契約の義
気がつくとあたり一面が白く靄のかかった場所に俺は立っていた。
夢か?
そう思って自分の頬をつねる。痛い。そんな一人芝居をしていると、だんだんと靄が晴れてきて、見慣れた場所が現れる。木張りの床に正面の壁にかかる掛軸後ろの入口の辺りには竹刀が纏めてある。汗と木の匂いが混じるこの感じ。実家の道場だった。門下生もそれなりの人数がいて、皆で竹刀を握って、一緒に汗を流した場所。だけど、俺の中では、ずっと姉の背中を追いかけて、でも追いつく事の出来なかった記憶のがよく思い出せる。それだけ姉は強く、そしてその背中に憧れた。思えば剣道を始めたのは姉がきっかけだったのかもしれない。
暫く懐かしんでいると、正面から声が聞こえた。
「おい! いつまでボーッとしてんだよ!」
「うぇい!? びっくりしたー」
声の方を見ると、赤というより紅色の髪をした、猫目の少女が立っていた。服装は何故か紅白袴。何、巫女なのこいつ?
「たく、いきなり起こされて何だと思ったら、またしけた契約者だなー、ホント」
と、少女。何これめっちゃ口悪いんですけど……
「何ぼさっとしてんだよ、契約するんじゃねーの?」
「いや、契約とかいきなり言われても分からんし、誰だよお前」
「俺か? はぁ、なんも分かってないんだな……。夢霧だよ夢霧」
「いや、夢霧は刀だし」
「そう、その刀が俺だよ」
「ゴメン、頭の整理がまったくできんのだが……」
「はぁ?! バカなの?」
「いや、バカとかじゃなくてこっちの世俗に疎いんだよ」
「あー、おまえ向こう側の人間なの?」
「分からんけど、まぁ、この世界の人間じゃないな」
「あっそ、じゃ、どこから説明する? 魔剣って分かるか?」
「いや、分からんし」
「えー、めんどくさ……」
めんどくさって何だよ!
「しゃーねーなー、魔剣っつーのは魔力の込められた武器の総称の事だ。分かるか?」
「あぁ、で、魔力が込めれるとどうなるんだ?」
「そうだなー。なんか魔法っぽいのができる!」
「魔法っぽいってなんだよ!?」
んー、と少し思案したのちに夢霧は
「振るだけで炎がでたり、氷らせたりするかんじ?」
……うわ、てきとー
「何だよその顔」
やべ、顔に出てたっぽい。
「んで、その魔剣がなんなんだよ?」
「……魔剣に魔力をこめる方法が2通りあってだな、一つが鍛治師の魔力を直接加える方法。この場合は武器に宿る能力は大抵一つ。で、もう一つが精霊を武器に取り込む方法だ。この場合は取り込んだ精霊によって能力はピンキリだな。もちろん俺は後者だ」
「なるほど。なんとなく分かってきたけど、契約ってのは?」
「契約ってのは、精霊を取り込んだ魔剣を使えるようにする為の儀式みたいなやつだよ。使用者と精霊の間で行う事で、武器として漸く機能するって事だ」
だから昨日は鞘から抜けなかったのか……
「まぁ、普通は呪文を唱えないと契約は出来ないんだが、お前昨日鞘に入ったまま刀ぶん回しただろ?」
「まぁ、状況が状況だったしな」
なんか申し訳なくなって頭の後ろをぽりぽりとかく。
「たく、まぁいいや。と言う事でさっさと済ませるぞ」
「で、何すれば言いわけ?」
「まぁ、こうしてお前の心象世界まで出張ってきたんだから、手を合わせるだけでいいんじゃない?」
「……なんだよ心象世界って。専門用語多すぎじゃね?」
「文句ばっかだな……。心象世界ってのは心に焼き付いた風景とかそんなもん。まぁ、簡単に言ったらお前の精神そのものだ」
と、いったん区切り
「契約は精神で繋がれば完了するから、へんな呪文なんか無くても手を合わせるだけで済むんだよ」
と言い終わると、手の平を向けてくる。ふーんと思いながら、俺はその向けられた小さな手の平に、自分の手を重ねる。すると、淡い光が二人の手を包み、夢霧の身体が下からだんだんと透けていく。
「ん、これで契約終了。当分俺の出番は無いかな。何かあったらまた呼べよ?」
それだけ言うと、夢霧の身体は完全に透けてなくなり、俺の意識もフェイドアウトしていく。
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目が覚めるとそこはやっぱり昨日とった宿のベッドの上。窓から差し込む光が眩しかったが、気合で起き、壁に立てかけてある夢霧を手に取る。そして、何の気もなしに鞘から刀を抜く。すると、紅い燐光を放ちながら光る刀身が露わになる。さながらさっき見た夢の少女の髪のように。
結局あれが夢なのかよく分からなかったが、鞘から抜けたって言う事は、たぶん夢じゃなかったのかもしれない。