秋月 響の場合①
俺の名前は秋月響。
音楽などやったこともないのに、この名前は似合わないとずっと思っていた。
奏逢学園高等部の1年C組。勉強はそこそこだが、スポーツは好きだ。
身長は180㎝と周りより少し高く、
昔柔道で鍛えた身体は端から見てがっしりしているように見えるらしい。
奏逢学園は中等部から通っており、そこそこ知り合いも居る。
同じクラスの瀬名久遠も中等部からの付き合いで、顔と名前くらいは知っている。
だが、クラスに居てあまり俺に話しかけてくるものは居ない。
特に高等部からの編入生は皆俺にビビっているのだ。
遡ること半年程前。
高等部に入学してすぐの頃だ。
高等部の上級生らしき先輩方が3人で、
高等部に編入してきたばかりの女子生徒に悪質に絡んでいた。
俺は見た瞬間に先輩方が下衆だと思った。
この学園には親が権力者だったり、有名人だったりするものが多く、たまにこういう奴等が出てくる。
生徒会の統制がしっかりしているときでも、こういうことは起こり得るのだ。
虎の威を借る狐程嫌いな物はない。物事はなんでも自分の力でやるべきだ。
先輩方の一人が女子生徒の腕を掴んでいたので、その間に制裁に入った。
先輩の腕を掴んで、そのまま投げた。
背負い投げだ。
予測していない人間は踏ん張ることも出来ずに気付いたときには地面だ。
それに怒った残りの二人が掛かってきたが、それも投げた。
勿論、背負い投げだ。
「あ…ありがとう、ございます…。」
女子生徒は小さく礼を言って、逃げるように去っていった。
その女子生徒が何組になったとか、そう言うことは一切どうでもいい。好きでやったのだから礼など要らない。
だが、そこからは噂が立ってしまった。
俺が危険だ、という噂だ。
やられた先輩方の誰かが流したのだろう。
中等部から俺を知っているものでも、俺が柔道をやっているのは知っているし、
そこそこ強かったのも知られているから恐れられた。
高等部から編入してきたものは、俺の体格を見て恐れたのか、声を掛けてくるものは居なかった。
その事件が切欠で、部活も入部を断られた。
先輩方を恨むのも面倒であったし、正直どうでもよかった。
俺は、やることがない、つまらない高校生活を送ることになるのだろう、と諦めていたからだ。
勿論、今まで部活で大半を潰していた夏休みも至極暇なものだった。
暇なのに、あっという間に新学期になってしまう。
そんな時、ニコニコと笑みを浮かべた同じクラスの瀬名久遠に声を掛けられた。
「やることないなら、君を誘いたい人が居るみたいだよ。」
その笑顔は何を考えているのか解らないし、なにより教室に残っていた数名が瀬名を見ていた。
「大丈夫かよ…あいつに声掛けて」なんてコソコソ周りで話しているやつらも居る。
もちろんその時の俺は怪訝な顔をしていたのだろう。
返事をするより先に、瀬名の後ろから出てきた人物が声を発した。
「バンドをやらないか」
「はぁ?」
返事は反射的に出てきた。
「…あんたのガタイの良さには魅力がある。
経験を積めば良いドラマーになれると思うんだ。」
シルバーフレームの眼鏡に、右目が隠れるほどの長い前髪。
見たことが無い奴だ。
高等部からの編入生か?それにしても半年も見ないことがあるだろうか。
「彼は神城徠人君。…つい4日前に転校してきたばかりだって。」
4日前?それは知らないわけだ。
騒がれるほどのルックスでもないし、イメージとしては暗い奴。目立たなくて当然だ。
「瀬名、そんな奴を俺に紹介すんのか?俺がなにやったか知って―――」
正直面倒だった。
これ以上面倒なことに巻き込まれたくなかった。
「その話は瀬名から聞いた。あんたは悪くないだろ。」
心外だった。
誰も俺が悪くないなど言ってくれなかったからだ。
「…音楽経験なんてねぇ。」
「俺に任せてくれ。」
その目はギラついていた。
まるで獲物は逃がさないという目だ。
変な奴だな、こいつ。
「彼、アメリカでバンドやってたらしいよ。…ま、腕は知らないけどね。」
瀬名はそこに関しては疑心暗鬼といった様子だった。
瀬名は確か音楽一家だった気がする。
合唱コンクールなどがあれば必ず伴奏をしていた気がする。
「じゃぁ、今日の放課後に見せる。それから決めてくれれば良い。」
不思議で可笑しな奴に連れられて、今まで来たこともないライブハウスという奴についていた。
正直、神城の音楽というのは圧巻だった。
普段音楽をあまり聞かないから、それが良いのか悪いのかは良くわからなかったが、ただ凄かった。
暗い奴といったイメージは撤回しよう。なんというか、眩しい。
別世界の人間みたいだ。
音として発する英語が、流暢で感情の籠った物であることくらいは解った。
チラリと横に居る瀬名を見れば、納得したような顔をしている。
あれよあれよと言う間に、バンド【es】が結成された。
神城、瀬名…そして、名前くらいしか知らなかった湊。
互いをコードネームと下の名前で呼び合う事に決め、皆で帰路についた。
「なぁ、遥。」
俺はひとつの疑問があった。
「なーにー?響くん。」
「…俺のこと、怖くねぇのか。」
聞くのに少しビビって、声が思いの外低くなってしまった。
だが遥はなんのことだか解らない、という顔をして居る。
「んー。素行があんまり良くないって噂で聞いたことあるけど、
僕は自分で見たものしか信じないよ。それに、同じ音楽を聞いて同じように感動したんだ。
もう、仲間だから怖くないよ。」
その言葉に、湊遥という小柄な男に驚かされた。
「ははは、解ってくれる人は解るんだよ、響。」
「…久遠、お前は…。」
「僕は最初から解ってたよ?
君みたいな武道しか頭に無いような人が、上級生に手当たり次第喧嘩売るわけないってね。」
極上の笑顔を浮かべている久遠。
わかっていて同じクラスで遠くから観察されていたのかと思うと、やや怒りも湧いてくる。
だが、難関といわれる奏逢学園の学年トップの学力を持つこの男の考えていることなど理解出来なかった。
「キョウ」
ふとコードネームとやらで呼ばれた。
突然決められた名前に上手く反応出来ないが、俺が呼ばれたのだと気づいた。
「これ。」
徠人…基いライから渡されたのは、ドラムを叩くためのスティックだった。
「用意が良いな…えーっと、ライ。」
「この学園に来ると決まったときから、こうするって決めてたから。」
「俺らのこと知ってたのか?」
「…瀬名久遠だけ、な。」
「わ、さすが僕は有名人だな。」
ピアノのコンクールで入賞経験もある久遠は確かに有名だろう。
頭も良くて、ピアノが弾けて、だが運動はさほど得意ではない瀬名久遠。
黒縁眼鏡はその柔らかい茶髪にアクセントとして似合っているし、顔立ちもこの中では一番整っているだろう。
「所で皆、彼女とかいるの?
あ、ちなみに僕は居ないけど」
遥がふと全員の顔を見渡して言った。
久遠の顔は整っているし、遥も小柄で可愛い顔立ちの上に社交的、徠人はアメリカ帰りというハイスペック。
いても可笑しくない。
「僕は今は彼女は居ないよ。言い寄ってくる子はいるけどね、中々良い子がいないんだよねぇ。」
相変わらずニコニコと自慢をした久遠。
俺はその後に首を横に振るのが精一杯だった。
皆の目線が徠人に注がれる。
学校に転校してきたばかりで、居るはずはないだろうが返ってきたのは意外な答えだった。
「…要らない。」
やけに重たいその言葉に、それ以上は誰も踏み込まなかった。
もう目の前には奏逢学園の寮の入り口が見えていた。
何度見てもここの寮は巨大だ。
それでいて監獄のように見えないのは、
この学園の校訓が、自主自律だからだろう。
大人の手に依らない、自分達での統制だ。
僕らの世界が変わるとき
~秋月 響の場合~