最強のコンビニ店員
彼をもう一度見た時、僕は確信した。
こいつは、化け物だと。
僕は、コンビニの店員である。高校生の時、アルバイトとして始めたのがきっかけだ。店員を始めてから、もう十年近く経つ。
コンビニには、いろんな人種が訪れる。特に、僕の勤務している店は、あまり治安がよくない地域にある。サラリーマン、主婦、電波系、チンピラ、女子高生、ヤンキー、近くの店の風俗嬢、ユーチューバー、ニート、ヤクザなどなど……時には、強盗に襲われることもあるのだ。まさに、人種のるつぼである。
そんな客たちを相手に仕事をしているうちに、いつのまにか人を見る目が養われていた。店員になって数年が経つと、店に入って来た客を一目見ただけで、その人間が何を買うのかを察知できるようになっていたのだ。
さらに経験を積んでいくにつれ、客の職業や好み、店に何分くらいとどまるか、お弁当を温めるかどうか……などといったことを瞬時に当てられるようになってしまったのである。百パーセントとは言えないが、少なくとも八割くらいは当てられる自信がある。
ちなみに、これまで強盗には三回遭っているが、三回とも入店の時点で察知していた。だが悲しいことに、僕は喧嘩が弱い。察知したとしても、出来ることはほとんどない。来たら、おとなしく金を渡して帰ってもらうことにしている。なまじ抵抗などしたら、かえって店に迷惑をかけることになる可能性が高い。
その日は、平日であった。時間は、昼の二時過ぎ。客の少ない時間帯である。
不意に自動ドアが開き、ひとりの男が入って来た。
身長は百六十から百六十五センチくらい。年齢は三十代から四十代か……いや、若く見えるが、実際には五十を過ぎているのではないか。肩幅は広く、がっちりした体格である。彫りの深い顔立ちは、純粋な日本人でないことをうかがわせる。作業着のような服を着ており、汚いスニーカーを履いている。
ここに書いた特徴だけでは、特に注意すべき人物とは思えないだろう。だが、そいつが店に入って来た瞬間……僕は頭に金タライが落ちてきたような衝撃と、室内の温度が変化したかのような奇妙な感覚に襲われたのだ。通常の気温から、一瞬にしてマイナスまで下がったような……そんな奇妙な何かを感じた。
最初は、何が起きたのか把握できなかった。この違和感の正体は、いったい何だ? しかし、店内を歩く外人のような男をもう一度見た時、ようやく気づいた。
こいつだ。
言うまでもなく、僕はこの外人が何者かは知らない。だが、今までコンビニで勤務してきた十年近いのキャリアにかけて断言できる……この男は、普通ではない。いい人とか悪い人とか、そうした区別の枠外にいる人間だ。知能は恐ろしく高い上、殺傷能力は猛獣並み。しかも、何のためらいもなく常識や法律のようなものから逸脱できる。
以上のことを、外人が現れてから十秒ほどの間にプロファイリング(?)し、対策を考えた。だが、ここで問題なのは……外人は、今のところ何もしていないということだ。
僕が店員をしている間に養ってきた勘は、はっきり告げていた。あの外人は、とんでもない何かを秘めている。ふらっと買い物に立ち寄っただけのように見えるが、何かの拍子にいきなり爆発しそうな……そんな不発弾のごとき匂いも醸し出しているのだ。
ひとつ確かなのは、万が一爆発した場合の被害は、尋常なものではないだろう。恐らくは、死人が出る。万引き犯やちんけなコンビニ強盗などとは、レベルが違う怪物だ。
つまり、何かが起きてからでは遅いのである。やらかす前の段階で、確実に止めなくてはならない。
だからといって、警察には頼れない。警察署や近くの交番に電話をかけ「ヤバそうな奴がいるから来てください」などと言ったとしよう。その場合「ヤバそうな奴、というだけではねえ」と返されるのがオチだ。彼らは、基本的に事件が起きてからでないと動かない。制服警官を寄越してくれる可能性は、かなり低い。
これは、店内に野生のライオンが侵入してきたようなものだ。下手に刺激しないよう注意しつつ、出て行ってくれるのを待つしかない……などと考えていた時、さらなる問題が発生した。
自動ドアが開き、数人のヤンキーらしき若者たちが入って来た。まさに、傍若無人を絵に描いたような連中である。大声で喋りながら、ずかずか入って来た。他の客に遠慮しようという態度は、欠片ほども感じられない。
この状況は、非常にまずい。今、店内にいる他の客といえば、あの外人しかいないのだ。仮に、ヤンキーと外人が揉めた場合、ヤンキーが全員病院送りになる……いや、それで済めばいいが、最悪の場合は死者が出る。
そんなことを考えながら、僕は外人の方をちらりと見た。すると、微妙に顔つきが変化している。断言は出来ないが、少し機嫌を損ねているように見える。
その不機嫌さを作り出したのは、ヤンキーたちである可能性が高い。ならば、出来るだけ早く手を打たねば……僕は、さりげなく両者に近づいて行った。
その時、ヤンキーのひとりが通った弾みに、商品棚のポテトチップが床に落ちた。が、そのまま通り過ぎていく。気づいていないのか、気づいて無視しているのか。いずれにしても、店にとっては迷惑な行動ではある。
だが、僕の頭にひらめくものがあった。
「すみません、商品を落とした時は、元に戻していただけますか?」
僕は、ヤンキーたちに近づき、そう言った。普段ならば、こんなことでいちいち注意したりしない……少なくとも、僕の場合は。
だが、今回は勝手が違う。災害が予期される状況では、臨機応変に対応しなくてはならない。この臨機応変というのは、コンビニ店員にとって大切な要素である。
「はあ? てめえ何言ってんの? 殺すよ」
ヤンキーは、僕を睨みつけてきた。思った通りだ。僕のような、さえない一般人イメージを具現化させたような者に注意されたら、彼らは平静ではいられなくなる。
これで、準備は整った。
「今、殺すって言いましたね? 僕を脅しているんですか? なら、表で話しましょう」
そう言うと、僕は小馬鹿にしたような表情を作る。これで、駄目押しだ。ヤンキーにとって、弱そうな一般人にナメられるのは何よりの屈辱のはず。
「んだと……上等だ!」
ヤンキーは、僕の襟首を掴んだ。さらに他のヤンキーたちも集まって来る。皆、威嚇するような視線を向けて来ている。
僕は襟首を掴まれながら、外に向かい歩き出した。去り際に、さりげなくアルバイトのナパくんに目配せする。ナパくんはタイ人留学生だが、日本語はペラペラだし状況判断にも優れている。間違いなく、警察に電話してくれるだろう。「店員が数人のヤンキーに絡まれて襟首を掴まれ、外に連れて行かれました」となれば、確実に動くはず。
あとは、ヤンキーたちを店から……いや、あの外人から引き離す。それも、出来るだけ遠くに。その後は、ヤンキーたちに必殺の泣き土下座をかます。僕は状況に応じた謝り方を何通りか知っているが、この場合は泣き土下座がベストだろう。もっとも、二~三発のパンチと蹴り一発くらいは覚悟しなくてはならない。さらに、動画も撮られるかも知れないが。
これで「ヤンキーと外人が衝突し、中の商品がめちゃくちゃになった挙げ句に殺傷事件になり床も血まみれ、挙げ句に店が営業中止」という最悪の事態は免れた。あの外人も、不快な要素もないのに好き好んで揉め事を起こしたりしないだろう。しかも、あと三分もすれば店に警官が来て、事情聴取をする。そんな時に騒ぎを起こすほどバカではないはずだ。
もっとも、あの外人がどんな考えで動くかなど、僕のような人間が完璧に理解できるとは思えないが。
こうして、事件(?)は無事に収束した。ヤンキーは泣き土下座の連打で、どうにか引いてくれた……パンチと蹴りを一発ずつもらったが。駆けつけた警官には、ヤンキーとのやり取りを説明して、お引き取り願った。問題なのは例の外人だが、ジュースとボールペン一本を買って、おとなしく帰って行ったらしい。
その話を聞いた時、僕は拍子抜けした。ひょっとして、読みが間違っていたのだろうか。
まあ、いい。店のことを考えれば、外れた方が良かったのだ。それより、明日の仕事に備えなくては……僕は、寄り道もせず真っすぐ家に帰った。
しかし、僕は彼を甘く見ていた。まだ、終わってなどいなかったのだ。
「やあ。俺のことは覚えているね」
その瞬間のことを、僕は一生忘れないだろう。帰り道にて、何の前触れもなく、あの外人が目の前に現れたのだ。テレポートでもしたかのように、唐突に出現した──
僕の頭の中に、様々な考えと疑問とが同時に浮かんだ。こいつ何だよ? どこから出て来た? 僕を知ってるのか? あれから何時間経った? そもそも、僕に何の用だ?
気がつくと、体が震えていた。外人のまとう空気の異様さは、店にいた時とは比べものにならない。半径数メートルの体感温度を、一瞬にして変えてしまいそうな存在感。肉体から醸し出される威圧感は、いにしえの武術の達人のようだ。さらに日本語は流暢であり、発音も完璧である。高い知性の持ち主であることがわかる。
「えっ? あ、ああ……そういえば、店でお会いしましたね?」
作り笑いを浮かべながら、僕は言葉を返した。だが心臓は高鳴り、息も少しだが苦しくなっている。昔、旅行先で野生の猿の群れの真ん中でバナナを食べたことがあったが、その時の数百倍恐ろしい。
ちなみに野生の日本猿は、実際に目の前に来られると命の危険すら感じる。映像で観るよりは、確実に恐ろしい。
「さっき、コンビニにいた店員さんだよね。ところで、ひとつ質問がある。君はなぜ、あんな行動を取ったんだい?」
外人は、にこやかな表情で聞いてきた。あんな行動、とは……ヤンキーを外に連れ出したことだろう。
一見すると、外人から敵意は感じられない。だが、これを額面どおりに受け取ってはならない。この男は、にこやかな表情で人の顔をブン殴れるタイプ……いや、それどころか首そのものをひきちぎれるタイプだ。返答しだいでは、何をして来るかわからない。僕は、とっさに思い浮かんだことを言った。
「い、いや、あのヤンキーたちがムカついたんで……でも、殴られちゃいました。やっぱり、弱い奴はおとなしくしてるべきですね」
次の瞬間、僕は選択を誤ったことに気づいた。外人の表情が、僅かながら変化した。店で、ヤンキーを見た時の変化と同じだ。つまり、不快になっている。僕の答えが、彼を不快にさせてしまったのだ──
しかし、その表情はすぐに変わる。ほんの数秒前の、にこやかな顔つきに戻った。やがて外人は、ふうとため息をついた。
「君は、高い能力の持ち主かと思ったんだがね。まだまだ経験が足りないようだ。まあ、誰しもミスはある。とにかく、君にはひとつ知っておいてもらいたいことがある。俺は、嘘が嫌いだ」
この時、何が起きたのかわからない。ひとつ言えることは、僕の体が動かなくなったことだ。
外人の放つ空気が一瞬にして変化し、その変化を感じ取った僕の体を異様な緊張感が襲った。その緊張により、全身の筋肉が一瞬で硬直した……僕の乏しい知識で強引に解釈するなら、そんなところだろうか。とにかく、脳から出される「動け」という命令を、体が遮断しているのだ。
そんな僕の事情などお構い無しに、外人は喋り続ける。
「先ほどの君の取った行動は、あまりにも不自然だった。俺は、君が何故あのような行動を取ったのか考え、ひとつの仮説を立てた。その仮説が当たっているか確かめるために、俺はわざわざ君に会いに来たんだがね……まさか、嘘をつかれるとは思わなかったよ。君は、俺という人間の性質をある程度は見抜いたと思ったのだがね」
外人の目が光った、ような気がした。僕は体験したことのない感覚を前にして何も言えず、ただただ首を縦に振っていた。体の中で、唯一動くパーツが首だけだったから。
「君は、俺に嘘をついた、それ自体は、はっきり言って不愉快だ。しかし、君の今の態度から察するに……俺の仮説は当たっていたらしい。君は、本当に面白いな。日本のような平和な国の片隅に、君のような青年がいるとは、本当に意外だった。俺は、改めて自分の内にある無知と偏見に気づかされたよ」
言いながら、外人はこちらに近づいて来た。だが、僕は動けなかった。彼が近づいて来た瞬間、僕の思考は停止しかかっていたのだ。あまりの恐怖ゆえ、意識が現実から逃避しようとしていたのかもしにれない。
もっとも、原因などどうでもいい。僕のこれまでの人生において、もっとも危険な人物がこちらに近づいているのに、動くことすら出来ないのだ。
外人が僕を殺すつもりなら、一秒あれば終わっていただろう。だが幸いなことに、彼には殺意はなかったらしい。
「嘘をつかれたのは不快だが、あの時に君の取った行動は、本当に面白いものだった。正直、見ていて感動に近いものを覚えたよ。同時に、俺は君に対し敬意に近い想いを抱いた。だから、相殺としておこう。あと、最後にひとつ聞きたい。俺の名はペドロだ。君の名は?」
きわめて簡単な質問ではある。が、僕の口からは言葉が出てこなかった。口を開けたり、舌を動かすための筋肉が麻痺してしまった……そんな状態になり、一切の言葉が出てこない。ペドロと名乗った外人が近づくにつれ、彼のまとう異様な空気が僕の体の機能を狂わせていく。あるいは、これが妖気というものなのだろうか。
いずれにせよ、彼の質問に答えない僕の態度が、恐ろしく失礼であるのは間違いない。
その時、ペドロは手を挙げた。瞬間、僕の心臓は停止しそうになる……だが、彼は僕の肩を軽く叩いただけだった。
「答えたくないのかな。では仕方ない」
ペドロは会釈し、背を向けて去って行った。
あの日、アルバイトをしていたナパくんは、ペドロがいたことは覚えていた。ゴツくて変な外国人、と言っていた。だが、それだけの印象しかないらしい。
僕がペドロから感じたもの……それは、もはや災害に近いものだった。我々には予測不能なタイミングで発生し、周囲に甚大な被害を与えて去って行く……ひょっとしたら、太古の時代より存在する怪物や妖怪の伝説は、ペドロのような人物が語り継がれて作られたのかもしれない。
ところが、ナパくんやヤンキーたちは、ペドロの危険性を感じ取れていなかった。だからといって、僕が彼らより優れていると言いたいわけではない。むしろ、ペドロのような怪物の放つ空気に気付かないでいられる方が、一般市民として暮らすには幸せかも知れないのだ。
ちなみに、ペドロと話した直後……情けない話だが、僕はその場にへたり込んでいた。しばらくの間、そこから立ち上がることが出来ず、不審者と間違われて警官を呼ばれたくらいだ。翌日の仕事を休みたかったが、そういうわけにもいかなかった。
幸いなことに、その後ペドロが来店することはなかった。今のところ、あの怪物とはかかわらずにすんでいる。
・・・
「な、何だよ……」
橋本啓二は、完全に怯えきっていた。
彼は、身長はさほど高くないが体重は百キロを超えており、人相も性格も凶悪である。事実、ヤクザ組織である銀星会ではぶっちぎりの武闘派幹部として知られており、好き好んで彼と敵対しようと考える者はいない。
だが、今の彼は腰を抜かしており、床にしりもちをつき震え上がっていた。しかも、股間には染みがついている。傍から見れば、実に情けない姿だ。
もっとも、周囲に数人の死体が転がっていることを考えれば、そうなるのも仕方ないだろう。しかも、事務所の床は真っ赤に染まっている。大量の赤いペンキをぶちまけたかのように──
「これは、どういうことかな」
橋本の目の前にいる男は、穏やかな表情で言った。もっとも、その顔には返り血が付いている……橋本は、ガタガタ震えながらも懸命にやるべきことをした。
「な、何がしたいんだ? 目当ては金か? 今すぐは無理だが一日くれれば一億用意するから──」
「俺は、電話で言ったはずだ。今日の五時、あなたを葬るから万全の体勢で待っていてくれ……と。これはいたずらでも脅しでもない、とも言ったはずだ。なのに、いざ来てみればこの有様だ。君は、俺の言ったことを聞いていなかったのかい? それとも、俺の言葉を信用していなかったのかな」
橋本の助命の懇願を遮り、男は静かな口調で言った。身長は百六十センチ台、がっちりした体型だ。彫りの深い顔立ちから見るに外国人であろう。もっとも、話す言葉は流暢な日本語だ。
ただ、そんな特徴など……この男が今さっき仕出かしたことに比べれば何でもない。いきなり事務所に現れ、組員四人を一瞬の間に素手で殺してしまったのだ。男が手を軽く振ると、組員たちが首から大量の血を吹き出しながら、次々と倒れていく。武器らしき物を持っているようには見えないのに。
この出来事は、裏社会で修羅場を潜ってきたはずの橋本すらら腰を抜かして失禁するほどの衝撃であった。もっとも、仕出かした当の本人は涼しい顔だ。震えている橋本を見下ろしながら、言葉を続ける。
「こうなるに至った過程を説明しておこう。俺は先日、ひとつの遊びを思いついた。コンビニで売っている一本のボールペンだけを武器に、武闘派ヤクザの事務所を襲撃するというものさ。もっとも、不意打ちをかけたのでは意味がない。遊びというのは、真剣にやってこそ価値がある。そこで、俺は襲撃の予告をした」
淡々とした口調で、外人は語った。だが、橋本には言葉の内容が、全く理解できていない。そもそも、ボールペンとは何のことだ?
「だが、いざ来てみれば、君は襲撃に対する備えをしていなかった。これはつまり、単なるいたずら電話だと判断したということだね。君のいるヤクザという世界は、いたずらや嘘やハッタリと、真実との違いが見抜けなくても務まるのかい? だとしたら、随分と楽な仕事だな」
外人の口調が、僅かながら変化した。その瞬間、橋本はヒッと声を上げて後ずさる……いや、後ずさろうとする。
それは、無駄な足掻きだった。
「最後に言っておく。俺がボールペンを買ったコンビニの店員は、収入は君よりも遥かに下だろう。だが、なかなか面白い青年だった。俺は、彼に敬意を抱いたよ。だが、君に抱いたのは失望だけだ。君は、本当につまらない人間だな」
言葉の直後、橋本の眼球に何かが突き刺さる。その何かは脳に達し、橋本は死亡した。
意識が途切れるまでの僅かな時間に、橋本は己の命を奪った凶器がボールペンであることを確認した。