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アザトース・ゲート  作者: 赤沙汰月倫
ダンウィッチの残滓
4/10

アパートの一室で

 呼び出された会議室の円卓に幹部が顔を揃えている。その表情には有無を言わせぬ威圧感がある。

これではまるで査問だ、警視庁所属、三十六歳の片桐綜馬(かたぎりそうま)は思った。

 幹部といえば警察庁で官房長や局長の地位に立つ人物だ。片桐にとっては雲の上の人物だった。名前すら浮かび上がらない。唯一見知った顔なのは警視正の玉貴(たまき)という中年男性だけだ。彼は直属の上司に当たる。

 この中で二番目に地位の低い玉貴が口を開いた。「今回の地震で首都内の道路がいくつか使用不可能になった。経済的損失は大きなものだ、とても一人の人間が起こしたものとは思えんほどにな」

「彼が地震を発生させたわけではありません。自己防衛に努めただけです」

「そういう問題ではないのだよ。朝霧真人(あさぎりまさと)という存在を狙って怪物が現れ、あげく震災まで起きた。元を辿れば原因は彼に行き着く」

「すでに真人くんは幾度も襲撃を受けています。そんなことをおっしゃられても今さらとしか思えません。ただでさえ苦境に立たされている人間を……」

 玉貴が言った。「片桐警部補、感情論の話ではないのだ。この半年間で彼が関係する事件は十を超える、我々がひた隠しにしてきた存在がいつ露呈してもおかしくないのだよ」

 とても納得できる気にはなれない。片桐は眉をひそめた。「その存在から我々を守ってきたのは真人くん自身です」

「結果論にすぎん」玉貴が首を振った。「朝霧真人は制御不能な爆弾なのだよ。これまでは敵が扱い方を間違ってくれただけだ。いつ爆発するかもわからないものを抱えておくことなどできはしない」

 頷く者は少ないが、幹部達は皆一様に同感の態度を示していた。

 とても一人の人間に対する扱いではない。片桐は彼らの胸中には恐れがあることを感じていた。

 玉貴が一つ咳払いした。「朝霧真人が世界規模で危険視されているのは知っての通りだ。米国に協力要請をしたところ、怪異の専門家を派遣してくれることとなった。専用の装備も持参してくるとのことだ」

 段取りはすでに整っている。転属して半年、新たに就いた職場も大きな変わりはなかった。上からの命令は絶対服従、疑問を持ってはならない。

 しばしの沈黙の後、片桐は呟いた。「彼を殺すつもりですか」

「……いや。あの門を閉じる方法を試す、とのことだ」

 それが叶わなければ……先を想像して片桐は唇を噛みしめた。

「君は朝霧真人と親交が深い。これまでの無断の資料提供などは目を瞑ろう。嫌ならばいい。ほかの人間にやらせるまでだ」

「いえ」片桐は憎まし気に応えた。「自分がやります」


 目覚めて時刻を確認すると正午を過ぎていた。六畳半の室内に時計の針の音だけが鳴り響く。まともに睡眠をとれたのは久しぶりだ。起き上がって窓を開くと一月の冷たい空気が入ってくる。

 窓からはすし詰めになった住宅街が目に入る。日当たりが悪い代わりに格安の、古い木造アパートの一室が朝霧真人の住処だ。

 真人は布団を畳んで箪笥を開いた。中を見て顔が引きつった。赤いジャケットを着た女が正座でサンドイッチを頬張っている。ソースの香りがする、カツサンドか。

 女は嚥下してから口を開いた。「おはようございます」

 真人は髪を掻いた。「そこで食うな。虫がわく」

「かしこまりました」女は箪笥から身を出してビニール袋を差し出した。「どうぞ。タマゴサンドです」

「カツサンドは無いのか」

「これが最後の一口です」言って、食べかけのサンドイッチを一口で飲み込んだ。

 食べ物を目の前にすると、ことさらに空腹感が沸いた。一週間で生活バランスが著しく不規則になっている。食事を摂ることから改善していかなくてはならない。

 真人は布団をしまってサンドイッチの封を開けた。少し時間が経ったせいだろう、ほんのり湿っている。一つ食べ終わってから真人は聞いた。「巻き込んだあの子、無事だったか?」

「ええ、問題ありません。記憶も、少なくとも昨夜のことは憶えていないようです。整合性のために彼女の姉の記憶も調整しておきました」

「そうか」呟いて、安堵の息を吐いた。無用な犠牲など必要ない。

「知覚した猟犬は全て撃退できました。もう襲撃に悩まされることもないでしょう」

「そうでなきゃ困る。おちおち眠れない生活とか二度とごめんだ」

「最初から門を開けば、もっと早かったのですが」

「うるさい」真人は顔の右半分を手で覆った。革の感触を押すと眼球のあった部分が少しへこんだ。

 右目はもう無い。空洞となった眼孔の感触はとうの昔に消え去った。眼帯の裏側で瞬きをしても気づけない、そもそも瞼は残っているのだろうか。鏡で確認することもできない、そんなことをすれば大惨事になりかねない。理解不能な力の塊が目の奥に潜んでいる。

 昨晩も眼帯を外すことになった。巻き込んでしまった少女を守れたのが唯一の救いだろうか。憂鬱な面持ちで真人はサンドイッチを頬張った。

 携帯電話の着信音が鳴った。充電器にさしたままの携帯を耳に当てる。電話をかけてくる相手は一人しかいない。

「何ですか、片桐さん?」

「ああ」電話越しにためらいがちな声がかかった。「無事でなによりだ」

 真人は自嘲気味にいった。「メチャクチャ眠いですけどね」

「辛いのか? それならまた後でも大丈夫だが」

「今で大丈夫です。それで、何か用ですか?」

「重要な話なんだ、君の右目に関わることでね。よければこれから直接会って説明したいんだ」

「わかりました。すぐに行けます」

 集合場所は喫茶『キリマンジャロ』、歩いて十分もかからない距離だ。真人は携帯を切って言った。「片桐さんが話しがあるってよ」

「ご一緒しましょうか?」

真人は首を振った。「お前が来たら変に警戒されるっての」

「でしたら」女は開け放っていた窓に足をかけた。「いつも通り気取られぬよう、見守らせていただきます」

 髪が翻り、赤いジャケット姿が窓の外へと消えていった。窓に近寄って下を確認すると誰もいない路地だけが映る。神出鬼没だ、真人は嘆息して窓を閉めた。

 床に脱ぎ散らかしていた黒いジャンパーを着込み、フードを被る。白髪に眼帯なんて容姿は、秋葉原でもなければ無駄に人目を引くだけだ。扉を開けて外に出る、突き刺すような外気が身を包んだ。

 吐息は白く染まり消えていく。立ち止まるよりは動こう、そうでなくては身も心も持たない。

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