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アザトース・ゲート  作者: 赤沙汰月倫
ダンウィッチの残滓
8/10

亀裂

 午後一時をまわった。真人はアパートの前でタクシーを降りた。運転手に運賃を渡して後ろを振り向く。黒塗りのセダンから見張りの視線が突き刺さっていた。苦い顔で足を商店街に向けた。

 再開発によって発達したこの一帯は、新しい家屋や店舗がひしめきあっている。真人の住むアパートのような古い建物はむしろ珍しいくらいだ。その中になら当然、全国展開するファストフード店も当たり前のように存在していた。

 真人は店に足を踏み入れた。張り替えたばかりのような壁紙が清潔さを醸し出す。店内は家族連れが多い、冬休み中だけあって若者の姿も多かった。

 商品を注文するときに店員が一瞬だけ怪訝な反応を示すも、すぐに笑顔を取り繕った。やはりこの容姿は異様なのだろう、真人はますますフードを深く被った。

 店は二階建てですでに一階は満席となっている。真人は窓際の席に座ってハンバーガーにかぶりついた。この半年で食事といえば外食か冷凍食品、もしくはコンビニで買ったものしか口にした覚えがない。料理はできなかった、家事はずっと母に依存していた。もう頼める相手はいない。

 隣の席から笑い声が上がった。同い年ぐらいの学生が談笑しあっている。最後の一年くらい恋したいよな、というか童貞捨てたい。年頃らしい猥談だった。前方では親子が映画の感想を話し合っている。また見に行きたいね、今度はアニメじゃなくて特撮にしようか。さらにその隣、壁際の兄弟二人は持ち込んだゲームに興じている。兄ちゃん、これ終わったら兄ちゃんのクエスト手伝うね。

 誰もが普通に話している。その中にどれほどの幸せがあることだろう。ひどく自分がみじめに思える。

 自意識過剰だ。俺の現状を嘆いたところでどうにもならない。

 ふいに相席してきた人物がトレーをテーブルに置いた。向かい合ったその顔を眺める。

 感情のうかがえない瞳が見下ろしていた。「無駄骨でしたね」

 自然とため息が出る。条件反射のような癖で髪を掻いていた。

 真人は小声でささやいた。「何しに来た」

「食事です」

「前から思ってたけどさ、お前飯食う必要あんのか?」

 赤いジャケットの女はフライドポテトをかじりながら答えた。「生命維持のためには必要ありません。あくまで娯楽の一つです。この過剰なまでに油分と塩分が多いポテトも、愉しみの一端」

 それならもう少し美味そうに食え。変わらない表情で咀嚼する女の考えは理解できない。真人はいらだち気味に頬杖をついた。右目を失ったあの日からずっと付きまとわれている。自称は従者で他称が神、意味不明で理解不能な女だ。

 女がチキンナゲットを差し出した。「よろしければ、どうぞ」

 思わず顔をそらして、真人は断った。「いらん」

「どうぞ」ソースが付着したナゲットがトレーに投げ込まれた。

 投げ返す気力もなく、拾って口に入れる。マスタードのソースは好きではないのに。

 女がストローから口を離した。「ネクロノミコンは放置でよろしいのですか?」

「俺がどうこうする代物じゃないだろ。そもそも右目をどうにかする方法が載ってるかも疑わしい」

「勘がいいですね。ネクロノミコン程度で王との繋がりは絶てません、それは保証します」

 真人は眼帯を指さした。「お前さ、こうやって塞ぐんじゃなくて、本当は完全に封じ込める方法も持ってるんじゃないのか」

「不可能です」女は首を振った。「かの王は全宇宙の創造主にて存続のための楔。貧弱な我が力では扉を作るだけで精一杯です」

「もういい」手のひらを向けて静止を促す。最初から期待はしていない。

 食べきったハンバーガーの包み紙を丸める、無意識に力がこもっていた。窓の外に目を向ける、薄い青の冬空が半分の視界を覆った。ガラスに映った自分の顔は憂鬱な表情を浮かべていた。

 本を盗まれたあの外人三人組も同じような顔をしていた。真人は視線をそのままに尋ねた。「ネクロノミコンを使ったら何ができるんだ?」

「あの本は化学や生物学にも精通していますが、やはり最も豊富なのは魔術関連の知識でしょう。人間が想像しうる魔術ならば大抵のことは記されています。かつても召喚の儀式の方法を求めた者に盗難されかかったほどです」

 真人は視線を戻した。「召喚って、何が呼べるんだ?」

「例として、盗みに失敗した者は父親を呼ぼうとしていました。その者は半分が神でした。神の招来は、信奉者や血族が最終的な望みとして抱きやすい願望です」

気づけば自嘲気味に笑っていた。俺はその願望の巻き添えか。眼帯を指でなぞり、真人は続けた。「あの泥棒も何か呼びたいのかね」

「一応は国家に保護されていた稀覯本です。それを盗むのならば、相応の目的があるのではないかと」

 自分があの犯人ならどうするか思考を巡らす。あらゆる魔術が収められた魔導書を手に入れた、その次はどうするか。人道に背く考えばかりが頭に浮かぶ、かぶりを振ってその提案を打ち消した。

 ポケットの中の携帯が鳴った。開いて耳に当てると片桐の声が届いた。「今大丈夫かい?」

「どうしました」

「空港の犯人の居所がわかった、県境を超えて埼玉まで逃げていたよ。現在は秩父に居る」

「祭りでも見に行ったんですかね」

「だといいがね。ACTの三人が言うには相手は九十年前の復讐を企てた魔術師とのことだ。超自然的な方法で抵抗も考えられる、手を借りれるかい?」

「かまいませんよ」立ち上がって階段に向かう。女の姿はいつの間にか消えていた。「ちょいとでも心証は良くしておきたいんで」

 店から出てすぐに黒塗りのセダンを見つける、店外から座っていた席を見張れる位置は限られていた。遠慮なく後部座席に座り込むと男達が警戒の視線を送ってくる。気に留めずにシートに背を預けた。「話通ってるんだろ。とっとと行ってくれ」

 エンジンを鳴らして車が発進する。何気なく窓の外で流れる景色を見つめた。人々は普通の暮らしを送っている。今の俺にとってはこれが普通だ。


 冬の日暮れは早い、空はすでに茜色に変わっていた。ヘレンはかばんから取り出したペンダントを首からかけた。五芒星はシンプルでありながら最も強力な防御だ、旧神の印にはこれまで何度も命を救われた。

 後部座席のケンが渡したペンダントをもてあそびながら呟いた。「銃が使えねえのがもどかしいな」

「日本には銃刀法がある」運転席の片桐がハンドルを切りながら言った。「本当なら同行すること自体を拒否したいんだがね」

 気を遣った口調だった。身を案じてくれるのは素直に嬉しい、それでもヘレンは引き下がるわけにはいかなかった。「お言葉ですが、私達もこれまで幾つかの事件をかたづけてきました。邪魔にはなりません」

「そうですよ」アレックスが同意した。「それに、ミスタ片桐だけでどうにかできるとも思えないし」

 犯人の車が向かったとされる秩父山中に向かうのは片桐一人とされた。他の警官達は皆机から動こうともしなかった。石動だけは同行の意を示したが、上司を名乗る男が大量の資料を持ち込んだ。菓子がそのまま紙の束に置き換わった机で唇を尖らせる姿が印象に残った。

 片桐がため息をついた。「自分で言うのもなんだが、僕は上司受けが悪いんだ」

 ケンが眉をひそめた。「日本人はネクロノミコンの危険性を理解しきれてないみたいだな。個人への当てつけのために世界全体を危険に晒したいらしい」

 迫る危機に対してあまりにも悠長で怠惰な動きだと失望せざるを得なかった。しかし心の底では無理もないとあきらめてもいた。前提として超常的な事件は表に出すことができない。人員は必要最低限が望ましい。

 これまで関わった事件も全て少数で解決してきた。今回もそれは変わらない。むしろ信頼できる幼馴染達と行動できるだけでもましな方だろう。へたな権力争いに巻き込まれる心配もない。

 バックミラー越しに後ろの二人を見る。二人とも英語でジョークを飛ばしあっている。アレックスがまたフラれた、ケンがセックスが下手なせいだと冗談めかして笑う。変に緊張するよりもふざけあったやりとりが二人には似合っている。

 やがて車は山道へと差し掛かり、急カーブが多くなる。登山道の入り口前で車が停止した。ガードレールに沿うように駐車された車が目に入る。片桐がメモを取り出してナンバープレートを注視した。

「あれだ」

 体に緊張が走る。背後のジョークが消えた。皆一様に真剣な眼差しになった。降りた片桐が先に車に向かう。じっと車内を見つめるとこちらを見て首を振った。誰も乗っていないらしい。

 車を降りると冷えた空気に包まれた。三人で車に近づいて車内を見る。鍵は開いていた、後部座席にヘレンのキャリーケースが放置されている。無理やりこじ開けられた中身は散乱している。ネクロノミコンはなかった、試しにダッシュボードを開いても結果は同じだった。

 片桐が首をひねった。「わざわざ車を残しておくとはな。ウィルソンは捕まりたいのか?」

 アレックスが真顔で言った。「余裕の表れかも。もうすでに儀式の準備が整っているとか」

「それなら急いだほうがいいな」ケンが運転席をまさぐった。短く縮れた毛をつまみ上げるとヘレンに手渡した。

 目を閉じて意識を手の中に集中する。写真で見たウィルソンの顔を思い浮かべる。自分の意志と関係なく握ったこぶしが動き出し、登山道を向いた。確信を得た、ウィルソンはこの山にいる。

「彼女はいったい何を?」怪訝な顔を浮かべて片桐が聞いた。

 アレックスが答えた。「追跡の魔術です。ヘレンは僕らの中で一番魔術がうまい」

「魔術か、科学技術に浸って生きているとどうにもなれない」

 片桐が言うと、車のエンジンが近づいてきた。振り返ると黒のセダンが停車していた。後部座席から黒いジャンパーを着込んだ少年が降りてくる。少年がドアを閉めるとセダンはUターンして逃げるように離れていった。予想外のことだったのか、少年は舌打ちして肩を落とした。フードを被った朝霧真人が、当然のように歩み寄ってきた。

 真人は片桐に向かい合った。「どんな感じですか?」

「今から山に入るところだ」

「山登りかよ、靴下もう一枚はいてくりゃよかった」

 ケンが身を乗り出した。「おい! どうしてこいつがここにいるんだ」

「彼は協力者だ」片桐は落ち着き払っていた。「君らもある程度は真人くんについて知らされただろう。何度も事件解決に協力してくれた、今回も力を借りる」

「日本人は道端の石ころすら神様と崇めるらしいが、だからって怪物に捜査協力をするとはな。どう考えても危険だ、そんな化け物とっとと隔離するべきだ」

「ケン!」

 思わず叱責していた。片桐の目が怒りを孕んでいる。今にも組み合いそうな二人の間に割って入った。

「片桐さん」一触即発の雰囲気の中で真人の声が通った。ひどく平坦で落ち着いた声色だった。「間違ったことは言ってませんよ。そいつの言葉は正論だ、従うつもりはないけどな。でも今の優先目的はネクロノミコンを取り戻すこと、それで合ってるよな?」

 沈黙が流れる。誰も口を開こうとしなかった。ふいにケンに腕を引かれて片桐と真人から離される。幼馴染三人で顔を合わせる形となる。ケンが英語で話しかけてくる。「いいか、あいつがちょっとでもおかしな真似をしたら追放の魔術を使うぞ。曾爺さん達がウィルバーの弟に使ったやつだ」

「待って、いくらなんでも焦りすぎよ。もっとちゃんと調べなきゃ」

「ヘレン、変な同情は抱くな。怪物の思考は俺達とは違う。インスマスの奴らも人の形を保っただけの悪魔だった、同じ人として扱うんじゃねえ」

 アレックスが無言のまま頷く。二対一、従わなければ二人は納得しない。しぶしぶ首を縦に振った。

「終わったかい」片桐の言葉には棘が生えていた。憮然とした態度には日本人特有の気遣いは感じられない。

 場の空気が悪くなっているのを感じる。それでも今は優先すべきことがある。煮え切らない気持ちのまま、もう一度手の中に意識を集中した。

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