束の間の初恋
高校2年の夏休み前、俺は初めて本気で、人を好きになった。
相手は、音楽教師の三嶋沙羅。
「…沙羅、俺とデートしてよ?」
終業式の日、三嶋沙羅に告白して、断られた。けど、夏休みに入ってから、沙羅に会うために、学校に来ていた。
「…優秀で優しい生徒さんと、デート出来るなんて、素敵ね。」
「ふざけてんの?俺は、本気で言ってるんだけど?」
「…教師に対して、名前を呼び捨てする人とデートなんて出来ません。そもそも米沢君は、そんな子じゃなかったでしょ?」
三嶋沙羅は、そういいながら、音楽室にあるピアノの蓋を閉じた。
「…好きな女を呼び捨てしたらダメなわけ?」
「ダメよ!米沢君は、生徒で、私は、教師だからね。高校生らしくしなさい。」
高校生らしいって何だ?
恋をするのに、教師も生徒も関係ないじゃないか!
「来年の春に結婚するって言ったでしょ?こんなオバサンを好きになって、学生時代をムダにすることはないと思うわ。」
そんな事わかっている。
左手の薬指に光る指輪を見る度に、思い知らされる。
沙羅を好きになっても、叶わない恋だと、自覚しているつもりだ。
「…俺、沙羅を好きになって、ムダなんて一度も思ったことないけどな…。」
6月――
好きになったきっかけは、図書室に本を借りに行った時だった。
一人の女性教師が、一番上の書棚にある本を自力で、取ろうとしていた。
近くに、踏み台があるにも拘わらず、背伸びして取ろうとしていることにイラついていたのが、三嶋沙羅の第一印象だった。
「…先生、どう考えても女性では、届かない高さだと思いますけど?」
俺は、そう言って、スッと彼女が取ろうとしていた音楽史の本を取って、手渡した。
「あら?ふふ、ありがとう。助かったわ!」
「…踏み台があるのに使わないとか、先生って、頭悪いんスか?」
「あら!教師に減らず口叩くなんて、生意気な子ね。君は、確か2年の米沢君でしょう?」
「そうですけど?俺の名前何で、知ってるんですか?先生の授業を選択してないと思いますけど?」
「優秀な生徒さんは、職員室でも話題になるのよ。だから、悪いこと出来ないわよ?」
「…はぁ。そうですか?悪いことすれば、それで有名になると思いますけど?」
「まぁ!本当に減らず口の多い生徒さんね!」
その日以来、図書室や廊下で顔を合わせる度に、話をしていた。
いつしか、三嶋沙羅に惹かれ始めていた。
最初は、
自分でもわからなかった。
でも、彼女の笑顔を見る度に心臓が痛くなるくらいドキドキしたし…
他の男子生徒や男性教師と微笑んで喋っている姿を見ると、胸の奥がムカムカしてイラついた。
それは、完全に好きな女に嫉妬しているんだと気づいた。
素直になれなかった俺は、彼女に、反抗的な態度をとり、しばらくは口を聞かなかった。
1学期の終業式後、俺は、三嶋沙羅に呼び出された。
「米沢君、私、何か悪いことしたかしら?」
彼女は、いつもの明るい笑顔じゃなかった。
「先生が、何かしたんなら謝るよ。でも、理由がわからないし…どうしたらいいのかな?」
今にも泣きそうな三嶋沙羅に、俺は、胸を痛めた。
違う…。
違うんだ!
俺は、そんな顔をしている先生を見たいわけじゃないんだ!
下らない嫉妬で、困らせてしまうくらいなら…
いっそのこと…
「…先生、ごめん。…悪いのは、俺なんだ。」
「…え?」
「…俺、…先生のことが、好きなんだ。」
唇を噛み締めて、自分の気持ちを伝えた。
「…よ、良かった!私、嫌われたのかと思った。」
安堵のため息をついて、笑う三嶋沙羅。
「…自分でも、ダサいことしてるってわかってたんだけど、他の男と仲良く喋っているのが…気に入らなかったんだ。」
俺は、恥ずかしくてそっぽを向いた。
「…そう。米沢君に、好きって言われて、嬉しいわ。でも…私は、貴方の気持ちには答えられないわ。」
「…俺が、ガキだから?」
三嶋沙羅は、笑みを浮かべて、首を振った。
「違うわ。勿論、生徒と教師が恋愛するのは、御法度だけど…私ね、来年の春に結婚するの。」
「え?」
俺は、耳を疑ったけど、三嶋沙羅は、左手の薬指にある指輪を愛おしいそうに見ていた。
「米沢君、ありがとう。気持ちは嬉しいけど、私には、愛する人がいるの。だから……!」
俺は、それ以上、聞きたくなくて、思わず三嶋沙羅を抱きしめた。
こんなことをしても、現実は、変わらないってことをわかっている。
でも…今は…
「…よ、米沢君!離しなさい!こんな所、誰かに見られたら君は、停学になるかもしれないのよ!」
「…この屋上は、誰も入れないから大丈夫だよ。先生もわかってて、ここにしたんだろ?」
俺は、強く三嶋沙羅を抱きしめた。
「…よ、米沢君…苦しいから…離して…」
「…嫌だ。先生が、結婚するまでは…好きでいさせてよ。…じゃないと…俺…」
いつの間にか、涙が零れ落ちていた。好きな女の前で泣くなんて、本当にガキだと思った。
でも、自分の感情を抑えるほど大人じゃない。
見上げる三嶋沙羅は、切ない表情で俺の頭を優しく撫でた。
「…っ…先生…好きだよ。こんな気持ちになったの、生まれて初めてなんだ。」
「…うん。」
三嶋沙羅の細い手が、俺の頭を何度も撫でる。
「…俺、先生と話すようになってから、学校に行くことが、毎日楽しくて…1日先生に、会えないと淋しかった。それって、キモいのかな?」
「ふふ、キモくないわ。それは、立派に恋してるって証拠じゃない!」
三嶋沙羅は、穏やかに微笑みながら、俺を宥めた。
腕を緩め、真っ直ぐに先生の顔を見つめた。
「…先生、夏休みも学校で会えるかな?」
「え?どうして?」
「…先生にフラれたけど、会って話すくらいなら構わないだろ?」
「ふふ、仕方ないわね。」
彼女の満面の笑みは、俺の心を柔らかくする。
そして、今現在――
「米沢君は、宿題終わっているの?」
「とっくに終わってる。沙羅に、会えない時間は、ほとんど宿題と課題をやっていたから。」
「ふふ、優秀な生徒さんだね。感心!感心!」
沙羅は、そう言って頭を撫でた。
「やめろよ。ガキ扱いすんなって!」
「ふふ。米沢君、来週は、私がお休みになるから。家で、ゆっくり休んでね。勿論、勉学も忘れずに!」
「はいはい。休み終わったら、また、会ってくれるんだろ?」
俺が、そう言うと、
「…そうね。」
一瞬、間があった気がしたけれど、この時は、気に止めなかった。
数日後、沙羅は、何も言わず学校を辞めていた。
それからの俺は、しばらく部屋に引きこもっていた。
さすがに、両親は、心配していたけど、夏バテと風邪気味だと誤魔化して…
俺は、ひたすら己を慰め続け、涙が枯れるほど繰り返し泣いた。
こうして、俺の束の間の初恋は、泡のように消えてしまったのだった。
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ご愛読ありがとうございました!
結月千冴。