花は甘い蜜を出す
「初めまして、平賀理子です」
鼻にかかった甘い声が耳をくすぐる。柔らかくクルクルと巻かれた髪。形を整え桜色に染められた爪が、細く白い指を飾る。パステルカラーの服も柔らかそうで、思わず触れてみたくなる。
何より上目使いで見つめる、黒目がちな瞳と、頬に手を添える仕草が愛らしい。
甘い蜜で虫を誘う花のように、男が望む可愛い女子になりきっている。
世の男はこれに騙されてるんだな可愛そうに。中身を知りつくしてる俺でさえ、一瞬心を奪われた。
だがすぐに白々しい演技にムカついた。なーにが、初めましてだ。10年前から俺達知り合いだろうが。
こっちも合コンの最中だから、場の空気読んで初めてのふりしたけど。
理子のヤツ動揺してんな。俺はしてない。なぜなら同じ合コンに参加できるようにわざと俺がセッティングしたからだ。
一度見て見たかった。戦闘モードの理子の姿を。超肉食系女子って怖いな。こんな可愛く媚び売ってながら、内心男の品定めしてるんだから。
俺の名前は熊井猛。この名を名乗るとたいていの人は笑う。
理子に言わせると「でかくて、ごつくて、目つきが悪くて、まさしく熊っぽいわよ。はまりすぎててうけるんじゃない?」ということらしい。
俺と理子は中学・高校と同級生で、そのころからの親友だった。
今も昔もただの男友達。だけど俺は昔からずっと理子の事が好きだった。
長すぎる片思いなんて恋愛ドラマみたいな話、熊男の俺には似合わない。だから誰にも話したことはない。ずっと自分の心の奥深くだけでくすぶり続ける苦い思い。理子にも言ってない。
「熊井さん、京王線何ですか?私も同じですよ」
「じゃあ途中まで一緒に帰りますか」
合コンも終わり、他のメンバーに不自然とは思われない感じで、二人で帰るようにしむけた。理子は二人っきりになった途端、先ほどまでの可愛らしい笑顔を辞め、苦々しい表情で俺をにらんだ。
「医者が来るって聞いてたから期待したのに、タケだなんて、詐欺よ。詐欺」
「まったくの嘘じゃあないだろう」
「まだ医大生じゃん。しかも歯科医」
「歯科医バカにすんなよ。すげー勉強大変なんだぞ」
「ああーショック。飲み直したい。ねえタケ奢って?」
「社会人が学生にたかるなよ。天下のI商事に勤めてんだから、そこそこもらってんだろう」
「まだ一年目でそんなにもらってないわよ。それに今日の合コンのために、服買って、サロン行って、美容室行ってて、女は金かけてるの。貧乏人なんだから奢ってよ」
「しゃーねーな。じゃあいつもの『よりみち』に行こう。あそこなら焼酎のボトル入ってるし、軽くつまみ頼めば安く飲めるだろ」
「あ!あのボトルならないわよ。この前全部飲み切っちゃった」
「ふざけんな。てめー。二人で入れたんだから俺の分残して置けよ」
「二人で入れたんだから早い者勝ちよ。飲みに行かないタケが悪いんじゃん」
「……あーそうかい。じゃあ、またボトル入れに行くか」
電車の中でこんなたわいもない会話を続けているのが楽しい。最近忙しくて理子と会うのは久しぶりだったから、余計に楽しいのかもしれない。
会いたいのに会えない。いまだ学生で半人前の俺はそれが悔しかった。
理子と俺は最寄り駅が同じで、駅近くにある『よりみち』という居酒屋の常連だった。個人経営の昔ながらの温かい店で、一人ぶらりと立ち寄る事もあった。
ずっと二人の名前でボトルを入れていて、飲み切ると新しいボトルを補充しておくのが俺たちのルールだった。
ボトルに油性ペンで『タケ、理子』といつも書いているが、一度ふざけて相合い傘も一緒に書いてやろうかと思ったことがある。だけど結局辞めた。
理子は冗談だと思って笑うだろうけど、俺は笑えなかったからだ。
「合コンくるなんて、おまえ今男いないの?」
「いるわよ。大本命。でもキープもほしいなと思って合コン出ただけよ」
「ふーん。その本命ってどんなやつ?」
「そこそこ大きい会社の社長の息子なの。いいでしょう」
「未来の社長夫人ってか?そんなヤツが合コンきてんじゃねえよ。それともうまくいってないのか?」
「そんなことないわよ。ラブラブ。年末には金沢に旅行に行こうねーって言ってるんだから」
昔から男が途切れたことがない理子の、今の男の話を聞くのはいつもの事だった。ネタとして聞きながら、ライバル達に嫉妬する。でもどうせそのうち別れるだろう。
理子の恋は本命ほど上手くいかない。それはずっとこいつのそばでこの女を見続けてきた俺が一番よくわかっている。本人も自覚があるから恋人がいても、他の男探しを辞められないのだろう。
「それで、タケ最近どうなの?この前試験がどうとかいってなかった?」
「臨床実習を受ける為の試験な。合格したよ」
「すごい。タケ。おめでとう」
自分の事のように理子が嬉しそうに喜んでくれた。これが見たくていつも頑張ってしまうのだ。昔からずっとこいつのこういう所が好きだ。
「でも大変なのはこれからだよ。今度は臨床実習始まるし。正式なのは来年からだけど、臨床前実習っていうのがあんだよ」
「臨床実習ってそんなに大変なの?」
「一年間休みも寝る時間もないぐらいハードだよ。それが終わったら国家試験で免許取れるからな」
「……そう。じゃあ当分こんな風に飲んだり出来ないわね」
「そうだな……。でももしもおまえが困ってたら遠慮しないで連絡しろよ。助けに行ってやるからよ」
「いいの?」
「昔約束しただろう。いいんだよ」
理子は感動して目を輝かせていた。かっこつけてるけど、そんな立派な話じゃない。彼氏と別れて泣けばいい。そしたら俺が慰めてやるのに。そんなずるい考えがあるだけだ。
「タケ……。あんたいいヤツよね。見た目が熊じゃなきゃ、今頃彼女いるだろうに……可愛そう」
「うるせー。可愛そうとか言うな、馬鹿」
「あんた歯科医なんてなったら、マスクで目が強調される分怖いんじゃない?子供とか泣くわよ。大丈夫?」
「それ以上言ったら女でも容赦しねえー。はったおす」
「嘘、嘘。ごめん。ちょっとワイルドすぎるけど、タケはイケメンだよ」
「調子いいこといっても、ここは奢らねえよ」
「ええー。奢りのつもりでさっきからバンバンつまみ頼んでるんだけど」
「たかるなら彼氏にやれよ。強欲女」
どこまでいっても彼氏になれない。でも彼氏以上に近い位置で楽しい。俺はいつまでこんなぬるま湯の関係を続ける気だと自問自答してしまう。
それでもまだ告白は早い。俺はまだ何者にもなれてない。理子が喜ぶ肩書の一つも手に入れるまでは、友達ごっこを続けるしかないのだ。




