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愛してると呟く俳優は、僕を35階の部屋に縛りつけた ――飛べない蝶――  作者: 雨音 美月


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最終話  不完全な希望

12月24日。

クリスマスイブ。

朝、目が覚めると、心臓が早鳴っていた。

今日、氷月さんのもとに戻る。

不安と、期待と。

そして、決意。


鏡を見る。

首筋の痕は、ほとんど消えていた。

体の痕も、薄くなっている。

でも、心の痕は、まだ残っている。

それでも、僕は前に進む。



昼。

荷物をまとめた。

ノート「冬の蝶」を、大切にバッグに入れる。

これが、僕の答えだ。

桐谷さんに電話した。


「今日、戻ります」


「そう。頑張ってね」


「ありがとうございました。桐谷さんがいなければ、僕は…」


「いいの。あなたが自分で選んだのよ」


「はい」


「また連絡してね。いつでも、待ってるから」


「はい。必ず」


電話を切って、部屋を見渡す。


たった二週間弱。

でも、この部屋で、僕は変わった。

少しだけ、強くなれた。



【氷月の視点】

その日、僕は撮影を早めに切り上げた。


「すみません、今日はどうしても…」


スタッフに頭を下げる。


「高遠さん、大丈夫ですか?」


「ああ。大切な人が、戻ってくるんだ」


それだけ言って、僕は撮影現場を出た。



マンションに戻る。

部屋を見渡す。

瑠璃がいない、二週間。

長かった。

毎日、瑠璃のことばかり考えていた。

瑠璃の声。

瑠璃の顔。

瑠璃の体温。

全部が、恋しかった。


でも——

篠原さんの言葉が、頭から離れなかった。


「お前、彼を愛してるのか?それとも、所有したいだけなのか?」


この二週間、僕は自分と向き合った。

瑠璃を失う恐怖。

それが、僕を支配していた。

瑠璃を守る。

その名目で、僕は瑠璃を檻に閉じ込めていた。

愛してる。

本当に、愛してる。

でも、愛し方を間違えていた。


今日、瑠璃が戻ってくる。

戻ってきてくれる。

でも——

もし、瑠璃が僕との関係を終わらせたいと言ったら。

その覚悟も、しておかなければならない。


窓辺に立つ。

外は、雪が降り始めていた。

クリスマスイブの、雪。

瑠璃、待ってる。

君の答えを。



【瑠璃の視点】

夕方。

僕は、あのマンションに向かった。

エレベーターで、35階へ。

心臓が、うるさい。


ドアの前に立つ。

深呼吸。

ノックしようとした、その時。

ドアが開いた。


「瑠璃…」


二人の視線が絡む。

氷月さんの目は、笑っていなかった。


「……入って」


声は静かで、何も読み取れない。

部屋の空気が、重い。


「座って」


ソファに座ると、氷月さんは少し距離を置いて座った。

触れられる距離なのに、触れてこない。

その距離が、二週間の重さを物語っている。


「……話そう」


その一言だけで、胸が締め付けられた。



沈黙。

どちらから話せばいいのか、分からない。


「瑠璃、君から話してくれるかい」


氷月さんが、優しく言った。


「はい…」


僕は、バッグからノートを取り出した。


「これ、読んでください」


氷月さんが、ノートを受け取る。


「これは…?」


「僕の、二週間です」


氷月さんは、ゆっくりとページをめくり始めた。

僕は、じっと待った。

氷月さんの表情が、変わっていく。

驚き、悲しみ、後悔。


そして——

涙。


「瑠璃…これは…」


氷月さんの声が、震えている。


「僕の、全部です」


ノートには、全部書いた。

過去のこと。

氷月さんとの日々。

愛と、痛みと。

依存と、苦しみと。


そして——

これから、どうしたいか。


氷月さんは、最後のページを読み終えた。

ノートを閉じて、顔を覆う。


「ごめん…ごめん、瑠璃」


氷月さんが、泣いていた。


「僕は…君をこんなに苦しめていたんだ」


「氷月さん…」


「君を愛してた。でも、愛し方を間違えていた」


氷月さんが、僕を見つめる。

涙で、顔がぐしゃぐしゃだった。


「君を失うのが怖くて、支配してしまった」


氷月さんの声が震える。


「でも……それでも、君を手放したくない」


「今でも、君が外に出ることが怖い」


「誰かに取られるんじゃないかって、不安になる」


氷月さんが、拳を握りしめる。


「これが、僕の本音だ」


「醜いだろう?」


その正直さに、僕は息を呑んだ。


「本当は…僕自身が、君に依存していたんだ」


その言葉を聞いて、僕も涙が溢れた。


「瑠璃、もう一度やり直せないかな」


氷月さんが、僕に頭を下げた。


「今度は対等な関係として」


「君の自由を奪わない」


「君の意志を尊重する」


「でも…そばにいたい」



「氷月さん、顔を上げてください」


「瑠璃…」


「僕も、間違ってました」


僕は、初めて対等に、氷月さんを見つめた。


「氷月さん、僕……怖かったんです」


「外の世界が、怖かった」


「誰とも話せない。誰も信じられない」


「だから、氷月さんだけに縋った」


「でも、それは愛じゃなかった」


声が震える。


「逃げてただけだった」


氷月さんが、息を呑む。


「でも、気づいたんです」

「本当に氷月さんを愛してるって」

「依存じゃなく、選んで愛してるって」

「氷月さん」


僕は、氷月さんの手を——

でも、触れる直前で止まった。


「……時間をください」


氷月さんが、息を呑む。


「すぐには、信じられないんです」


「あなたも、僕も」


「でも——」


僕は、ゆっくり手を伸ばした。


「信じたい」


「氷月さんを、もう一度」


氷月さんの手に、僕の手が触れる。


「時間をかけて……やり直せませんか」


氷月さんが、強く頷いた。


「ああ……ああ、瑠璃」


「待つよ」


「何年でも」


氷月さんが、僕の手を——

でも、強くは握らなかった。

ただ、そっと包むように。


「ありがとう」


その言葉が、温かかった。


「これから、どうしたい?」


氷月さんが聞く。


「僕は……」


少し考えた。


「ここで、氷月さんと暮らしたいです」


「本当に?」


「はい。でも……」


深呼吸。 


「条件があります」


「なんでも言って」


「自由に、外出させてください」


氷月さんが、一瞬だけ顔を曇らせた。

でも、すぐに頷く。


「……分かった」


「友達を、作らせてください」


「ああ」


その返事は、少し遅かった。

苦しそうだった。


「ノートを、書き続けさせてください」


「もちろん」


「そして……」


僕は、氷月さんを見つめた。


「もう、『僕のもの』って言わないでください」


氷月さんが、微笑んだ。

でも、その笑顔は少し寂しそうだった。 


「……約束するよ」

「じゃあ、こう言おう」


氷月さんが、僕の手を取る。


「瑠璃、僕の——」


言葉を探すように、少し間が空く。


「——大切な人」


その言葉が、嬉しかった。


「僕も、氷月さんが大切です」


「ありがとう」


二人、しばらく手を繋いだまま、黙っていた。

 


夜。

窓の外、雪が降り続けている。


「瑠璃」


「はい?」


「今夜は……」


氷月さんが、少し躊躇う。


「一緒に、寝てもいいかい?」


その問いが、嬉しかった。

今までは、命令だった。

でも今は、質問。


「……はい」


寝室。

二人で、ベッドに入る。

氷月さんが、僕を抱きしめる。

でも、今までと違う。

優しく。

確認するように。 


「触れても、いい?」


氷月さんが、聞く。


「はい…」


氷月さんの手が、髪を撫でる。

頬に触れる。

でも——

ゆっくり。

僕の反応を確かめながら。


「もし嫌だったら、いつでも言って」


「はい」


「僕は、もう君を傷つけたくない」


「氷月さん…」


僕は、氷月さんの胸に顔を埋めた。


「ありがとうございます」


「こちらこそ」


氷月さんの腕の中。

でも、今夜は檻じゃない。

温かい、居場所。


「おやすみ、瑠璃」


「おやすみなさい、氷月さん」


目を閉じる。

でも、眠れない。

氷月さんの腕の中で、

胸の奥に小さな不安が渦巻く。

本当に、変われるんだろうか。

氷月さんも、僕も。

簡単じゃない。

きっと、またぶつかる。

でも——

それでもいいのかもしれない。

完璧じゃなくていい。

ゆっくり、一歩ずつ。


氷月さんの心臓の音が、耳に響く。

静かで、温かい音。


「瑠璃」


眠っていたはずの氷月さんが、囁いた。


「まだ起きてたの?」


「……はい」


「眠れない?」


「少しだけ」


氷月さんの腕が、少しだけ強くなる。

でも、今までみたいに逃げられない強さじゃない。


「怖い?」


「……はい」


「僕も」


その言葉に、胸がじんと温かくなった。


「でも、大丈夫」


氷月さんが、僕の髪を撫でる。 


「時間をかけて、一緒に」


「はい」


少しずつ、まぶたが重くなる。

氷月さんの温もりの中で、

ゆっくり、眠りに落ちていった。





エピローグ

三ヶ月後。三月。

春の気配が、窓の外に滲んでいた。


「瑠璃、これ」


氷月さんが、一通の封筒を差し出した。

文藝春秋社。

新人文学賞事務局。

手が震える。 


「開けて」


氷月さんが、優しく言う。

封を切る。

中の紙を取り出す。 


『佳作受賞のお知らせ』


「……え」


声が出ない。


「おめでとう」


氷月さんが、微笑む。


「やった、瑠璃」


涙が、溢れた。


「本当に……僕が……」


「ああ。君の言葉が、届いたんだ」


氷月さんが、僕を抱きしめる。

今度は、祝福の抱擁。


「ありがとうございます」


「僕じゃない。君の力だよ」 


胸が、熱い。

この三ヶ月。

簡単じゃなかった。

時々、氷月さんは不安そうな顔をした。

僕が外出する時、少しだけ表情が曇る。

時々、僕も怖くなった。

氷月さんの目が、昔みたいに僕を捕まえようとする時。

その度に、話した。

「怖い」って。

「不安だ」って。

ぶつかった。

泣いた。

でも、逃げなかった。

少しずつ、変わっている。

完璧じゃない。

でも、前に進んでいる。 


「桐谷さんに、報告しないと」


僕が言うと、氷月さんが頷いた。


「ああ。一緒に会いに行こう」


「本当ですか?」


「もちろん」


氷月さんが、微笑む。 


「彼女に、お礼を言いたいんだ」



夕方。

カフェで、桐谷さんが待っていた。


「おめでとう、瑠璃君!」


桐谷さんが、満面の笑みで迎えてくれた。


「ありがとうございます」


「佳作だけど、すごいことよ」


「はい……信じられなくて」


氷月さんが、深く頭を下げた。


「桐谷さん。本当に、ありがとうございました」

「瑠璃を、救ってくださって」


桐谷さんは、少し驚いた顔をした。

でも、すぐに微笑んだ。


「私じゃないわ。瑠璃君が自分で選んだのよ」


「でも、あなたがいなければ……」


氷月さんの声が、震える。


「僕は、彼を失っていたかもしれない」


桐谷さんは、ゆっくり首を振った。


「高遠さん。あなたも変わったのね」


「はい……まだ、完璧じゃないですが」


「完璧じゃなくていいのよ」


桐谷さんが、二人を見つめる。 


「大切なのは、変わろうとすること」


「そして、お互いを尊重すること」


その言葉が、胸に染みた。



帰り道。

二人で、春の街を歩く。


「氷月さん」


「なに?」


「これから、どうなるんでしょうか」


「分からない」


氷月さんが、正直に答える。


「でも、一緒に考えていけばいい」


「対等に。尊重し合って」


「時には、ぶつかることもあるだろう」


氷月さんが、僕の手を握る。


「でも、それでいいんだと思う」


「はい」


「僕たちは、完璧じゃない」


「完璧じゃなくていい」


その言葉が、温かかった。



マンションに戻る。


「ただいま」


僕が言うと、氷月さんが笑った。


「おかえり」


窓辺に立つ。


「瑠璃」


「はい?」


「窓、開けてもいいよ」


「え?」


「もう、君を閉じ込めたりしない」


氷月さんが、そっと微笑む。


「自由に、していいんだ」


僕は、窓を開けた。

春の風が、部屋に流れ込む。

冷たくない。

温かい風。


「氷月さん」


「なに?」


「……少しだけ、このままで」


氷月さんが、優しく頷く。

開いた窓から、春の風が静かに流れ込む。

もう檻はない。

いつでも飛び立てる。

でも、今は——

ここにいる。

それが、僕の選択だから。

外の世界は、春に向かっている。

冬は、終わろうとしている。

でも——僕たちの物語は、まだ始まったばかり。

完璧じゃない。

時々、苦しい。

でも——

氷月さんが、そっと僕の肩に手を置く。


「瑠璃」


「はい」


「ありがとう」


「こちらこそ」


窓の外、夕陽が街を染めている。

檻は、開いた。

蝶は、自由になった。


でも、蝶は——

自分の意志で、ここに留まることを選んだ。

愛する人のそばに。

それは依存じゃない。


それは——

選択。


二人は触れ合うように、お互いを選んだ。

まるで、溶けてゆく雪のように。

まるで、芽吹く春のように。

儚く、優しく。


そして——

少しずつ、強く。


【完】



最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

この物語は、ふと浮かんだ「愛してるのに、苦しい」という矛盾から生まれました。

瑠璃と氷月という共依存の関係を描くことは、私自身、何度も苦しみ、悩む作業でした。

しかし、完璧な愛は現実にないこと、そして、人々が不完全ながらも愛し合おうとする姿を描きたくて、書かずにはいられませんでした。

苦しい存在価値を求める瑠璃。

愛し方が分からず、束縛でしか愛を表現できない氷月。

彼らは悪役ではなく、共に苦しむ人間です。

彼らの「理解はできるが、許容はできない」ギリギリのバランスを探り続けました。


この物語に、明確な「答え」や完璧なハッピーエンドはありません。

二人の関係は不完全にしか治りません。

それでも、「少しずつ」変わっていくその過程こそが、私が信じる本当の希望です。

冬には飛べない蝶も、いつか春になれば空を飛べるかもしれない。

瑠璃と氷月は、まだ飛べないけれど、歩き始めました。


瑠璃と氷月の出逢いからさらに掘り下げて書きたい気持ちもあるので、いつかどこかでまた描けたらなと思います。


この物語が、あなたの心に何かを残せたら幸いです。

ブックマーク、高評価、感想、すべてが励みになります。ぜひ、あなたの感じたことを教えてください。


改めて、読んでくださり、本当にありがとうございました。この作品をあなたに届けることができて、本当に嬉しいです。また次の物語でお会いしましょう。


2025年冬 雨音美月

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