其の三 武士
……明治二年 三月二十三日 宮古湾鍬ヶ崎港……
「ふう、やはり弥介は強い」
古賀は額の汗を拭った。
彼の腰掛ける岩には小さな包みが置かれ、木刀が立てかけられていた。
剣の稽古をしていたのである。
「うんにゃ千之助、わいも大したもんじゃよ」
古賀の同僚・今村弥介は笑って答えた。
彼は古賀と同じ佐賀藩出身者で、『甲鉄艦』では弾薬の管理を担当している。
一本欠けた前歯が、愛嬌のある男だ。
「真剣の斬り合いじゃったら、おいも一回か二回は死んどったばい」
「じゃがおいは、わいの使うという“妖剣”とやらを見たことがない」
今村は直心陰流の使い手で、その実力は相当な物だ。
しかし今村は、独自に編み出した“妖剣・陣風”なる秘技を持っているという。
無論、今村は古賀にそれを見せることは無い。
「千之助がおいの“妖剣”を見るとしたら、そりは何かの間違いでおいと殺し合いをすることになった時じゃ。見たいなんて思ってくれるなよ」
「はは、そりもそうじゃ」
笑いながら、古賀は立ち上がり、木刀を手に取り、包みを抱えた。
「さて、おいは艦に戻るばい」
「せっかく上陸したのに、わいは艦にばかりおるのう」
「何、アームストロング砲の調子が気になるだけじゃ」
そう言う古賀だが、彼が『甲鉄』に留まる理由は仕事だけではなかった。
むしろ先日出会った、藍色の瞳をした少女が最大の理由である。
「熱心じゃな。おいは汁粉でも食ってくるばい」
「弥介、汁粉はさっきも食ったばい」
「はっはっは、おいの腹は甘い物ならいくらでも入りよる」
今村が自慢げに腹を叩くと、古賀は呆れたように笑った。
「しょうもない奴じゃ」
「そういう千之助も、その包みの中は饅頭じゃろ」
「よく分かるな」
「おいは半径五尺いないに甘い物があると、体が気づくたい」
「……ある意味凄いな。何にしろ、こりゃやらんぞ」
街で買った饅頭は、自分で食べるわけではない。
お藍への土産だった。
「ほんじゃ、また後で」
「おう」
…………
「お帰り、古賀さん」
『甲鉄艦』に戻った古賀を、お藍が出迎えた。
「剣の練習、どうだった ? 」
「うむ、まあまあじゃな」
古賀はお藍に、保っていた包みを差し出した。
「ほれ、土産の饅頭ばい」
「マンジュー ? 何それ ? 」
「知らんのか ? まあ食ってみろ」
包みを開け、中の饅頭を一つ手渡す。
お藍は饅頭を眺め回した後、一口食べた。
「あっ、美味しい。何か不思議な甘さ」
「じゃろ ? 」
「この中の黒いの、何で出来てるの ? 」
「小豆と砂糖で作るたい」
「小豆って豆でしょ ? それに砂糖……」
西洋出身であるお藍には、豆に砂糖という感覚が無い。
未知の文化の産物を、しばらくまじまじと見つめていた。
「やっぱり、この国って不思議……」
「そうか ? 」
「うん。ほら、『ブシドウ』とか『ワビサビ』とか、何かよく分からない言葉もあるし」
そう言われて、古賀は「ふむ」と考え込んだ。
「武士道はまあ、侍としての心得や、精神の在り方じゃ。ただ単に戦う力があるだけではいかんとばい」
「戦う力だけじゃ駄目 ? 」
「そうじゃ」
古賀は頷く。
「武士道の極意はな、“抜かずの剣”たい」
「え ? 剣を抜かないのが極意なの ? 」
「そう、剣を抜かずして相手を制す事こそ、極意にして基本理念じゃ。敵に隙を見せないことで無用な争いを避け、そして何よりも敵を作らんことが大事じゃ。……ま、それがなかなかできないじゃが」
「……」
お藍はしばらく考え込んでいた。
名前の由来となったその藍色の瞳が、何処か憂いを浮かべているように見えた。
「……どうした ? 」
「……ううん、何でもない」
そう答えて、お藍は再び饅頭を口にした。
「うん、美味しい」
屈託のない笑みを浮かべるお藍。
しかし古賀は、陽春が言っていた彼女の『脆い部分』が、影のみをちらりと見せたように思えた。
……三月二十四日 山形湾……
「……つくづく私たちは、天気に嫌われたものね」
『回天丸』の船首付近で、その艦魂が呟く。
出港したときは三隻であった幕府軍の艦隊は、二隻に減っていた。
二十二日に鮫村で情報収集を終えて出港した後、同日の夜に凄まじい暴風雨に襲われたのだ。
三隻を繋いでいた大綱がちぎれ、『回天丸』『幡竜丸』『高雄丸』の三隻は離ればなれになってしまった。
二十四日には嵐が収まり始め、『回天』と『高雄』は合流することが出来たが、『幡竜』の行方は分からない。
加えて『高雄』が嵐により機関を損傷したため、やむなくこの山形湾に入港して修理を行うこととなったのだ。
「回天さん……」
傍らにいる小柄な少女……『高雄』の艦魂が、不安げに話しかける。
アメリカで『アシュロット』の名で製造、その後秋田藩に買い取られたこの艦は、現在は幕府軍に捕獲され、主力となっている。
本人は自分の主が変わることには慣れているらしく、回天らとも良好な関係を築いていた。
「……大丈夫」
回天は微笑んで見せた。
「私たちは、何も心配しなくていい」
……『回天丸』艦内では、艦長の甲賀源吾や、総司令官である荒井郁之介ら幹部が会議を開いていた。
その中には野村利三郎の姿もある。
「その報……間違いないな ? 」
「はい、間違いございません」
荒井の問いに、伝令将校らしき男が答えた。
「新政府軍艦隊は既に、宮古湾に停泊しております」
「ならば、道は一つ」
『回天丸』艦長・甲賀源吾が立ち上がる。
「兵は拙速を聞くも、未だ巧久を聞かざるなり。この機を逃してはなりませぬ。敵の虚をつけば、我が『回天』と『高雄』の二隻だけでも、十分に戦えるはず ! 」
兵は拙速を聞くも……とは、「戦い方に多少難があっても戦は迅速に進める物であり、時間をかけてでも上手く戦うという法は無い」という意味である。
古代中国の兵法家・孫子の言葉だ。
「甲賀殿の言う通り」
洋装の男が、よく通る声で言った。
端正な顔立ちでその眼光は鋭く、見る者が見れば相当修羅離れした勇士であると判るだろう。
野村利三郎直属の上官……陸軍奉行並にして元新撰組副長・土方歳三その人である。
「『幡竜』と合流している間に敵に逃げられては、元も子もない。早急に作戦を行うべきかと」
幕府艦隊は互いを見失った際、鮫村沖に戻って合流することに決めていた。
行方知れずの『幡竜丸』も、それに従って他の二隻を待っているかもしれない。
しかし土方の言うように、『幡竜丸』との合流に時間を割いては、『甲鉄艦』奪取の好機を失う可能性もある。
「お二人の言う通りだ」
「荒井殿、ご決断を」
他の幹部たちにも促され、荒井は力強く頷いた。
「よし、『幡竜丸』との合流は諦める。作戦の決行は明日の夜明け前、『回天丸』『高雄丸』の二隻で行う ! 」
……作戦は『高雄』が『甲鉄』に接弦攻撃を行い、『回天』が他の敵艦を牽制するというものになった。
『回天』は外輪船故小回りが利かず、それ以前に船体横の外輪が邪魔になるため、接弦には向いていないのだ。
野村から作戦の概要を聞かされたとき、『回天』の艦魂は特に何も言わなかった。
「どんな作戦だろうと、戦うことにはかわりないわ」
「……本当にお前、自分を兵器だと思ってるのか ? 」
野村が問う。
「何か間違ってる ? この船は軍艦……戦うための兵器。私たち艦魂も、その部品みたいなもの」
あくまでも冷徹に、回天は言い放つ。
「女の姿をしているせいで、野村さんも情が移ってるだけよ。だから……」
「違うな」
野村の屹然とした声が、回天の言葉を止めた。
背筋に震えがくるような、重みの効いた声だ。
「俺を舐めるな。武士というのは相手の心の底を見透かすものだ」
「……」
「俺たち新撰組は常に、死と向き合ってきた。だから分かる、お前はただ……」
「五月蠅い!」
回天が怒鳴る。
その直後、はっと口を閉じた。
動揺を隠せなかった苛立ちを顔に浮かべ、野村から目をそむけた。
そしてそのまま、霞のように姿を消す。
何処か他の場所へ飛んだのだろう。
「……土方さんから、女の扱い方を習っておくべきだったかな……」
野村は頭を掻いた。
…
登場人物紹介
古賀千之助
佐賀藩士で、頭を打って艦魂が見えるようになった男。
一見間抜けだが、砲術関係の知識・技術はかなりのもので、それを買われて『甲鉄艦』に乗船した。
加えてタイ捨流剣術の使い手でもあり、腕っ節は強い。
艦魂と妖怪をしつこいほど間違え、お藍の顰蹙を買うこともあるが、それは素で混同している。
今村弥介
古賀と同じ佐賀藩士で、直新陰流の達人。
人当たりもよく、古賀の親友である。
かなりの甘党。
登場艦船
新政府側
『甲鉄』
アメリカ南北戦争時代、南部連合が同盟事であったフランスに発注した装甲艦。
北軍の持つあらゆる艦の砲撃に耐えられる装甲を持つ一方、艦砲の性能は低かった。
デンマーク海軍、アメリカ合衆国海軍と主が変わった後、日本の明治政府に売却され、同国の旗艦として戦地へと赴く。
余談だが、姉妹艦の『キーオプス』はプロシア海軍(後のドイツ海軍)に売却され、『プリンツ・アダルベルト』の名で同海軍の戦艦第一号として就役している。
艦魂
艶のあるブロンドの髪に藍色の瞳をした少女。
その瞳の色からお藍と呼ばれる。
艦魂の見える乗組員がいない腹いせに、古賀に悪戯をしかけたりと、まだ子供らしい部分がある。
普段は明るい少女だが、何らかの悩みを隠し持っているらしい。
『春日丸』
薩摩藩所属の軍艦で、木製の外輪船。
元々はイギリスの『キャンスー号』(キャンスー=中国の『江蘇』のこと)で、1867年に薩摩藩が買い取られ、阿波沖海戦などで戦った。
艦魂
八重歯が特徴のかしまし娘で、割と男勝りな性格。
腰には西洋の船乗りや海賊が好んで使う剣・カットラスを帯びている。
お藍とは悪友同士のような関係。
『丁卯』
『ヒンダ』と言う名で建造された、イギリス製の船。
長州藩が購入した後、函館戦争にて新政府軍が徴発する。
艦魂
焦げ茶色の髪に水色の瞳をした小柄な少女。
長州弁の「〜であります」という語尾を気に入っているらしく、よく使う(軍人の言葉として知られているが、元々は長州(山口)の方言で、明治時代には長州出身の人間が多く軍部にいたため、定着した)。
礼儀正しい性格。
『陽春丸』
アメリカで『サガモア』の名で建造された砲艦。
民間に売却されたのを秋田藩が1865年に購入し『カガノカミ』と改名、その後更に『陽春丸』に改名された。
新政府軍が借り上げ、『甲鉄』の僚艦として戦場に赴く。
艦魂
長い金髪の、大人びた風貌の女性
右目の下に泣きぼくろがある。
和服を着ていて、帯刀はしていない。
性格も大人で、常にしとやかな口調で話す。
お藍らの姉的な存在。
旧幕府軍側
元は1855年プロシアにて建造された軍艦『ダンジック』。
それまで商船しか造ったことのなかったプロシアは、優秀な職人と最上級のオーク材をかき集めてこの艦を作り上げた。
軍籍を外れた後はイギリスの商人に買い取られ、改装される。
当時丁度旧式化してきていた外輪船だが、四百馬力という高出力のエンジンを搭載した高速船だった。
その後アメリカ経由で日本に買い取られ、『回天丸』の名で幕府軍の主力艦となった。
榎本武揚の指示で旧幕臣を乗せて江戸を脱走した後、暴風雨によって前部のマストを折られている。
旧幕府軍最強だった『開陽丸』の座礁後は旗艦として活躍し、幕府の起死回生を賭けて宮古湾に赴く。
艦魂
亜麻色の髪の女。
優雅な体つきの美人である。
『回天丸』の存在を兵器と割り切り、自分たち艦魂もその部品の一つであると言って憚らない。
しかしそうなったのにも、相応の理由がある。
……
土方さんとか登場させてしまいました。
いや、読者の反応が怖い。
ところでこれを書いているとき、登場人物の言葉遣いについてはそれなりに悩んでいます。
古賀は佐賀藩出身なので佐賀弁を(意味が通じる程度に)使わせていますが、艦魂たちの口調はどうしようかと思いました。
でもみんな元々は欧米出身の艦だし、当時の日本の口調に合わせてもそれはそれで不自然な気がするので、普通に喋らせております。
野村利三郎とかも、共通語に近い言葉にしました。
次回、更新が多少遅れるかも知れませんが戦闘シーンに入っていきます。