってきた。今もこうして殺し合い、救いなんてどこにもない)
けど、それでもラーの想いは変わらない。彼女は今、万感の思い共に、宣言する。
「ええ、そう。でも、それでも――私は人の可能性を信じ続ける―――っ!」
ラーが吼え、フォートリアは歯を食いしばる。
そう。ラーは、言った。〝人の可能性を信じる〟と。だが自分もそれに類する言葉を誰かに向かって確かに告げたではないか。〝私はそこまで人類に絶望していない〟と。
なら、いま自分がするべき事は、一つ。ラーの剣が自分の心臓目がけて、放たれる。ソレをボウとした意識のまま、フォートリアは受け入れる。
いや、受け入れようとした時、彼女の体は爆ぜた。
ラーでさえ、フォートリアの姿を見失う。
「まさか、アレ以上の脳内加速を行ったっ? 本当に自滅するわよ、フォートリア・フォートレムッ? それとも、私との相打ちが貴女の望み――っ?」
「――冗談ッ! 私は死んでも貴女と相打ちにだけは、ならない……っ!」
直後、両者は再び互角の斬り合いを始める。
速度では、脳の処理速度を百二十倍まで高めたフォートリアがラーに勝る。
戦闘技術では、ラーがフォートリアを圧倒する。
両者はこの差を広げ様と――ただひたすら剣を振い続けた。
「そう、か。ラーは恐らく徐々に脳の処理速度を高め、負担をかけずに今に至ったがフォートリアは違う? 彼女は私との戦いで、一気に脳に負荷をかけた。その分、超回復が起きてフォートリアの脳は強化された? 即死する事なく――百二十倍もの脳内加速を可能にしているのはその為?」
トライゼンがそう呟く中、依然、互角の攻防は続く。その中で二人は、告げる。
「ええ。貴女の言う通りよ、ラー。私にも大切な物があった。それをただ見て見ぬふりをしていた。それを思い出させてくれたのが――姉上と貴女!」
「そうね。私も今こそ思い知った。私が幸せにしたかったのは、多分たった二人でよかった。あの子と、シトネさえ幸せにできれば私にしては上等な人生だった。それでも私は皆の為に、シトネの為に、あの子の為に、万人を幸せに出来る――〝皇帝〟を目指す!」
その時、彼女達は確かに聞いたのだ。
〝あなたが、こうていになるところを、みたかった〟
〝わたしが、あいしてやる、ふぉーとりあ〟
「フォートリア・フォートレムぅううう―――っ!」
「ラー・ダークナスぅうううう―――ッ!」
瞬間、フォートリアの右足を、ラーの大剣が切断する。
瞬間、ラーの左腕を、フォートリアの大剣が両断する。
そのまま両者は、大きく後方へ下がっていた―――。
◇
その時――先ほど、自分は手を出さないと言っていた彼女が前進してくる。
「そうですね。手は出しませんが、口は出しましょう。そこまでです、二人とも。それ以上やれば、二人とも死にかねない。あなたはそれでも良いのですか、フォートリア? あなたが死ねば、私は即座にこの星に住む人間を皆殺しにしますよ?」
「……ああ。それは、確かに困るわね。でも、私はここで決着を、つけないと」
けれど、ラーは一瞬だけ物思いに耽った後、結論した。
「いえ、良いわ。今日のところは、止めにする」
「……何を、言って? ここまで来て、何を言うのよ、貴女は……?」
しかし、ラーの態度は変わらない。
彼女は如何にも興ざめしたといった表情で、フォートリアを見た。
「だって、つまらないのだもの。このままでは只の将軍と、大陸を追われた逃亡者が潰し合うだけ。私達が決着をつけるなら、もっと面白いシチュエーションでするべきだと思わない?」
「面白い……シチュエーション?」
「そう。今度は――〝皇帝〟の座をかけてやりましょう。その時の為に、最低でも王にはなっておく事ね、フォートリア」
だから、遺憾ながらフォートリアは心底から得心したのだ。
「ああ、そうか。……そうね。それが、私達に相応しい、決着の場か」
彼女が納得すると、ラーは自分の左腕を拾い、踵を返す。
それから彼女に向かって振り返り、最後に告げた。
「その為に、フォートリア――今は戦争を利用なさい。この私がそうした様に」
フォートリアは間髪入れず、切り返す。
「冗談。私はその戦争を終わらせる為に――これから戦い続けるのよ」
こうして最後まで噛み合わぬまま、二人はわかれた。
ラーは一度だけ笑い、フォートリアはそんな彼女を睨めつける。
ラーは海を駆け、静かにこの場を去る。
フォートリアは、自分の右足を手に取ってからマーナム城がある方向へと跳躍する。
その後を追い――ジェンナとトライゼンも歩を進めていた。
終章
翌日、その光景を見て、ジェンナはまず驚く。
「……姉様、その足」
「ええ。何かくっつけていたら、勝手に再生したみたい」
「………」
お蔭でジェンナは〝……マジか、この女?〟みたいな目で従姉を見た。
「……いえ、五体無事で何よりです。ですがいま訃報が届きました。ヒリペ陛下が――今朝、崩御なされたそうです……」
「……は? 何を、言って? だって昨日まで、あんなにお元気だったじゃない……」
後に、フォートリアは述懐する。〝今思えば、切っ掛けはどうあれ、私が本心から仕えたのは、ヒリペ・マーナム王だけだった〟と。
その王の急死に、彼女は暫し呆然とした。
「……そう。いい人は皆、急かされる様に逝ってしまうのね。私やラーみたいなロクデナシばかり残って、本当にやり切れないわ」
王の亡骸に挨拶する為、かの人の寝室へ向かうフォートリアはそう漏らす。
ジェンナも遠い目をして、頷いた。
「ええ。これで姉様が予見した通り、我が国の王座は空席となりました。この余りにも大きな損失を埋めるのは、容易な事ではありません。姉様にその覚悟が、本当におありですか?」
「いえ、それは多分、杞憂よ」
「え? それは一体、どういう意味?」
首を傾げるジェンナに、フォートリアはただ微笑む。彼女達がトライゼンを伴い王の寝室にやって来たのは、その数分後だった。
泣き崩れるエイリカに対し、三人はお悔みの言葉をかける。
エイリカはフォートリアにだけ聞こえる様に、告げた。
「正直言えば、私はヒリペ様を愛しているかわかりませんでした。でも、今ならわかります。この方ほど民を愛し、民に愛された王は居なかったと。私もそんなこの方を、今なら心から愛していると言い切れます」
「……はい。私も本当に、いい主君に恵まれました」
それからエイリカは、ヒリペが万が一のため用意していた遺書を読み上げる。
それを聴いて、フォートリアは平然とし、ジェンナは唖然とする。
「は――? 畏れながら、今、何と……?」
「はい。〝今後、政務と王妃が宿している子の後見人は、ジェンナ・フォートレムが担う事〟とあります」
「……私が、後見人? フォートリア姉様ではなく?」
「そういう事よ。何せ私はヘマをして、王と王妃を賊にさらわれた戦犯だもの。対してジェンナは大陸中の国を動かし、マーナムを勝利に導いた立役者でしょ。なら――どっちがその地位に相応しいかは、一目瞭然じゃない?」
フォートリアの冷静な解説を前に、やはり身を震わせながらジェンナは問い掛ける。
「そ、それは、辞退する訳には……?」
「いきませんね。私も貴女を頼りとしていますから、ジェンナ殿。今だから打ち明けますけどフォートリア将軍はどこか危なっかしくていけません」
悪戯気な感じで、エイリカが笑う。それはまるで、何時かの仕返しをするかのようだ。
ソレを見て、フォートリアはただ苦笑いするしかなかった。
「では、改めてジェンナ・フォートレムに命じます。貴女は今よりマーナム国の宰相として、政務、軍事にあたって下さい。フォートリア将軍とトライゼン将軍は、その補佐を担う様に」
「御意。と言う訳で今後ともよろしくお願いいたします、ジェンナ宰相閣下」
「……姉様、絶対私を毒殺するつもりでしょう? いえ、もしや闇討ちする気ですか? どちらにしても、私に二心は無かった事だけはわかっていて下さいね……?」
かくしてマーナムの権力は、ジェンナ・フォートレムに集中する事になる。
その部下となったフォートリアは、明らかに含みがありそうに笑ってみせたのだ。
「そして、また戦争か。本当に懲りないわよね、カシャンは。いえ、権力を持つ多くの人間が、と言うべきかしら?」
カシャン軍が国境を越えてきたという一報を聴いたフォートリアは、早速戦地へ赴く。
今や宰相であるジェンナもこれに同行し、嘆息した。
「ですね。でも、それでも誰かが言っていた通り、私もまだそこまで人類に絶望していないんです。その証拠に私はあの頃の姉様より――今の姉様の方がよほど誇らしい」
それを聴いてフォートリアは眼を広げた後、思わず自分に問いかけた。
「レテシアやヒリペ王も、そう思ってくれているかしら? ……いえ、失言でした宰相閣下。では、始めましょう。私達の、新たな一歩を」
その時、フォートリアの上空からナニカが降ってくる。
それが白い鳥の羽根だと気付き、彼女の脳裏には様々な思いが去来した。
この始まりの光景を前に、彼女は一度だけ眉根を歪ませた後、無理やり笑う。
いや、彼女はいま心から微笑み、もう一度、告げた。
「ええ。では、続けましょう。平和を勝ち取る為の、戦争を。皆が安寧に暮らせる世界を、目指して」
時にして、スオン歴百二十二年――三月三十日。
平和への道は、未だに遠い―――。
ピース・ウォーズ・ゼロ・後編・了
という訳で、フォートリアの物語は一応の決着をみました。
ピース・ウォーズが戦争を止める物語に対し、ゼロは大陸を平和にする為の戦争に挑む物語です。
正直、私としては、そういう時代に生まれなかった事を感謝するしかありません。
平和になる為の戦争。
やはりどう言い繕っても、ソレは致命的な矛盾と言えるでしょうから。
そうは言いつつも、次作もバトルがメインの話となります。
どうかお楽しみに。……と、言って良いでしょうか?
追伸。実は、スオン王朝を主題にした話も書き上げてあります。
そちらもそのうち投稿する予定なので、ご期待ください。