VRMMO許すまじw
前回の投稿、あまりの駄文にも関わらず結構な人に読まれていた事に中身の人はビックリですしたがありがとうございます。
そして今回のタイトルは勢いだけですが気にしない方向性でお願い致します。。
さて今回はなろうで人気を博しているのはゲーム要素を多分に含んだゲーム・ファンタジーと呼ばれるファンタジー作品からの更に派生になるのだが、このゲーム・ファンタジーと云うジャンルをちょっと真面目にSF的な戯言考察をしてみたいと思う。
このゲーム・ファンタジーと云うジャンル、実は日本で流行る以前から海外でも人気の作品が存在し、日本の作風とはかなり異なるがしっかりとゲーム的要素が内包されている。
例えばデルトラ・クエストを例に挙げてみれば魔法の力を持つ七つの宝石がはめ込まれたベルトがこの世界の平和を維持していたが、魔王によって破壊され宝石は魔界に隠され、世界の平和を取り戻す為に主人公が魔界へと旅立つのである。
いかにもRPG的要素満載な流れである、。
アニメ化もされているので興味がある人はそちらを見てみるのも良い。
また"はてしない物語(映画邦題:ネバーエンディング・ストーリー)"の作者でもあるミヒャエル・エンデに認められ、ネシャン・サーガを発表した作者も元システムエンジニアであり、大のRPG好きで、その物語の内容もコンピューターRPG的要素を多く含んだ世界観で話が展開される。
海外作品のそれらとなろう作品との大きな違いは"ステータスオープン!"が存在しない事である(笑)
海外作品ではゲーム的な世界観や要素は多分に存在するが、その物語の中で活躍するキャラクター達までゲームに準じている訳では無いのだ。
海外のゲーム・ファンタジーの話はここまで……
では、なろう作品に目を向けてみよう。
なろう作品でのゲーム・ファンタジーと云うとVRMMOを題材とした作品が数多く存在する。
転生や転移、召喚による異世界モノもゲーム・ファンタジーとして書かれている作品もあるが、今回はSF的戯言考察って事でVRMMOに限定させて貰う。
さて大抵の場合、作品中でVRMMOに入り込むにはヘッドギア的な装置を身に着けて仮想世界に没入する事になるが、その没入先は視覚、聴覚以外に五感全てが体験できる世界として書かれるのがほとんどだと思われる。
ここでSF的な考え方をする人であれば、ヘッドギア的な物を装着するだけで五感全てが感じられるVRMMOと云うのは何ともチープなものに筆者は感じてしまう。
それは何故か?筆者自身も詳しい訳では無いが、そこらの説明を行おうと思う。
ヘッドギア的な物を装着して、五感の中でその刺激を受け取れるのは視覚と聴覚のみである。
なろう作品でその装置の説明している作品もあるが、ヘルメット状の装置で脳波を送受信しているからその他の触覚、味覚、嗅覚も感じられる事が出来るとあるが、現実的に考察するとこの装置を装着した状態と云うのは生命的に非常に危険な状態であると筆者は考える。
何故危険なのか、それは脳が現実と区別がつかない状態を装着装置で実現可能なら、比較的に容易にショック死を引き起こしてしまうからである。
"催眠にかけた人に、焼け火箸だと言ってタダの木の棒を当てると実際に火傷になる"と云うものがある。
現実と区別が着かない状態であればこれと同じ現象が起こるのでは無いかと筆者は想像する。
もちろん作中では自身が怪我を負う場合、その痛み等は現実のものよりも軽いものとされているが、そんなモノはいくら表層意識でゲームであると認識していても深層心理では現実として認識している為故にショック状態を引き起こしてしまうので無いか、そう筆者は思うのである。
もちろん上記の様な装置があった場合、ゲームである事を時間を掛けて慣らす事で現実世界の肉体に影響を及ぼさない状態に持って行く事も可能だろう。
だが、大抵作中では突然ゲームの中に取り込まれるか、もしくはゲームに身体を慣らしが無い状態で現実とゲームを行き来するのがほとんどであろう。
ここらの描写を上手い具合に説明しているのがサイバーパンク作品における電脳世界の扱いだ。
生命的な危険性については一旦置いておこう。
次はゲーム世界で五感を得ると云うのも、やはりヘッドセットだけと云うのは少々無理が過ぎる様に筆者は感じる。
だって、口の中に何も装置無いんだよ?全身を包み込む触覚器官を刺激する服も着ていないだよ?
それなのに何故味覚や触覚まで感じられるの?
──そう筆者は思ってしまうのである。
先の生命的に危険じゃないのかって部分でも触れたが、脳波の送受信によってそこらの感覚を生み出してると解釈する事で作中はリアルになると思うだろうが、筆者はなまじ調べてしまったからそうは思えないのである。
脳波を受信するのは現在の科学技術であれば可能である。
それは通常では計測不可能な信号を何千倍にも増幅させて、人が認識出来る様にしているからである。
では装置から脳にそれらの信号を与えて、それが肉体の制御情報として脳が認識する為には受信した時と同じ様に強い信号を脳に与えてやれば良いのである。
賢い読者ならこの理屈では脳が茹で上がってしまうのでは無いかと思った事だろう。
海外の電子レンジの説明に記載されている"動物を中に入れても乾きません"と同様の事が起こるのではないかと筆者は考える。
"そこは丁度良い出力を探せば良い"と云う意見もあるだろう。
ではその丁度良い出力と云うのを見付けるまでにどれくらいの犠牲を払えば良いのだろう?
人を消耗品の様に使い潰せるような世界でも無ければこんなのはナンセンスの極みだ。
では似たような装置が存在するサイバーパンク世界ではこの電脳世界の扱いはどの様になっているのかと読者諸君は気になるところだろう。
一例ではあるがサイバーパンクにおいては血液中にナノマシンを注入し、そのナノマシンに身体制御の信号を分割して身体中に送り込む事で電脳世界の中に入り込むと云う表現をしている事が多い。
もしくは脳髄の視神経と電極を直接接続させ、その五感情報をやりとりするかのどちらかだ。
身体保全の関係から触覚に関しては脳に情報を与えず、それらの情報が脳に与えられる場合は電脳内での死は現実の肉体に直結する。
現実の身体を保全する為の装置は床擦れ等が起こらない様にゼリー状の液体の中で保護され、排泄等もその液体が入っている装置の中で垂れ流しの状態になる。
そして何よりもラノベVRMMOモノとサイバーパンク作品でのそれとの最大の違いは現実では無い世界に滞在できる最大時間だろう。
人の生命維持が可能な時間はそれ程長くは無い。
水分を無補給で生きられる時間と云うのは一週間程度が限界だ。
それ故サイバーパンク作品での電脳世界の滞在時間は最大でも三日程度で書かれる事が多い。
かの有名な公安九課が活躍する漫画では電脳世界で味わう食事に夢中になるあまり現実に戻る事もせず、現実の肉体が餓死する事件が相次ぐと云う話が書かれた事もある。
電脳世界に身を置くと云うのは触覚の肉体的な苦痛だけでなく、色々とリアルに描いて行くと危険が一杯なのである。
(それ故にその違いを物語の中心に据えると云うものも多数存在する)
そこらの危険性やら考察やらを全部ぶっ飛ばして、最初にその現実では味わえない部分だけを抽出して描いた人は素直に作家として嫉妬すら覚える。
しかしそれが猫も杓子もとなると娯楽作品として贔屓目で見てすら、余りにもチープに見えてしまうのは筆者だけだろうか?
このエッセイを読んでくれている人の中には自ら物語を紡ぐ人達も多いと思う。
どうだろう、原点回帰をしてその上でその書き手のみが持つ独自の世界観を築いてみては?
きっとそこらを書くのは物語の中で自然に読み進められる書き方をするのは至難の事だと思われるが、大量生産品と比喩されるよりは有意義な挑戦だと筆者は思う。
面白い物語の為のテンプレートと云うものは確かに存在する。
なろう人気作家になる為には作者はAV監督になれと云う人も存在する。
エンターテイメントの提供者としては確かに多くの人が求める物を提供すると云う姿勢は素晴らしいと思う。
だが、筆者は思うのである。
自身が書きたい物を書けなくて何が投稿サイトか!と。
筆者は底辺投稿者であるのは現状では間違いない。
だが、容易に大量生産品と呼ばれる様なものを書いているつもりは無い。
ユニークさを追求すると云うのは大変な事ではあるが、それが認められた時は先駆者となる。
色々と筆者は足りないモノが多いから底辺投稿者のままなのだと思うが、それも含めてその時間を楽しんで行きたいと思う。
さて、これだけ色々と書いてきたが、筆者も仮想現実モノの物語を書いていたりする。
その物語はまだ完結していないが、ここに書かれた内容を頭の隅に置いてもらったまま読んで貰えるとここだけでは書き足りなかった部分等も少しは伝わるかもしれない。
そんなんで今回はここまで。
また何かネタが見付かったらダラダラと駄文を垂れ流したいと思います。
駄文な戯言に付き合って頂きお疲れ様でした。
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