尾行
午後五時前、玲華は伊東華子という名の女性のいるらしいマンション、ひばりシティコープⅡの前に来ていた。オートロックマンションで鍵がないと正面玄関を通過することができない。玲華はマンションの住人を装い中から人が出てくる際に鍵をしまうふりをして入れ違いに中に入った。六階へ上がり一戸ずつ表札を確認する。すると一戸だけ表札の出ていないドアがあった。玲華は老人の言うことが正しければおそらくその部屋が伊東華子の部屋に違いないと思った。
そんなに大きなマンションでもないので、六階でずっと待っていると途端に怪しまれるだろう。玲華は勇気を出してドアのチャイムを押すことにした。その後の展開までは全く考えてもいなかったが、そうせずにはいられなかったのだ。
指が押釦に触れる寸前に玲華は玄関の内側に人がいるような靴音を聞き、あわてて手を引っ込めた。そして、背を向けて隣のドアの方へ待避した。
ガチャ。
扉が開いた。玲華の背中で誰かが部屋を出る音がした。そしてその後続いて扉が閉まる音がした。一瞬でも自分のうしろ姿は見られたに違いない。玲華は俯いたまま髪の毛で顔を隠しながら横目で出てきた人の方を見た。
「…………!」
相手も横顔だったが、玲華は呆然とした。化粧は玲華よりも派手だし、服装もボディフィットの下着の見えそうな超ミニスカートと派手であったが、その顔はいつも鏡や写真の中に見る自分と瓜二つのものだった。
――驚いた……。これは絶対に双子だ。他人の空似なんてものじゃない。自分よりやや痩せていること以外、まったく同じだ! お母さんの方こそ呆けちゃったか、それとも嘘ついてるかのどっちかだ。私には双子の姉妹がいたんだ!
相手も自分の顔を見れば他人とは絶対に思わないだろう。双子ではなかったとしても、少なくとも姉妹を確信するはずだ。玲華はそう思った。エレベータは廊下の端に見えるが華子を乗せて降りていった。華子というおそらく玲華と双子の女性は何か酷く急いでいる様子だった。
――あれっ? あの華子さん。たしか玄関の鍵掛けてないんじゃない?
玄関は閉まっているが、鍵を掛けたような音はしなかったし、急いでいる様子からして、脇に背を向けて立っていた玲華に気を取られて鍵を掛け忘れた可能性は考えられなくもない。
案の定鍵は掛かっていなかった。玲華も慌てて飛び出し鍵を掛け忘れることは結構ある。不思議に必ず途中で思い出して鍵を掛けに戻るのだ。双子ならやることも似ているかもしれない。玲華の場合、あとから鍵を掛けに来ても家の中までは点検しない。同じだとすれば、中に入ってしまえばこっちのものだ。あとは同居者に気を付けることだけだ。
いえ、もし仮に同居者がいて見つかってしまっても、これだけ顔が似ていればその場を繕うことくらいはできなくもない。住居不法侵入は、犯罪行為だと思いつつも血の繋がった姉妹だ、という安心感が玲華を大胆にさせた。
部屋に入ってみて玲華は一層驚いた。
もともと部屋の造りは玲華のマンションと似ているが、中の調度品や置物に至るまでかなり玲華と似かよっていたのだ。
――双子って、こんなところまで似てくるのかなあ。
同居者はいなかった。親がいるわけがない。双子なら母親は同一だ。母は玲華のところにいる。
日めくりを使っていることも同じだった。鳥を飼っていることまで同じだった。タンスの中にしまわれた服装はやはり玲華のものより派手目のものが多かったが、下着はオーソドックスで、色もフレッシュピンク(明るい肌色)が多く玲華のものと似ていた。しかし、玲華は華子の性格で、自分と決定的に違うところに気が付いた。ほとんど家の中にあるもの全てに消耗品以外は、『華子』と名前が書いてあることだ。下着はもちろん全てに名前が書いてあった。台所の皿や茶碗の裏にも『華子』、電球にも『華子』、トイレのふたにも『華子』、鳥の羽にまで『華子』。
――やっだー! 華子さんっていったいどういう性格? 私、こんな趣味ないよう。やめて欲しいなあ。私と同じ顔しているんだから。それにあの服装。あれじゃあまるで男求めて歩いてるみたい。おんなじ顔してやめてよね。
カチャッ。
そのとき玄関で音がした。そーっと行ってみると鍵が閉まっている。気が付いて閉めに来たのだ。玲華と同じだ。玲華は、そのあと華子を尾行することにした。
――そうか、私、鍵持ってないんだ。鍵掛けないで出るしかない。華子さん。ごめんなさい。折角閉めにきてまた開けちゃう。ちょっとの間許してね。
玲華は華子を見失わないよう慎重かつ大胆に尾行した。
華子の行った先は偶然にも昨日お見合いで登志子と信之と三人で話をしたホテルだった。
そこで華子は紳士的な男と待ち合わせをしていた。その男はフロントで手続きののち、ホテルのキーカードを受け取った。華子は男に連れ添ってエレベータの方へ歩いていった。
――二人で部屋に入るつもりだ。今日はここへ泊まるのかな。何のため?
玲華はそこから先、動きが取れなくなって仕方なくロビーの端のベンチに腰掛けた。何やら体がだるい。そういえば今日、玲華は夕方から結構な距離を歩いていたし、緊張の連続だった。急に眠気が襲ってきて玲華はそのままベンチに横になって眠りについていた。