表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アザトース・ゲート  作者: 赤沙汰月倫
ダンウィッチの残滓
9/10

奪還

 うっそうと生い茂る木々の間に舗装されていない道が続く。夕暮れの空がいつしか黒を帯びていく。五人はヘレンを先頭に山道を進んでいた。先導するヘレンの隣にはアレックス、その後ろに真人と片桐が並び、さらに背後にケンが配置された。アレックスはときおり振り返っては真人を見つめ、小声でヘレンと言葉を交わしている。英語の成績は良くなかった、何を話しているのかは理解できない。

 後ろのケンは無言だがずっと睨まれているのがわかる。見張りの男達と変わらない、異物を見る視線だ。隣の片桐も口を開こうとしない、先のケンの一言がよほど腹に据えかねたのだろう、不機嫌な態度が見て取れた。

「そういえばさ」投げやりな気持ちで真人は呟いた。「九十年前の復讐とか言ってたけど、犯人と何かあったのか?」

 振り返ったアレックスが目を丸くした。「どこでそれを」

 真人は片桐を指でさし示した。後ろからケンの声が届いた。「お前には関係ねえ」

 ヘレンが歩みを止めた。自然と全員が足を止める。金の髪が翻り、青い目が真人を見つめた。「ダンウィッチの怪異を知ってる?」

 ケンが声を荒げた。「ヘレン」

「ケン、話したところで何かが変わるわけじゃないわ。ただ過去の事件を伝えるだけ、歴史の教科書を読むのと何ら変わらない」

 舌打ちしてケンは吐き捨てるように言った。「勝手にしろ」

「そうするわ。改めて聞くけど、一九二八年にアメリカのダンウィッチ村で起こった事件について聞いたことはある?」

 真人は首を振った。「さっぱりだ、世界史は得意じゃなかった」

「公表はされていないからある意味当然ね。私とケンの曾祖父、それとアレクの祖父がダンウィッチで半神の怪物と対峙し、追い払った。犯人のウィルソンはその怪物の親類かもしれない。今回の事件は、自分の祖先を滅ぼした者の子孫である私達に対する復讐劇、私達はそう考えている」

「復讐って、魔術を使って闇討ちとかか? そのためにネクロノミコンを盗んだとか」

「魔術での復讐ならもっと効果的な方法があるわ。私達に屈辱を与えてなおかつ全人類を巻き込む方法が。神を呼べばいいの」

「なるほどな」真人は苦笑を浮かべた。「あいつらことごとく規格外だからな、一匹でも呼び出せりゃ人間なんてひとたまりもないだろうさ」

「だから絶対に止めなきゃいけない。人に仇なす邪悪と戦う、それが私達の使命なの」

 胸に手を当ててヘレンは言い切る。強い意志表明だった、その台詞はまるでヒーローそのものだ。ヘレンの隣に立つアレックスもつられて頷いている。何事にも適した人間がいる、醜悪な怪物との戦いにはこれくらい正義感が強い方が都合がいいのだろう。

「それじゃあ、とっとと魔導書取り返しに行こうぜ。あとどれくらい歩けばいいんだ?」

 ヘレンが振り返って手を前方へ伸ばす。先導に従って再び列が動き出す。冬の山道を乾いた風が吹きすさんだ。

 どれほど進んだろうか、もうほとんど周囲は暗闇に近い。ヘレンと片桐が予め用意していたライトを前方に向けた。その光に照らされて小屋のシルエットが浮かんだ。

 ヘレンが手を下げて言った。「あの中です」

 ほとんど使われていないのか、木造の小屋は一目で老朽化しているとわかった。小さな窓ガラスは曇っており、その向こうでぼんやりとしたオレンジ色の光が揺らいでいる。おそらく蝋燭だろう。

 片桐が前に出る。その手にはホルスターから抜いたニューナンブM六十が握られていた、日本警察としては基本的な装備だ。構造は単純だがそれゆえに壊れにくい、かつて父がそう言っていたのを思い出す。

「裏に回る、準備ができたら突撃してくれ」ケン言うとACTの三人は小屋の角を曲がって消えていく。真人は片桐と顔を見合わせた、緊張の中に奇妙な安堵感が生まれる。

 扉の前まで素早く近づきドアを挟んで壁に背を預ける。片桐がドアノブに手をかける。真人は片手を広げ、指を一本ずつ折っていく。数字がゼロになった瞬間ドアが開き、小屋の中に突入した。

 埃臭くしけた空気が広がっている。薄暗い部屋の中にはやはり蝋燭が灯され、カビの生えた机の上でその身を溶かしている。振り返りながら立ち上がったその顔は、面長で縮れ毛、異様に吊り上がったその瞳と顔の形のせいで山羊に見える。空港で見た背広は椅子に掛けられワイシャツとズボンだけの格好だ。身長はともすればケンよりも高いかもしれない、細長い手足が枯れ木を思わせる。その手の中には分厚い本が握られている。

 片桐が怒鳴った。「警察だ。ウィルソン・ウェイトリー、本を捨てて投降しろ」

 ウィルソンが両手で本を抱え込む。警戒と敵意の眼差しがこちらに注がれる。いきなりウィルソンは本を脇に抱え、両手を握り合わせた。指同士を複雑に交差させ、早口で奇声を発する。

 片桐の判断は速かった、躊躇なく引き金を引くと銃声が鳴りマズルフラッシュが弾ける。しかし次の瞬間いきなり窓ガラスが割れた。一瞬思考が止まる、ウィルソンの声は止まらなかった、片桐がさらに二発、三発と撃ち込む。天井の梁が欠け、床に穴が開いた。

 真人の中で一つの予想が走った。ドアのそばにあった傘立てに折れ曲がった傘があった。掴み上げて重いきり投げつけると、ウィルソンにぶつかる前に磁石に引っ張れたように窓に向かって飛んで行った。

 ウィルソンの背後で扉が開く、拳を握ったケンが突入してきた。両拳を頬に添えて一気に近づき、パンチを繰り出す。その拳はウィルソンに直撃する前に減速し、弾き返されたせいでケンが体勢を崩して倒れた。

 やはり攻撃を逸らす魔術か、真人は内ポケットからチョークを取り出した。小屋の中を見回す、使われていない椅子が落ちていた。近づいてチョークを走らせる、座る位置に五芒星を書き込んだ。

 背後で四発目の銃声が鳴った。振り向くと机の一部が凹んでいる。真人は椅子を両手で持ち上げた、腕に力を籠めると五芒星が発光する、横方向に思い切るフルスイングする。木材が折れる音と確かな手応えがあった。ウィルソンが細い目を見開き体をぐらつかせた。

 もう一撃くらわせようと椅子を掲げるように持ち上げる。すぐに失敗だったと悟った。ウィルソンの細長い腕が真人に向かって突き出されていた、腹部を強い衝撃が襲った、体が宙を浮き背中を強打した。

 強い吐き気と激痛が襲いかかる。緩慢な動作で立ち上がるとケンが雄叫びを挙げて拳を振りぬいていた。その拳に五芒星のペンダントを巻き付けている。右手だけでジャブの連打とストレートを繰り返し、プロボクサーさながらのコンビネーションでウィルソンを打ち据えている。反撃をダッキングで躱してからのアッパーカットが決まると、ウィルソンの口から液体が噴出した。蝋燭の火に照らされたそれは黄緑色をしていた。

 ウィルソンが膝から崩れ落ちる。しかし膝立ちになった途端、ウィルソンはワイシャツを引き裂いた。ボタンが弾け、繊維の裂ける音が鳴る。次の瞬間、凄まじい悪臭とタール状の粘液がウィルソンの腹部を突き破った。前に立っていたケンがその勢いに弾き飛ばされ、膿の中に沈んだ。ウィルソンの腹部からは緑かかった灰色の触手が何本も伸びてのたうち回っている。

 真人は辺りに目を走らせた。吹き飛ばされた時に手放した椅子は近くに落ちていた。拾ってもう一度背中から殴りつけると、肉が焼け焦げる音が耳に入り、ウィルソンの絶叫がこだました。とうとうその手からネクロノミコンが落ちる。真人は最後に椅子を叩き付けて本を拾った。

 扉に向かおうとすると腹にぬめついた感触が伝わった。触手が巻き付いている、走ろうと踏み出した足裏が宙を蹴った。突然銃声が鳴り渡ると触手の力が弱まり地面に足がついた。片桐の銃口がウィルソンの左胸を撃ち抜いていた。痛みにもがきながらもウィルソンはこちらに向かっていくつもの手を伸ばしていた。

 背を向けて小屋の外に出る。ウィルソンの姿は完全に人間の範疇をから逸脱していた。腹部から伸びた触手を足の代わりにして這いずるように追いかけてくる。進んだ後にはあのタール状の粘液がこびりついている。

「こっちだ!」声の方を向くとアレックスが大きく手を振っている。迷う間もなく二人で駆けだした。

 小屋の裏側は広い空間となっていた。闇の中ではそこにヘレンがしゃがみ込んでいるくらいしかわからない。これからどうすればいい、ニューナンブの弾は五発、日本警察に予備弾薬の支給はない。残弾はゼロだ。

 背後で砂利が転がる。もうすでにウィルソンが迫ってきていた。アレックスがヘレンに並んでしゃがみ込み地面に手を付けた。地面を光の線が走り、図式を形作る。巨大な旧神の印がウィルソンを囲んでいた。

 鮮明になった視界の中で怪物はもがき苦しんでいた、肌が焼けただれ、髪が抜け落ちる。眼球がぼとりと抜け落ちていった。人のものではあり得ない悍ましい絶叫が木々を揺らす。それでもウィルソンは本を持つ真人に向かって僅かにではあるが前進してきた。

「ンガイ・ングアグアア・ブグ・ショゴク・アハア、ヨグ・ソトース、ヨグ・ソトース!」

 何かの言語を声高に叫んだ声は、光が強くなることでまた絶叫へと戻っていた。ウィルソンの後ろで粘液にまみれたケンが地面に手を付けていた。注がれる魔力が増えたことで印の出力が増したのだ。

 狂気じみた雄叫びはやがて一つの懇願へと変わっていた。ウィルソンが前方へ手を伸ばし叫んだ。「助けて、助けてくれ! チ、チ、ちち、父上!」

 だがそれだけだった。やがてウィルソンの体は熱せられた蝋のように、どろどろの粘液へと姿を変えていった。悪臭を放つそれは驚くほどの早さで地面に吸われていき、とうとう一片の欠片も残さず消滅した。

 五芒星の光が明滅する。魔力を注いだ三人は額に汗を浮かべていた。冷風が頬をなでる。嫌に早い鼓動の音がうるさく感じた。

 ヘレンが近づいて言った。「本をこっちに」

 いつの間にかネクロノミコンを強く握りしめていた。力を抜いて真人は本を差し出した。ヘレンは抱きしめるように本を受け取った。

 片桐が尋ねた。「終わったのかい?」

 ヘレンが頷いた。自然と息を吐いていた。

 瞬間、視界が白で染まった。眩しい逆光が容赦なく目に向けられる。何人もの足音がする、手をかざしながら周囲を見ると、幾人もの人間がこちらに銃口を向けていた。みな暗視ゴーグルと防弾装備で身を固めた重武装だ。一番後ろにいる男が拡声器を向けた、大音量が山に響いた。

「朝霧真人、抵抗を止め、おとなしくしろ。貴様を拘束する」

 玉貴警視正、片桐の呟きを真人は聞き逃さなかった。今さら警察が何の用だ、どこか冷めた気持ちが真人の中にはあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ