交換ノートでもう一度
コールが鳴って出たけど切れた。掛け直したら話し中。まあ、なんてことないことだ。ただ、僕らの間にはよくあることだった。妻がせっかちなのか、僕がノロイのか。
僕が出かける時、妻を起こさずに紙切れ一枚残して行くのも、良くあることだった。当然反応はわからない。だから、なのかな。
「ねえ、交換ノートってしたことある?」
彼女は唐突にそう言った。僕はないな、と答えた。
「私ね、小学生の時したことあるよ」
やってみない?と彼女は言った。僕は面倒なと思いつつ、彼女は何を考えているのだろうと思った。
「毎日顔をあわせるじゃないか。やる意味あるのか?」
「あるわよ。やってみればわかるわ」
と彼女は笑った。
しぶしぶノートを受け取ると、その1ページ目には、“よろしくお願いします”という文字。
僕は思わず二度見してしまった。なんというか、普段くだけた口調で話しているのに、文字に起こすと改まるんだな、と思った。
それから彼女と僕の交換日記が始まった。
“好きな色は何ですか?”
そんな当たり障りのない、けれど普段聞きもしないような質問から始まって、彼女は1日ひとつ質問をしてくるようになった。僕は書くことが思いつかずにただそれに答える。
“好きな食べ物は何ですか?昨日のカレーちょっと苦手でした?”
当たりだ。僕は強がって何も言わずに食べたけど、辛すぎるものは苦手だ。
不思議と、顔を合わせると言いづらかったことまで、ノートには書けてしまった。
もうひとつ変化と言えば
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「いってきます」
なんてことない会話だが、ノートのやりとりを始めてから、彼女と交わす言葉が大事に思えるようになった。
ノートの中では別人のようにかしこまる彼女に、やきもきした。僕らの距離感はどのくらいなのか考えるようになった。
結論から言えば、もう一度恋をやり直したんだと思う。
交換ノートをはじめて、僕らの距離は少しづつ近づいて、また遠ざかって、そこには間違いなくときめきがあった。
彼女はいつも交換日記を笑顔で受け取った。
だから、つい気が緩んでしまったんだと思う。
僕は、結婚記念日にノートに珍しく自分から、詩人みたいな照れ臭い言葉を書いた。
“君と同じものを食べて
同じものを見て
僕らは 少しはひとつになれたかな?
これからもよろしくお願いします“
彼女は、いつもと同じように笑顔でノートを受け取って、でも返ってきたノートには涙の跡があった。
“こちらこそよろしくお願いします。
交換ノートは別々の人間同士だからできるんですよ“
なんだろう。直接的に言われたわけじゃないけど、僕にはなんとなく彼女も同じなのかなって思った。彼女もひとつになりたくて、でも出来ないってわかっていて、だから交換ノートなんて言い出したのかなって思ったんだ。彼女は寂しかったんだろうか。
だから、僕は交換ノートにこう書いた。
“なれなくてもいいじゃないか。
ひとつになれるまで
言葉を尽くそう
続けよう交換ノート“
僕は書き終わって二度目のプロポーズみたいだなと思った。
ノートを渡して、しばらくして、彼女は走ってきて僕に抱きついた。
「ありがとう」
と一言告げた。なんだろう僕も言いたいことは同じで
「こちらこそありがとう」
と言った。
何がとかは言わない。ノートはノートで生活と切り離すのが僕たち流だ。でもこの一言だけは言っておきたかった。
全くの異物である僕らは、相互理解を諦めないだろう。
僕らをつなぐのは、日頃抑えがちな心情を吐露する交換ノート。
当たり前の日々を、交わす言葉を、輝かせてくれる交換ノート。




