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制裁の技法

作者: みてくら

 グレンが市場に出向くと、ちょうどその中心の辺りに、多くの人々が寄り集まっていた。また、それらの集まりはグレンの目的でもあった。その集団は中央を取り囲むような円形を成しており、外縁部に近い方はそうでもないのだが、中央に近づけば近づくほど盛装をしている人間が増えた。そして、その更に内側である中心部では、首を綱で繋がれた独りの女と、その綱を持つペンキ屋の男が、やはり盛装をして壇上に立っていた。

 女は美しく着飾られており、それ自身も顔一杯に華やかな笑みを湛え、いかにも自分の価値を示そうという風であった。市場に居並んだ牛や豚の獣臭さの中にあっても、その美しさは寸分も損なわれなかった。それは場に出来上がった人々の熱狂によって、正常な思考が奪われているためであった。誰もが愚鈍な家畜どもの一部であると気づかぬまま、煩雑に囃し立てるさまを僅かばかり遠くで眺めていたグレアムであったが、後から押し寄せる人の波においやられ、やがては集団を形成するうちの一つになった。

 一部の若者はグレンに目を向けると、「嫁を買いに来たか」と囃し立てた。「お前たちはどうなんだ」とグレンが返すと、若者たちは盛大に笑ってみせた。


「さあさ、お立会い。お越し頂いた皆々様方の目を引く麗しき女性。これぞまさに、私の優しい女房。これが一生を共にできる男に尽くしたいというのだから、お買い得もお買い得」


 ペンキ屋が前説を始めると、全ての見物人がそちらに注目した。

 これから行われる愚かな見世物は、盛装をしている一部の人々以外にとって、僅かばかりにも憂慮に値しない純然たる娯楽の一部であった。

 

「では、幾ら出すね」


 ペンキ屋の一言によって競りが始まった。

 初めに、水夫が15シリングといった。次いで、他の男たちも続いた。


 グレンはそうした競りに興味があるわけではなかったので、黙って眺めていた。他の若者たちも同様だった。

 ふと、若者の一人が「誰が競り落とすか賭けようじゃないか」といった。ある者は「肉屋」だといい、ある者は「靴屋」だといった。そうして、若者たちの寄り集まった奇妙な一団は、女房売りそのものへの興味をなくし、賭けについて語り始めた。


「蝋燭屋はどうだ?」

「あれに金があるものかよ。俺は仕立て屋を推すね」


 誰もが思い思いの町人を挙げる中で、グレンは「穀物商」だといった。ほぼ確信を持ってのことだった。以前に、二人の逢瀬を目撃し、次のスキミントンの対象は彼らだろうと考えている間に、女房売りの告知が出たので、あえて黙っていたのだった。

 女房売りの最中に行われるこういった賭けは、若者たちにとってささやかな楽しみの一つだった。


 そうこうしているうちに女房の値は5ポンド(1ポンド=20シリング)まで釣り上がっていた。多くの男は女房を手に入れるために競っているのではなく、余興を盛り上げるために計らっているだけであったが、中には心から女房を求め、商売道具を売り払うと言い出すものもあった。

 そうした滑稽な必死さが、場の熱狂を更に加速させた。

 暫くの間、場が停滞した。ある一人が、2シリングを上乗せした。それからは小さな入札が続いた。一種のカウントダウンのようなものだった。場が膠着したとき、いよいよ終わりへ向けて場を暖めようというのだ。

 誰もが求める女房を、射止める騎士が必要だった。それは劇的でなければならない。


 6ポンドと5シリングの値がついたところで、一人の男が群集の前へと強引に飛び出した。そうして、いかにも芝居がかった台詞を吐きながら、12ポンドの値をつけた。穀物商の男だった。

 喝采で場が満ちた。グレンもまた、指笛を吹いて大いに騒ぎ立ててみせた。それ以外の若者たちは憎々しげにグレンを見やったが、互いに目を見合わせて頷き合うと、手を叩き、声を張り上げ、喝采の一部へと混ざった。若さに溢れた歓声は、集団の中でも取り立てて大きなものであった。

 

 ペンキ屋は手に持った綱を穀物商へと手渡し、帽子を取って優雅に一礼をすると壇上から降りた。代わりに壇上へと上がった穀物商は、聴衆への感謝を述べた。そして、それに見合った返礼をしようというと、熱気は最高潮を迎えた。


 女房売りの後には、大なり小なり宴の催されることが殆どだった。それは婚姻関係が移動したことを人々に認めさせるために踏まなければならない手順であった。こうすることで、公に離婚と再婚を告知した。かつて密通があったと噂された女でも、こうして正式な取引を経れば、制裁対象から逃れることができた。

 この宴は、密通に気付きつつも温情を与えられたことに対する感謝としての意味も持ち合わせていた。

 若者たちの目的は、その馳走に相伴することだった。


 穀物商に先導され、集団は旅亭へと赴いた。そこで穀物商はワイン2ダースとさまざまな食事を振る舞い、そうすることで町人から結婚を承認され、その地で仕事を継続することが許されるのだ。


 若者たちはワインと食事の並べられたテーブルにそれぞれ座り、グレンに1シリングを投げて寄越した。そういう賭け事の際は、1シリングが基本だった。

 旅亭に招かれた人々はたらふく飯を食い、酒に溺れ、やがては乱痴気騒ぎへと発展していった。たとえば、それは食事を横取りしただの、足を踏んだだのと、ひどく野蛮で稚拙なものであったが、それらの諍いも寛容に受け入れられていた。

 グレンの正面に座っていた一人も、喧嘩に混ざりに行った。

 入れ替わるようにグレンの前にジョゼフが座った。若者たちの集団の中でも、グレンとジョゼフはいやに馬が合った。それは、二人が承認よりも制裁を好むためだった。


 ジョゼフは笑みを浮かべながら新聞をテーブルの上に投げた。見ると、見出しには大きく「どんちゃん騒ぎ」と記されており、その下部には、行進する若者たちの姿が描かれていた。


 グレンが見出しを確認すると、ジョゼフは先日のスキミントンについて語り始めた。

 それはグレンにとって聞くまでもなく既知の事象であったし、そのことをジョゼフも知っていた。伝達が目的でなく、感情を共有するために語られた。


 その日、若者たちは示し合わせ、奇抜な格好で町の端に集まった。

 各々に太鼓やビニウといった楽器(汚れたものが好まれる)や、おたまじゃくしやフライパンといった音を発することのできる道具を持ち寄り、雑多な音色を奏でながら、歌ともいえぬ歓声や律法を唱えて目的地まで行進をする。猥雑な音楽(ラフミュージック)と共に、若者たちは目的地の居酒屋へと大々的な演劇を繰り広げた。

 用意された一頭の馬にまたがった二人の若者は、喧嘩を繰り広げる夫婦を演じていた。女房を演じる男はキュロットを尻に敷き、夫を演じる男は女物の下着を身につけ、角の生えた帽子を被っていた。そして、妻が夫を詰るさまを、ひどく過剰に演じてみせた。また、馬の首にぶら下げられた籠から汚物を掬い上げて、辺りに撒き散らし、その行進が忌むべきものだと知らしめた。

 それは不義を為すか、或いは、暗黙の了解を破った者を不義と看做す制裁であった。

 途中、その行進を目にした町人が何人か集団に加わり、一向は総勢で三十人から四十人ほどで、目的地となる居酒屋まで練り歩いた。


 居酒屋の中では激しい喧嘩が繰り広げられていた。ここ数日の間に、よく見られる光景であった。ここでいう喧嘩とは、強気な妻が軟弱な夫をひどく罵るさまのことであった。

 この妻は不義密通を為し、それが公になったというので、開き直って軟弱な夫を罵倒していた。弱々しい寝取られ男と、不義密通を為すじゃじゃ馬のような女は、両者とも許されるものではなかった。


 若者たちはまず、店の扉を破壊した。次いで、窓を打ち壊し、夫婦の有様を隠し立てできぬように晒し上げ、店を囲んで大きな音を立てながら嘲笑してみせた。

 夫婦が若者たちに何かを言うたび、馬上で夫婦を演じていた二人がそっくり同じ台詞を、嘲笑的に繰り返した。


 耐え切れなくなり、逃れようと家を出た夫婦を囲い込み、強引に押しやるように行進を再開する。

 居酒屋の看板には男にとって理想的ともいえる女の姿と共に「いい女」と書かれていた。頭部のない女だった。

 一人の若者がその看板を指差しながら歌い始めると、他の若者たちも追従した。妻の金切り声もまた、楽器の一つのように響いた。

 その行進を道行く人々は好奇や侮蔑を向けた。ここで、妻の不義が衆目に晒されることが重要なのであって、見た人間がどう思うかは関係なかった。ただ、不義密通に対して下る罰について、誰もが理解せねばならなかった。

 ちょうど、この行進を見てペンキ屋と穀物商は女房売りの告知を出した。事前に打ち合わせ、落札価格と日程を決めたのだ。


 夫を激しく中傷していた妻も、絶えずを見世物とされるうちに、黙りこくるようになった。萎縮している夫も、口元で何やらぶつぶつと呟いていたが、傍を歩く若者がその内容を大きな声で喧伝し始めると、顔を伏せた。それは男にあるまじき情けのない泣き言だった。

 ある若者が、自身の被っていた角帽子を夫に被せた。夫は抵抗しなかった。


 町の規範に違反した者に対するスキミントンは、示威のパフォーマンスだった。仮に掟を守らなければ、どういう目に合うのかをアピールするための見せしめであり、スキミントンの対象となった者も、その行為を受け入れるしかない。

 スキミントンという制裁を受けることで、多少なりともの承認がなされ、以降も町に住まうことが許されるのである。これを拒めば、町で生活を続けることは難しくなる。

 いわば、女房売りは不義密通に伴い自発的に承認を求めるものであり、スキミントンに対する明確な回避手段といえるだろう。


 グレンは汚穢に満ちた行進を思い、口元に笑みを浮かべた。今、旅亭の中心で踊っている新たに誕生した夫婦に目をやったところで、何の感慨も浮かびはしなかった。

 規範を逸したものを制裁するとき、その最前を歩くことで群集を率いることが好きだった。おそらく、それはジョゼフも同じことだった。

 ワインを飲み、たらふく馳走を口にしても、若者たちが抱える衝動じみたフラストレーションを払拭できるわけではなかった。

 自らの正当性を主張しながら、日頃の鬱憤を晴らすという意味において、スキミントンは望まれた儀礼であった。誰に責め立てられるわけでもなく、他者の罪を一方的に浮き彫りにすることができる。


 寝取られ男とじゃじゃ馬女は最後、目抜き通りの広場において、人々から罵倒や放尿といった最大限の侮蔑を受けた。明確な敵対者であり、且つ、弱者だと認められる場合において、人はそうした蛮行に及ぶことができた。治安官でさえも、それを取り締まろうとはしなかった。


「どうして、穀物商が競り落とすとわかった?」

「知っていたからさ」


 ジョゼフの問いに答えながらも、グレンは微かに後悔していた。女房売りの開催が発布されるよりも先に、穀物商の罪を公にすることもできた。だが、居酒屋の夫婦に対するスキミントンもあり、それを口外はしなかった。

 だが、もしスキミントンの最中、折を見てジョゼフに伝えていれば、きっと、今日にでもスキミントンが行われたはずだ。

 気まぐれによって生じた穀物商の幸運に、グレンは心からの拍手を送った。


「不公平だとは思わないか?」


 グレンが拍手をしながら、そういった。ジョゼフは理由を話すように促した。


「穀物商だって、今日買った女房と密通していただろう。同じような立場にあった居酒屋の連中は、晒し上げられたというのに。だが、あの女はどうだ? しめしめと愛人を手に入れた。この場に居合わせる男のうち、制裁を加えようと考えている者は一人もいない」

「誰もが正義の心に則って行動しているわけではない。ただ娯楽がほしいというだけで、売女を制裁するも売り払うも、偏に見世物でしかないのだよ。サーカスのようなものじゃないか。こうしてワインを手にしている。連中には、それで十分なのさ」


 ジョゼフは吐き捨てるようにそういって、ワインを一気に呷った。グレンはグラスに残ったワインを見つめながら、次に行われる制裁へと思いを馳せた。

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― 新着の感想 ―
[一言] とても丁寧に古き良き時代が書かれていると思います。 人間らしい野蛮さ、良いですよね…
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