因縁
空港内で発生した騒ぎはすぐに通報され、警察が駆け付けた。片桐が身分を明かすと担当の刑事は敬礼を返した。緊急時ほど身分が高い方が助かるものだ。
鑑識が解析した黒い円筒を手にして刑事が説明した。「ハンドメイド式の閃光手榴弾ですね。材料も全部市販で入手できます」
片桐は尋ねた。「犯人の行方は」
「監視カメラが車で逃走する姿を捉えています。車のナンバーも映っていました。すぐに車種と照合して所持者を割り出します」
ご苦労、敬礼して刑事と別れる。キープアウトのテープ外には野次馬が集まっている。テープ内ではヘレンが女性刑事から質問を受けていた。幼馴染達は両隣で控えている。みな沈痛な面持ちだった。
片桐は近づいて言った。「後は私が」
女性刑事は一礼して去っていく。片桐は溜息をついた。「到着早々災難だな。偶然とはいえ、日本の空港内でこんなことをする輩に狙われるなんて」
「偶然なもんかよ」ケンが忌々し気に口を開いた。「あいつはネクロノミコンを狙ったんだ、計画的犯行ってやつだよ」
「なあ」声に視線を向ける。ソファーに座っていた真人が手を挙げていた。「そのネクロのなんとかって、どんな本なんだ? わざわざ盗むようなもんなのか」
アレックスが不思議そうに声をかけた。「知らないのかい?」
「だから聞いてんだ」
三人は一様に顔を合わせ、やがて示し合わせたように頷いた。ヘレンが真人を見つめた。「魔導書って言えばわかるかしら」
「魔法の使い方がビッシリ書かれてるやつか」
「それに近いわね。どちらかといえば辞書といったほうが正しいかしら。あれには魔術の方法をはじめとして、外宇宙から飛来した超越者達に関する知識も記載されているの」
「へえ」真人が肩をすくめた。「まさしくファンタジーそのものだな」
「地球上には他にも魔導書は存在するわ。エイボンの書、屍食経典儀、金枝篇、ルルイエ異本……でもネクロミコンの情報量は魔導書の中でも随一といわれているの」
「便利な検索ツールだから盗まれたってか」
「ことの重大性がわかってないみたいだな」ケンが真人に詰め寄った。「あれに載っている魔術の一つでも、下手すれば大惨事を巻き起こしかねないんだぞ」
真人が溜息を吐いた。「なんでそんな危険物持ち込んだんだよ」
「それは」アレックスが視線を落とした。「……君のため、だよ」
沈黙が流れる。ヘレンが言っていたように、ネクロノミコンなる魔導書が真人に対する装備だったのだろう。真人がフードの隙間に手を入れて髪を掻いた。「だとしてらなおさら警備を厳重にするとか、もっとしかるべき手筈があったんじゃないのか」
片桐は呟いた。「厳重にすれば目立ってしまうよ」
真人が押し黙る。派手に目立てばマスコミが嗅ぎ付け、そこから秘密を暴こうとする。だが真実を受け入れられるほど、今の世界は柔軟ではない。動かせる人員は常に必要最低限だった。
それでもじっとしているわけにはいかない。表向きには盗難事件として扱われる。警視庁公安第五課は必要と判断すれば他の部署に捜査協力を求めることができる、動きやすさは随一だ。
片桐は声を張った。「これから三人には被害届の提出に来てもらおう、そのまま一度五課まで案内するよ」
「ぜひお願いします、お手伝いできることもあるかもしれません」
「真人くんは……」
けだるげに真人は答えた。「一回帰ります。何かあったら連絡入れてください」
真人は振り返ってそのまま歩いていく。その後ろをスーツ姿の男二人が追っていく。見張りの男達は今までずっと人ごみの中に紛れていた。
ケンが尋ねた。「おい、大丈夫なのか。あんなのを一人にするつもりか」
「ああ」片桐は頷いた。「少なくとも、今日出会ったばかりの君らよりは信頼できる」
パトカーで送られた庁内はせわしない人の往来が繰り返されていた。訪れた都民達は待合の長椅子に手持無沙汰のまま腰かけている。そこに加わらず、ヘレン達は片桐の背中を追った。
エレベーターに乗り込み、そのまま地上一五階まであがっていく。廊下の突き当りに位置する扉を開くと、片桐はその中に足を踏み入れていた。
続いて部屋に入ると、そこは刑事部屋だとわかった。ずらりと並んだ事務デスクに大勢の私服警官が収まっている。皆一様に厳めしい顔つきで書類やパソコンと向かい合っている。
武骨で物々しい雰囲気は日本も変わらない。ヘレンは肩掛けかばんの紐を握りしめていた。
片桐が声を張り上げた。「石動時音巡査長」
はぁいと間延びした声が響き、一人の女が立ち上がった。
石動と呼ばれた女性はほかの刑事たちとは異なる雰囲気だった。小柄で痩せた体躯、ひどく寝癖のついた髪をゴムで簡単に一まとめにしている。年齢はまだ二十代だろうか、眼鏡の奥の瞳は覇気がなく、気だるげな印象を与える。
石動は近くまで来ると、ヘレン達を一瞥した。どことなく飄々とした態度で、石動は言った。「噂の英雄三人組ですか。来日早々大変だったみたいですね」
片桐が言った。「ナンバーの照合は済んでいるか」
石動が頷いて返事をした。「一課の連中がお小言いってましたけど、いつも通りもらえましたよ」
「見せてくれ」
石動のデスクに向かうと、パソコンを囲むように大量の菓子の山ができていた。その中からロリポップを掴んで咥えつつ、石動はパソコンのキーボードを叩いていく。「ひったくり犯は外国人でしたよ。最近日本に住み始めたみたいでしたけど」
「補導歴などは?」
「初犯です。でも興味深い相手ですよ」石動は視線をヘレン達に送った。「三人にとっては、ですけど」
ヘレンは首を傾げた。「どういう意味でしょうか」
石動は答えずにマウスをクリックする。画面に運転免許証が映し出された。そこに記載されていた名前を見た瞬間、衝撃が走るのを感じた。アレックスもケンも同じだったのだろう、目を見開いて唇を震わせている。
ウィルソン・ウェイトリー。免許証の写真には面長で縮れ毛の男が写っている。目は吊り上がっていて、顔の形も手伝ってどこか山羊のようにも見える。見た目だけなら人間そのものだ、しかしヘレンは直感にも似た確信を得ていた。この男は人の形を保っているだけだ。紐を握る手に力がこもった。
片桐がいぶかし気に尋ねた。「知り合いかい?」
ケンが首を振った。「違う。だけど……」
「因縁、だね」アレックスが眉をひそめて言った。「九十年越しの復讐のつもりなのかな」
「できれば説明を願いたい。僕はそちらの事情にはあまり詳しくなくてね」
ヘレンを頷いて息を整えた。「実は、あのネクロノミコンは以前にも盗難されかかったことがあるんです」
「一九二八年の八月三日」石動がもごもごと口を動かした。「アーカムのミスカトニック大学に一人の男が不法侵入し、ネクロノミコンの盗難を試みるも番犬によって殺害される。その後役人は男の相続人に死を通知しようとするも家の悪臭に耐え切れず断念。男が持っていた手記や蔵書はそのままミスカトニック大学図書館に送られることとなる」
ヘレンは驚いて石動を見つめた。「ご存じなんですか?」
「知っておくのが仕事」石動が得意げに鼻を鳴らした。「そのままあなたの曾お爺さんは手記の翻訳を行い、世界に迫る危機を察知する。友人であるモーガン、ライスと共にダンウィッチに向かい、装備を整え、同年の九月一五日に怪物を世界から消し去ることに成功する。本を盗みに侵入した男の名前はウィルバー・ウェイトリー。そして退散した怪物はウィルバーの弟だった」
一息に説明し終えた石動はヘレンを見つめた。何か間違いはあるか、そう目で問いかけてくる。ヘレンはぎこちなく笑みを返した。
片桐が腕を組んで唸った。「となると、このウィルソンという男はそのウィルバーの子孫なのか?」
ヘレンは答えた。「わかりません。ウェイトリーは今も続く家系で、アーカムにも住んでいる人はいます。その中にウィルバーの血縁者がいたとしても、おかしくはありませんけど」
「石動、車の行方はわかるか」
「車はレンタカーでした。ETCは使ってるので、道警とも連携して高速道路から降りた場所も割り出せます。もう少し時間かかりますけどね」
「急いでもらえませんか。こいつの目的はウィルバーと同じかもしれない」
「ウィルバーの目的とは?」
片桐の問いに、一瞬言いよどんでしまう。それでも答えなくてはならない、手遅れになってからでは遅い。ヘレンはおそるおそる口を開いた。「ヨグ・ソトースの招来……神をこの地に呼び寄せることです」




